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【教育委員会日誌/林Q太郎】

【 序 章 】

早いもので、まったく畑違いのお役をいただいてから4年の月日が経った。

山梨県の教育委員に選ばれて県庁に通い県議会に出て、学校や地域を回ったり国体や会議で全国各地に出向いた。たくさんの出会いと喜び、悔しさ虚しさを痛感した4年間。

これからフィクション(作り話)としてこれまでの思い出を少しずつ紐解いてみようと思う。

「スーパーとまと」社長、林Q太郎。田舎の商店主がこともあろうに、日教組加盟率95%の山梨県教育委員になっちゃった。

ガラッパチ社長、孤軍奮闘の物語…。

「教育委員って飾りものなのか?」を問い続けた4年間!

さて、あいさつ代わりに2年前、辞表提出のきっかけとなった記事を皆様へ

【 教育委員会日誌 その1 】~嵐の前ぶれ~

2009年春、不景気の真っただ中、俺は吹けば飛ぶようなローカルスーパー「とまと」の経営者として、毎日忙しく甲府盆地を飛び回っていた。林Q太郎46歳、趣味と言えば音楽を聴くことと映画・テレビを観ることくらい。酒も飲めず、人との付き合いもあまり得意な方ではない。働く従業員の給料を払うことが毎日の問題のすべてであり、家庭や子育ては後回し。政治に関心もなく、人のやることにもあまり興味はない。冷めたおっさんである。

店回りを終えて事務所に返ると、机の上にメモがあった。「県の横なんとかさんから何回も電話あり。しつこい感じ!」また売り込みか何かの電話だろう…、無視が一番と放っておいた。

そこにまた電話だ!

「あ~林さん、私山梨県知事の横山です。中々お忙しいようで」

やっべぇ、県の横なんとかさんて山梨県の横山知事のことだったんだ!

知事「林さん、県の教育委員になってもらいたいんだが」

俺「えっ、なんすかそれ?忙しくて委員とか出来る身分じゃないっす。お断りさせて…」

知事「県の教育委員を断る人はいないよ、詳しいことは人事課から連絡するから」

冗談じゃない、俺はそういうなんとか委員みたいな人種が嫌いなんだ!それに県庁なんか昔パスポート取りに行って以来30年も行ったことない。

「人事課長の橋下と申します。教育委員就任の手続きをしますので会社にお伺いします」

俺「来られても困ります、やる気もないし。じゃこちらから県庁に行きます!」

やけに物言いが一方的なのでカチンときて、こっちが出向いて断ろうと決めた。


30年振りの県庁、入口には守衛が立って一台ずつ車のチェックがある。

守衛「どこに行くんですか?」

俺「知事が教育なんとかになれって言うから人事課に来たんだよ!」

守衛「知事部局ですか?それとも教育委員会?人事委員会?」

俺「知るかぁ!全部でお願いします!」

紙切れにハンコを押してもらえと言われた。

さて外側からみたらボロっこい県庁、中に入るとこれが意外にきれいな部屋が並ぶ。「そうかこうやって外見だけ古く見せて中に金を掛けているんだな、良くない!」などと考えながら人事課へ。

課長から教育委員の説明があった。

「月2回程度の会議に出ていただきます。あとは年数回の行事への参加、お仕事が重なったら休んでも構いません、民間の方ですから(笑)、報酬は1ヶ月18万円くらいで4年任期となります。何かご質問は?」

俺「まず、誰が俺を教育委員にしようって言ったの?」

課長「知事の推薦です、理由は知りません。正式には県議会の承認が必要です」

俺「俺は田舎の小学校のPTA会長をじゃんけんで負けて1年やっただけで、教育とか何の知識もない。娘は素行不良で先週学校から親が呼び出しを喰らってます」

課長「県の教育委員なんてそうそうなれるもんじゃありませんよ!民間の感覚をどんどん教育委員会にぶつけてください。うちはいつもスーパーとまとで買物をしてるんですよ」

俺「(うっ、痛い)分かりましたよ、忙しいときは休んでいいんですよね?」

課長「もちろんです、よろしくお願いします林教育委員(笑)」


こうして教育委員を受けることになった。しかしまだスッキリしない。

帰る時、守衛から渡された駐車券にハンコをもらってくるのを忘れていた。

俺「すいません、ハンコもらうの忘れちゃった」

守衛「困りますねぇ、規則ですから」

俺「じゃいいよ、今からもらってくるよ!俺は呼ばれて来たんだよ、怪しいもんじゃねえよ」

守衛「分かりましたよ、では今回だけ大目に見ます。次回からは忘れないように!」

ここから守衛と俺の戦いも同時に始まるのだった(笑)

もう今月末には教育委員会の会議とやらがある、気が重い。しかしそこで俺の心に火がつくことになる…。                            

続く…

【 教育委員会日誌 その2 】~別世界~

訳の分からないまま教育委員というお役を頂いてしまった「スーパーとまと」社長、林Q太郎。初仕事は県庁へ行き県の幹部へのあいさつ回りと県議会に出向いて議員さん達にごあいさつをすることだった。

県の教育委員ともなるといろいろ世話を焼いてくれる職員がついてくれる。

「林委員さん、当日は午前9時からあいさつ回りが始まります。何かあっては困りますので公用車で自宅までお迎えに上がります。午前6時30分に玄関に着きますm(_ _)m」

ちょっと待ってくれ!俺の家から県庁まではどんなに掛かっても30分、ましてや早朝なら15分で着いちゃう距離だぜ?何かあったらって、なんにもねえよ普通(-“-)

6時30分ジャスト、黒塗りの公用車、もちろんフェンダーミラー仕様が田舎の我が家に到着した。後部座席のドアを開いて俺が頭をぶつけないように手をかざしてくれる。

「お荷物は?」そんなものあるわけない!ドアを静かに閉め助手席に座る秘書役の県職員、年は俺より少し上だろうか。

彼「今日の県議会でのあいさつ原稿です。これを読んでください」

俺「笑いとか取ってもいいですか?(^^ゞ」

彼「ありえません!」

俺「・・・」洒落の通じないヤツだ。

ほら、言わんこっちゃない!7時前に県庁に着いちゃったじゃないか。何にもねえって!

彼「それでは9時10分前に迎えに来ますので教育委員室でご休憩ください」

2時間も休憩って、さっき起きたばかりなのに(怒)テレビもないし行くとこもない。

時折しもWBCの決勝戦の日だった。普通ならテレビ観てるところじゃん。


ふと携帯を見ると嫁からメールが届いていた。

向かいに住むおしゃべりのお爺さんが、「とまとの社長が朝早く黒塗りの車でどこかへ連行されていった。たぶん悪いことをして逮捕されたに違いない!こういう時はだいたい朝早く捕まえに来るもんだ」と近所中に触れ回っているとのこと…。

おいおい、だから嫌だったんだ(泣)
いつもと違うことするとロクなことが無い。

さて、WBCもイチローの活躍で優勝とのこと。
野球に興味もなかったが、やはり日本が勝つのは嬉しい。
ウキウキ感とともに県幹部へのあいさつ回り。だが!

行く先々であいさつするべき幹部職員がみんないない!

「いいんです。年度末なのでみなさんあいさつ回りでお忙しいですから」

バレーボールのローテーションじゃないんだから、みんなでズレてどうするよ?まあいいや、お愛想笑いしなくて済んだ。

さて、今度は県議会に出て就任のごあいさつだ。

県議会議事堂はテレビで観たことがあるが中に入ったことは初めてである。意外に狭い。

事前にそのリハーサルの時、事務局からこう言われた。

「林さん、ブレザーはやめてダークスーツにしてください。そしてその真っ赤なネクタイは変えてください。そしてあいさつを終えたら議長にお尻を向けずに退席してください!」

えっ?俺は仕事がら背広なんか着ないし、ネクタイもオバマ大統領と同じ真っ赤なネクタイしか持ってない、後は白いのと黒いのだけ。

男の服「満足屋」へ飛び、19,800円のダークスーツ(ただの地味な背広)なるものを買い、県議会のあいさつに臨んだ。

「私、この度教育委員に任命されました…」

と、その時「ありゃ、スーパーとまとの社長ずら!」
議員席から大きな声が聞こえた。

こっちが真剣にやってんのに!とその議員の方を見た、見ただけである。

実質15秒のあいさつを終え、議長にお尻を向けてスタスタと議場を後にした。


後日、議会事務局からお叱りを受けた。

事務局「林さん、議員を睨みつけましたね?それと議長にお尻を向けて退席しましたね?」

俺「だって人が真剣に話してるのにヤジ飛ばすんだもん!」

事務局「議会の様子はCATVで生中継されているので、支持者からクレームが来ました。それに議長に対する敬意が足りないとも…」

俺「わぁったよ!今度県議会に出る時は睨まないようにずっと下向いてるよ。そして出るときはマイケルジャクソンみたいにムーンウォークで出てく。その代わり登壇するときコケてもワザとじゃないからね!」

事務局「もう今日は結構です!!」

その後は、教育委員会の中にある10個くらいある〇〇課とか△△室のみなさんへのごあいさつだ。こちらは若い職員も多く気が楽だった。

「今度教育委員になったスーパーとまとの林です。毎度ご来店ありがとうございます。不慣れですが一生懸命頑張りま~す!」みなさんが拍手で迎えてくれた。

その夜、大学の先輩で県庁OBから電話があった。

「林、お前なんてことしてくれたんだ!」

俺にはまったく意味が分からなかった…。

続く…

【教育委員会日誌 その3 】〜屈辱〜

今日は教育委員会定例会議に初参加である。19,800円のダークスーツを身にまとい、ネクタイは無いからヴァンフォーレ甲府から貰ったネクタイを締め(結局4年間このネクタイで通すことになる)、荷物は無いけど手ブラだと恥ずかしいから、紙袋に週刊誌を入れてさも書類が入っているようにみせて小脇に抱えて行くことにした。

車で県庁のゲートに着く。今日からはオレンジ色の「顔パス」プレートをダッシュボードに置きながら、帰りにハンコをもらう面倒くさい駐車券など必要ないのだ!

入口に「あの」宿敵の守衛が立っている。前回帰る時、この駐車券にハンコをもらうのを忘れた俺のことを怪しげな目で見て「今回だけは許してやる」とご指導してくれたおっちゃんだ(-。-;

なんと、顔パスプレートを見た途端、守衛小屋から一歩出て来て俺に敬礼するではないか!

「おっちゃん、この前俺が駐車券忘れた時、今回だけは許してやる!ってスゴんだよな?プレート持ってりゃ態度が変わるんけ?」

おっちゃんは「ご苦労さまです」と頭を下げ目を合わそうとしなかった。

ふふ〜ん、そうか人を見た目で判断したことを後悔しているのか?それならそうと言えばいいじゃないか。まあいい、今日から俺は教育委員だ。小さなことはどうでもいい。子供たちの未来が俺の肩にかかっているのだから…。


さて、初めての教育委員会会議が始まった。教育委員は全部で6人。
一人は「教育長」と呼ばれていて毎日教育委員会に出勤している人だ。
どこかの高校の校長先生だったらしい。俺を除くあとの4人は2人が男性、もう2人が女性だった。一人は小学校の校長先生経験者みたいだが、ニコニコしてとてもいいおじさんだ。もう1人は年配だが企業の会長さんでいぶし銀の風格である。2人の女性は品がありとても穏やかな性格。1人は教育委員長という一番偉い立場なのに華があって美しい。俺のすぐ先輩にあたるもう1人の女性は年下で、子供を持つ「保護者委員」でもあるという。

さすがだね!県の教育委員ともなるとみんな立派な人達だ。
素晴らしい経歴を持ってここに座ってるのだろう。守衛さんとケンカする様な兄ちゃんはいない。でも難しい人達ばかりだと思っていた不安はなくなり、皆さん俺のことを歓迎してくれた。ちょっと嬉しかった(-_^)

簡単なあいさつの後、会議が始まった…。

( ̄◇ ̄;)  何にも分から〜ん×××

まったく発言するタイミングもな〜い (泣)

マズイ!「俺は県の教育委員だぜ!これからは友達とか選んじゃうよ。俺に会いたい時はアポ取れよ!」とか友達に焼肉までおごらせた俺の居場所がな〜い。

ずっと黙っていた…。

会議の最後の議事、「県立美術館等の自動販売機の選択をすべて副館長に委任する」について皆さんのご意見を!

待ってました!やっと俺の知ってる言葉「自動販売機」来ました〜!

林Q太郎委員どうぞ。

「そもそも自動販売機なんてもんは袖の下が飛び交うヤクザな業界で、どこのメーカーを入れるかなんて素人の副館長に決めさせたら何をしでかすか分かったもんじゃありませんでございますよ!」

総務課長「そのようなことのないように気をつけます(-"-)」

以上で教育委員会定例会議を終了します。お疲れさまでした。

全然疲れてない俺の教育委員初日が終わった(-。-;


会議の後、その総務課長と俺より発言しなかった「教育長」に呼び止められた。「林委員さん、ちょっといいですか?」

教育長「林さん、教育委員の報酬を全額寄付してるんですか?」

俺「何か知りませんが口座に170,000円も振込まれていてビックリしましたよ〜(^^; 俺なんか教育の事とか全然分からないし、まだ2回しか県庁に来てないし、実質2時間位しか拘束されてないのに、こんなに税金から報酬もらっちゃ申し訳ないので、県教委が管理する交通遺児に奨学金をあげる「さくら奨学会」に全額寄付しました。振込み手数料もこっち持ちで(笑)まあ罪滅ぼしみたいなもんです!」

教育長「報酬ですからもらってくださいよ。他の委員さんももらい辛いじゃないですか」

俺「(俺がもらった銭を俺がどう使おうと勝手じゃねえか!)、分かりました。じゃ10万円ずつ寄付します!」

それから毎月10万円をさくら奨学会へ、残りの7万円はワタミの社長が代表でカンボジアに学校を作るNPOに寄付することにした。

なんか悔しかった…(泣)

知識も実績もない俺にできることはこんなことしかないと痛感したからなのに…。

そして追い打ちをかけるように、県庁OBの大先輩からの言葉を思い出した。

「林、お前教育委員会のあいさつ回りで、『毎度ご来店ありがとうございます(笑)』とかいってヘラヘラしてたらしいな!教育委員会を何だと思ってるんだ⁉ 教育委員会ってのはなぁ、俺も居たことがあるけど、重々しくて厳粛なものなんだ。課長から「今度の教育委員は軽い!」と俺の所に文句が来たぞ。お前は明成大学初の教育委員の自覚はないのか(怒)!」

そんなもんねえ…。全然ねえ!

人のこと「軽い」ってなんだ?重くするのは簡単だ、黙って低い声でゆっくりしゃべりゃいい。俺は商人のせがれだ。悲しい時も苦しい時も、お番頭さんたちが俺を笑わせてくれて育ったんだ!泣かせるなんて簡単さ、笑わせることの方がずっとずっと難しいんだ!

よし決めた!俺はこのお堅い教育委員会って所に笑いを持ち込んで、4年間ヘラヘラしてやる!どんな時でも笑わせてやる!そして我慢できなくなったらそこで辞める…。

俺の人格まで否定したどこぞの課長と先輩に対して、一人で戦うことを誓った。そして日記に書いた「落とし前をつけてやる!」

俺の味方はスーパーとまとの従業員とお客さんだぜ!手強いぜぇ(^_^)v


G.W明けの朝一番。

横山知事の秘書から電話があった。「林さん、知事がお会いしたいそうです。できればすぐ知事室まで来てください」

いや〜な予感がした…。

続く…

【 教育委員会日誌 その4 】~彼ら~

長かったGW明けの月曜日、俺は横山知事に呼び出しを喰らった…。

嫌な予感はしつつも、「君の評判はなかなかいいよ~、その若い感覚で県の教育行政をどんどん変えてくれ!」なんて言われたら「いえいえそれほどでも~(^^ゞ」と答えようとか、久しぶりのドキドキ感を抑えながら県庁に向かった。

正門に構える守衛の敬礼にこちらも車の中から敬礼で返してやった。「おっちゃんもゆっくり休めたのかな?」と思うほど今日は笑顔だ(^^) やればできるじゃん!

・・・違う!そんな簡単に人は変わるはずがない。「人を簡単に信用するな!」とは人から信用されなかった爺ちゃんの遺言だ。

今日は教育委員会のある「別館」ではない。いつもニュースで映る「本館」へ向かう。

受付のお姉さんもどこかしら品がある。

俺「あの~、知事に呼ばれて来たんですがっ?」

受付嬢「2階の秘書課をお訪ねくださいm(_ _)m あの、どちら様でしょうか?」

俺「名乗るほどの者ではありません!」

2階の秘書課に着いた。大きな看板があるので聞かなくても来られた、まあいい。

「知事に呼ばれて来た林ですが、教育委員の…」

「こちらの待合室でお待ちくださいm(_ _)m」
「あっ、すぐに知事室にご案内します」

知事も忙しいんだな、そりゃそうだ。俺との話しなどサッと済ませるレベルなんだろう。

初めて入った知事室、お客さんをお迎えすることも多いため結構広い。いや本当はこじんまりしたリラックスできる部屋もあるんじゃないか?そんなことを考えながら知事が来るのを待った。


知事はすぐにやってきた。
「やあ林さん、お忙しいのにすいません。」そして「おい君、ちょっと外してくれ!」 とSP?を部屋の外に出した。やっぱり褒められるんじゃないことを覚悟した。

「林さん、教育委員として頑張っているのは分かる。でも事務局が戸惑っているようだ。報酬は全額寄付してしまい、他の選挙管理委員とか公安委員が「もらってはいけないのか?」と言っているらしい。それと君のその「物言い」が悪いという意見も聞いた。若い感覚で頼むと言ったが、任期は4年もあるのだからそう焦らないでやってくれ。彼らもプライドを持ってやっているわけだし…。」

と、ここで頭の中が真っ白になって「はい、分かりました、すいませんでしたm(_ _)m」 と言えないのが商人の悪いところである。

俺「知事、おっしゃることは分かります。教育委員報酬18万 は高過ぎます!ほとんど毎日県庁に来ている教育委員長さんだけはそれでも低いと思いますが、大切な税金の中から僕がこれほどもらうのは自分で納得いきません。拒否しているのではなく、もらった報酬を自分の意思で寄付しているだけです。他の委員はそれぞれの判断です。それと会議に出ても出なくても月額固定はいけません。会議に出た日だけ報酬を支払えばいいのではありませんか?県の行政委員を全部月額固定給から日額制にすれば年間5,000万くらいの削減になります。もう他の県ではやっているところもあります。山梨もそうしましょう!そして浮いたお金で学校にクーラー入れてやってくださいよ!」

知事「まあ、それは今後検討することにしましょう。それに君、普通にしゃべれるね?」

当ったり前じゃん!何にも知らないでバカにされるのは嫌だから、県議会であいさつした日からインターネットで 「教育委員会」とかで色々調べて勉強したんだよ。尾木ママのやつが一番分りやすかったから「俺は山梨の尾木ママになってやる!」って決めたんだ。

その後は、商売の話やこれからの山梨県について意見を聞かれた。30分 ほどで知事室を後にした。

帰り道、知事の言葉に引っ掛かるものがあった。

「彼らもプライドを持ってやっている…」

「彼ら」っていったい誰だ?「彼ら」に言われて俺は怒られたのか?この県には知事より偉い「彼ら」がいるのか?

GWボケも一気に吹き飛んだ朝だった。
まあいいさ、これで自分が教育委員になったのは知事の推薦じゃないことが分かったから(笑)

来週は教育委員全員が田舎の小学校へ行ってそれぞれが授業をする「一日教育委員会」なるものがあるらしい。そこで新米、林Q太郎教育委員は「俺、頑張れるかも…」と思っちゃう出来事があったんですよ(^_-)-☆         

続く…

【 教育委員会日誌 その5 】~また会える?~

本当は学校の先生になりたかった(^^; 金八先生のような先生は現実にはいないと子供心に分かってはいたが、生徒のすべてを背負って一緒に泣いたり笑ったりする職業に憧れた。それも「赤緑色盲」という遺伝のため夢絶たれることとなるのだが…。

さて、今日は「一日教育委員会」である。年に2度、県内各地の小中学校を回り授業をするのだ。午前中はその土地の美術館などを見学し、お昼前に1コマの授業をした後、そのクラスで子供たちと一緒に給食を食べる。最後には先生達との意見交換である。

いつも仕事場から車で駆けつける俺は、その日の見学場所である町の小さな美術館に少し遅れて到着した。背広を着る時間もなく「まっいいか(^^;」と普段着で館長さんの説明を後ろの方で聞いていた。すると今日の見学のためにパンフレットやら資料を苦労して揃えたであろう市町村教委の関係者同士の声が聞こえた。

「なあ、県の教育委員って教育長を除いて5人て言われてたのに4人しかいねえじゃんか!苦労してこんなに資料作ったのに…。」

俺「なんだか一人遅れて来るみたいだから、俺が渡しときますよ(^^;」

多分美術館内の説明をするおじさんだろう「悪いじゃん、兄ちゃん!俺なんか県の偉い人が来るからって緊張しちゃってさぁ、昨日は酒も飲めんかったよ。市役所の人から、くれぐれも失礼の無いようにってキツく言われてんだ」

俺「おじさんも大変だねぇ、これじゃ県の教育委員会なんか来てくれない方がいいやね!」

おじさん「ほうさ、ほうさ(大笑)」

その時、最前列で説明を聞いていた教育長が俺を見つけて声を掛けた。「林教育委員さん、後ろにいないで前へどうぞ!」

それまでなれなれしかった説明係のおじさんが一瞬で石のように固まったのは言うまでもない。

「おじさん、資料はやっぱり5人分で合ってるわ!」

いいおじさんだ(笑)


さて、いよいよクラスに出向き授業をする時間になった。35人位の小学校6年生。授業のテーマは「がんばれ商店街!」である。大きなショッピングセンターが出来ても必死に頑張ってる商店街の厳しさや地域への貢献を話そうと思った。難しいことは子供も大人も苦手だから…(^^;

何事も最初が肝心である。

段差があれば必ず3歩目でコケることにしている俺は、今日もばっちりコケて子供たちから笑われた。「よしっいける!」その後は店から自腹で買ってきた「ぷっちょ」を全員分配ってやった(笑)始めは欲しくてもモジモジしていた子供たちに「欲しい時は欲しい!って言わなきゃ、声の大きい人にみんな持っていかれちゃうぞ!欲しいのか?」

全員「欲しい〜!欲しい〜!」

欲の深いガキどもだ、しかしそれで良いのだ!自分で言わなきゃダメなんだよ。

それと、たまたま持っていた自分の仕事の名刺をプレゼントした。みんな珍しがって欲しがった。「そうかこの子達にとっては人生で初めてもらう名刺なんだ。それ以後はいつでも名刺をあげることにした。

その他にはAKB48のクリアファイルや自分の似顔絵が入った金キラのシール、先生には「ウコンの力」をあげた。メチャクチャである(笑)話の内容もウ◯コやチ◯コ、ジジ◯・ババ◯のオンパレードo(^▽^)o 万引きする時は堂々としていると捕まえにくいことも教えた。そして捕まった時の悲劇も同時に教えた。最後は「近くにショッピングセンターが出来てもな、そればっかりじゃ生きていけない人もいるんだ!」で締めた。

市町村の教育委員や関係者は各クラスを巡回していたが、俺の担当クラスが異常にうるさいので、最後はみんなが集合してしまった(^^;

その後はみんなで給食だ!

俺「今日学校に来た時、みんなで歌を唄って出迎えてくれたけど、あれ何かおかしくね?」

子供「だって先生がとっても偉い人が来るからって…、偉い人っておっちゃんのこと?」

俺「おっちゃんは偉くねえよ、偉いのは隣のクラスにいるおっちゃんだ(笑)それと、

お花もキレイだしゴミも落ちてない、床屋も行ったのか?」

子供「分かる〜?正解!先生も今日はネクタイしてるし、ウケる(笑)」

そうなんだ… ( ̄◇ ̄;)

俺「みんな、給食うまいか?」

子供「美味しい〜!」

俺「本当にうまいか?本当に?」

子供「まじぃ〜!」

俺「そうだろう、このパンとか不味いよな。よし、不味いパンはこのお皿の上に集めよう」そう言って不味い(本当は不味くはないんだけど)パンを一つの皿に盛った。

それを見た担任の先生はビックリしたと思う。でも意思表示しないと何事も変わらない。その後、このパンが美味しくなったかどうかは知るよしもないが、子供たちは意思表示することを覚えた。もちろんその後は、みんなでその美味しいパンを食べた、俺以外。


給食の後はグランドで食後の運動だ。しかし教育委員は会議室で休憩する。

会議室の外からさっきの子供たちがバンバン窓を叩き「おっちゃん遊ぼう!」とリクエストしてくる。もちろんそのおっちゃんは、会議室でお茶など飲む事もなく、グランドへ飛び出していくのである。

休憩が終わり、授業参観をして先生たちとの意見交換をした。ちょうど下校の時間だった。

仕事に戻らなきゃ!と急いで自分の車に戻った。そこにさっきまで「エロオヤジ!」とか言って一緒に給食を食べて遊んだ子供たちが待っていた。外国籍の子もガキ大将も少し身体の弱い子もいた。

一人の女の子が近寄って来て言った…。
 「おじちゃん、また会える?」

俺は少し考えてこう答えた。

「もう会えないと思う…」

自分は教員ではない。ただ騒いで子供たちを楽しませただけのおっちゃん。教育ではない、自分が一番良く知っている。教育はプロの教師がやるべきもので、素人が金八先生気取りでやるもんじゃない。それを痛感した一日だった。

そしてこう思った、「子供たちを笑顔にできない教育委員や先生は要らない!」

4年間、金八先生やってやる!俺の居場所があった(泣)

それにしても最近「二度と会いたくない(>_<)!」と言われることはあっても、女の子から「また会える?」なんて言われたことはないo(^▽^)o

「会えるに決まってるじゃ〜ん」と言いたかったけど、立派な教育委員であるべき俺はあえて静かに消え去ったわけだ(泣)

だって明日は特別支援学校の先生ともあろう人が、酒気帯び運転で捕まったと大きな記事!飲酒運転はいかなる理由があっても懲戒免職(怒)

処分の会議ってどんなんだろう…。

でもその処分問題でまた辞表を胸に吠えることになろうとは(泣)

続く…

【 教育委員会日誌 その6 】~リターンマッチ~

その事件はメディアに大きく報道された。特別支援学校の教諭が酒気帯び運転で逮捕されてしまったのだ。公務員の不祥事に対して県民の目はとりわけ厳しい。横山知事も「飲酒運転はいかなる理由があろうとも即懲戒免職」と断固たる姿勢を貫いている。俺も異論はない。

この教諭の処分をする臨時会議が開かれた。すべての処分案件は県の教育委員会で行われる。

事件の経緯はこうだ。次の日が休みだったこの教諭は、別の学校に勤務する先輩教諭と酒を酌み交わした。妻の運転で店まで行き、タクシーで帰ったと記憶している。先輩教諭が携帯電話を忘れ、それを見つけたこの教諭が次の朝、電話を届けようと先輩の勤務する学校へ向かった。その道すがら信号待ちをしていると、中学生の乗った一台の自転車が教諭の車にぶつかってきて倒れたという。少年の運転ミスだったとの指摘もあった。

教諭は「大丈夫です、すいませんでしたm(_ _)m」 と謝る少年の身体を気遣い「念のために病院へ行こうよ」と勧めた。病院へ行って怪我の原因を調べるために警察官から聞き取りがあった。取り調べ中、警察官は教諭の息が酒臭いと感じアルコール検査をしたところ、程度は低いが酒気帯び運転のレベルであることが分かった。

「酒気帯び運転による人身事故!特別支援学校の教諭が登校中の中学生をはねる!」

県の規定により、この教諭は一発で懲戒免職となった。処分の会議といえども覆す理由もなく、淡々と進んだ。そこには教育委員長に届いた父兄からの「なんとかクビだけはm(_ _)m」という教諭擁護の嘆願署名150名程度があった。

俺の店には酔っ払い運転で捕まったヤツもいる。他の会社で悪さをして流れてきた者もいる。学歴も低くただ正直なだけでうだつの上がらない従業員も多い。俺に人を処分する権利などない。しかしこれまで自分の周りはどちらかと言えば可哀そうな人たちが多かった。

どんなに悪いヤツでも「どこかに情状酌量の余地はないか?何かの間違いではないか?」と真反対に考える習性が身についていた。(それで嫌な思いをしたことは数えきれないが…)

その教諭は懲戒免職の処分を下され自宅で反省の日々を送っていた。

「なんとかできないものだろうか…?」俺の心に火が付いた。

俺「あの~この先生、前の晩に酒を飲んで翌日が休みでしょ?そして先輩の忘れた携帯届けに行く途中、自転車の方から突っ込んできて病院に行こうとした。で調べに来たお巡りさんに酒臭いと言われた。そしてクビになったんですよね?一緒に飲んで携帯忘れて、次の日にばっくれて生徒に授業していた先輩教諭もクビにしましょうよ!原因作ったのみんなこの先生だから(怒)」

事務局「そう言っても先輩教諭は処分できませんよ、証拠がありません!」

俺「じゃぁ、自転車の中学生なんか放っといてそのまま逃げればクビにはならなかったんですね?ヤダヤダ、人助けしてクビじゃやってらんない。この先生、酒の消化酵素が少なくて酒気帯びで捕まったなら、体質によって処分内容が変わるんですよね?それと父兄の嘆願署名、今は150人だけど、これってきっと教育委員会の出方を探ってるんだと思いますよ!同僚教諭たちは教育委員会に対してこんな署名できないでしょうから。それとこの自転車運転してた中学生、実は俺のスーパーとまとの米問屋のせがれなんですよ!親がなんとかその先生助けてやってくれって嘆願書を書いてきましたよ(笑)」

事務局「しかし本当は朝まで飲んでいたのかも知れません」

俺「それだって証拠ねえじゃん!(怒)」

援軍が現れた、女性教育委員がキラーパスを出してくれた。

「私もお酒は飲みます。でも前の晩飲んで、次の朝残っていてもクビならお酒なんて飲めません!皆さんも飲めませんよね?」

好きになりそうだった (^_-)-☆

事務局「もう処分は決まっていて、この教諭は免職となっています。人事委員会に不服申し立てをすることも出来ますからあとはそちらに任せましょう」

俺「なに言ってんですか?本人の気持ちにもなってくださいよ。酔っ払い運転で家にいる気持ち…。それに同情して署名した父兄や関係者。この前特別支援学校の見学に行ったけど、俺は涙が出そうでしたよ。ほとんどマンツーマンで先生が子供に寄り添って…。とても俺にはできませんよ、人の子に対してあんなに愛情を注ぐことなんか!この先生がいなきゃ生きていけない子供がいるんです。なんとか停職6か月とかにしてチャンスを与えてやってくださいよm(_ _)m」

民間教育委員がさえぎった、「林さんの言うことはよく分かります。しかし法律に触れている以上、理由はともあれ内規に従って懲戒免職は免れないと思います。」

内規、内規ってスニーカーじゃあるまいし、運転手つきの人に貧乏人の気持ちが分かってたまるかってんだ!あんた一生法律違反しないんだな?俺は自信ないぜ!俺の店にはなぁ、こうやって処分された連中が悔しさをバネにリターンマッチしにくるんだ。店で売ってる大盛りの格安弁当はそんな連中を支えているんだよ。 辞めてやる、本当に辞める。価値観が違い過ぎるよ!もう教育委員会のバラエティ枠は耐えられん(>_<)

その夜は行きつけの「小料理 久美子」へ立ち寄った。常連のなつおちゃんもいる。みんなに俺の愚痴を聞いてもらい慰めてもらった。「それじゃ俺が教育委員になってやる!」なつおちゃんの冗談はいつも寒い。「あの先生いい先生だよ、なんとかしてやってよQ太郎ちゃん」親が知り合いだというママもビールをサービスしてくれた。(いかん、これじゃ便宜供与で解任される)


事態が変わった!

酒気帯び免職教諭の復職を望む嘆願署名が5,000名を超えて人事委員会に持ち込まれた。

「ほ~ら言わんこっちゃない、始めの150人は様子見だったんだ。」今度は地域を巻き込み多数の署名が集められた!人事院は懲戒免職を取消し、停職6か月と訂正した。

しばらくしてその教諭は今までと同じ特別支援学校に戻ることができた。翌日の新聞には「先生お帰りなさい!」 の見出しとともに子供たちの笑顔が写っていた。教育委員会事務局は処分を覆されたことに憤りを感じただろう。署名した中には自分たちが管理するはずの教員たちも名を連ねていたという。

これで良かったのだろうか…?未だに分からない。

辞表の日付は今回も書き入れることはなかった。

しかしこれだけは言える。飲酒運転など絶対にしてはいけない!

気が進まないが、次はあのストーカー事件のことを書こう…(-。-;

続く…

【 教育委員会日誌 その7 】〜それぞれの戦い〜

「山梨県教育委員 林Q太郎様」

分厚い書類が俺の元に郵送されてきた。差出人の名前も書いてある。教育委員になって以来、沢山の告発文やらチクリが送られてくるが、そのほとんどは匿名である。俺の店にもお客さんからのクレームや要望が届くが、実名で寄せられる場合はその対応も真剣になる。

内容は深刻なものだった…。

「女子中学生に対して50歳の男性教諭がストーカー行為を続けていた。告発をしているが、なんの指導や処分もない!その教諭はまだ教育現場にいる」

送られた書類は全部で30ページ、この事件の細かな経緯が時系列に書かれていた。既に教育委員会には2年前に提出済みも、闇に葬られて現在に至るという。現在、高校に進学した女子生徒は、今でもトラウマを抱えて日々過ごしていた。

俺はこんな時、まず

①ガセネタや嫌がらせじゃないのか?

②誰が得をするんだろうか?

③俺が動くリスクは?

などと考え、一応早急な行動は避けるようにしている。

「こんな書類が届きました。あとはひとつよろしく!」と教育委員会事務局に渡せば済む話でもある。

しかし資料は平教育委員の俺を名指しで送られてきた。必死なのが分かった…。やろうと決めた。

書類の送り主はストーカーに遭った女子中学生の当時の担任と他のクラスの先生達の連名だった。実名を記し、教育委員会に告発する事など命がけであることは素人の俺にも分かる。

俺はまず知り合いの新聞記者に連絡を取り「こんなことがあったのか?」と聞いた。「聞いていません」と記者は答えた。そして次はこの当時の担任の先生に連絡を取り、会うことにした。場所は街の居酒屋だ。この時点で教育委員の資質を疑われるところだろう。でも会って話さなきゃ何も分からない。逆に言うと「会えば分かる」のである。

一つ年下のその先生に聞いた。

俺「先生、この話は本当なの?いい年した中年教諭が自分の娘くらいの中学生に対して毎晩何通も(仕事中も)メール送ったり、待ち伏せしたり、ヤキモチ焼いたり、これ見よがしに吊るし上げたり…。先生このこと教育委員会に告発したんでしょ?」

先生「全部本当です。教育委員会は取り合ってくれません。メールの内容も指導的な内容だから問題ないと…。そしてもう過去の事だから騒ぐな!って」その先生は真剣に答えてくれた。

俺「先生、俺がこのことブチ上げてもいいけど、先生のクビが飛んでもいいの?俺は帰る所があるからいいけど、言いがかり付けてやっぱり何も無かったじゃ済まないよ!」

先生「いいです!どうせ出世も諦めてるし(笑)」

俺「そうだよね、出世したい人はこんなことしないもんね。それに先生、出世する顔じゃねえもんな(笑)」

割り勘でその居酒屋を出た後、俺はその足で新聞記者に連絡をした。

俺「例のストーカー事件、おそらく事実だと思う。乗るか?」

記者「林さんがそう言うならやりましょう。但し、僕は新聞記者として事実だけを報道します」

俺「それでいいんだよ(笑)」

それぞれの立場で職責を賭けた戦いが始まった。3人だけで…。

まず俺は、送られてきた大量の資料を教育委員会に手渡しした。

俺「これ、2年前に届いたでしょう?どんな処理をしたの?」

担当者「調べた所、届いたことは確かですが紛失してしまったそうですm(_ _)m」

俺「(怒)(怒)じゃ、もう一度調べて経緯を俺に文書で報告して!」

ネグった(隠した)な…(−_−#)

しばらくして事務局から文書で回答があった。

「林Q太郎委員ご指摘の事案は確かにありましたが、メールの内容も適切であり、その他の付きまとい等の事実も確認されませんでした。よってこの件につきましては処理済みであり、今後も検討する予定はありません。但し今後、類似の(勘違いされるような)行為が無いよう適切に指導してまいります」

んな〜ろ〜っ!(怒)(怒)(怒)!


俺は直接その女の子に会うことにした。このままでは告発してきた先生達の身に被害が及ぶと察したからだ。

「正義の味方」気取りの成れの果て。俺は教育委員になって初めて震えた。

続く…

 【 教育委員会日誌 その8 】~さよなら教育委員会~

どんな理由があれ、県の教育委員が一児童やその親に会うこと、ましてやその管理下にある教員に会い相談を受けることなどは今までタブーだったろう。教育委員とは任命条件にあるように「高潔な人物」であり、シャバの揉めごとに首を突っ込むより大所高所から教育行政全般のあるべき方向性を進言するために存在するのだから…。

「小所低所」に軸足を置く俺にはそんな慣例などどうでもよかった。

ストーカー被害に遭い、当時の先生達が力を合わせて守りたかったその女子生徒に会うことにした。新聞記者に聞いた。「一緒に会うかい?」彼はキッパリ 「僕は会いません!記事に迷いが出てはいけませんので」と答えた、彼もプロだった。

待ち合わせ場所はホテルのロビーだった。灯台下暗し、沢山の人が行き交う場所で俺と今は高校生になった被害女子生徒、そのお母さん、そして当時の担任教諭の4人で話をした。気づく人は誰もいなかった。始めその親子は教育委員である俺に会うことを躊躇したという。信頼をなくした教育委員会の人間である、それも無理のないことだと思ったが、男性教諭が説き伏せて初のご対面となった。

内心、(言いづらいが)この子が見るからに悪そうな子だったら、その場でこの件からは手を引こうと思った(^^ゞ。しかしどうだろう、心に苦しみを持っているなど想像もできないほど明るくてハキハキした子だった。緊張をほぐそうと俺が笑わせるとすぐに反応してくる賢い子である。担任の先生より笑いのツボを心得ていた。こんな子は友達も多い、見た目もショートヘアで笑顔も可愛い。「きっと親の育て方が良かったんだな…」髪の毛を染め、化粧をして学校から親が呼び出しを喰らったうちの娘と同じ年だった(-"-)

お母さんは医療関係に勤めていて化粧っ気もないまじめな人だった。俺と同じ年で「トシちゃんよりマッチが好きだった」と言う(笑)。

仮にA子ちゃんとしよう。

俺「A子ちゃん、本当に先生から変なメールが着たり、付きまとわれたりしたの?」

A子「本当です!思い出すのも嫌(>_<)」 顔が一瞬で曇った。

母「これがその先生から送られたメールです。A子に着たメールはすべて私に転送させてから消去させました。主人は体が不自由なので私がいつも相談を受けていました」

いい親子関係である。A子ちゃんはすべて母親に包み隠さず報告していた。嫌なメールを保存していたお母さんの覚悟もマネできないことだ。お母さんはそのメールを全部俺に見せてくれた。

俺「なにこれ?♡マーク満載じゃん、内容は指導的なものって教育委員会が言ってたけど、A子ちゃんのことアニメのキャラクターに例えて褒めてるし、それに男の子と話してると怒るんでしょ?こりゃダメだねこの先生(怒)。お母さん、届いたメールはこれで全部?」

母「はい…」  俺は信じることにした。

俺「おじちゃんがさぁ、教育委員会でこの先生のことダメじゃん!って言ったらね、「ストーカーじゃない!」って言われたのさ。それでこのこと新聞に出たじゃん?そしたら偉い人が「本当に傷ついているのは2年も前のことを掘り返されたこの女の子だ!」って怒るんだよ(泣)」

A子「新聞に書いてあることばかりじゃない!もっとちゃんと書いて欲しいです。私はまだ許してない!」

俺「分かったよ、おじちゃんにまかせときな(笑)」

この子は嘘をついていない。お母さんも信用できる。証拠のメールも手元にもらった。

そして内緒で後ろの席に座らせておいたわが家の嫁と娘も「あんたここで引いたら男じゃないよ!」とお墨付きをくれた。(最近帰りが遅い俺のことを疑っていたので、いい機会だと思って連れてきた…セーフ(-_^))


翌日の新聞の見出しには俺たちをあざ笑うかのように文字が躍っていた。

「ストーカー行為なかった!教育委員会が結論」

えぇっっ~?マジ?((((;゚Д゚)))))))

目に見えない大きな力が襲ってきた…。

もちろん、その疑いを持たれた教師にも家族がいる。学校に通う女の子もいるという。

人ひとりのキャリアに傷をつける重大な行為であることは十分承知していた。

しかし、翌日の別の新聞には全く逆の見出しがついた。あいつが書いた!

「ストーカー行為あった!!」

事実だけを書く、と同じ船に乗ったあの記者が書いたのだ!彼ももう引き返せない。

結果はどうあれ教育委員はもう辞めようと思った。

メディアまでも巻き込み、教育委員会や騒ぎを嫌う先生達を敵に回してしまった。その学校がある市の首長さんも 「いい加減にしてほしい!」と取材に答えた。八方塞がりである、上げた拳は行き場所を失くしてしまっていた。


お天道さんは俺たちを見捨てなかった。この教諭の他の不始末がどんどん寄せられてきたのだ!女の子を応援したいと当時の同級生やその親たちが不審に思っていたことを申し出てくれた。かの新聞記者はその一つ一つの裏を取り、最終的に教育委員会事務局とその教諭は自分の罪を認めることになった。

何の関係もない女の子のために危険な橋を渡ったのか?
俺はその記者に聞いた。

「林さんから乗るか?と聞かれた時、僕は甲状腺ガンの手術を終えて仕事に復帰するかどうか迷っていたところでした。だからやってみようと思いました。 ダメなら記者を辞めて静かに暮らそうと…」彼も命がけだったのである。

さて林Q太郎、丸2年の教育委員生活の締めくくりの日、その教諭の処分が下された。

「懲戒処分、停職1ヶ月」

同じ日に万引きで処分された教諭は停職6ヶ月、依願退職して退職金をもらって辞めるのだろう。そんなことはどうでもよかった(怒) 万引きが停職6ヶ月で、女の子の人生を狂わせたストーカー教諭が他の不祥事も含めて停職1ヶ月?俺には到底納得できなかった!

俺は今まで空欄だった辞表に日付を入れて提出した。

告発文を送ってきた当時の担任の先生は他の町へ異動になった。

新聞記者も他県に異動した…。

みんなゴメン (泣)

A子ちゃんのお母さんからメールが着た。

「A子が林さんにありがとうって言って欲しいって!」

A子ちゃんは今、お父さんの身体を治す仕事がしたいとリハビリの学校に通っている。

家から離れて暮らしたいからと学校の寮に入ったと聞いた。

すべて終わった。

続く…

【 教育委員会日誌 その9 】~不良教育委員の復活!~

真実を告発した先生を島流しにした上、命がけで記事にした新聞記者は飛ばされてしまった…。「ストーカー行為、なかった!」と書いた新聞記者は責任を取って辞めてしまったらしい。A子ちゃんの人間不信は治らず、実家を出て大学の寮に入った。ストーカー教諭の処分はたったの停職一か月、お母さんに合わせる顔もない。俺はしがない商店主、辞表を出した後はまた元の忙しい毎日を送っていた。まったく未練はなかった。やり残したこともない。なぜなら、やっても出来ないことが分かったのだから。

あれから2ヶ月、元々不釣り合いな教育委員というお役を降りた俺は、「今度は誰がやるんだろう?」程度の興味はあったが、これと言って激しい感情はなかった。映画も観に行けるし自分の時間も増えた。コンサートだって行ける!ゴルフの練習場なんか行ってみた。友達とキャバクラにも行った。子供達には会いたかったが、校長や教頭先生の昇進面接官も新規採用の教員面接もしなくてよくなった。

この2年間はすべて教育委員会の行事が優先されて自分の予定は後回しだった。元来、人に「こうしろ、ああしろ」と言われるのが極端に嫌いな性格だったから、「これが普通の生活だよな…」と痛感していた。

「社長、横山知事から電話です!」

2年前は「県の横なんとかさんから電話です!しつこい感じ」と言っていたうちの事務員さんもようやく知事のことは分かったらしい。

知事「林さん、話がある。土曜日にあなたの会社へ行くから時間を取ってほしい…」

俺「知事、会社って言っても知事が来るようなところじゃありませんよ!」

知事「では、スーパーとまとの店でもいいから」

俺「…、分かりました、じゃ土曜日に店の前で待ってます」

まあ2年前に知事室に呼び出されたことを思えば、田舎の俺の店に、それも休みの土曜日に知事が来るなんておあいこである(^^ゞ

土曜日の朝、横山知事は黒塗りの公用車ではなくワゴン車に乗ってノーネクタイでやってきた。ただし一緒にいたのはSPだということは刑事ドラマ好きの俺にはたやすく理解できた。「SPは、 ポロシャツ着てても、すぐバレる!」 今度どこかに投稿しよう!


その日は小雨が降っていた…。

知事「どこかお茶でも飲めるところはないかね?」

俺「ありませんよ、喫茶店じゃないんですから。自販機でお茶買ってきましょうか?」

知事「いや、いい」

知事と俺はスーパーの店先で、俺の差す100円の傘の下、相合い傘で話を始めた。

「あっ知事さんじゃん、なんでこんな所にいるでぇ?」行き交うお客さんがすべて足を止めて知事の所へ歩み寄る。地元では人気のある知事さんだ。こんな所という婆さんも婆さんだが…。

「あっ、どうもどうも」知事はそのたび握手してそれに応える。俺は知事が雨に濡れないように傘をかざす役に徹した。微妙な距離にいたSPはこの一種異様な光景の中、四股を踏むかのようにバタバタ重心を左右の足にかけて「その時」に備えていた。

もう一度言う。グレーのツータックのスラックスに黒の革靴、真っ白のポロシャツはおかしい!鍛えた上半身はいいが、そのスポーツ刈りは怖い!

知事「林くん、教育委員を辞めるんだって?」(今日からくん付けか…)

俺「もう2ヶ月も経ってますよ、俺なんかのいる所じゃないですよ。俺はこんな婆ちゃんたち相手に食料品を売ってる人間です。知事の期待に応えられなくてすいません。それに一度辞めるって言ったのに、またやります!じゃ店の信用にも関わります」

知事「私の所に「君を辞めさせるな!」という手紙が届いている。それも10や20じゃない、全部実名だ。学校の先生やPTA、エリアも全県だ!県教委内部からも声が上がった。こんなことは初めてだよ」

心の底から嬉しかった、本当に嬉しかった(泣)
見ていてくれた人がいたんだ!

と同時に誰がこんなことを仕組んだのか?と思った。

「あいつだな…」

俺「やっぱりお断りします!」

知事「まぁ、じっくり考えてくれ。今日のところは帰るから」


その夜、A子ちゃんのお母さんにメールした、電話番号は未だに知らない。

母「林さんが辞めちゃったらこれからどうなっちゃうの?お願いだから続けてください。A子のお願いでもあります」

当時のA子ちゃんの担任にも電話した。

「林さん、あなたがいてくれるだけでいいんです!辞めないでください」

もちろんあの新聞記者にも相談した。

「林さん、お楽しみはこれからですよ!」

なんたる余裕、30やそこらのあんちゃんである。

翌日の朝、

「教育委員の林Q太郎です、知事をお願いします!いいから知事をお願いします!」

秘書なんかいない俺は、まず秘書を通すという習慣などない。

知事は俺からの電話と聞いてすぐ換わってくれた。

「林Q太郎です、教育委員の辞表を撤回します!ただし条件があります。俺の要望を全部聞いてください!」ダメもとで言ってみた。

「わかった!のめるものは全部のむ。箇条書きでいいからすぐ出しなさい」

間髪入れず知事はそう答えてくれた。

「そして新聞には私が強く慰留した、と書かせなさい!」知事も男らしかった。

くぅ~泣かせるねぇ~(>_<)、 せっかく邪魔な不良教育委員が自分から辞めるって言ったのに、知事が慰留?他の教育委員だって知事が任命したのにこれからどうなるんだろう?

まっいいか (^^ゞ

俺はすぐさまパソコンに向かい「教育委員会改革要望書」を書き上げた。
俺にしてみれば当たり前のことだが、教育委員会事務局にとっては無理難題をまとめて書き記した。

翌日、俺は普段着で知事室にその「要望書」を持参した。

復帰した俺は久しぶりに教育委員会会議に出た。橋下総務課長は他の委員に詫びろという(怒)

「2ヶ月もの間、会議を欠席してすいませんでしたm(_ _)m 欠席したことはお詫びします。でもストーカー処分に対する気持ちはま~ったく変わっていません」

総務課長の嫌そうな顔は忘れられない。迎え入れてくれた他の教育委員は笑顔だった。

「林さんごめんなさいね(^^ゞ 林さんの言っていることは正しかったわ!」

もういいのである、処分は覆らないのだから。ただしこれからは教育委員会が変わる、

いや変えてやる!負けず嫌いの血が騒いだ。

会議の帰りに県庁の売店で缶コーヒーを買った。そこには気が強そうだけど憎めない看板娘の智子ちゃんがいた。

「林さん良かったね、教育委員に復帰したんだね。林さんのファンは県庁の中にもたくさんいるんだよ。私も嬉しい!」

智子ちゃんと処分が取り消されて特別支援学校に復帰した例の先生は幼なじみだという…。

「こいつ、やったな…」


新聞記者が事務方のトップである教育長に取材をした。

「林Q太郎委員から辞表が出ていたんですか?」

教育長「出たとも出ないとも言えません!」

もういい、俺はここで真実を皆さんに聞いてもらったから…。

不良教育委員の復活である。

続く…

【 教育委員会日誌 その10 】〜震災を乗り越えて、3年目の春〜

林Q太郎、教育委員3年目は東日本大震災とともに始まった。山梨県の被害は東北のそれとは比較にならないものだったが、本業であるスーパー業界では買占めやモノ不足が起きて大変な状況だった。

先生達も被災地に飛んだ。居ても立ってもいられない状況だったのだろう、そんな先生達を見て頭の下がる思いだった。

教育委員は県内各地を回って、地域のPTAや市町村教委、先生達と意見交換をする「教育懇談会」なるものに出掛ける。

ある日、その懇談会で一人の母親が意見を述べた。

「うちの娘は震災以降の節電でクーラーの効かない学校に行きたくない!と泣くんです。教育委員会はこんな状況をどう考えるんですか?」

父兄の意見に弱いのは教育委員会も学校も一緒である。その会に参加していた県教委の課長達も答えに困り誰もマイクを握ろうとしなかった。

「子供の体調が悪くなったら誰が責任を取るんですか?」母親がまくし立てた。

俺はカチンときて、マイクを自分に回す様に目でサインを送った。

「お母さんの言うことは良くわかる。でもね、今は日本中でみんなが我慢してるんだよ。この会場だって暑い。今、親が子供に言わなきゃならんのは、被災地のことを思ってみんなが少しずつ我慢すること!そしてその我慢を集めて被災地に送ることだよ!娘さんに言ってくれよ「少しくらい暑いのなんか我慢して、水筒持って学校行きなさい!」って」

会場からは拍手が起こった。

でもそのお母さんはフン!(怒)と会場から出て行ってしまった…。

教育委員の残りの期間、俺は子供達の盾(たて)になろうと決めた。教育委員会でもなく先生やPTAでもなく、「子供達」の盾になろうと決めた。どうせ教育委員会では良く思われていないんだから、せめて子供達を身体を張って守ろうと決めた。教育委員会の議題にはあまり子供達のことが出て来ないのも不満だったし…。

次は障害を持つ子のお母さんがマイクを持った。ドキドキしているのが良く分かった。

「特別支援学校に対する要望がいろいろあるんですが、どこに言ったらいいんですか?」

担当課長が答えた。

「県教委の担当にお電話頂ければ対応いたします。市町村でも結構です」

俺はまたカチンときた。

「ちょっと、県教委の電話番号と担当者の名前を教えてあげて!普通の人は県庁に電話するだけで緊張するんだからさ!」

「そうだそうだ!」お父さんからの声援だ。

俺は相向かいの席に座った方が良さそうだった。

県民はお客様、市町村の教育委員会は勤務時間だからいいけど、PTAなんか仕事休んで来てるんだから、1分たりとも無駄にしちゃいけないんだよ(怒)

そのお母さんは連絡先の書かれたメモをもらって帰って行った。

まだまだ教育委員会と一般の県民とは大きな壁がある…。

いや、そうでなきゃいけないのか?そんなことはあるまい。

俺はその日を境に、PTAの集まりや先生達の勉強会にも自ら勝手に参加する様になった。辞表を出してから箔が付いたのか、いろんな所からお声が掛かり「講演会」なるもの(自分ではトークショーと呼んでいる(^^;)を頼まれるようになった。出向くと様々な意見や要望が飛び出してくる。

教育委員会事務局はあまり良くは思っていない様だった。

「林さん、行く先々で何を話してらっしゃるんですか?」

俺「ほとんどエッチなことです!」 大体それで話は終わった(笑)

教育委員会内部で俺は完全に孤立していた。俺の辞任騒動で退任となった前教育長から、しっかり林Q太郎の取扱説明書を引き継いだ新教育長は、不良教育委員の俺とは距離を置いていた。

二つ年下の女性教育委員が教育委員長に任命された。と、同時に林Q太郎、教育委員長職務代理(副委員長)を任命された! (順番で…)

教育委員長46歳、副委員長48歳。

日本で一番若いツートップの完成である。そりゃ普通にいく訳がないわな。来週は、国体に行って選手を激励しろって…。遠くには行きたくないよ。

でも林Q太郎、そこで天皇陛下にお会いすることとなる。

続く…

【 教育委員会日誌 その11 】〜雲の上の人〜

教育委員長の代理として国体に行くことになった林Q太郎副委員長、朝3時に起きて羽田空港に向かった。黒塗りの公用車、秘書付きである。世話を焼いてくれるのは総務課の職員である矢島君だ。若手のホープ(らしい?)である。

しかしこの矢島君、どこかちょっとヌケけていて、機内持ち込みができない手荷物を「絶対に大丈夫だ!」と言い張ったり、俺の予定を確認してると思ったら、「グルメ・お土産マップ」を見てニヤニヤ笑ったりしている。

今年の国体は山口県での開催だ。

あまり遠出するのが好きじゃない俺は、山口県がどこに位置するのかも良く理解していなかった(^^;

飛行機、電車、バスを乗り継ぎ開会式の行われる立派なスタジアムに着いた。

ここでの教育委員の役割は、山梨県選手団を激励することである。県民を代表して開会式前の各県の代表が集う選手村で「頑張ってね!」を言うためにはるばるやって来たのだ。

「選手のみなさ〜ん、全県民がぁ〜ぁ…ぁ…ぁ」

俺の声が消えた。矢島君が持ってくれているラッパ型の拡声器(スーパーの売り出しで使うヤツ)の電池が切れた(>_<)

俺は自声で「要するに頑張ってねぇ〜!」と必死で叫んだ。

俺の役目のすべてが終わった…。

隣に陣取っていた神奈川県選手団はその時を「待ってました!」とばかり激励セレモニーを始めた。完璧な音響設備を持ち込み、激励の言葉は柔道の金メダリスト、あの山下だった。段取りも見事である。ユニフォームもなんか都会的で格好良く見えた。いや、山梨県のブドウ色のジャケットが悪いと言っている訳じゃない(-。-;


開会式が始まった。

開催県の意地を賭けた派手な演出だった。まるでオリンピックのそれと一緒だ。山口県出身の芸能人が次々に登場しながら、地域の歴史や文化を紹介していく。選手団の入場も中々感動的である。

俺は来賓扱いだそうでピッチには降りずメインスタンドの指定席に秘書の矢島君と一緒に座っていた。矢島君は地域の特産品が詰め込まれたお弁当を美味しそうに食べていた。

俺「矢島君、俺の弁当は?」

彼「あれっ、自分の分しかもらってきませんでした、ハハハ(^^)」

「じゃ、俺もらって来るわ´д` ;」と、席を立とうとした瞬間

「ソコォ〜、動かないで!」

と怒られてしまった。

天皇、皇后両陛下の入場である。

待ってました!と新調したばかりのデジカメを向けた矢島君もSPに怒られた(笑)

天皇陛下だ…。自分は思うところはないが、初めて生でそのお姿を目の当たりにした。

隣に寄り添う皇后陛下も穏やかに微笑んでいる。会場は一つになり陛下のお言葉を頂いた。

緊張の時間も過ぎ、MCの山本譲二が唄う「みちのく一人旅」は「違うな(-。-;」と思いつつも最後のクライマックスへと進んでいった。様々なフィギュアがバルーンとなって空中に上げられていく。そして最後に大空高く上げられたバルーンは…?

フグだぁ〜!フグ!

これだけ引っ張って、最後の最後に登場したのはフグのバルーンだった。大空いっぱい全部フグ(笑)山口はフグなんだ、下関のフグしかないんだ!(もちろん他にもあるとは思うが、なんとも潔いご決断。会場は大爆笑だった!自虐ネタを採用できる山口県の懐の深さに感動さえ覚えた。

「これ山梨で出来るのかな?」絶対に出来ないのである…。

「今夜の宴会、フグ食えるっすかね?」 矢島君はいい子である。


開会式の後、各県のVIP達だけで懇談会と呼ばれるパーティがあって俺も呼ばれた。

矢島君は入れない。

そこにまた天皇皇后両陛下がやって来た。今度は目の前3メートルに両陛下がいる。菊の御紋を付けたSPが多数いたが、参加者が天皇陛下の元に行き名刺を渡し挨拶できるという。一瞬で列ができた。男性は天皇陛下に、女性は皇后陛下の元に並んだ。涙を流す人、ひたすら見つめる人、それぞれの思いがあるのだろう。「万歳!万歳!」の声も聞こえた。

林Q太郎、どうする…?

俺は迷わず列から離れ、特産のフグや名物料理をたらふく食べた(笑)何せ昼は食ってない(-。-;

一商人、雲の上の人は雲の上にいて欲しかった。身の程を知る、分相応、自分は天皇陛下と言葉を交わすような人間ではない。この会場の中ではおそらく最年少の教育委員長(代理)、県費でここに来させてもらった身だ。思い出を作りに来た訳じゃない。これでいいんだ…。

特産牛のステーキを取ろうとした時、俺にぶつかってきたヤツがいた!

「あっ、すいませんm(_ _)m」なんとあの柔道の山下だ (@_@)

「いいって、いいって!」

素直に自分の非を認められる男、さすが世界一の男である。

その夜は秘書の矢島君と相部屋だった。3畳くらいの狭いビジネスホテルのツインルームに、いいおっさんと秘書が横並びだ。

坊ちゃん育ちの俺はこんな経験はなく一睡も出来なかった…。

山梨県教育委員長って専用車も秘書も付くのに…

これってイジメ?

後日、この事を聞いた県議会議員が教育委員会事務局に問いただしたという。

「他の教育委員長でも若い職員と相部屋にするのか⁉」

真相は藪の中…。

続く…

【 教育委員会日誌 その12 】〜我も人なり、彼も人なり〜

教育委員は各県にそれぞれ5〜6名、年に一度そのエリアでの研修会に参加する。

山梨県が属する関東地区の教育委員の研修会「1都9県 教育委員会議」が山梨県を幹事県として、富士の麓(ふもと)富士急ハイランドホテルで開催された。

教育委員が約50名、事務局が50名ほど、文科省のお偉いさん、メディアも多数参加する。そうそうたるメンバーである。

各地の教育委員の中には、柔道金メダルの山下、マラソンの瀬古、体操金メダルの具志堅、NHKの元アナウンサー宮崎緑、その他著名人が顔を揃えている。

過去には将棋の故米長名人、ヤンキー先生やワタミの社長もいたという。Jリーグの川淵キャプテンも東京の教育委員だった。

「すっげえメンバーだなぁ…(-。-;なんか参議院の全国区みてえだ!」

顔は知らなくても東京都の教育委員長なんか見るからに近寄り難い。なにせ石原さんの懐刀でずっと委員長だという。P社の副社長もいる。松下幸之助翁の教えを直接受けた人物だ。その他はお医者さん、大学教授、弁護士、女性も多かったがみんな立派な本業を持っていた。友達の「うどん屋源さん」みたいな人種は一人もいない…。

「俺は田舎の商店主、 このメンツの中で発言することもなかろう」

この人達は「教育について話せ」と言われたら3時間くらい軽〜くしゃべりそうな気がする。

文科省の偉い人が基調講演として「いかに教育委員会が重要か!」を話した。こんな話をすること自体、教育委員会がただのお飾りで形骸化していることを意味してるんだな、と思った。俺だけかな?

休憩を挟み、教育委員が5つの部屋に分かれテーマ別に意見交換をする分科会が開かれた。

な、なんとその分科会で最年少の俺が話し合いの進行や取りまとめをする「座長」に指名されてしまった!

途中で抜けて、吉田のうどん食ってバックレようと思ってたのに…。

メンバーと討論テーマが配られた。またまたガーン!

さっき書いたメンバーが全部俺の部屋にいる。
田原総一朗ならまだしも、俺はガキにしかウケないただのあんちゃん。
「やればできる!」の域を超えている。

討論テーマは「子供達をイジメから守る」だった。イジメの問題が少しずつ注目され始めた頃でタイムリーなテーマだった。


会議が始まった。

俺「そ、それではこれから分科会を始めます。 私は山梨県の林Q太郎でござ…」

委員「時間が無いんだから自己紹介はいいから早速テーマに入ったら?」

俺「そうですよねぇ〜」
 (チッ、次は絶対SONYのテレビにしてやる!)

委員「イジメには様々な要因があってぇ…」

委員「家庭の教育がそもそも悪い…」

委員「教師がやる気が無いんだ…」

委員「私のスポーツの経験ではイジメと指導の差が…」

委員「医学的に申しますと…」

委員「カウンセラーを入れたくても予算が…」

おいおい、俺の頭の上を教育の専門家たちの意見が飛び回っている。
窓の外に見えるジェットコースターとおんなじだ。

俺「そろそろまとめの時間なので討論の総括を◯◯委員にお願いします」

P委員「何言ってんだ、それは君の役目だろ!」

「若い芽を育てよう」とか思わないのかね…?始めは「黙れ!」って言われて、終わりには「まとめろ!」ってどっちかにしてよ。何にも知らない素人だと思ってみんなで俺のこと見下してさ。難しいことばっかり言って、こんなの普通のお母さん達が見てりゃ笑っちゃうよ。

教育なんていくら専門家(気取り)が熱く語っても、何にも変わらない。
こんなんだから「教育委員会なんか要らない」って言われるんだ!

秘書の矢島くんが各委員の意見をまとめたメモを俺の肩口から差し出した…。

「林さん、コレ!」

俺「そんなもん要らん!あっても字が汚くて読めん!」

「皆さんから様々なご意見を頂きました。それぞれの立場から貴重なご意見だったと思います。座長として力不足でしたが、その意見を総括してまとめさせて頂きます。

イジメで子供が傷ついたり、ましてや命を落としたりすることがあってはいけません。絶対にいけません!原因や改善策はここで90分話しても見つかりません。この後は懇親会で飲み食いします。でも今この瞬間にイジメで悩んでる子供がいます。お金でイジメが減るなら、宴会やめて浮いたお金でカウンセラーを雇いましょう。先生の目が届かないなら先生を増やしましょう。なんでも「予算が無いから…」じゃ、いつまだたっても解決しませんよ。つまらんこと全部削って子供の命を守るために金をジャブジャブ使ったらいいじゃないですか?人の命を救うためなら、どれだけ金を使ってもそれは「はした金」です!」

委員「それでいいんじゃない?」
鼻で笑われた。(泣)

俺は受け入れてもらえなかった。でも清々した気持ちだった。

その後の懇親会は乾杯だけして抜け出した。次の日は富士山周辺観光だと言う。

「富士山なんか毎日見てらぁ!」

帰りに食べた吉田のうどんはいつにも増して固く感じた…。

車の中で聴いたのはジョンレノンの「WORKING CLASS HERO♫」労働者の歌…。

「人の命を救うために使う金は、どれだけ使おうともそれは「はした金」である!」

彼の言葉を使った。
〜我も教育委員なり、彼らも教育委員なり〜

こんな俺が来月、山梨県の第75代教育委員長に任命される…。

続く…

【教育委員会日誌 その13 】~ 県立図書館と民間人館長~

山梨県に立派な県立図書館が建設された。駅からも近く交通の便も良い。県民の期待を乗せて最先端の技術やサービスが導入された。開場以来、当初予想の1.7倍もの来場者が県内外から訪れているという。

そもそも文学より週刊誌、絵画よりヤクザ映画、クラッシックよりROCK♪ で育ってしまった俺には、図書館がどのようなものであってもさして興味が無かったのは事実である。

しかしここ山梨には本を愛し、図書館を愛し、その司書さん達の成長が子供達の未来を創る!と地道に活動している人々が沢山いた。

1年ほど前、俺の元に丁寧に時間をかけて打たれたメールが届いた。

「県立図書館の設置者である教育委員会に私たちの意見を聞いてもらいたい!」

もちろん聞く、聞くのが俺の仕事であり役目である。事務局でなく俺に会いたいのは何か理由があるはず…。すぐに会うことにした。

スーパーとまとの狭い事務所に2人の女性がやってきた。70代と80代の2人だった。

B「おばあちゃんで驚いたでしょ?(笑)」

Q「いえいえ全然…(ビックリです)」

B「メール読みづらくありませんでしたか?」

Q「いえいえ全然…(読みづらかったです)」

話しの内容はこうだった。

「今度出来る図書館に対して私たち有志「図書館を考える会」は、教育委員会にもいろんな意見を聞いてもらった。必ず良い図書館が出来ると信じている。林さん、私達の最後のお願いがあります。これだけ素晴らしい図書館なら、県民に愛される館長を選んで欲しいんです!」

俺には図書館の館長のことなどまったく頭に無かった。

B「県立図書館の館長は慣例で校長先生OBが 務めています。その人事がダメだとは言わないが、これだけの図書館の初代館長は知名度が高く、山梨県全体の図書館の館長としてふさわしい人にしてもらいたい!」

Q「じゃ本の好きな(亡くなっちゃったけど)児玉清さんとか、山梨県に縁のある金田一なんとかさんみたいな人に、ってこと?」

B「そうです!本が好きで司書の気持ちが分かる人に館長をお願いします」

Q「分かりました。人事のことはよく分かんないけど言ってみるよ(^^ゞ」

3時間くらいお茶を飲みながら3人で話した。

教育委員会の会議で新しい図書館の話しが頻繁に出るようになってきた。開館も近づいた時期だった。

俺「すいません、新図書館の館長はもう決まってるんですか?」

事務局「いえ、まだだと思います。林委員、その話は会議が終わってから茶話会の時にでも…」

俺「ん?今話さなきゃ議事録に載らないじゃん!そうでなくても議事録は誰が発言したか書いてないんだからいいじゃん!」

事務局「・・・(@_@)」

俺「聞くところによると図書館長は校長先生OBって決まってるらしいじゃん?やっぱ

知事肝いりの図書館なんだから、民間の有名な人にした方がいいんじゃない?」

事務局「検討いたします」

俺「検討するんだ!ありがとうございま~す!」


そんなやり取りも忘れた頃、新しい図書館の館長が新聞に掲載された。

俺の予想を超え、本を愛し司書の経験もある作家だった。「図書館の建物より人が大事だ!」と答えていた。知事が直接何度も口説いた上の就任だった。

当時まだ教育委員会では委員長代理だった俺に、時の女性委員長が言った。

「林さん、新図書館長への辞令交付、私は予定があるから代わりにお願いできませんか?」

「いいっすよ!」俺は二つ返事でOKした。委員長を支えるのが副委員長の仕事だから。

俺はすぐ分かった。彼女は俺に譲ったんだって…。俺が館長を決めた訳じゃないけど(笑)

さて、その辞令交付式にはすべてのメディアが取材に訪れ、全国にもそのことが伝えられた。そのあと新館長と教育委員の面々が意見交換をする予定になっていた。(まあ知事に会うまでの時間調整なのだが…)

進行表を見たら、①林委員あいさつ ②談笑 ③終わりの言葉、と荒っぽく書かれていた。

「それでは林さんを中心に30分ほど館長と意見交換をお願いします」

おいおい、俺はこの人の本も読んだことが無い(泣)、芸能人のスキャンダルなら詳しいけど、直木賞とか知らない…。感想文は小中高と毎年「人間失格」でやっつけてきた男だ。

他の委員も喋らない、「ほ~ら林、なんか喋ってみろよ、いつも威張ってるんだから!」などと考える低レベルの教育委員はいないはずだが、俺にはそう見えた。

商人の血筋かどうかは知らないが、イザと言う時に強いのは遺伝かも知れない。

目の前に座る館長のネクタイに小さなシミを見つけた。俺は勝負に出た!

俺「館長、お昼はそばを召し上がったんですか?」

館長「そうですよ、山梨もそばがおいしいね(笑)」

俺「鳥モツってのも食べました?」

館長「あぁ、いただきました。あれもおいしかった!私は東北に縁があって本当はうどんが好きなんですよ。昔、宇野重吉とそばとうどんのうんちくでケンカしたこともある。彼はそば食いの方がうどん食いより格が上だ!なんて言うもんですから。それに私は昔テレビ番組でグルメレポーターなんかやったこともあるんですよ」

教育委員一同「そうですか(頷く)そうですか(頷く)」

館長のネクタイのシミは「鳥モツ」のタレだ!と見込んだ俺は一気に食い物の話しに持ち込んだ!30分などアッという間だった。ふう…。

館長「林さんは教員なんですか?」

俺「とんでもない、俺は魚屋のせがれです」

館長「それで〜…。いろんな方がいらっしゃるんですね」

俺「無言…」

大文豪とのコントのようなやり取りだった。
ペンで人々に勇気や夢を与える作家。立派な館長だ、日本一だと確信した。

新県立図書館の開館日、俺は並み居る国会議員や県議会議員の一番隅っこに立ち、設置者としてテープカットをさせてもらった。あの2人の女性の姿もそこにあった…。

新県立図書館の成功を告げる記事が新聞に踊った。
関係者の苦労は計り知れないと思う。予想の1.7倍はその努力の賜物である。

俺は教育委員会の会議であえて発言した。

「想定した来場者数の1.7倍で喜んでいるのはおかしい!見込みが外れて駐車場や駐輪場も足りない。本が借りたくても借りられない。民間なら処分対象ですよ!この図書館以外の町の図書館はガラガラだし、貸しホールも立地が良く料金も安いから他の施設は閑古鳥!俺にはあの図書館が大きなショッピングセンターに見える。町の書店のことも考えてください!」

ついでに言った。

「館長が民間人になったからって、ポスト維持のために副館長を2人も置くのは今年限りにしてくださいよ!」       

続く…

【 教育委員会日誌 その14 】~ついに林Q太郎、教育委員長に!

田舎の商店主、スーパーとまと社長林Q太郎 49歳、ついにその日がやってきた。

「教員の処分が気に入らない!」と辞表を出し2ヶ月も会議をボイコット、「復帰するならこの条件をのめ!」と知事に直談判。学校を回っても常に単独行動で詰所にはいない。時にモンスターペアレントとケンカして先生を守り、時には隠していた不祥事を掘り返して事務局と睨み合う…。報酬は全額寄付して「ボランティアなら楽しまなきゃ」と開き直る。異端児でも型破りでもない。俺にしてみれば「日常業務」である。

教育委員になって3年余り、最後の年に教育委員長を務めて4年の任期を終了する。この間、楽しいことなど何も無かった。教育委員就任時の屈辱の落とし前をつけるために、この場違いな地位を続けた。未だ見ぬ「彼ら」へのリベンジが唯一俺のモチベーションだった。

任期中も商店の破たんが続いていた。教育委員をしている4年間、「なんとか会社が潰れないでくれ!」といつも祈っていた。

型通りの手続きを経て他の教育委員から互選された俺は、待合室から会議室に入るように指示された。

「林Q太郎委員を第75代 山梨県教育委員長に任命いたします!」

なんの感覚も無かった。順番だもん。

前に辞表を出した時、他の教育委員が「林さん、途中で辞めちゃダメだよ!委員長になったらどんどん変えればいいんだから!」と引き留めたことを思い出した。

委員長になっても変えることなど出来ないから辞表を出したんだ。でも俺が山梨県の教育行政のトップに立った。執行予算1,000億円、人事権(採用・異動・処分)のすべてが俺の手中にある。教育委員会の会議は全部俺が仕切る。嫌なら議案は抑えることもできる。どこに行っても来賓扱い、秘書付きの黒塗り公用車で送り迎え、県議会にも知事に次ぐ席順で座り、答弁もする。

「普通ならこの境遇に酔うんだな?」分からないでもなかった…。

チャンチャラおかしかった(笑)。俺は魚屋のこせがれ、教育委員になった途端「彼ら」に「軽い!ヘラヘラするな!」とご指導をいただいた身だ。教育の専門家でもなければ、政治家を目指す気もない。ただ普通の人達の代表としてここにいるだけなのだ。スタンスはまったく変わらない。
「ROCK’ n ROLL♫」である!弱い者の味方として生きるんだ。

俺が死んでも「元山梨県教育委員長」の肩書は絶対出さない。


俺の教育委員長就任記者会見があった。奇しくも大津市でイジメが原因の自殺事件が起こってすぐのタイミングだった。「横山知事もやるな、この非常事態にスーパーとまとを持ってきた!」と評価する声もあったが、知っての通り順番で決まっていたことだ。

事務局が用意してくれた「想定問答集」に目は通したものの詳しいことなど理解できる量ではなかった。記者の質問は「イジメ問題」に集中した。

記者「林委員長、イジメ問題についてご意見をお願いします」

俺「山梨から犠牲者を一人も出さない!」

記者「具体的には?」

俺「イジメの事実があったらすぐ報告させて対応する。隠したら処分する!骨折り損でも老婆心でも構わない。死人が出ることを考えれば何でもできる。犠牲者とは生徒だけじゃなくその親、学校の先生、教育委員会の全職員も含む。一人も死人を出さない!」

デカイ啖呵(たんか)を切ってしまった…。もし何かあったら問題を解決してすぐ辞めようと思った。俺のサポート役である副委員長は、年上の超VIP経営者だったことだし…。

記者会見はその話題だけで終わった。想定問答集なんかまったく意味が無かった。

最後にこう付け加えた。

「教育委員会って風通しが悪い!だから山梨県の市町村教育委員会を全部回って会議を傍聴する。直接会って話す!子供や親にも全部会う、出来ることは全部やる。メディアにも出せる情報は全部出す。隠せばバレる、バレなきゃ俺がバラす!」

橋下総務課長の顔が曇った。俺からの挑戦状と受け取ったのかもしれない。翌日の新聞は「県民みんなでイジメを防ごう!」といった好意的な内容ばかりだった。メディアも俺のことを応援してくれているようで嬉しかった。


私はまず手始めに校長先生達の研修会に出向き、自分の思いを伝えた。すべて優しい言葉で、笑いの中であえて厳しいことを伝えた。先生たちは見たこともない人種(俺…ただし教育委員長)の話しを真剣に聞いてくれた。
後日お礼の手紙やメッセージが来た。個別の学校で「生徒に話しをして欲しい」と10校以上に呼ばれた。資産家でもない、家柄も良くない商人のせがれの言葉に、彼らも少しだけ心が動いたのかもしれない。この彼らは俺が言う「彼ら」ではないと思った。

仕事もそっちのけで(行かなくてもいい)市町村教育委員会の定例会議の予定を聞き「新しい教育委員長の林Q太郎です。会議の様子を傍聴したいんですけど、ごあいさつも兼ねて」と自分で申し込んだ。

「あっ、そうですか。ご苦労様です!うちの会議は○○日の△△時からで場所は…」という返事が来るものとばかり思っていた。

現実は違った…。

「趣旨はなんですか?」「何しに来るんですか?」「前例がありません!」

ついには県教委の事務局にクレームをつけ「バカにしてるのか?来るな!」と言ってきた市町村もあった。(怒)

俺は思った!「みんな下手だな〜(笑)ここに宝の山があるんだな!」

さて、次回はその模様をお伝えしましょうか…。  

続く…

【 教育委員会日誌 その15 】~市町村教育委員会ツアー~


不肖私、林Q太郎、教育委員長就任後は一気に公務が増えていった。

美術館や文学館の企画展に行き主催者あいさつとテープカット、そして関係者とのレセプションパーティへ参加。 様々な記念式典や互礼会に出て来賓祝辞や賞状の授与、加えて会期の長い県議会へも出席する。国体にも行かなきゃなんないし、全国各地での会議も多い。本来なら副委員長である職務代理者に振ればいいのに、人にお願いすることが苦手だったので全部自分で行った(汗) 

校長や教頭先生の管理職昇進面接・新規採用教員面接をし、トークショー(講演会?)の依頼もメディアの取材もすべて受けた。もちろん学校へ行って授業もする。

「会いたい!」という人達には自分で出張っても会った。ヒドい時には土日も含めて「8連チャン出勤」という記録も作った。

言い忘れたが、県内の公務はすべて自分で車を運転して現地に行った。秘書の矢島君は俺の運転手付き公用車に乗って現地で待っている。「一般の人は入れません!」と警備員に言われて遠くの駐車場から歩いて行ったこともある。矢島君の車は横付けなのに。

行事が終わったら俺はまた弱小スーパー「とまと」の店回りに出掛ける…。

そこに加えて山梨県の全市町村教育委員会を回ろうというのだから、我ながら見上げたモンである。イジメや不祥事が全国で続く最中、自分が教育委員長になった責任感で(本当は自分の任期中に問題が起きて欲しくなかったから?)「風通しを良くする!」と宣言してしまった俺は「なにしろ飛び込んでしまえ~!」っと手当たり次第に訪問を開始した。

市町村の教育委員会に電話をして「教育委員会会議を傍聴したい、ごあいさつをしたい」と丁重にお願いしてもほぼ100%「はぁ~??」との返事。それまで市町村の教育委員会を傍聴しにくる人など皆無だったのだ。そりゃそうだ、 県教委だって傍聴はメディアのみで一般の県民など一度も来ないんだから。

俺は歓迎されていないのを知りながら「傍聴規定があるんだから事前にお知らせしなくてもいいんですよ!それを敢えてお願いしてるんですけど?」と突っ込む。

ここでほとんどの場合、上司(課長クラス)に電話が繋がれる。

課長「どちらさま?」

俺「お互いさま!」

などと、いつもの俺ではない!

俺「傍聴規定があるんだから行ってもいいでしょ?(-。-;」

課長「分かりました、それでは15分前にお越しください。多数の場合は抽選になります!」

俺「…無言 (20人位バアちゃん動員しちゃうよ!)」

すかさず町の議員を務める大学の先輩から携帯に電話だ!(誰に番号聞くんだろ?)

議員「林、役場についたら俺に連絡しろよ、一緒に行くから」

俺「いいですよ先輩、俺もいい大人だし(^^)」

議員「いやいや、県の教育委員長さんがわざわざ町の教育委員会に来るんだから、それなりのおもてなしをしないとな!」

そもそもそんな対応されてないし…。

その町の教育委員会には「行く!」と言ってドタキャンくれてやった(^_^)v

一番ヒドかったのは◯◯市である。取り急ぎ作った傍聴人署名用紙と傍聴人カード。

手で擦ったらインクがにじんだ(笑)

議長「それではこれから教育委員会会議を始めます!」

「今日は県の教育委員長が委員の皆さんにご挨拶がてら傍聴にみえています。せっかくの機会ですから会議終了後、意見交換の時間を持ちたいと思いますがいかがでしょうか?」と来るものだとばかり思っていた。

実際は紹介されることもなく、隅っこの長テーブルに座らされ、資料もなく黙っているだけ。個人名が出る議案は外に出されて、呼ばれるまで別室で待機…。iPadでFacebookの友達全員に「いいね!」しても時間はまだ余る(-。-;

呼び戻されたら「これにて教育委員会会議を終了いたします!」

おいおい、これじゃなんのための傍聴か分からないじゃん(怒) 。こちらから名刺を出すと民間の教育委員は「ご苦労さまです」と言葉を交わしてくれるが、教員OBや県庁OBの教育長(事務方のトップ)などは名刺交換もしてくれない。

何度、絶対言ってはいけない言葉「俺を誰だと思ってるんだ!」が出かかったことか…。普段着で行ったのが気に入らないのか?

田舎の教育委員会に行くと状況は一変する。
「まあまあ林さん、よく来てくれました。 Coffeeでいいですか?時間ですけどまだみんな集まってないから来たら始めます。今日は林さんも一緒にやりましょう!」女性比率の高い教育委員会も印象が良かった。

俺「イジメとかの問題はあるんですか?」

「あるわきゃないよ!この地域は親子3代みんな同じ学校行ってて地域全体が家族みたいなもんさ(^^)それよりこの子達が高校へ進学した時、ちゃんとやれるかの方が心配だよ」

誰が教育長で誰が教育委員長か分からない会議…。でもその地域は大きな問題はない。

県の予算がないから町の予算で先生を追加している。全部学校のことを分かっている。

隠しごとの匂いなどまったくなかった。

教育長自ら俺に直訴してきた町もあった。真剣な叫びだった、この町は大丈夫だと思った。O市である(オーと読んでください)

教育委員が俺に意見を求めてきた町もある。傍聴人ではなくオブザーバーと呼べば市町村教育委員会会議に県の教育委員長を加えることができるのだ。C市、◯アルプス市も行った甲斐があった。T市も大丈夫!

歓迎されていない所へ行くのは苦痛である。土足で教育委員会に飛び込む「若造」の県教育委員長。何か悪さを探りに来たのかも知れない (俺は本当に何も知らなかったんだよ)

5分遅れたら「入れない!」と言われた教育委員会。俺が行った時だけ会議室を立派な方へ移動させた町、教育長に完全に無視された町、「来られちゃ困るから、こちらから行く(^^;」と言った町…。

俺のメモにはベスト5とワースト5が書かれているが、それは墓場まで持っていこう。

ワーストの方は後で不祥事がキッチリ出たから、お分かりの皆さんもいると思う。

「県教委と市町村教委は風通し悪いな…」すぐに分かった。そして俺の行動が一番嫌だったのは県教委だとも思った。現場の声がダイレクトに入ってはやりずらいことこの上ないのだ。そういう点では俺は人の嫌がることが大好きな性格である。

結論!市町村教育委員会が機能している町は、教育委員長と事務方のトップである教育長の連携が取れていること。教育委員長は民間人が適しているし、教育長は教員経験者がいい。逆も真なり。

悲劇なのは、教育のことを何も知らない教育長と名ばかり名士の教育委員長。

異論があるなら全部受けて立つ林Q太郎である!

県教委の他の教育委員が俺に言った。「林さん、そんな全部回って大変じゃないですか?毎年やらなきゃならなくなる…」

俺「毎年やればいいじゃん!俺は市町村教委と県教委の繋がりが全くないから自分で行ってるんだよ。そして「今度は皆さんが県教委の傍聴に来てください」って言ってんの!

今年俺が行けば、来年はみんなに集まってもらって一回で済むって。世の中はそんなもんだよ」

俺がかの【教育委員会改善要望書】で求めた「県教委の傍聴席を5から10に増やすこと」は一気に15人になった。傍聴されてしまえば誰が発言したか分からない県教委の会議議事録なんか意味はない。しかしそれも発言者を明記するように改善された!

俺が教育委員長になってから、県教委の傍聴席がゼロだった日は一日も無い!待ってたって人は動かないさ。見られてる!って真剣になるぜぇ〜。

次回は禁断の「山梨県議会」について書く…(-“-)

続く…

【 教育委員会日誌 その16 】〜山梨県議会のなるもの〜

県議「林Q太郎委員長、あんたの今の答弁で、オリンピックを必死に応援していた山梨県すべての子供達がガッカリしたぞ!」

開いた口が塞がらないとはこのことだ。俺が子供たちを悲しませたって?

教育委員長は年に4回ある県議会に執行部の一員として参加する。
議場のセンターには背を向けてはいけないと教わった議長、中央の答弁席を挟んで向かって左に知事と副知事、右側に教育委員長(俺)・教育長・公安委員長・県警本部長の順で第一列に並ぶ。

何が言いたいかというと、林Q太郎が務める教育委員長とはそれだけ偉いということだ(笑)。

かたや県議会議員は若手が前列に座り、後ろにいくに従って当選回数の多い議員が並ぶ。縦位置で会派が雑駁に区切られている。若手の県議は良く勉強していて元気いっぱい、

やり取りも気持ちがいい。支持者も傍聴席に沢山来ている。

俺は各会派の代表質問に対して、教育委員会としての答弁をする。もちろん質問内容も答弁内容も最初から原稿に起こされている。たまに「議員も執行部も原稿を読んでるだけで、あれじゃ誰でも出来る!」とご批判をいただく。俺も最初はそう思っていた。

しかし、そう思っているあなたは原稿もなく質問したり答えたり出来るだろうか?そんなこと全部アドリブでやっていたら話は全く進まず何も決まらないのである。議員はその議会までの間、水面下で執行部と協議したり調整したりして飛び回る。そしてその道筋を議会で確認するという感じである。

切った張ったとやり合うのは、テレビ中継されない各小委員会であり、こちらはほぼフリートークで激しい言葉が飛び合う。

教育委員会傘下の山梨県スポーツ協会の補助金不正受給問題の時には、何も知らない俺も謝罪して頭を下げた。とても嫌だった!

「民間社長に対して、公に頭を下げさせるなら、それに見合うだけの処分をする!決して安くはないぞ(怒)」

結果、第三者機関を送り込み、協会の処分を差し戻し、現職の処分(1名だったのは本当に悔しかった)までしたのは当然である。
抜いた金を返せばいいなら「ヤリ得」である。子供たちに笑われる!

「良い子の皆さん、反則も分からないようにすればいいんだよ〜」
スポーツの総本山がみっともねぇ…(爆)

本会議は県議一人の質問に対して、知事を始め各担当部長が答えて一区切り。一つ終わると「暫時休憩」となりみんな一度議場の外へ出る。
執行部には全員に秘書がいて、議場の外は人でいっぱいである。

休憩時間は20分程度で、お昼休みを挟んで5〜6人の議員が質問をする。

俺はしがないローカルスーパーの社長…。
休憩時間のたびに銀行へ電話して資金繰りのお願いとか、銀行からの質疑に答弁していた。

普通の精神状態じゃもたないな…。
過去こんな教育委員長がいただろうか?人も羨むお金では買えない職位「第75代山梨県教育委員長」人からは輝いて見えたのかも知れない。俺が億万長者だったら、黙って「異議な〜し!」って言ってたさ。市町村の教育委員会なんか回らない。報酬は貰うのが当然だし、県庁の駐車場が満車だからって自腹で100円パーキングなんかに駐めないよ。

俺があれだけ断った教育委員になってすぐ、「ヘラヘラしてる」とか「議会を軽視してる」と知事に呼び出し喰らって怒られて…。処分が気に入らないから辞表を出したら今度は「辞めるな」と言われ。それでも普通の人の代表として身体を張って続けてきた。

この重きを置かねばならない「県議会」に教育委員長として戻った時、最初に思ったのは「答弁の時どのタイミングでコケるか?」「テレビ中継の時、どんなブロックサインを友達に出そうか…」そんなことだけだった。

県庁OBの方々・県議会議員の皆さま・市町村教育委員会関係者各位、俺は本当に歴代最低の見識を持った教育委員長であり、歴代最高の実績を残した民間人ですよ!

(県民の教育委員会に対するイメージは相当変わったと思う、すぐまた戻っちゃうと思うけど…)

議員「オリンピックの水泳競技で県内選手の活躍を見て、全県民が感動した。しかし県内には県営の屋内50mプールが無い!県教委は作る気が無いのか?オリンピックで山梨の選手が活躍出来なくてもいいのか?」

俺「(原稿通りに) おっしゃる通りですが、莫大な費用の掛かる問題です。今しばらく検討の時間をいただきたいm(_ _)m 」(要するに、すぐには出来ないの意味)

この時言われたのが、冒頭のセリフである。
俺を指刺しながら原稿に書かれていないことで詰め寄られた。
教育委員長に詰め寄るやり手の県議…。

ヽ( ̄д ̄;)ノ=3 んなろぅ!(怒)

この俺が子供達をガッカリさせただとぉ〜…?そんなことするなら、そもそも教育委員長なんか辞めてるわ (放送禁止中指おっ立て絵文字↑)

教育委員長が議員にアドリブで言い返す「前例」作ってもいいぜ!
今は20億のプールを作るより子供達の命を守る方が先だ。
税金は大切に使わなきゃバチが当たる。それまでは大学のプールで我慢してくれよ。

俺がキレたのを察して、隣に座っていた教育長が落ち着くように諭した。

(大丈夫ですよ教育長さん、睨んでやっただけです。あなたの出世の邪魔はしないから)

持病の腰痛もあって、座りっ放しの県議会の「おもひで」はあまり良いものは無かった。

明日は「少人数学級」を望むお母さん達の会が俺を指名して教育委員会にやって来る…。事務局、なんでそんなにピリピリしてんの?えっ?

続く…

【 教育委員会日誌 その17 】〜トップのあなたに会いたいんです!

教育委員会には、沢山の陳情が寄せられる。事務局に届けられた要望や意見は、しかるべき窓口に転送されて行政サービスのお客様である県民のニーズに応えていく(はずである…)。

「社長を出せ!」クレームの時によく飛び出す言葉である。本来企業はトップを交渉の窓口には立たせない。様々なリスクがあるからだ(ほとんどの場合は屁理屈こねても「嫌だから」が理由だろうけど)。

橋下総務課長からの電話である。

「林委員長さん、少人数学級を望む会の皆さんが直接教育委員長に要望書を出したいと言ってきましたが、毎年これは私が受け取ることにしていますので、一応ご連絡をと思いまして」

俺「なぜ俺を指名してるのにあなたが会うの?」

課長「沢山の要望に委員長がいちいち対応していては大変かと思いまして…」

俺「様々な対応なんて、俺は一度もしてないじゃん(怒)会いたいって言ってるんだから会えばいい。俺は会いますよ!」

課長「少人数学級もすぐには出来ないし、委員長にそこでなにか約束手形でも取ろうと詰め寄られても困りますし」

俺「大丈夫です!つまらんことは言いませんよ、お母さんたちでしょ?」

課長「そう申しましても多少(100%)政治色も背景にありまして…」

俺「政治と教育は関係ないって言ってるじゃん。俺はその関係ないところからイジメられてるけどね。会っちゃマズイわけ?俺は県民と「開かれた教育委員会」にするって約束したんだよ。本当なら「おっぴろげ〜の教育委員会」って言いたかったんだから!」

課長「では…、段取ります(^^ゞ」


普通の人は県庁なんかに来ない!

県庁に来るのはごく限られた種類の人達である。
本当なら教育委員会に生徒や親がどんどんくればいいのに、と思う。
本当は今でも来て構わないのに。

その日がやって来た。

課長「委員長もお忙しいので30分程度の話し合いと伝えてあります」

俺「全然忙しくないけど?」

15人ほどのお母さん達が教育委員会の部屋に入ってきた。受けるこちらは教育委員長と総務課長・義務教育課長の3名だ。メディアも入った。教育委員長が県民に会うだけで記事になるんだから笑える。

母「教育委員長さん、まず私達に会ってくれたことに感謝します!」

俺「会うに決まってるじゃん」

母「山梨県は小中学校1クラスの児童数が35人で他県より進んでいることは嬉しく思います。しかしイジメや先生の負担を考えると30人を上限にしていただきたいんです!」

俺「そうだよね!少ない方がいいに決まってるよね。
スーパーとまとだって店長の目が届くのは30人が限界だもの」

緊張していた空気が次第に和らいだ。

俺「皆さんせっかく来たんだからさ、一人一人意見を聞かせてよ!ねっ?」

俺は部屋にいた全員に話をして、普段考えていることを吐き出してもらった。想定外だったに違いない。

俺「でもお金が掛かる事だから、すぐに実現するって約束はできないけど…」

母「いいんです、トップのあなたに私達の思いが届いたから!」

予定時間を超えて、普通のお母さん達と県教育委員長の面談が終わった。
俺以外の2人には一言もしゃべらせなかった。

みんな笑顔で帰って行った…。


次の県議会で知事の口からビックリ発言が飛び出した!

「本県は他県に先駆けて、小中学校全学年の30人学級を実施します!」

やったぁ〜o(^▽^)o 県立図書館の館長人事みたいなサプライズだった。
横山知事、Good Job!

別に俺が実現させたわけじゃないけど、何かのきっかけぐらいにはなったのかも知れない。素直に嬉しかった。

そっか、トップが会ってしまうと事務方は何かしらの結果を出さなきゃならないんだな。こりゃいい、これからもドンドン会っちゃおう!だって「会いたい」って言ってるんだから。

少人数学級実施について、この会の皆さんに会うまでに自分なりにそのデメリットも調べてみた。

※そもそも少人数学級で学力が上がるのか?昔はもっと多かったけど…

※それで先生の負担が減るのか?31人で担任と補助教員の2人の方がいいんじゃない?

※クラスが増えると能力の低い先生も担任になる、これってどうなの?

※30人も児童がいない地域も多い、それって差別じゃん…

分かってる、うんうん。
でも一回「少人数学級」やってみてからまたみんなで検証しよっ。やってみなきゃ分かんない。問題ごとも出て来るはず。ダメだったらまたみんなで考えればいいんだ。

山梨県は来年度末、すべての学年で小中学校の児童数が1クラス30人以下になる。
続く…

【 教育委員会日誌 その18 】〜異例・前例・背後霊〜

体罰に悩み、また尊い命が失われた…。どんなことがあっても死んじゃダメだ!

教育委員長の任期中に「一人の犠牲者も出さない!」と啖呵を切ってしまってから、

毎日「どうか何も起きませんように」と祈っていた。

「体罰」は法律で禁止されている犯罪である。「先生、うちのせがれが悪さをしたらブン殴ってください!」という話を良く聞くが、これはそれぞれの「体罰論」であり、ワイドショーなどでは混同されて語られる。

先生は生徒に手を上げたり、蹴りを入れたら懲戒処分となり、ケガの程度によってはクビになる。(生徒が先生を殴っても被害届を出さなければ、いいとこ停学で新聞にも出ない。万引きも同様である、生徒の将来を考えてのことだそうである)

個人的なことを言える今だから言うが、悪いことをした教師も生徒も同じ罪を負い、償い、反省して学校へ戻るべきであり、子供だから許されるのはおかしい。生徒が暴れて警察を呼んだら「教育者として職場放棄だ!」と詰め寄り、反論できない先生の行動や言動を過敏に捉え、やれ「体罰だ」とか「不適格教員だ」と親がしゃしゃり出てくるのも言語道断だと思う。

ことさら運動部の指導における体罰は微妙な問題である。

「昔はみんな殴られたよな…」「ブン殴るくらいの監督じゃなきゃ強くなれないよ…」

これらすべてあなたの「体罰論」であり、今は決してしてはいけない犯罪行為なのである(泣)

体罰の問題が日本中で話題になってすぐ、心配していた通り山梨でも体罰事件が報道された。「運動部の顧問が生徒を殴った」との内容だった。

体罰が原因で他県の高校生が自殺してすぐ、山梨県でも緊急アンケートを実施させた。そして学校現場からは「ほとんど無い、あっても双方で解決済み」との回答だった。

まず俺は「無い!」と言った体罰が報道によってスッパ抜かれることが許せなかった(怒)

この顧問は調査した時点で「やりました」と答えている。なぜ学校はこのことを隠すのか?長年指導して実績のある顧問に対してすぐ異動しまう校長は、腫れ物に触るように接し、逆に年下の顧問は校長のことなど何とも思っていないのだ。

さて、この顧問教諭の処分である。熱血で実績のある教諭の処分には必ず教え子やその親から嘆願が届く。今回は「教育委員会の対応に抗議する!」ともあった。

(関係ないわ、そんなもん!)

ご存知の通り、俺は両方の立場に立ち冷静に事実を検証して「もしかしたら…」や「万々が一」のすべてを思い巡らす。

事務局の調査が報告された。

「体罰は本人が認めています、殴った回数は顧問と生徒で食い違いがありますが…」

俺「本人が認めているなら、懲戒処分は免れませんね!この事を隠していた校長も処分(本人は知らなかったと報告)すべきだと思いますよ。県教委への報告に誤りがあったんだから(-。-;県民にまた隠ぺい体質と言われる!」

「それと保護者は何と言ってるの?」

事務局「もうそっとしておいて欲しいと、これ以上の調査は望んでいません」

俺「本人に会ったの?」

事務局「学校からの報告です(-。-;」

俺「そんなの信用できるわきゃないでしょ?」

教育委員会会議の議長である俺は「親にも県教委が出向いてきちんと話を聞いてから改めて処分を検討する!」と事務局の処分案を差し戻した。両方の言い分を聞かなければ処分などできる訳がない。加えて、過去の処分例など俺にはまったく関係ない!まったく!

記者会見を準備していた事務局は急遽会見を中止した。そしたら「なぜ記者会見を中止したか?」に答える記者会見が始まってしまった(笑)

夕方のテレビニュースと翌日の新聞の見出しはすべて一緒だった。

「県教委の処分案を教育委員が全会一致で異例の差し戻し」

そんな大したことかい?(大したことだったらしい…)

俺は人づてにその体罰を受けた生徒の母親と電話で話しをした」

俺「お母さん、俺教育委員長なんだけど、新聞に書いてあることは事実?そして、もうそっとしておいて欲しいって言ったの?」

母「そんなこと言ってませんよ(怒) だって顧問は謝罪にも来ないし、市の教育委員会だって来てないですよ!」

俺「やっぱり来てないんだ。でも早く幕を引きたいんだな、もう年度末だし…。顧問を重い処分にしたり、異動させるかどうかは分からないけど、お母さんの気持ちが分かって良かった」

母「私も親身に聞いてくれて嬉しかったです」

異例の「処分案差し戻し」について「テレビニュースで経緯を報道したい」と依頼があった。もちろん、「開かれた教育委員会」を標榜する林Q太郎としては断る道理が無かった。

「調査が不十分だったから、もう一回調べてから処分するんです。前例とかまったく関係無い!」とカメラ目線で答えた。

インタビューした若い女性記者は、教育委員長の俺を引っ張り出して事務局の批判をした!と激しく抗議を受けたと聞いた。俺に直接言えないから彼女を責めたんだな(怒) しかし彼女は一切譲らなかったと聞いた。Good Jobだ!

人間はビビったり、痛いとこ突かれるとデカイ声を出すもんだからな。
ビビらずにそのままいけよ。

仕切り直しの処分会議では、前回とは違った事実や相違点、聞き取りの詳細な内容が資料として出された。処分の結果は当初の内容と変わらなかった…。

いいじゃないか、同じ処分になるにしてもそれまでの経緯が大切である。処分後の態度が違うからだ。きっとその顧問は指導力も人気もある先生なのだろう。生徒も殴らなきゃ分からない所もあったのかも知れない。生意気くらいじゃないとスポーツも上手くならないのも事実だから…。


その後「全国教育委員長会議」が東京で開かれた。体罰の撲滅に向けて文科大臣もやって来た。そこで全国最年少教育委員長 林Q太郎、手を挙げて言ってやった。

「山梨でも体罰事件が起きてしまいました、山梨では内規で同じ学校に8年以上勤務する事は禁じられています!しかし現実は同じ顧問が10年、20年と指導している例がたくさんあります。そんな主のような顧問がいれば校長は気を使って何も言えません!公立学校はプロスポーツの養成機関ではありませんよ!いい指導者はどんな学校へ行っても必ず実績を残すはずです。皆さんの県でも調べてみてはどうですか?山梨はもう調べましたよ!(フン)」

林Q太郎も大人になったもんだ(いや子供なのかも…?)

この春の異動で、県内のいわゆる「名物監督」の何人かは他校へ異動となり関係者を驚かせた。体罰で処分された例の顧問教諭は異動しなかった。

「彼ら」が動いたんだな…。

次回、盗撮で逮捕された校長先生の処分にも「彼ら」が顔を出してくる…。

続く…

【 教育委員会日誌 その19 】〜右を見て、左も見てから渡りましょう!〜


橋下総務課長から俺の携帯に連絡があった。教育委員会からの夜の電話はあまり良い知らせではない。

課長「小学校の校長先生がショッピングセンターで女性のスカートの中を盗撮して警察に逮捕されました…」

ぁ痛たたたっ!(≧∇≦)

よりに寄って校長先生が盗撮? 子供達になんて説明するんだよ(怒)

俺「その先生は罪を認めてるの?」

課長「はい、警察の取り調べ中なので詳しい事はまだ分かっていません。
本当にすいません」

俺「課長は悪くないよ、それと俺に謝る問題でもないからさ」

こんな時、先ずは冷静に…。

俺「学校にはカウンセラーを派遣して子供達のケアをするように。事情説明の全校集会には県教委も同席するように!メディア対応の教頭先生は大丈夫?それとこの先生、Facebookに顔が出てるから閉鎖させるように管理者に言って!」

ったくもう〜(泣) こりゃどうなっちゃうのか…。

事件の詳細はここでは書けないが、学校への信用は一気に崩れた。
一生懸命やってる先生達もさぞかし激怒したはずである。

この事件の最中、メディアとの窓口に立ったのは今年初めて教頭先生になった女性である。去年俺が昇進面接で高い点をつけたのを思い出した。頑張ってくれよ!

2月、徐々に事件の概要が明らかになり、学校も少しは落ち着きを取り戻した頃、俺は会議で言った。「もうすぐ卒業式の季節だけど、卒業証書にこの校長の名前を書くわけにはいかないでしょ?教頭先生でもないし、まさか市の教育委員長名?」

その後、教育委員会事務局は、この問題の処理に当たった市の教育事務所から適任者を校長に抜擢した。これで一生残る卒業証書に傷がつくことはなくなった、ホッ!(^^; その校長は新年度からもその小学校の校長として、腰を据えて学校運営をしてくれるはずだ。

検察からの処分が出るのに時間が掛かっている。こんな場合、その公の処分が出た後に教育委員会からの処分が出る。教育委員会は先頭を切らない。いや、切りたがらない(-。-; 飲酒運転の時は、既に知事の方針が出ているから早い…。


年度末が迫っていた。

処分について「もちろん懲戒免職だろう!」という世論が大勢で俺も同感だった。

俺の元へ匿名の郵便が何通も届いた。その校長の人となりや処分する方の教育委員会幹部の過去の処分時の対応、要するに「組合のパワーによってこの先生はクビではなく停職処分に留まる。そこで本人は依願退職して退職金をもらって辞める!林Q太郎委員長、処分の最高責任者はあんただから、それを阻止しろ!」という内容だ。

惜しいなぁ〜、前も書いたが実名なら俺はあんたに会って詳しいことを聞いたのに…。匿名の告発じゃ俺は同じ気持ちになって体当りできないじゃん。まあ参考程度に留めた。

その反対に「そう簡単に教育公務員のキャリアを奪うことは許されない!」と言う手紙も来た。

だからぁ〜「匿名」じゃ親身になれないって言ってるじゃん!両方ともぉ。

どこからともかく(どこか分かってたけど)、不穏な噂が入ってきた。

「検察が処分を出せないのは、盗撮そのものが立件できないんじゃないか?調べた画像にはおかしなモノは含まれていなかったらしいし、このまま立件すれば名誉毀損で教育委員会や処分した委員個人まで追及される可能性がある…」

お花畑の写真を撮ったら、たまたまパンツが写っていたから罪は無いってことかい?おかしな話である。盗撮行為そのものを棚に上げ「成果物」の出来で処分をするのか?

教育委員会のある課長とも話しをした。

俺「課長も先生でしょ?やってらんないよね!いくら頑張っても、これでまた始めから信用回復しなきゃならないもんね?」

課長「林さん本当ですよ、先生達みんな頑張ってるのに…。私もはらわた煮えくりかえってます!」目に涙が滲んでいた。

俺「それでも処分は免職(クビ)じゃなく停職になるの?退職金もらえちゃうわけ?」

課長「退職金はこれまでの個人の権利でもあるので、処分と言えども簡単には奪うことはできない難しさがあるんですよ。法律的にもね…」

俺「そっかぁ〜、課長個人としてはどうなの?」

課長「もちろん、◯◯です!」ROCK!だった…。

しばらくして、検察の処分が出たと同時に教育委員会からこの校長先生の処分を出した。

ROCK!な方の処分で…。

林Q太郎教育委員長、もうすぐ退任なのにいわゆる「不祥事」が続いている。

この日誌を読んでくださっている皆さん、なぜこの「林Q太郎め」がこうも熱く動いたり話したりするのか理解に苦しみませんか?
「サービス精神?」「ゲバラ気取り?」「売名行為?」

最終回を前にその理由を話しましょうかね(^^ゞ

続く…

【 教育委員会日誌 付録】~林Q太郎 ビギンズ~

田舎の魚屋の五代目として生まれた林Q太郎、幼少時代から蝶よ花よと育てられ、店で働くお番頭さんや一緒に経営していた寿司屋の女中さんに可愛がられながら、何一つ不自由することのない日々を過ごしていた。

欲しいモノは少しベソをかけば手に入ったし、商家ゆえに金銭的にも余裕があったのだろう、同級生よりも洒落たお洋服を着てヤマハのオルガン教室にも通っていた。人の中で育ったせいか、どこかしら親分肌のところがあり、小学校から高校まで毎回クラス委員長、部活動をすればキャプテンとその地位はいつも指定席だった。

しかし商売が順調であったのに反し、その家庭環境はQ太郎少年の心に大きな重石となっていた。

祖父の溺愛の中で育ったQ太郎の父は、高校サッカーで全国優勝するほどの有名選手だったが、よくある話で「遊び」を覚え身を持ち崩す。Q太郎が物ごころつく頃はほとんど一緒にいた記憶がなかった。それもそのはず「お泊まり保育」の旅に出ていたのだから(笑)

そんな可哀想なQ太郎ちゃんを悲しませちゃいけない!と祖母と祖父のお妾さんの2人が、旦那さんの気を惹く意味もあって競って俺を可愛がってくれた。お番頭さん達もよく遊んでくれたし、女中さんもよくエッチな話を教えてくれた。寿司屋の二階の奥にあるキレイな部屋の意味も内緒で教えてくれた (^^;

自分の周りが不憫(ふびん)な俺を無理やり笑わせにかかる。「笑ってりゃいいんだ!ヘラヘラしてろ!」と乱暴な教育でもあった。「ハイ、ハイ」とカラ返事をすれば「ハイは3回だ!」と怒られる。そんな気遣いを子供ながらに感謝しつつ「自分がこの状況で家族や店に迷惑をかけちゃいけない!」と思うようになった。人の話を聞けば面白くもないのに愛想笑いをする。人から誘われたら とりあえず行くし、何を食べても「美味しい!」と言って嫌いなモノでも食べ切る。そこに自分の意思がないのである。子供の頃の写真を見ても笑顔の写真がないのがその証拠だと思う。太宰治の「人間失格」の主人公「葉蔵」そのものだった。

とにかく一人が好きだった。他人に気を遣うことなく自由でいられる時間が好きだった。一人で本を読み、テレビを見ていればご機嫌だった。人と違うことがしたかったので小学生の頃から英語の歌を聴き、ラジオの深夜放送に没頭し、アニメの話をしている同級生を鼻でバカにしていた。自分は人より偉いんだ!と言い聞かせながら…。表に出ればまた父親のことでいらぬ同情をかけられる。

感受性の強い青春時代をビクビクしながら過ごしたQ太郎も無事高校から大学へと進んだ。努力することが嫌いで、受験も要領よくテクニックでパスした。ゆえに今でも大河ドラマを見ても時代背景は全くわからない(>_<)

大学時代は音楽を聴いたりコンサートに頻繁に行った。映画もたくさん観た。東京は「夢の街」で誰も俺のことを「とまとのせがれ」と知る人はいなかった。

それが心地よかった。早い話が逃げていた。一瞬でも現実から離れたかったのである。現実に戻った時の空気はその楽しさに反比例した。

好きな仕事もやりたい仕事も無かったQ太郎は、少しの修行の後「とまと」で働くこととなる。古くからの従業員は俺の入社を歓迎などしない。やりずらいからだ、それも分かる。意思の疎通もなく、父親の弟が当時の社長を務めていて、従業員はすべて社長の意に沿って動いている。放漫経営でも時代のおかげで成り立っていた。

時代の流れで競合店の出店が相次ぎ、とまとの経営に赤信号が灯る。昨日まで「金を借りてくれ」と言っていた銀行が「すぐに返せ!」と迫ってくる。 それは酷いものだった。「悔しいな…いつかこの借りは返してやるからな!」坊ちゃん育ちの俺でさえ怒りに震えた。

俺は銀行の言うままに、時の社長を解任し、身内の従業員を全部切り、癒着の多かった取引業者もほとんど変えて再起を計った。残った従業員や正直な取引業者、何よりとまとを見捨てなかった地域のお客さんのお陰で、店は潰れずに済んだ…、辛かった。

俺は今まで甘過ぎた。神様が「このままじゃ、つまらない人生になるぞ!」と教えたんだ、と思った。そしてこれからの人生「恩返し」のために生きよう…と心に決めた。口ばっかりだけど…決めた。

それからは競争に負けて潰れた店を居抜きで借りたり、業務提携したりして「大きなもの」や「資金力のあるもの」に立ち向かっていった。小さな商店がそれまでの努力など関係なく、いとも簡単に大手に潰されるのが許せなかった!

「これじゃ商人は浮かばれない!」俺はこっちに付くと決めた。険しい道だが、どっちにしろ地獄が待っているのだから…。

知り合いが何人も死んだ。

店を潰しても犯罪では無い。なのに「申し訳ない…」と死んでいった。
「理不尽」だと思った。

弱いものが何も言えず消えて行く世の中が許せない!親が金持ちだから子供が幸せになるなんて不公平!政治家と知り合いだから仕事が来る?黙っていても給料が貰える?若い芽を摘む!世代交代しない…。
すべてが「気に入らなかった」

一度死んだような店である。父親もバチが当たって早く死んでくれた。幸いどこにもお世話になることの無い業種である。ならば俺が言ってやろう!それが俺の恩返しだ!普通の人をバカにするんじゃねえよ↑

それからの俺は「違う!」と思ったことにはすべて噛み付いた。ほとんどのことはどうでも良かったが、百のうち1つや2つの「どうしても許せないこと」には自分が矢面に立って向かっていった。

敵はすべて大きなものだった…。

教育委員会・日教組・文科省・東京電力・金融機関・甲府市中心街・巨大ショッピングモール・買物難民…。 勝てっこない(>_<)

でもやる!自分の腹にダイナマイトを巻いて、自爆テロ覚悟で抱きついてやる!

「ダメなものはダメ!子供に示しがつかない!」これが林Q太郎の教育委員長としての信条だった。

田舎の魚屋のこせがれが、山梨県の教育委員長?上出来じゃねえか。

林Q太郎、大学の先輩は「高倉健」である。

続く…

【 教育委員会日誌 最終章 ① 】~「彼ら」との別れ ~

林Q太郎教育委員長、4年の任期がまもなく終了するというのに、体罰・イジメ・盗撮・盗難・投石など学校現場には問題が山積していた。幸いにも犠牲者を出すような事件は任期中起きなかったが、残り1ヶ月を切る頃からはその退任日を指折り数えて待っていた。

県PTA協議会の皆さんから「教育委員会も先生もPTAも一緒になって子供たちを守りましょう!」という嘆願書も教育委員会で直接自分が受け取り話題となった。県PTA協議会の人達とはご縁があって、懇親会に参加したり情報交換を続けていたのだが、教育委員会事務局にすればPTAと仲良しの教育委員は面白くないのだろうが…。

年度末の教育委員会は次年度へ向けて動き出すので、会議もそれほど大きな議案はなかった。教育委員長の公務としては、今年一部が閉校となる高齢者の社会教育の場「ことぶき勧学院」の卒業式など所管団体の年度末会議への参加が多かった。

教育委員長在任中の約一年、県立図書館の開館・国民文化祭の開会式・甲府城鉄(くろがね)門の完成・インカ帝国展・衆議院議員選挙など大きなイベントが 目白押しだった!「おいしい教育委員長」だったに違いない。来年は何もない、フフフ(^^)失礼。

3月の県議会の終了とともに俺の4年間の任期が終わる。退任日まであと2週間ほどになった頃橋下総務課長が耳打ちした。「林委員長さん、林さんの後任の教育委員が決まったとのことです。またご紹介をいたしますが…」

決まったんだ、これからやる人は大変だな。俺、結構引っかき回しちゃったし、どんな人が選ばれたんだろう?口が利ける民間の若手経営者ならいいな…。

「林さん、もう一期4年やってもらえませんか?知事もそう望んでいます!」なんてことをちょっとは想像したけど、やはり言われなかった。
「慣例」とはそういうものだ(笑)

アドリブが許されない県議会がまた始まった。これが終われば林Q太郎、また自由なシャバに戻れるぞ!そつなく、つつがなく、控えめに…。

いよいよ退任の日がやって来た!そわそわもドキドキもしない。
待ち望んでいたのだから…。


議会最終日に61年ぶりの「議長不信任動議」とやらが飛び出し県議会は紛糾した。この激しいやり取りはやはりライブで見るに限る!皆さんも知事か教育委員長、ダメなら県幹部になればアリーナ席で見ることができるのでお勧めしたい。今日は午後2時に俺の最後の教育委員会会議がシャンシャンと行われてお終いの予定だったが、このために教育委員会会議は遅れに遅れた。

休憩時間に2年前に俺が辞表を投げつけた(本当はそっと手渡し) 当時の総務課長があいさつに来てくれた。「いや~林委員長4年間お疲れ様でした!」と労ってくれた。「辞表受け取ってくれたら2年間で終われたのに!」と言う代わりに 「課長も最近よく謝っていますね?テレビで観ますよ。来年はきっと出世するんでしょ?」と笑えない会話で握手した。

県議会議事堂の傍聴席がチラホラ埋まってきた。誰の支持者だい?

良く目を凝らしてみると、それは自分の最後の教育委員会会議を傍聴に来てくれた人たちの顔だった(泣) 開始時間が遅れて待っていたが、秘書の矢島君の取り計らいでみんなが県議会議事堂の傍聴席に集合したのだった。

「矢島、やれば出来るじゃないか!君も異動だって?まあ頑張れよ(^^;」

傍聴席には前の女性教育委員長の姿があった。いろいろあったけど俺の最期を見届けに来てくれたんだ。ストーカー事件の時はこの人を悪者にしてしまったな…。酒気帯び運転の処分では「県職員も平日は酒を飲むな! 翌日酒が残っていてもクビなんだから!」とキラーパスを出してくれたっけ。

「成人式の時、被災地から避難している学生を市町村じゃなく、県が普段着で来られる場所を一つでいいから作れ!」と言った俺に、「その子たちの母親に成り代わって私からもお願いします!」と言ってくれた。結局は事務局に無視されたけど嬉しかったな。とても男らしい女性教育委員長だった。

県PTAのお母さん達もいる。ガン教育で教育委員会へお願いに来た女性、 私立中学校で話をして以来教育委員会に興味を持ってくれたお母さん、仕事を休んで来てくれたお父さん、「小料理久美子」のママ、常連のなつおちゃん、売店の智ちゃんの顔もあった。授業で行った小学校のお母さん達もいた。ここがあの県議会議事堂だよ!

もう二度とこんな所へ来ないであろう人たちが傍聴席を埋めた。
俺は心の中で「これまで教育委員長退任日に傍聴者がいたことがあるか?」と胸を張った。これでいい、このご褒美だけで十分だった。
俺は「ちゃんと見えてるよ~」のブロックサインで必死に耳たぶをつまんだ。

議会の最後に人事案件が上程された。

横山知事「林Q太郎教育委員の退任に伴い、新委員として黒川ひろしを教育委員に任命したい」

県議会議員「異議な~し!」

議員さん達もお疲れの様子で、お決まりの人事案件など見ることもなく「乾いた声」で承認された。俺の存在はここでは彼ら次第で生かされもするし、殺されもする。

ただし「この場においては」である!


全部終わった…。

新しい教育委員は同年代の民間経営者だった。
すかさず「林Q太郎さん、ぜひお話を伺いたい!」との連絡があった。
きっと次の人はここまではしない。その方が身のためである。

知事にもあいさつに行ったがさすがにお疲れの様子で「ああ林さん、ご苦労さんでした」と言葉をかけてもらった程度で握手もしなかった。
天皇陛下とは違うが知事も「雲の上の人」であることに違いは無い。
俺はしがない商店主に戻ったし、普通は口なんか利けない相手である。

さて残すは文学館の館長人事を承認する議案だけの教育委員会会議である。2時間も遅れてしまったため外はもう真っ暗だった。

3月後半の山梨は真冬である。

会議室に入ると、さっきまで議事堂にいた人たちがそのまま教育委員会の傍聴に来てくれていた。嬉しかった(泣)と同時に「皆さん、ひまなんですか?」とも思った。

会議の進行表によると、4月からの日程を確認した後、関係者以外退出、そして非公開で人事案を承認して終わり、と書いてあった。冗談じゃない!林Q太郎のためにこんなに待ってくれた傍聴席の人達のために「恩返し」しなきゃ男が廃 (すた)る!

俺にはもう関係ない4月からの日程確認のあと、傍聴者に出て行ってもらう段階になった。

俺「これより人事の非公開案件に移る、と原稿に書いてありますが・・・、勝手に内容を変更して私の退任のごあいさつをここでさせていただきますm(_ _)m」

目を丸くする県教委事務局幹部。

俺はすっくと立ち上がり、一人一人に思いを告げていった…。

その通り!「金八先生の卒業式」林Q太郎バージョンである。

原稿なんか無い!

続く…

【 教育委員会日誌 最終章 ② 】~ 贈る言葉 ~

林Q太郎、最後の教育委員会。

進行表など無視して議案の順番を勝手にひっくり返し、傍聴席がいっぱいの中で退任のあいさつを始めた。一人一人への別れのメッセージ…。
「金八先生」の卒業シーンである。

一度やってみたかった(笑)

「教育委員の皆さん、本当にガラッパチの委員長ですいませんでした。
皆さんもやりずらかったでしょう?でもこうやって教育委員会に興味を持ってくれた県民が沢山います。俺は普段の言葉で子供たちにも分かるように話しました。自分から県民の元へ向かって行きました。皆さんはこれからそれぞれのやり方で子供たちに語りかけて下さい。こんな年は一年だけで十分です!
俺はこのお堅い教育委員会に「笑い」を持ち込みました。「不真面目だ!」と叱られたけど、楽しかったでしょ?風通しが少しは良くなったでしょ? 誰一人イジメの犠牲者を出しませんでしたよ!子供たちに好かれない教育委員じゃダメです。教育委員が名誉職とか飾り物と言われないように、後は皆さんにお任せします」

「教育次長(影の教育長)お疲れ様でした!県議や国会議員のプレッシャーの中、水面下で動くのがあなたの仕事でした。一緒に謝罪に行ったこともありましたね。最初は何をする立場なのか分かりませんでしたが、あなたは国から出向してきたキャリアなんですね。出世してくださいね!」

「義務教育課長、処分でいつも頭を下げていたのをテレビで観て「この人は全然悪くないのになぁ…」って思ってました。ROCK好きって前から知っていたらもっとお友達になれたのに。現場に戻ったらきっといい校長先生になれますよ、年の割には若く見えるしw」

「新しい学校づくり推進室長、長い役職で呼び辛かったです。中高一貫校や高校入試改革とか本当に忙しい一年でしたね。審議会に俺が行っちゃったのは迷惑でしたか? だって会議が紛糾してるのに「特に問題なし」って報告書はおかしいですよ。でも家族で食事をする姿を見た夜「あなたはいい人だ…」って確信しましたよ」

「学術文化課長、俺が一回も行ったことの無かった美術館や博物館で、沢山あいさつをさせてくれてありがとう!原稿に「結びに…」とあったら、スピーチもそろそろ終わりだって分かりました。それと富士山が世界遺産になればいいね!きっと大丈夫だよ。東京に帰っても山梨のこと忘れないでね、キレイな奥さんも大切にして、文科省に帰ったら絶対に偉くなるんだよ!」

「高校教育課長、入試の採点ミスを会議の議案に上げなかったね?生徒の一生に関わる問題だから再発は許しませんよ! でも課長、今年はよく謝ったよね(笑)、もっと笑顔でいこうよ!」

「橋下総務課長、お世話になりました!不祥事が多かったですね。
なんでこうもマスコミに出るのかね?情報漏えいには気をつけなくちゃ。
あと、いろんな人たちを教育委員会に招いたけど、少しも心配したほどじゃなかったでしょ?面と向かって攻撃なんかされないって。みんな子供たちのことを思ってるんだからさ。これからもドンドン教育委員会を解放してくださいよ!」

「社会教育課長、ことぶき勧学院(高齢者の学びの場)の廃校は淋しかったけど、形を変えてもいいから今後も残してくださいよ。うちの母ちゃんがうるさいからさ」

「スポーツ健康課長、体罰や補助金不正受給のときは矢面に立って対応したよね。会議で「謝罪しろ!」と他から詰め寄られた時、俺の後ろの席で「何で俺が謝らなきゃならないんだ!」とキレてたよね?本当だよね、弱い立場だからっていじめられて。俺はちゃんと聞いてたよ!俺なら「悪いのは俺じゃねえ!」って、また辞表モンだったよw 男らしいと思った。それでいいんだよ!

でもタバコは止めた方がいいな、健康課長なんだから」

と、そこであの秘書の矢島が目をそらした……甘いっ!

「矢島、世話になったな!楽しかったろ?俺はとっても楽しかったし勉強になった。運転手の小川ちゃんにもよろしく言ってくれよ。ピカピカの公用車にあんまり乗らなくてごめんねって。俺が乗らないと給料減るんだってな?矢島、次に誰かの秘書になったら、一生懸命尽くすんだぞ。そして怒られた時には絶対反論するなよ!間違いなくお前が悪いんだからな!」

2〜3人の「何の感慨も無い」人を除いて、教育委員会幹部に言葉をかけていった。

まだ終わりじゃないぜ!

「本日、私の最後の教育委員会の傍聴に来てくれた皆さん、本当にありがとうございます。俺が増やした傍聴席を毎回こうやって埋めてくれた、今だかつてこんなことはなかったはずです。教育委員会が県民の目にさらされて、県民に見られていることがどれだけ緊張感を生むか中の人にも分かったことでしょう。これで俺の最後を飾ることが出来ました、口だけですが感謝します(笑)

正面に座っていたのは、大した話題もない教育委員会の取材に毎回来てくれた新聞記者だ。

「日川くん、一年間お疲れ様だったね!どう、面白かっただろ?君もよく頑張ったな。いい記者になるんだよ!」

一通り「贈る言葉」を奏でた。

俺「それではこれより非公開案件に移ります。関係者以外は規定により退室してくたさい!」

してやったり!会議は滞りなく「前例」を破って終了した。


外はもう真っ暗だ。

俺はこの後、健康ランドに行って4年間の垢を落とし、ゆっくり温泉につかるんだ!

着替えも持って来てる。

なにぃ〜、この後まだ教育委員会主催の退任式をするって?
まったくもう、そういうのが好きな業界なんだからぁ…。

次回、本当の最終回!

続く…

【 教育委員会日誌 最終章 ③ 】〜 WALK THIS WAY ! ♪〜


退任の最後に、居合わせた傍聴者や新聞記者にまでお礼の言葉を贈った山梨県 第75代(不良)教育委員長 林Q太郎、教育委員会主催の退任式を以ってめでたく4年前のあの普通のおっさんに戻れる時が来た。

教育長室にズラリと整列した教育委員会幹部とスタッフ総勢30名。

「異例」の留任が決まった事務局のトップである教育長から餞(はなむけ)の言葉を頂いた後、俺が簡単にお礼の言葉を述べた。

「俺は幹部の皆さんを含めて一番年下でした。失礼を承知で耳の痛いことを言い続けました。俺も人間だから年下だけにキツく言ったり、同年代の職員に嫌われるのも嫌だった。幸い皆さんは人生経験も豊富な年上の先輩です。胸を借りるつもりで思ったことを言わせてもらいました。失礼も多かったと思いますが、普通の人は俺と同じ感覚だと思います。皆さんも4月から新しい部署へ異動されるかもしれませんが、常に県民の目線で仕事をしてください。俺はいつでも見ていますよ!」

そして何の根拠もなくこう締めた
「近い内にまたお会いしましょう(^_^)v」

幹部の笑顔が消えた…。

5分ほどのセレモニーを終えた俺は、持ち切れない程の花束を抱え、教育委員会がある建物の出口へ向かった。

そこには山梨県教育委員会に勤務する全職員300名のお見送りがあった。
2階から降りる階段沿いに沢山の職員が整列し、笑顔で拍手をしてくれている。知らない人も拍手でお見送りだ。
しかし、これだけの人を待機させれば残業手当も相当な額になる。
民間経営者の感覚なら当然のことだ。

「お疲れ様でしたぁ〜こっち見てくたさ〜い!」
写真を撮るために前を塞いでいた秘書の矢島に蹴りを入れてやった。

最後の玄関を出るとき、スポーツ協会で俺から厳しい意見を言われて面白くなかったであろう担当職員もわざわざ別の勤務地から来てくれていた。

彼ら「お世話になりました!」

俺「確かにお世話はしちゃったよね?お礼参りなの?」

彼らは柔道・ラグビー・サッカー経験者だ。身体は俺よりもふた回りもデカい。しかし今日は反撃できまい…、一応「ヒザ蹴り」だけお見舞いしておいた。体罰ではない、「愛のムチ」だ!

そこで林Q太郎、クルッと振り返り最後の見栄を切った!

「皆さんお世話になりました、もう二度と来ませんから!」

万雷の拍手と共に、俺は送迎用の公用車に乗り込み県庁を後にした…。

はずだった(^^;

本来、教育委員長の退任日は家に公用車がお迎えが来て、終わったら送ってくれるらしい。(本当は教育委員長の間はそれでも良いと今日知った…)

沢山の花束と俺を乗せた公用車は、県庁を半周して俺の車が停めてある裏の駐車場へと向かった。

「これで格好がつきました、一応決まりですから」

矢島、おまえもう帰れ!

花を自分の車に積み替え、窮屈なネクタイを外し、袖まくりして、俺は県庁から健康ランド♨へと向かった。


正門ゲートにはあいつがいた。4年間ずっと分かり合えなかった守衛のおっさんだ。

俺「さっきまで教育委員長だったんだけどさぁ、入場フリーパスのプレート返してきちゃったから駐車券ないんだよ…」

守衛「困りますねえ、規則ですから」

俺「おっちゃん、4年前も俺に同じこと言ったよな!女の人には顔パスとか言ってるの知ってるぞ。いいよ、今から戻って駐車券にハンコもらってくるから!」

守衛「ウソウソ、 兄ちゃん、良く頑張ったな!俺は新聞やテレビを観て、いつも応援してたぞ。あんたは俺がここに立ってる間はずっと顔パスだ。また来いよ!」

俺「二度と来ねえよ。ったく、オヤジもう退職じゃねぇか!」

最後まで和解できなかった…。
いいおっさんだ、元気でな!

100%民間人に戻った俺は、健康ランド♨に向かった。安いご褒美である。

そこにはさっき俺を拍手で送ってくれた教育委員会の若い職員たちがいた。今日は金曜日、彼らだってストレスが溜まるのだ。

俺「さっき県庁で俺をお見送りしてくれたよね?」

職員「あっ、林さん!お疲れ様でした。俺たちいつも教育委員会の議事録を文字起こしていたんです。毎回林さんがどんなこと言っちゃうかみんなで楽しみにしてたんですよ。文字に出来ない事ばかりでしたけど、本当に楽しかった。教育委員会の若手はみんな林Q太郎のファンでした!」

嬉しかった…(泣) でもビールはおごってやんない。



4年の月日はあっという間ではなく、俺には長く感じられた。
素人にしては良くやったとも思う。

事あるごとに顔を出してくる「彼ら」、噛みつきに行くと森の中に逃げ込む。

「彼ら」の正体…

それは大物のあの人でもない。県庁職員や某組合の一人一人でもない。
かと言って特定できる組織でもない。俺は身を削って何と戦ってきたのだろう…。
知事を動かせる「彼ら」、
処分に口を挟む「彼ら」、
決まっていることなど軽くねじ曲げる「彼ら」

正体の一部は見つけることができた。
しかし俺は退任し、今は何のパワーも持たないただの商店主。

子供たちの健やかな成長を望む裏で、大人たちのいろんな思惑が交錯する世界。

4年間、悔しいことは数え切れない程あった。知り合いは増えたし、目に見える敵は増えなかった。でも味方は増えなかった(泣)

「誰も守ってくれなかった!」

俺は「彼ら」に勝てなかった。

もっともっとドラマチックに県民に分かりやすく変えたかったのにできなかった。だから達成感などまったくない。

教育委員はとても名誉ある「飾り物」だった。これが俺の結論である。

これからは俺がやった教育委員長ではなく、事務方のトップである「教育長」が最高責任者になることが決まった。

イジメや体罰への迅速な対応と隠ぺい防止、開かれた教育委員会を目指すという…

チッ!


新年度がスタートした。

弱小スーパー「とまと」の社長に戻った前教育委員長 林Q太郎、相変わらず儲かりもしないことのために日々奔走していた。


そこに一通の手紙が届いた。

差出人は前と違って「匿名」ではない。

「彼ら」のトップからだった!


 教育委員会日誌    完

     この物語はフィクションです。

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