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【ジジイと小僧のせめぎ合い~世代間ギャップに対する考察】

👤若いというだけで「未熟者」「苦労知らず」と揶揄され、見事成果を上げても、「それくらいできて当たり前」と鼻で笑われる。

👤片や良かれと思って何か言っても、「老害」と呼ばれて軽く無視される。ジジイは黙って枯れていけ!との視線に、もはや口を利かない方が若い皆さんのためだと口数も減る。

世の中にはこのような「若い人 vs おじさん」の対立構造があるものだ。会社でも地域社会でも同じこと。

理想は年長者やベテラン社員が若い人の成長を温かく見守り、時に厳しく、時に任せながら経験値を上げていく。そして成果を上げた時は、彼らの手柄として成功体験を与えていくことだろうか?

そんな器の大きな年長者や上司・先輩を前にしたら、いくら鼻っぱしが強い若手も納得して着いていくはず。そして「老害」だの「オワコン」とも言わないw。


まあ理想を言っても仕方ない。
世の中にはそんな物分かりのいい年長者は(おそらく)少ないし、理不尽な指導やおせっかいに黙って従うような若者も減っている。お互い「勝手にやっている」のが世の中というもの。

👤「昔は◯◯だったのに今は…」「近頃の若いモンは(死語)」
→こんなこと言ってるおじさんは、おじさんである私も近寄りたくない。

👤「コスパやタイパ、今は効率が全て。歩みのノロい年寄りに付き合ってる暇はない!年寄りの話は長くて困るよな」
→若者のリーダーにこんなタイプがいても、若者だって不安で着いていく気がしない。

☝️私が思うにこの「老害 vs 小僧」の不毛な戦いを考えた時、

①どんな若者だって、自分にとってメリット(プラス)があるおじさんなら、いろんなことを教えてもらいたいし言うことも聞く。

②どんなおじさんだって、自分の知識や経験を若い人に伝えて、より高みを目指してもらいたいと思っているはず、と考える。

☝️問題は大多数の若者やおじさんの中に、ごく一部の「老害」と呼びつけたくなるおじさんや、「小僧」と呼ぶに相応しい若者が存在するということではないだろうか?(どっちもどっち)


事実、私を含む「老害世代」の衆は、若者から疎(うと)まれ、自分たち世代の評価を下げてくれる真の「老害プレミアム」に対して嫌悪感を抱いている。

👥「お〜い、みんながみんな老害なんかじゃないぞ」、「若手の皆さんに成長して欲しいんだよ!」と、ほぼ全ての年長者は願っている。

👥でももしそれが君たちに正確に伝わっていないなら、それは「老害」じゃなくて「老化現象」だから、笑ってスルーしてくれ🙏🏻

お互い認め合うところがある人の話は聞くが、そうでない人の話は、耳にも入らないものだ。

『おまえも年を取るんだ💢』なんて凄むのは2F先生くらいのもの。老いも若きもその中間も、みんなで仲良く参りましょう。2100年には人口は半分に減るらしいから(^^;



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