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食いだおれ白書〜晩秋の色どり

フリーランスの物書きになり、11月7日にはデビュー作も出版した。いよいよ自分の作品づくりに向けて爆進していく。1970年台の大阪ミナミを描く小説に欠かせないのが御堂筋の銀杏並木。緑から黄へと色づいていく。


11月10日(金)

11月10日、朝8時すぎ。社会人野球の日本選手権を観るため大阪ドームに向かった。その前に道頓堀に挨拶。あいにくの雨。観光客も当然いない。

はみ出した尻尾の撤去を命じられている道頓堀の金龍ラーメン。なんとも大阪らしいというか。夜に食べにこよう。

御堂筋に移動。黄色を期待したが、完全な緑。冬への移り変わりはなし。

今年の猛暑のせいだろう。イチョウも左うちわで、冬支度を始めていない。野球の前に腹ごしらえ。

松屋(うどん)

朝9時。『なんばうどん』が開いてなかった。師匠が映写技師の時代に通い続けた立ち食いうどん。久しぶりに食べたかったが、お隣の松屋へ。牛丼チェーンと同じ名前。

麺と具のどんぶりを渡され、昆布出汁をセルフで好きに入れるスタイル。 ハイカラうどん250円。世界的な物価高のなかで、昭和を真空パックに閉じ込めたような値段。

いなの路

夜10時前。3試合の野球観戦が終わり、金龍ラーメンを食べようとしたら、円安の磁力に引っ張られて訪日した外国人さんの行列と阪神日本一600円セールで御堂筋まで行列ができそうな勢い。諦めて撤退。来年は巨人に優勝してもらわないと金龍ラーメンが食べられない。どこも人・人・人で溢れかえっている。どこも満席の道頓堀で食難民になったら此処に来る。道頓堀『いなの路』

かつてグランド花月の前にあった『信濃そば』を継承し、ダウンタウンの浜田が肉うどんを愛した。今では、お客さんのほとんどが頼む。1個130円のおむすびは、いなの路の「おにぎり検定」をクリアした人だけが作れる。今回は松本人志が愛した『きざみそば』700円。関西のやさしい昆布出汁で食べる蕎麦も格別。揚げが多く、ナルトがいい仕事する。肉うどんと交互にボケとツッコミを入れながら食べたい。

少し黄色くなりはじめた御堂筋のイチョウ並木。昨夜は長袖だと暑いくらいなのに今朝、深夜バスから新宿に降りると極寒。数時間で世界が変わる。 20日後に大阪に戻ってくるときは見頃を迎えて黄色に染まってくれるか。

11月30日(木)

20日ぶりの大阪ミナミ。深夜バスに揺られ9時間半。朝8時45分に到着。今度は雲ひとつない快晴。道頓堀川も清々しい。3週間前には阪神の日本一で何人か飛び込んだ。虎党にとっては聖水なのだろう。

御堂筋

冬支度を始める御堂筋のイチョウ並木。難波から梅田まで4キロ、幅44メートルの道路に約1000本の銀杏が並ぶ。

街路樹たちの黄色い歓声はもう少し先。かなり緑が残っている。寒さや暑さに鈍感なので、季節の移り変わりを感じるのは御堂筋が色づいてきたとき。イチョウが冬を教えてくれる。

イチョウの葉は本来は緑であり、黄葉は色づくのではなく、緑を薄めていく。気温が低くなると光合成が遅くなり、太陽の光も弱まるため、葉の仕事をやめて省エネモードになる。だから徐々に緑が弱まっていく。イチョウも冬眠。焦らずボチボチ生きていこう。

金久右衛門

道頓堀の朝ラーメン。ホルモンらーめんの白寿に行こうと思ったが、1年以上前に行った金久右衛門が開いていた。

韓国の観光客が食券機で並んでいる。困った表情で話しかけられた。メニューは写真があり英語表記だが、「おつり」「返却レバー」が読めず、お釣りの1,450円が出ずに困っていた。ボタンを押すと御礼を言われる。もっと外国人に親切なサービスの食券機が欲しい。

金醤油ラーメン950円。前回は大阪ブラックにした。らーめんの出汁とは思えない、元旦のお雑煮のようなハッピーあっさり味。やさしさに包まれたい、やさしくなりたいとき。最高。良いスタートを切れた。

大阪タカシマヤ

通天閣に向かう前に高島屋へ行った。万年筆とローラーボールのインクを買いに。WBCの電子書籍を出版したので御礼の手紙を書こうと思っている。館内には高島屋の歴史がパネルされていた。まだ難波に高い建物がない。きっと初代通天閣もよく見えただろう。

昭和5年(1930年)に一部だけ開店。当時の人の反応を知りたい。ゴジラが上陸したような衝撃だったのではないか。

見事なライトアップ。まだ初任給が百円とか十銭などの通貨があった時代。銀ブラという言葉が流行し、紙芝居に『黄金バット』が登場した。

昭和7年(1932)、南海難波駅の南海ビルディングに開店(南区難波新地六番町)。

驚かされるのが昭和7年でこのオシャレさ。花王から一つ5銭でシャンプーが発売され、東京競馬場で初の日本ダービーがあり、チャップリンが初来日。トーキー映画の登場で活弁士たちの職が失われていった時代。

小説の舞台にする昭和54(1979年)の難波。大阪球場がある。この頃には随分と高いビルが多く、平成、令和と大きく大差ない。

7階の階段に展示されていたモザイク・タイル壁画。なんかピカソの絵見たいと思ったら、なんと岡本太郎。1952年製作。

確かにタイルに描かれている。70年前と思えない鮮烈さ。岡本太郎、なんという芸術の広角打法。タイトルは『ダンス』

12月1日(金)

前夜は新世界の東横INNに泊まり、朝6時にアラームで起きる。外を見ると暗い。7時過ぎまで二度寝。まだ眠りについている通天閣。あと数時間もしたら観光客を迎え入れる働き者に変身。7時半、静かな新世界。喫茶店のモーニングの予定だったがホテルに朝食がついていた。

寒空の下で頂くホテルの朝食ビュッフェは温かさが沁みる。カレーを食べようか迷ったが、この後すぐに食事なので我慢した。

新世界東映では今日から高倉健さん、鶴田浩二の東映ヤクザ映画。観たかったが断念。70年代を描くなら60年代も勉強しないといけない。

天王寺七坂

通天閣ともお別れ。名もなき通りから見上げる、名もなき詩。次に逢うのは万博だろうか。

実家へ帰る上本町への帰路。天王寺七坂を通る。上町台地の斜面にある7つの坂の総称。そのひとつが口縄坂(くちなわざか)。起伏が蛇(くちなわ)に似ていることから名付けられた。織田作之助が最も愛した坂で狭さが味わい深い。

紅葉はもう少し。

天王寺七坂で最も好きな源聖寺坂(げんしょうじざか)。石畳の坂を進むと石段に変わる。

ほぼ段差のない石段が心地いい。裸足で歩きたくなる。

紅葉も目を癒す。もう見頃だ。

振り返れば奴がいる。坂は登ったあと、見下ろして初めて完結する。

源聖寺坂を登った先にある銀山寺の苦行仏に挨拶。銀山寺には三輪明神も祀っている。故郷と何か縁がありそうだ。

ふる里

源聖寺坂を登りきったら谷町筋(たにまちすじ)に出る。すぐ角にあるのが「谷九 ふる里」

清風学園の先輩・今田耕司が40年以上通う谷九(谷町九丁目)にある24時間営業のうどん屋さん。

うどん×寿司。大阪では珍しい薄味の醤油ベース、平打ち麺。 ある意味で大阪らしいカオスさ。おばあちゃんが優しい。後ろの席の家族連れの男性も清風学園の卒業生だった。 ふる里うどん880円 寿司450円。次に大阪ミナミに来るのは来年の3月。侍ジャパンとヨーロッパ連合の対決を観に大阪ドームに帰ってくる。


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