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雑誌を作っていたころ044

強制捜査

 新社長の青山氏はかつて、あいであらいふ社で「頭で儲ける時代」の副編集長をしていたとき、海外宝くじの斡旋商売を思いつき、欲の皮の突っ張った読者を会員として囲い込むことに成功した。そしてそのビジネスの危うさを指摘されると、社を去り、独立してワールドマガジン社を始めた。それが短期間で10億円の資産を形成する原動力となり、彼は鶴見に豪邸を建てた。

 日本には「富くじ法」という法律がある。正確には刑法187条の第1項「富くじを発売した者は、2年以下の懲役又は150万円以下の罰金に処する」、第2項「富くじ発売の取次ぎをした者は、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する」、第3項「第2項の規定するもののほか、富くじを授受した者は、20万円以下の罰金又は科料に処する」という定めで、明治時代にできたものだ。

 この法律には明確な判例がない。唯一、戦前に当時日本領であった台湾のくじの販売斡旋をした大阪の人が罰金刑を受けたというケースがあるだけだ。法律が成立した当時と現在の世相はまったく異なり、しかも地方自治体が第一勧銀(現みずほ銀行)を通じて主催している「宝くじ」の正当性をきちんと規定していない。だから青山氏の始めたビジネスは、法律的なグレーゾーンで稼ごうというものだった。それが将来、危険なことになるというリスクを察知して、あいであらいふ社の嘉藤社長は青山氏を切り離したのだろう。

 もちろん、青山氏も裸足で地雷原に飛び込んだわけではなかった。ワールドマガジン社自身が海外宝くじの斡旋をするのはさすがに危険と考え、二段構えのビジネスモデルを構築した。日本のワールドマガジン社は、海外宝くじの魅力を紹介する月刊会員誌「ロッタリー」を編集発行するだけとし、ロサンゼルスに設立したアメリカ法人が日本人向けに海外宝くじ(アメリカのロトくじや、オーストラリア、ドイツなどのくじ)の販売代行をする。その広告媒体が「ロッタリー」であり、雑誌には大量の申し込みハガキが綴じ込まれていた。

 海外の法人が日本人向けに海外宝くじを売るのなら、富くじ法の規定を逃れることができる。青山氏はそう考えたわけだ。そしてアメリカの法人には大量の販売斡旋手数料が流入するが、これを法外な「広告掲載料」としてワールドマガジン社に環流させる。これがグレーゾーンから濡れ手で粟でお金を稼ぐ彼の錬金術だった。

 ただし、彼にはインターネット時代を迎えた警察当局の焦りが見えていなかった。ワールドマガジン社は10年間「お目こぼし」を受けていただけで、警察が本気になれば、彼の防壁など砂上の楼閣だったのだ。

 事態は急速に進展した。青山氏が青人社の社長に就任してから半年後、突然に警察の強制捜査がワールドマガジン社ほか2社に対して行われた。当初の容疑は「海外宝くじの販売斡旋に関する詐欺容疑」だった。他の2社は購入者に対して海外宝くじの送付を行っておらず、完全な詐欺だったが、ワールドマガジン社は詐欺ではなかった。すると警察は罪状を「富くじ罪」に切り替えた。要するに潰したかっただけなのだ。青山氏は翌日、警視庁に任意同行を求められ、その場で逮捕・拘留された。

 なぜ警察が急に動いたかと言えば、インターネットを通じての海外宝くじ販売斡旋が急速に増加し、詐欺の被害が膨れあがったからにほかならない。一罰百戒、見せしめにどこかを叩く必要があったのだ。その日の強制捜査で、同じフロアにあった青人社も業務が停止した。ワールドマガジン社強制捜査のニュースは、その日のテレビ、新聞をにぎわせ、ワールドマガジン社には購読解除の電話がひっきりなしにかかってきた。彼が10年で築いた帝国は、一瞬のうちに崩壊してしまった。

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