やまがたまさゆき
最近の記事
日常生活から、敢えて離れて「演じる」こと。ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』を読む(1)第1章「文化現象としての遊びの本質と意味」
文化の読書会、今回からはヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中公文庫版)を読みます。ちなみに、講談社学術文庫版もあります(持ってます)。 なぜ、この本にしたのか。今回は、私から提唱した記憶があります。 別に、私自身「遊び」が上手だという意識はありません。何なら苦手意識すらあります(笑)だからこそ、なのかもしれません。読みたくなったのは。 同時に、がっつり細かく計画を立てていくのも苦手。つねに「遊び」の部分を用意しときたい人間でもあります。そういう意味で、「遊び」とい
マガジン
メンバーシップ
【思索の漏れ落ち】サービスドミナント・ロジックをめぐって_01(続編があるかどうかは知らない)
この投稿を見るには メンバーになる必要があります新年度ですね。
この投稿を見るには メンバーになる必要があります春休み、のはずなんですが。
この投稿を見るには メンバーになる必要があります生活のリズムと祭。
この投稿を見るには メンバーになる必要があります
【思索の漏れ落ち】サービスドミナント・ロジックをめぐって_01(続編があるかどうかは知らない)
この投稿を見るには メンバーになる必要があります新年度ですね。
この投稿を見るには メンバーになる必要があります春休み、のはずなんですが。
この投稿を見るには メンバーになる必要があります生活のリズムと祭。
この投稿を見るには メンバーになる必要があります
メンバー特典記事
記事
「語り」の根源性:語られた言論と書かれた言論の交錯、そこから哲学(史)が生まれる。納富信留『ソフィストとは誰か?』をよむ(7)。
アリストテレスの『二コマコス倫理学』(朴一功訳、京都大学出版会)と納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)を交互に読んでいくという試み。今回は、納富先生の第2部第8章「言葉の両義性」と結章を読みます。 摘 読:第8章を中心に。ここで取り上げられるのは、今となってはほとんど注目されていないソフィスト・アルキダマスである。彼はゴルギアスの弟子であり、在世中にはきわめて重要で有名な弁論家であった。にもかかわらず、すでに紀元3世紀のフィロストラトスの『ソフィスト列伝』にお
-
関係性のなかで定まっていく〈正義〉あるいは〈不正〉:道徳哲学の淵源として。アリストテレス『ニコマコス倫理学』をよむ(5)。
アリストテレスの『二コマコス倫理学』(朴一功訳、京都大学出版会)と納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)を交互に読んでいくという試みの第6回。 今回は、アリストテレス『ニコマコス倫理学』の第5巻。毎回注記してますが、巻といっても、現代的な感覚でいえば“章”に近いです。今回は、正義と不正と題された巻。前の巻では〈中庸〉が採りあげられたが、それを他者との関係性に拡張した議論とみることができそうだ。 読書会での設定文献は↑の翻訳だが、最近になって以下の文庫版の存在も
Criticalに事象を見定めていくなかで“それ”が何ものか定義されていく。納富信留『ソフィストとは誰か?』をよむ(4)。
アリストテレスの『二コマコス倫理学』(朴一功訳、京都大学出版会)と納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)を交互に読んでいくという試み。今回は、納富先生の第1部第3章「ソフィストと哲学者」を読みます。 摘 読。この章で主人公となるのは、プラトンである。プラトンはレッテル貼りとして用いられがちな「ソフィスト」ということばを、実体をあらわす概念として規定しようとした。そのなかでも、『ソフィスト』においては「ソフィストとは何か」を明らかにすることで、哲学者との相違を示そ