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神殿


貴方は思い出さなければいけない。
もともと僕らの人生というものは
(あるいは僕らの「生きている時間」というものは)
どこまでも神聖なものであり、
その神聖さは何にも優先して
護られるべきものであるということを。

けれど日々の生活や
主に仕事という営みのなかで
我々の柔らかな感受性は硬直し
我々の慎ましい祈りの行為は忘却され
それに伴って
護られるべき神聖さは
乾いた北風に吹き晒された樹木の肌のように
ボロボロに枯れ果ててしまう。

だから貴方は思い出さなければいけない。

例えば土方の踊りをみること通して。
例えばゴッホの絵をみることを通して。
例えばブラームスを聴くことを通して。

それは無名の画家でもいい。
無名の陶芸家でも、無名の小説家でもいい。
なんでもいいのだ。そこに祈りがあるならば。

祈りと共にある、美しいものに触れることで
自らの生活の混乱の中に
深く沈んでしまった神聖さを、
時折その湖底から救い上げてやらなければいけない。

僕たちの人生は本来、どこまでも神聖であり、
そしてその神聖さは何にも優先して
護られるべきなのだ。

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