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言霊について

言霊について


言霊とは、言葉の持つ力のことです。
よくありますね、言霊実験。

優しい言葉をかけた水の結晶は美しくなり、粗暴な言葉をかけた水の結晶は壊れると。

この原理はアニミズムです。
全ての物質には命が宿っています。

魂は、人や動物だけではなく物質にも輪廻転生することが出来ます。

全ての物質に心があると言うことは、乱暴に扱われたり気をかけたりしないと、傷付いたり捻くれたりいじけてしまうということです。
言霊実験で最も悪い結果が出たのは「無視」でした。


さて、この言霊ですが、正しく扱わないと効果は発揮出来ません。

運動会で優勝した人に「おめでとう」と言いますが、「ばかやろう」とは言いませんね。
余程普段から冗談を言い合うような親密な仲で、笑顔でふざけ合って言うのならそれもありでしょう。
しかし、よっぽどの事が無い限り、そういった言葉は使わないと思われます。


要は、状況に適した言葉を使う事です。

言霊の神様は、白神様です。
この神様は非常に繊細で真面目な方であり、曲がった事を非常に嫌います。
この方は人間の身体も司っておりますので、正しい言葉遣いが出来ているかキチンと見ておられます。

この、正しい言葉遣いとは?


よく言われますね。

美しい言葉を使え、と。

それは、他者への思いやりの為に使えという訳であって、美辞麗句自体に強い言霊の力がある訳ではありません。


状況に適した言葉を使うこと。

きちんと状態や程度を把握し、正しく言葉を使う事。
意味の乖離や勘違い、見当違いな言葉は、力を持ちません。

正しい言葉とは、的確な表現を指します。

これは非常に難しい。

何故なら、大抵の人は自分の色眼鏡と偏見、脳の発達不足、自己保身の為の心の防御などにより、完全に正しく世界を見る事が出来ないからです。

歪んだ世界観により正しく情報分析が出来ないという事は、場に適した言葉を発するという行為が出来なくなります。

世の中の殆どの方は、常に状況の真髄と間違った認識と言語の羅列に晒され、真に必要なものは何なのか分からぬまま大人になってゆきます。


意に反した言葉をかけられて不快感を得る。
どんなに筋の通っているように見える倫理観に沿った事を言っていても、その人の心に寄り添えなければ良い言霊とは言えなくなる。

子どもには優しい言葉をかけて育てましょうという。
優しい言葉とは、必ずしも丁寧な言葉という訳ではありません。
子どもの心を正確に汲んだ適切な説得。
これが本当に優しい言葉であり、良い言霊として力を持ちます。


良い言霊を発するのに必要なのは、相手を思いやる心。慈悲の心。本当の意味での優しさ。


優しさというのは、非常に難しい。
相手の事を、その立場に立って真に考えられる。
これが如来という存在です。

仏の魂には、段階があると言われています。
仏、菩薩、如来。

とはいえ、一般に言われているこれは虚構です。


死者は全て仏。
ヒトは亡くなると、全て仏になります。

菩薩。
これは優しさの象徴のような使われ方をされる事がありますが、実際は非常に厳しい存在になります。
導く立場に与えられる称号の為、人にはその名を与えられません。


如来。
これは、相手を思い遣れる心が来るという意味。
真の意味でこれが出来る方は、滅多におりません。
ヒトは皆、何かしらの損得を見て行動します。
ボランティアこと勤労奉仕を一つするにしても、誰かに必要とされたいなどの賞賛を求めて、また己の心の救済の為にするなどの理由が生じてしまいます。

これは悪い事ではありません。ただ、その自覚が無い場合。それが良くないのです。

みんなが助かるからやる。そうする事で自分の存在が高められて何かに救われる気がする。でも見返りは求めない。

複雑な気持ちが絡みますけれど、この辺りが健全な想念といえましょう。

優しい心とは、生易しいものではないのです。

ちなみに、ボランティア活動を頑張ったからといって神に認められる訳ではありません。

しかし、心を見つめ直すという点ではボランティアを始めとする勤労行為は、最も効率的で自己を鍛えるのに適していると言えます。

とはいえ、根性論を推している訳ではありまん。
適切な報酬は受けるべきですし、そこを捻り出すのは経営者としての試練にして精神の鍛錬。

結局はバランスです。

バランスの良い環境で、自己を見つめ直す。
しかしバランスですが、人によって色々変わってきますので、何が正解というものはありません。
中道は、多種多様です。

このように、優しさを突き詰めると奥が深く、難解な感情・行動である事が分かります。
だからこそ、如来という存在は魂の位が高い。

しかし、如来だからといって良い言霊が発せられるという訳でもありませんでした。

言霊というのは、それほどまでに難しいものなのです。
故に昔から言霊は特別視され、霊的なものが宿るとして崇められて来ました。


実際は人の心を響かせる力の事を言い、これを使い熟すのは至難の業です。
神であっても、それは難しい。

とはいえ、そんなに肩肘張ることもありません。


良い言霊ばかりを発するというのは無理があります。
時には悪い言霊が出る事もある。

何度も何度も言葉を磨いて、自分なりに成長していくこと。
魂磨きの一歩、精神的に大人になる為の心掛けでもあります。


ほんの少し、相手に歩み寄る。
そうしていくことで、少しずつ思うように言霊を扱えるようになっていきます。


実は、言霊を極めるとギャグになります。
自然に笑いを生み出し、場を和ませることが出来ます。


言霊磨きには終わりはありません。

硬くなると言葉が出てこなくなります。

力加減が重要。
礼を尽くすことが大事。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

こういった格言もありますが、最終的にものをいうのは想念と言葉です。

言葉遣いを磨く。
よく言われていることですが、まずはそこからスタートですね。

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