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奇怪なオコツトの回答


幾つかの下書記事を書きかけのままに、全く気分が乗らないので走り書きメモを投稿します。

春眠暁


オコツト文書、やはり回答が奇怪だなあと思うこと多々。

私の霊媒スタート時はそうじゃなかったんだけど…。
何を話していたか?
細かいことは忘れましたが、宇宙がどうとか天文学がどうとかはずっと後になって話題に上がり、もっと星の核心に迫るようなスピリチュアルのようでそうではない、ヒトの心の在り方についてなどが多かったです。

悩み多き人生を送ってきましたが、突然、謎の試し行動などが発生するのです。
そうして
「こんなの、数年前に悩んだ末に自分で答えを出したよな。どうして今更こんな復習みたいなことを…」
などと思いながら過ごしていました。


例えば
銀河鉄道の夜の一節。


「カムパネルラ、また僕たち二人きりになってしまったねえ。
僕たちは決して離れないで、どこまでもどこまでも一緒に行こう。
もう僕は、本当にみんなの幸せのためならば、あの蠍のように、体を百ぺん焼かれてもかまわない。」

「うん。僕だってそうだ。」
カムパネルラの眼には綺麗な涙が浮かんでいました。


こういうのを思い出しては大学ノートに書き出して、
「これ、日本語であそぼ という番組でテーマにしてたよなあ…」
と考えつつ、これに心酔していたらしい人のことを思い出しては
「ちょっと浪漫が過ぎるな…」
と思ったりしていたのですが、霊媒先の人に
「熱烈な告白を受けている」
と勘違いされたらしいのです。

す、すまぬ。
しかし私の思惑とは裏腹に
”なんかいい奴”と思われたらしいです。

なんの回答だったのかな?
とにかく、記憶が混濁していて覚えがありません。

そういえば、ラ・カンパネラについてだったかもしれない。
イタリア民謡ですが、元々は治療用楽曲だったとか。
これを聴くと、トラウマ治療に効果があるらしいですね。

「鐘」という意味があったかな…。


なにがどうなってこうなったのか、繋がらない。
目に見えない相手との会話とはそういうものです。



人神について


人類が神を見る日 より

このページの記述が重要に見えたので、これについて少々。

このページは
エクスタシーとは。
という質問に対しての回答からスタートしています。

進化の調整を行っているところではないですか。
人間の意識に現れたシリウスの位置です。

エクスタシーとは、快感が最高潮に達して恍惚状態になること、という意味があります。
男女の在り方についての話題から出たようです。

まあ、なんでセックスでイッちゃうの?と疑問に思うっちゃ思いますよね。
全ての人が快感を得られる訳ではありません。
セックスによる快感とは、基本は「陶酔」です。
良いと思うから良い。
それだけ。
気分がノらなければ、男女ともに苦痛でしかない行為です。

忘我とも言います。
うっとりとして我を忘れること。

こういうのは、男性的な視点からの認識、という見方が強いですね。
男性の方が快感を得られやすいため。
女性の場合は、相手に心を開く必要があります。

という訳で、男女ともにエクスタシーを得るためには
心の進化の調整
なる要素が関わってくるのですね。
それは、シリウスの入口でもあります。


ちな、私の時は性的な話題がバチバチに出ました。
性だらけでしたね。
ただ、それは質疑応答というものではなく。

感じる感じないはともかく
「霊界って意外と性が乱れているのか?」
という。

その通りでした。
官能小説の世界観を垣間見るような感じ。
「これが人間の本能か」
と思うと同時に
「これが苦の始まりでもある」
と考えたりすることも。


受精 受胎とは
人間の覚醒作用が反転したものではないですか
太陽と同じものです

太陽=核質=意識という名の光を発するもの
という視点で考えると

受精 受胎ことこの世に生を受けることは

「覚醒を一旦辞め、意識の一部を休眠させつつ、生きて自分の意志を発信すること」

という意味に取るのが適切と思われます。
ここ現界プレアデスでは記憶リセットがされていますし、死後の世界のように魔法は使えません。
「星の重力に縛られた状態で、どのように生きるか」
を試される大地である、ということかと。


太陽が活動している。
それは、生きている。ただ、それだけの意味しかありません。
人間は、そこにいるだけで何らかの影響を与えます。
どんな印象や影響であろうと、光を発していると言えるのです。

人によっては紫外線を嫌がったりするので、印象の良し悪しは分かれますが。



オコツトの言葉が分かりにくいのは、言葉そのものが5次元であり、表現にケプラー次元、幾何学分析を織りませていることにあります。
つまり、意味が物凄く遠い。
慣れが必要となります。
こういった分かりにくい、実感が湧かないような表現を、霊界ではケプラーと呼ばれています。



エクスタシーとは
という質問には

「男女の性交は感じ方に個人差がありますので、エクスタシーを得られるかどうかはまた別次元の話です。
そこで、お互いを気遣い合うことで、シリウスにおける道徳の観念が生まれます。
それが変換人の入口となる意識ですね。」

という回答なら
「そういうものかな?」
と納得も出来ましょう。

しかし、こういう回答だとインパクトに欠ける上に説教臭く感じることもありましょう。
万人受けはしないです。
現在の難しい雰囲気の内容の4倍くらい世間に受け入れられないでしょう。
オコツトはnoosologyを世間に浸透させたいと考えていましたので、心にひっかかるような謎成分をわざと織り交ぜて回答したものと思われます。

「感性球に侵入する35πのタキオン回転により、感覚が物質として転換され電子化を果たし、脳の下垂体を振動させることでエクスタシーが生まれる。」

みたいな回答を求めていたとしたら、やはりちょっとオコツトの回答はズレていたと言わざるを得ないです。

ソマチッドー素粒子物質転換という視点の補足もあったら良かったかもしれませんね。


欄外の「生きることはΩ」みたいな一文は、スマルで生きることの苦を表していますが、どんな人間でも「人生はクソ」という感情を吐き捨てないということはない、という統計からΩが発生する、とほぼ決定事項のように扱われているのですね。
とはいえ、ここでのΩ13は「死にたくない」という意味になるので、人間とはおかしな生き物ですね。




コスモスの反転


神秘主義の伝統ではマクロコスモスである大宇宙はミクロコスモスである肉体に順応していると言われますが……。
そのこととあなたがたの肉体に対する解釈とは何か関係がありますか。


「それは全く逆ではないですか。
真実の意味においては肉体がマクロコスモスであり、あなたがたが宇宙と呼んでいるものがミクロコスモスなのです。」

ちょっと待ってください。人間の身体がマクロコスモスで、この大宇宙がミクロコスモス……なのですか?

「そうです。
あなたがたが見ている宇宙は、わたしたちにとってはミクロ過ぎて観察しにくい次元となっています。」

では、肉体は観察しやすい次元なのですか?

「はい。あなたがたがみているものとは全く違いますが。」

人類が神を見る日 より


初見で混同しやすい会話だと思われます。
まず、前提からして食い違っている。


私達が宇宙だと思っているspaceは、実は解析が全く進んでいません。
水金地火木土天海冥
すら間違っています。

一応計算でそれっぽく定義していますが、実は全て憶測に過ぎないのです。
死後49日以内、もしくは幽界から現界を覗いてみればわかりますが、我らが常識として認識している情報とまるで違うことがわかります。

すべてが想像の上に成り立っている、ということ。

この想像の世界というのは、精神世界の宇宙 cosmic と言えるのです。
spaceとは違うもの。

故に、spaceとcosmicは認識がひっくり返っているね、とオコツトは言っています。

人間の身体は、宇宙に大量に存在する素粒子が集まって構成されており、更に肉眼で確認が可能。
ヒューマノイド(人間の肉体のこと)の肉体の全ての情報も霊界側は完全に理解しているので確実なるマクロコスモスと言えます。
故にΨ1
表相からの情報、という意味でここでは捉えてください。

学校で習う宇宙観は誰かの計算と憶測で成り立った「多分こうだろう」という空想でしか無く、未だ完全なる確証を得ることも、実存を立証させることも出来ない。
故にΨ2 Ψ4
肉体から見た外の世界・認識からの持続空間は、実存する物質(証明済であろうとも)に囲まれていようと ミクロコスモス と言えます。

ミクロコスモスは精神宇宙といいますけれど、物語の世界もミクロコスモスである、と言い切ってしまうことも可能です。
思形の結晶ですので。

オコツトにより、現在の天文学・宇宙工学などは完全否定されていると言っても過言ではないのですが、そうはっきり言い切ってしまうと人生の存在意義を失う人が続出しますし、そもそも論でオコツトの言葉はフラットアース提唱者と何が違うのか、という立証をチャネリングだけで行うことは不可能であるため、なんとなくボカされた、と考えるのが適切でしょう。


我らが見ている次元はミクロ過ぎて分からない、というのは、たとえ霊界の人間であろうと読心術を行うことは不可能である、という意味です。

外からなら、肉体の様子から何となくの観察と憶測は可能ですが、何を考えているのかまでは分からない。

スマルの常識を霊界の人間は知りません。
この通信が行われたのが平成元年か2年くらいかな?
そこで
「米国のオカルト雑誌 SPIRAL を知っているか?特集内容を答えよ」
と言われたとて、答えられないということ。
編集者が何を見て、何を思って特集記事を書くペンを取るか、そこまで理解には至れません。

現在なら、黄神が
「奇抜な内容を書いて世論を驚かしたいとかでしょう」
とサラッと言いますが、他の神は
「え? そんなこと…あるのかな?」
と一旦考え込み、言葉を濁して思考に耽ります。
そこまで確証に至れないらしいです。

そのLevelなのですよ。
他者への理解度というのは。

この精神世界への侵入なるものが、実はΨ3への侵入に繋がるもの、と言えるのですが。


みんなが思う神様(当時の時点で)は、特別な能力を持っている訳でもなく、ほんの少し冷静に分析が出来る人間と同じ次元にあるモノ、と考えるのが適切です。

これは経験則からの認識で、私も最初は
「え?神様って出来ること少なくない?」
と思ったものです。

期待しすぎなんですよ。
期待だけなら、どこまでも高く高く天まで突き抜けて彗星の如くspaceにぐるっと円を描いて自己に突き刺さるくらいまで伸ばせますから。


「とにかくな、すっげえんだぞ!すっげんだぞ!」

「ほう?具体的にはどんな?」

「えっと、えっと、全身が金色に輝いて目からビームが出せて、噴水の水を全部ワインに変えて…」

想像力の限界という感じ。
結局、これもミクロコスモスの一つに過ぎないということ。


実際に自分の目で確認できないと、ミクロをマクロに変換出来ないのですね。



走り書きでした。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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