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noteに投稿する時に考えること


SNS投稿 楽しいなー


インターネット廃人になって幾数年。
最初はケータイ小説サイトから始まり、やがてmixiへ。
2chをブラブラし、したらばと行ったり来たりをしてブログを始め、やがてTwitterにドハマリしました。

しかし、今年の元日にTwitterをすっぱり辞めました。
今はnoteが活動の場です。

mixiはパスワードを忘れてログイン出来ません。
登録アドレスもezwebなので、どうにもこうにも…。

5chは規制にひっかかって全く書き込みができません。
お金を払ってまで入り浸る場所ではないなあ。

Facebookのアカウントはありますが、放置です。
インスタは消しました。
身バレの可能性を危惧して。
結構、バレるっぽいです。

Blueskyが流行っているようですが、行く気力がありません。
もう、Twitter的なコンテンツは疲れたよ…。

はりつき系ですものね。
時間食い虫ですので、たまに虚しくなります。


そうして、思いついたことをnoteにまとめる方向でいくことにしました。




全く見ていない いいね


いいねのハートが付くのは嬉しいですが、誰が付けてくれたのか?というのは追えません。
一応、通知が来るのでその時だけ確認できますが。
大抵流してしまうので、見ていないも同じです。


いつもつけてくれる人はいます。
感謝しかありません。
ありがとうございます(*´ω`*)


私も、たまに いいね を付けることはあります。
気まぐれです。
たまに読み返すこともあるかも。


完全に何かに縛られない、楽しむことしか考えない使い方をしているとしても過言ではありません。

繋がりは…特に…がつがつはしていない、かも…。




きれいにまとめたnote記事を書きたい


見栄えの良い感じにまとめたいのですが、無理です。
センスの限界。

噂ではNotionが非常に使いやすくて、きれいにまとまる上にwebサイトのようにも出来ると聞いて、そんなによいのかな!?と見てみましたが、有料プランでないとサイト化は出来ないらしい??


ドメインを取る気がないのです。

その気があったら、とっくにしてるわな。

しかし、中々そんな気が起こらないので、無料サイトで細々と文字を綴るだけに終わってしまいます。


おお、なんというぐでたま。


精力的に活動する気が起きないのか。

そうじゃないんですけど、誰かの補助的な、裏方的なスタンスでありたいのですね。


何度か、誰かに雇って貰おうか…(賃金は期待していない。時給500円でもいいと思っている。フリーランスならこれでも高いくらい)と考えて、声を掛ける相手を探しましたが辞めました。


そういう活動をすると運命づけられていたら、自然とそうなっている筈なので。

人生というのはいつの間にかこうなっていたが正解です。

自分で動くんやよ。
やらねばやらぬ。何事も。

とかいうのは、自分を奮い立たせる影の言葉であって、表で大声で叫ぶものではないです。


焼肉のタレ宮殿のCM
「お客様は神様です」
のキャッチフレーズは、日本食研の社長が自分でそう思って頑張っているだけで、真実ではないのですね。

インパクトはありましたけど、勘違い民が荒れに荒れたので、良くなかったかもねえ…と。

いえね。
千客万来しか、真面目な商売の成功はありえないんですよ。
しかし、やっぱり客を選ぶ権利なるものも企業側にはひっそりと存在するようで…。
奴隷ではないので。


そう考えると、あまりnoteで過激なことは書けないなあ、と思うこともあります。
R18 も抵抗なく書きますけど。


顧客としての態度や姿勢なるものもありますけんね。
良客が、真の意味で市場を作るのです。
企業ではない。

客としての質が良くなければ、経済はちっとも発展しませんよね。
不正は、実は物価を上げる要因になるものです。

偽札が横行するようなアラが目立つ場所では商売なんてまともに出来ず、無駄を省こうにも真の意味でのコスパの良さが生まれなくなる。
余計な仕事が増えたりなどしてね。


余計なことは極力しない。

を、世界が足並みそろえてせーので行うことが、みんなで仲良くお金持ちになる条件です。

カッコつけとかでなく、裏技的なものもなく、スムーズであること。
これが一番。


渋滞の原因と同じです。
全ての車が一律、同じ速度で順々に走行すれば渋滞は激減しますが、追い抜きや横入りなどが当たり前になると、どこかで停滞して渋滞が生まれます。

工事による片側車線区域があるとか事故があったとかは別ですけど。


規律正しく、お行儀よく、が一番お得。
最も損をしない姿勢です。


しかし、やっぱり無料を貫くのはデザインに限界が出てくるな…。





自己顕示欲との戦い


SNS投稿は、自己顕示欲ありきの行動です。
人に見られていることを意識する必要がある。

書くだけなら、アナログのノートで十分な筈。
しかし、わざわざワールドワイドウェブに載せてしまうということは、見られたい慾があるということですよね。


発表の垣根がどんどん下がっていったと見るのが適切かも。


明治〜昭和中期の頃は、書籍を出すのにデビューが必要で、発信者は限られていました。
意欲があり、人より少し秀でた頭の良い人間しか本を出せなかった。
しかし、自費出版という選択肢をもっと手軽に、と出版社は宣伝しました。

元を取るのは大変で。
自己満足の領域でした。

ブログ以下の内容を書籍にする人もチラホラ。
この方々は発信が目的であったので、現代のようなSNS環境が整っていたら書籍化まではしなかったでしょう。

この頃は、本になるだけで満足。


しかし、成功する人はします。

有名な、Deep Love ですね。
なつかしいなー。
読んだことはないけれど。
リアル鬼ごっこ とか。

ブログが流行り、そこから書籍化する人も現れました。
漫画系は強かった。

ケータイ小説、小説家になろう系の快進撃。
現在の「書籍化はいいけど、誰が読むんや?」状態に。

段々と、Amazonなどで誰でも本を出すことが可能となりました。


私も、頑張ればAmazonで出せそうだぞ。
紙の本は難しいけど、ウェブデータならなんとか…。
と考えることもありました。

PDFで作ればいいじゃんね。
全くね。

思うだけで終わっていますが、お金を稼ごうと思わなければ発信は誰でも出来る時代になりました。



よく流れてきます。
「自分の絵は絶対に売れるから」
という、意識が。


それは
「紀元前から多くの人が考える願望。自分は他と違う、特別である」
としてしまう心理ですね。

しかし
「成功者は氷山の一角。ほんの一握り」
という残国な真理も導き出されている。

それを、歴史を学ばぬ人は無視をしているわけですね。


イラスト関連はそんなに需要があるんですかね。
インヴォイスで垣根が上がったと思ったのに、それを押してまで頑張りたい人がいるみたいです。
すげえ。
実現はともかく、意識は見習わねばね。


noteは書籍化が渋いということで、それで利用者が足踏みしている感があります。

正直、これ以上の書籍化はいらないだろ、と思っているので、懸命な判断であると見ています。

スーパーの段ボール捨て場に、紐で縛られた本が山程捨てられていました。
なんだろう?と思って見てみたら、ネット小説サイトでpv順に書籍化されたであろう本でした。
何十冊とあった。
キリがないし、中身はどれもこれも似たりよったりだし、家に置いても再読はないし、売ろうにも値段がつかないので仕方なく捨てたとかでしょう。


小説サイトの小説書籍化は、印刷屋を儲けさせるだけなんだ…と思いました。


アニメ化も普通になった現在

web小説のまま置いておく
   ↓
秀作だけコミカライズ化
   ↓
その中でも殊勝なものをアニメ化

みたいな流れでいいんじゃないかな、と思いました。

小説を書籍化する意義なんてないんじゃないかと。
コミカライズなら、まだ…。

それだって世に溢れすぎていますけどね。


コミカライズは大事です。
葬送のフリーレンがヒットしたのは、作画の方の力量が高かったからだと思います。
パース的な疑問は幾つも生じたようですが、絵師ガチャ(失礼)は大当たり。

フリーレン、かわいい。
となるのは、絵が安定しているから。
可愛く描いてあるから。

それが非常に大きい。


小説は、古い本を読むので十分だと思います。
プロにまかせろ!

青空文庫でも読んでるか…。

素人は案だけ出すべし。
本当に才能があるならば、一発芸だろうが勝手に咲くので。




ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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