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置かれた場所で咲く方法



嫌われ言葉

置かれた場所で咲きなさい
という言葉がありますね。
「そんなん無理やろ」
ということで賛否が分かれる考え方です。
元ネタはどこから?
そういった題名の本があるようです。

著者の渡辺和子女史によれば

波乱万丈の人生の中で荒波に揉まれ
望まぬ道を歩まされつつも
そこで最大限の努力をすべき

と述べて居られるようですね。

そりゃそうですよね。
人間の能力には限界があり、許容値を越えると心身ともに崩壊するという命運が架せられています。
故に、いい感じに肩の力を抜きつつ、自分に出来ることをするしかない。
というのが健全な生き方とされると。

そこで必要となるのが、まず分析です。
分析のためには観察からの情報収集、まとめ及び今後に活かす為の計画を立てる必要がある。
My Projectを誰にも知られずにこっそり立て、周辺の方々にプチ・プレゼンをしまくってなんとか自分アピをする必要があるという。
プレゼンこと日々の生活の周囲に与える印象が良くなれば、プロジェクトの方向性の正しさが証明され、徐々に昇進とはいかなくても自分の社会的地位、集団の中の自分の立ち位置が良い方に向かっていくのです。
生きやすくなるということ。
生きるのが楽になれば希死念慮も消えます。
厭世感――ペシミズム(pessimum)悲観主義のこと――も薄れて世界が好きになれますね。

しかし、具体的にどうやって?
今回はその分析の手助けになる考え方を述べたいと思います。
上手く活躍出来ず、苦しい状況にあるのに具体的な改善案が見当たらず、フワッとした感じに腹を立てた人が、置かれた場所で咲きなさいという言葉を嫌っているのかと。
咲けないじゃんよー、ばかー。
ってな感じに。


きみとぼくのあいだに

きみとぼくのあいだ にという歌があります。
学校で習ったものです。
中1の時に覚え、それがずっと心の中に残っていました。
あれから20年以上。
未だに忘れずにいるということは、人格形成に影響を与えた歌である、と言っても良いでしょう。
私の自分語りはともかく、歌詞などを貼り付けてみますね。

https://youtu.be/XK13Y6TrE2w?si=cpiplP5dNAt2tjfS


きみと ぼくの間に
たんぽぽを咲かせよう
わた毛 吹き飛ばし
だけど たんぽぽだけじゃ
ちょっぴり さみしいから
もう一つ 咲かせよう
ひまわりの花が
咲き乱れて
世界中をつつむよ

きみと ぼくの間に
ひまわりを咲かせよう
おひさまの下で
だけど ひまわりだけじゃ
ちょっぴり さみしいから
もう一つ 咲かせよう
秋桜(コスモス)の花が
咲き乱れて
世界中をつつむよ

きみと ぼくの間に
秋桜を咲かせよう
おひさまの下で
だけど 秋桜だけじゃ
ちょっぴり さみしいから
もう一つ 咲かせよう

きみと ぼくの間に
ほほえみを咲かせよう
おひさまの下で
だけど ほほえみだけじゃ
ちょっぴり さみしいから
もう一つ 咲かせよう
愛の花が
咲き乱れて
世界中をつつむよ

きみと ぼくの間に
愛の花咲かせよう
おひさまの下で
でも 愛の花だけじゃ
ちょっぴり さみしいから
もう一つ 咲かせよう

もう一つ 咲かせよう


まったくもって平和な歌ですね。

これをnoosologyと神霊的解釈を組み合わせて解説してみます。

この歌は「花を咲かせる」というテーマの基、花壇をにぎやかにしているらしい描写がありますね。

まず、たんぽぽ と ひまわり です。

神霊的に見ると、たんぽぽは小人。
ひまわりは巨人です。

ダンデライオン(たんぽぽ)は新人類。
サンフラワー(ひまわり)は進化した先住民の揶揄、巨人。

たんぽぽは放っておいても勝手に咲きますが、ひまわりは花が散った後に花だったものを取って乾燥させて、ぎっちり詰まったひまわりの種を収穫し、また植えなければなりません。
手間がかかりますね。

たんぽぽの綿毛は食べられませんし、綿毛を吹き飛ばして遊ぶと「耳に入ったら危険」ということで行為そのものを禁じられたりしました。
しかし、ひまわりの種は食べられます。
人間が食べても大丈夫。
栄養価は高いです。
ハムスターも大喜び。

また、放射性物質を集めやすい植物としてチェルノブイリ原発事故のあとに注目され、ウクライナでは大量にひまわりを植えられました。
植えた後の放射性物質が詰まったと思われるひまわりはどうしたのか?
種だけ取り除いて(種に放射性物質は含まれません)根も葉も茎も地中深く埋め立てるのが望ましいですが、実際は焼却処分されたらしいです。
バカかよ。
燃やしても放射性物質が消えるわけではないですよ。
灰になり、風に乗って再分配。
元の木阿弥でしょうが。
故に、チェルノブイリ原発事故の二次被害は酷さを増すばかりでした。
チェストー!
日本は福島の事故の後、EMを撒きまくったぞ!
EMは雑菌水と呼ばれているけど、農業用品ですからね。
飲んじゃいけませんけど、EMに含まれる各種菌が放射性物質を生分解させた。
半減期をめっちゃ早めた。
故に、事故から13年経とうという頃なのでだいぶ被害が収まっています。
大丈夫ですよ。
福島県産を食べても。
宮城はもうちょっとEMを撒きましょう。
本当は日本中に撒いたほうがいいです。
バクチャーを撒くのは辞めて、EMを撒こう。
それっぽい類似品でもOK


放射性物質の話は置いといて、ひまわりは凄く良い花だったということで。

たんぽぽとひまわりをビジネスに置き換えると、以下のようになります。

たんぽぽ
ペーペーの新入り。
新入社員。

ひまわり
人員育成に耐えた根性のある人。
平社員〜取締役までの会社内で一定の地位がある人。

たんぽぽを咲かせよう
というのは、新入社員を雇用し会社を盛り上げようという意味です。
中途採用でもOK
経歴の浅い人員は、年齢関係なく新入り。
たんぽぽ。
小さな花です。

しかし、技術を持たない勝手の知らない新入りだけでは会社は上手く回りませんね。
故に社内教育を実施し、中堅以上の存在を作らねばなりません。
勤続5年も経てば、それなりに動ける人間になりますね。
最低でも1年はみないと、使い物になるか分かりません。
石の上にも三年といいますが、3年もいれば社内の飲み会でまあまあコミュニティの仲間入り出来るくらいには友好的に振る舞えるでしょう。
5年も経つと、それなりに中堅扱いされますね。
10年選手でやっと、回覧の名簿順の上の方にいけるでしょう。

でっかくなった人間。
それが、ひまわり。

会社はそのように成り立っていきます。

きみとぼく、とは対人間だけを謳っているとは限りません。
社会、会社が擬人化表現され「きみ」とされている可能性もあります。

つまり、
Ψ1 Ψ2 がぼく
Ψ3 Ψ4 がきみ

きみと上手く折り合いを付けていきたい
という気持ちの最終地点に
Ψ5 Ψ6 の等化
が成立します。

ビジネス的には、人員構成、設備強化を整えて会社を守り立てていこうという意志になります。

その次、コスモスの花。
コスモスは、秋桜と書きます。
秋とは飽き。
飽和の意味があります。
Ψ28 飽和状態を迎え、実りが近い という意味。
桜とは五芒星の暗喩。
完全体です。
つまり、会社の基本ルーティンを飽きるほどこなし、惰性で続けられるくらいになり、完成体に限りなく近くなったということ。
コストダウンを視野に入れつつ、借り入れ分があるとしても従業員に決められた日に遅れることなく給料を振り込むことが可能となれば、それは会社としてほぼ成功していると見ても良いでしょう。
株式会社の場合、上場関連で胃をキリキリさせつつ利益を上げ続けるのはなかなか難しいところですが、細々とでも続けることが大事です。
一部上場を目指して頑張る。

続けるしかないんです。
商い中とか言って、春夏冬とかいう上手いこと言ったつもりの語呂合わせもありますが、秋は重要ですよ。
商いは、飽きない。
飽きさせないとも?
飽きたとか言い出す時点で、商売する資格はないという見方も出来ますが。
んなこと言ってられないですよ。
お客様にも失礼ですし。
厭になろうがなるまいが、やる。
それが商売ってもんです。

そして、愛の花ですね。
なんだ、いきなり。
愛とか本髄分かってるのかよ。
駄洒落で考えると、愛はAIです。
AIに食われる、データをインプットされるくらい社会的に当たり前になるほどの認知度を上げる、という意味で考えると平和かもしれません。
商売が軌道にのっておりますね。
しかしながら、絵描きにとってはたまったもんじゃありません。
著作権の問題で揉めているのが現状。
その辺の意識を正さないと、商売は長続きしないようになっております。
真面目一本、誠実にいくのが、実は成功の証。
それは歴史が証明しております。
シッポを見せてはいけない。
弱みを嗅ぎつけられてはいけない。
CMを流すくらいの知名度を保ちつつ、スキャンダルを起こさない。
炎上商法は短命要素。
地味に静かに。
根底に愛…というか慈愛がないと無理です。
優しさ。倫理観。

そこまで企業を大きくすると、ネタ切れを起こします。

もう一つ咲かせよう
で止まっていますね。
つまり、愛の花で終わりです。

あとはたんぽぽに戻ります。
たんぽぽをひまわりに進化させ、コスモスの花のかたまりが風になぎ倒されてみっともなくならないように配置を定期的に調整しつつ、全てを愛で包みます。

相手を愛で包む。
あいてをあいでつつむ。

むむ。
またしても苦しい駄洒落が。

あとは社会貢献ですね。
老人ホームを立てたり、保育園を経営したり。
スポンサーになります。
子会社を増やします。

そうして、文明は育っていくのですね。

それで、どうやって咲くというのか。

たんぽぽ、ひまわりの皆様は、咲き方について悩んでいるようですね。
春のたんぽぽ、夏のひまわり。秋のコスモスも欲しい。
実らなければ恋が成り立たず、愛の花になりません。
冬を越せずに、未来のたんぽぽが苦しむハメになります。

虹色の花の種を調べてみましょう。
十人十色といいますが、なないろのパターンを見て、自分はどんな風に咲きたいか考えてみます。

例によって、チャクラと照らし合わせていきます。

どの花がいいかな?

赤の第一チャクラ バラ

エーテルを意味する赤いバラ。
エーテルとは、自分の実力と願望を表します。
組織の中で、見た目が周囲より見目麗しくカッコいい、可愛い、美しいと思われたい人がこの咲き方を求めています。

橙の第二チャクラ マリーゴールド

エモーショナルを意味する橙のマリーゴールド。
感動を与えたい。即ちみんなの心を動かす存在になりたいという現れです。
マリーゴールドは匂いが独特で、田んぼの隅に植えると虫よけになります。
可憐な上に英雄伝を持つという特殊な存在への憧れとなります。

黄の第三チャクラ パンジー

メンタルを意味する黄色のパンジー。
メンタルとは精神を表し、精神的な面で気負いしたくない、嫌な気分で過ごしたくないという願いとなります。
パンジーは良く見ますが、実はあまり人気がありません。
安価だからという理由で植えられているようですね。
よく見るから。月並だから無難という理由。
屈辱に耐える。
メンタル無双は虚構です。諦観を養います。

緑の第四チャクラ クローバー

アストラルを意味する緑のクローバー。
花じゃないのか?いいえ。シロツメクサです。
花かんむりを作りますか?
四つ葉のクローバーを探しますか?
クローバーは運と出世を意味します。
通常、クローバーは三つ葉ですが、子葉の段階で誰かに踏みつけにされて胚に傷が付くことで四つ葉となります。
星の命運、つまり運任せを表します。
人よりラッキーな状態を求めている人が当て嵌まります。
幸運の裏には必ず誰かの犠牲があることを忘れずに。

水色の第五チャクラ ネモフィラ

エーテルテンプレートを意味する水色のネモフィラ。
ネモフィラは最近になって知名度を上げた可憐な花です。
春先に、陽当りの良い場所で集団で咲き乱れます。
エーテルテンプレートとは常識を表します。
みんなと足並み揃えて過ごしたい。
枠に嵌らない輩の存在を許さない。
多様性?綺麗事抜かせ。
なんとなく、まったりとトラブルのない職場を望む心となります。
変わり者がいると、気分が落ちるから嫌だ、という。

藍色の第六チャクラ 藍

セレスティアルを表す藍。
藍染などに使われる植物です。
見た目は紫色ですが、染料に使用すると生地が藍色に染まります。
セレスティアルとは物質的な豊かさを表します。
設備投資が充実した企業という意味。
設備の入れ替えは、時に企業の命運を分けることもあります。
安くないんですよ、機械って。
メンテも大変ですし。博打要素が高い。
しかし成功すると大量生産が可能となり、利益が格段に上がります。
設備投資の成功は、イコール幸福といっても間違いないです。
古くて壊れかけの機械をだましだまし使うのは地味にストレスです。

紫の第七チャクラ スミレ

ケセリックテンプレートのスミレ。
smileはスミレとも読む人がいますね。
笑顔溢れる職場。
地位が高い、給料が良い、人間関係が友好。
楽しくって仕方ない。
人間の幸福を表します。
定義はなんでもいい。
とにかく幸せな職場。
楽しすぎてスキップで出社する的な意味合いです。


あなたの望む花はどれですか?
まずは、7の紫を求めますね。
でも、中身を詰めていくと他の6つも外せない。
一番近そうな要素を選んで、熟考するのが望ましいです。

咲き方は色々あります。
万能策は存在しないのです。
咲くだけに。

どうあがいても現世では生を紡いでいくしかないので、なんとか嫌な気分にならないように、不快な想いをしても代替策で気持ちのすり替えが出来るように工夫を凝らしてやっていくしかないのです。

いやだいやだのヤダモンでは、社会的に爪弾きにされて余計に苦しむだけ。
耐えの構え。

種が撒かれたことを恨んでも仕方なし

親ガチャだのなんだのという言葉がありますね。
全てはガチャで決まっているのか?
んなわけ無いでしょう。
自己責任ですよ。
全てが全て、自分で決めて生まれて来た筈なのですが。

記憶リセットの世界では、ガチャでレアリティが高いのが出なかったのかもと嘆いてしまうかもしれません。

生まれる前の世界で、自分で出来るって言うたんよ。
「は?楽ショーでしょ?」
とか言う人が殆どです。
「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」
上杉鷹山の有名な言葉です。

取り敢えずでやってみな。
そうでなけりゃ、なんにもならんよ。
という意味。

そうしてやってみたら、この世の終わりみたいな顔をして嘆くのです。
鷹山(ようざん)だけに、最も残酷な刑の一つと言われる腰斬(ようざん:胴体を真っ二つに斬られる処刑法)でもされたような感じで。

これは言いすぎですが、大抵の人は社会に出ると絶望します。

みんな絶望するんですよ。
自分だけではない。
「つっら…。泣きたい」
誰しも思うこと。
誰だって辛いんだよ!自分だけ不幸ぶってんじゃねえ!という叱責も反発を喰らいやすいですし、何の慰めにもなりませんが。

人気者になれなくても、軽く虐められても、3Kでも、別にいいや。
仕事が回れば、それで充分。
勝とうとせず程々に負けを認めて、その時その時重篤な事故が起きなければ百点満点。
アクシデント、インシデントがあってもメゲない。
再発防止に努めて、地道にいこう。
お給料を毎月貰えるの、有り難いな。

このくらい期待を外して空回り要素を取り除いていかないと辛さが増すばかりです。
咲くとか意識すると、もう駄目。
私はプレッシャーに押し負けて実力が出せません。

あれ、いつの間にか咲いてたっぽいね。

くらいが楽でいいです。
気負いしない。

冷静にいきましょう。


荒野に咲いたアゲハ蝶
揺らぐその景色の向こう
近づくことは出来ないオアシス
冷たい水をください
出来たら愛してください
僕の肩で羽を休めておくれ

自分の働きの成果=花の蜜は、いつか蝶々に吸われます。
蜂に花粉を持っていかれます。

期待しすぎない。
アパホテルの社長みたいに華やかな存在になるには、人の何千倍も努力しなければならないですし。


他者のメンタルアドバイスみたいな内容になり、ちょっと厚かましい部分もあったかなと思います。
気分を害したら申し訳ありません。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。



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