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世界量子におけるイベント発生とは


伝えきれていないと思っています


量子の仕組みをたびたび話題に出していますが、伝わりきれていないと思っております。
言葉足らずで超ざっくりで。

量子論を紐解くにはnoosologyが絶対に欠かせないため、少々とっつきにくいところがあるのも否めないのもあり。

noosologyそのものも、最初は
「難しそうだし、勉強することはなさそう…」
と思っていたにも関わらず、現在ではどっぷりです。

人生何がどうなるか、本当に分からない。


量子イベント発生率とか頻回に話していますが、ヌースをお借りすると説明が手っ取り早くなります。

太陽系ピラミッドの四角錐の底面をネイピア数回転の場と見立て、その対称点、図でいうと太陽と土星の位置が常に高速で上下運動をしているとして、二つの点が重なった瞬間に中和反応が起こり、ギメル数が発動の針を指した途端に自己宇宙の世界が "動き" ます。

これがイベントの発生の原理。


ちょいと説明が…(;´Д`)

とにかく、世界というのは中和エネルギーの連続によって突き動かされ、一つ一つは小さな動きであってもそれがドミノ倒しのように影響しあってトーラス運動を生み出しているのです。

そのドミノ運動が、熱エントロピーによる増大現象。
元止揚を一気にプラスエネルギーの場に変換させるものです。


底面の中心点の動きは、次元観察子Ψ2 の素粒子の量で決まります。
故に、量子。


枡で量る米

お米=素粒子と見立て(これはあくまでも例え話ですが)

材料となる元素に、熱エントロピーとソルベート粒子と水の正二十面体となるゴースト場スピリット粒子が結合することで生きた人間としての現存が可能になります。


生き物のすがた(仮)

生まれたて…(;´Д`) 炊きたてご飯は、その場にあるだけでどんどん周囲の大気に熱エネルギーを奪われて冷めていきます。
デンプンがβ化する。
これが老化現象。
(β化したデンプンを食すと老けるわけではないですよ。むしろ元気になります)
やがて水分が蒸発し、乾飯となって死に至ります。
食べられなくなる=死。

それまでに完食されれば(=自己を自己として自分を認めること Ψ5 または自己精神球の密度を上げるイベントをこなすこと)人生として御の字ですが、食事中に零れ落ちたご飯など人生を全う出来ないお米も中には出てきますね。

随分短い上に儚い人生だなあ、とかいうのは置いといて。


宇宙熱エントロピーの広がりの中で、イベントが不発に終わるケースは少なくないです。
人間は基本的に、お箸をきちんと扱えません。
ご飯をポロポロと零しながら食べることを運命づけられています。

殆ど食べられない人もいます。
食べた気になっているだけ。

中には米粒一粒残さず食べる人もいるようですが、そんな人は滅多におりません。
宇宙に一人か二人くらい。


何のために生きているのか?とか、そういうのは今はナシです。
運命共同体の魂の一つであることを義務付けられている為、理由なんてあってないようなものです。
生きているだけで100点満点。


その中で、イベントの発生があると生き物は一喜一憂します。
それにより行動を起こし、世界の駒がまた一つ進められます。

この仕組みについて、少々書き出してみますね。

よろしくどうぞ。


辿り着くかどうかは別の話で


恋愛シュミレーションゲームをプレイしたことはありますでしょうか。
恋愛でなくても、シュミレーション系。
選択肢によってシステムの裏で点数が増減し、エンディングが変化するゲームです。

このイベントの際にこの選択肢を選べば、好感度が加算、小加算、無変動、小減算。
みたいに設定されています。

実は、量子法則も同じシステムです。
計算方法は複雑すぎるので割り出すことは不可能に近いですが、素粒子の量によって結合が変化し、タキオン信号に影響を与え、人生の選択肢が変わってきます。

まるでゲームみたいですけど、本当にゲームと同じなのですよ。
乱数も厳しすぎますが。


これを薄々感じていた人も中にはいるはずです。
今回は、そういった "if" に対し

「大正解〜🎉 よく気付きましたね! おめでとうございます! 死後の世界で賞金100万エンを受け取ってください!!」

という言葉を送るために書いています。


冗談みたいですけど事実は事実ですし、ここで何もないのも哀しいので、少しおもしろおかしく…。
私が渡す訳ではないですけど。


人生のイベントの仕組みについてはこれだけです。
素粒子の種類を書き出すべきですか?
100種類以上絡んでくるので、ちょっと大変で…。

その中で、当然「フラグ」もあります。
フラグを全て立てないとイベントが発生しないことも多々。

そうすると、量子のご飯茶碗からごっそりとご飯が零れ落ちてしまいます。


こうに書くと、がめつい人は
「金運を気が付かない内に失っているんだ、損をしているんだ!」
と思うことでしょう。

お金を稼ぐことだけが経験値ではないです。
喜怒哀楽、感情の変動が経験値です。
良いことも悪いことも経済も恋愛も全てを超越した先にある感覚。

発生したイベントについて喜んだり悲しんだりすることは、実は宇宙規模で見ると殆ど影響はなく、ただ行動のみに結果が現れます。

そうして、生きている間に積み上げた量子の量で、死後の世界での人間関係が決まるとしても過言ではありません。

お金じゃないのよ。
学歴でも経歴でも経験の数でもない。
あるに越したことはないですけどね。


この感覚の理解そのものが、チャクラの超越を意味します。
霊力とかじゃないの。
こういうところで勘違いしている時点で、もう駄目です。

魔法使いになりたいなら、来世に期待です。



ドラマティックな人生とは


人生はドラマみたいですが、思うほどキラキラしていたりロマンティックの物事が運んだりしません。


今日は色々調べ物をしていて、人生フラグについて気付いたのでここに書き出してみます。


2012年頃。
私は結婚の予定も生きる気力もないまま、ただボーッとネサフをする毎日でした。

そんなある日、際どい漫画を読みます。
スピリチュアルネタを適度に扱ったエログロ漫画です。

その当時はスピリチュアルに全く詳しくなかったので、ネタの半分も理解できませんでした。

それから暫くして、Twitterを始めました。

今思い返せばですが、その頃から追い掛けたかった人がいました。
しかし、当時の私はその方の存在すら気づいていませんでした。
そういう「後悔」は私の人生には付き物です。
とにかく、気づくのが遅い。
情弱な上に、深く入り込めずいつもニワカで終わります。
中途半端な人生を組んでいました。


それから紆余曲折あって、結婚しました。
出産した頃、Twitterで様々な方と交流をしました。

そこで運命とも言える出会いをしたのですが、当時の私は知る由もなく。

「ほお。頭の良さそうな人だ」

と思って、静かにツイートを見ていました。


私の人生は、いつもぼっちです。

ダラダラと人付き合いをすることはありません。

最初は楽しく交流しますが、段々と見下されるようになり、そのうち険悪な関係になってお別れをします。

いつもそう。
久遠の愛ですわ。
遠くから幸福をお祈りいたします。
さようなら。

その方から学ばせてもらう、ということにして、たくさんのさよならを経験してきました。


いつの間にか、先に書いた運命の出会いとなった方とも喧嘩別れしてお別れしました。

それから、ずっと霊媒漬けの日々です。


恋愛とか期待しました?
ないですよ。

上に書いた方々、皆様に別れを告げました。

「たくさん学ばせて頂きました。ありがとうございました。お世話になりました。」


こうして、ふと。
一番最初に出てきた、漫画のことを思い出しました。
なつかしいな、と思って読み返して、全てを理解しました。

「おー。これを識るための、全てフラグを立てるための流れだったんだ」と。

惑星ニビルについての理解を深める流れでした。
最終的には、答えは全てスピリチュアル関連になります。
どんな分野であろうとね。


最初に読んだ漫画。
そして、Twitterでつぶやいた内容。
出会いと別れ。
全てが加点の選択肢でした。

イベントの段階を、これで全てクリアしたのです。


何がフラグになるか分からない。
大体は、神霊真理に繋がることです。


大事なのは執着。
「なんでこんなの読んでるんだ。観てるんだ?」
という感覚。

それが、謎に見えますが確実に立つフラグの傾向です。

好きだから読むとか観るとか惰性で続けるとかは、小休憩扱い。
時にフラグになることもありますが、7割は自己満で終わります。
好きだろうが嫌いだろうが関係なく、イベントフラグは立ちます。

そこで、感性が先に立つ、気持ちを優先させすぎると、トゥルーエンドへのフラグの芽を自ら潰してしまうことも多々。
そういう意味では、かなりの人が大損をしています。

イベント構築が下手。
ストーリーの進め方を分かっていない。

一度は、そういうゲームをして感覚慣れしておくことをオススメします。
全くその通りにはならないというのは当然として、ありますよね。
手応えみたいなものが。
わかんないという人は、アファンタジアの気があります。
このキャラはえっちだとか、態度が気に入らないとか、そういうところばかり目についてしまう人とかもね。

理不尽な展開くらいでイラつかない。
これは基本です。
分析力が足りなすぎる。

これが出来れば、とうの昔に全人類はチャクラを超越してますがね。


量子の世界はもっといろいろありますが、最後は「なんかゲームみたいだな」という印象を受けるようになります。

ゲーム全般、人生経験の雛型の仮想予習みたいな感じなんですよね。

適度にハマる必要があります。
飽きたらそこで終わり。

ちょっと視点が遠いんですけどね。


メモ記事でした。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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