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ナイチンゲールと薔薇みたいな出来事


2月3月花盛り
鶯鳴いた春の日に
楽しいときも夢の内
5月6月実がなれば

というのは梅干しの歌の歌い出しですが、今回の記事は梅がテーマではありません。
確かに本家の庭の梅の木は2月に芳しく花が咲き、5月の現在は鈴なりに実がなっておりますが。


実家の庭の、レモンの木のお話。



あの日の悲しみさえ


庭にレモンの木が植えられているのですが、その木には
「ゆめならば」
という名が付いてます。

由来は単純です。
米津玄師の lemon の歌い出しが
「夢ならば どれほど よかったでしょう」
だからです。

レモンの木のそばを通りかかる度に、米津玄師のレモンを歌いました。

「夢ならばどれほど良かったでしょう。未だにあなたのことを夢に見る」

ウェッ のタイミングを良く間違えます.
夢に見る、の後にウェッが来るのですが、よかったでしょう、の後にウェッを言いがち。

ノリで歌っていますので、正確さなどに欠けるのは仕方ないでしょう。

それが何度も続いた為、いつの間にか
「ゆめならば がね、霜にやられて枯れちゃって…」
などという呼称が定着していきました。


冬の寒さでレモンの葉が枯れることは珍しくなく。
元は温暖な地域の植物なのでしょうね。


一昨年の冬越しで、レモンの葉が枯れました。

「桃栗三年柿八年柚子の大馬鹿十三年」

という言葉通り、柑橘類の実がなるには普通は10年以上掛かります。

レモンも柑橘類ですので、実がなるには相当な年月が必要という認識でおりました。
挿し木をするともっと早く実がなりますが、何もしなければ成熟に時間がかかるのです。

実りを特に期待しないまま植木の一つとして扱っていたものの、やはり葉が枯れてしまうと哀しいですよね。
元気のないレモンを見て母は落ち込んでおりましたが、私はそっと肩を叩きました。

「追肥をしようね」

出来ることはそれだけです。

しかし、ホムセンで肥料を買ってこようとかいう頭はありませんでした。


「コーヒーカスを根本に置いておこう。出涸らしでも栄養があるんだってね。油も含んでいるから、効果はあると思うよ」

日頃からコーヒー豆を挽いては落として飲む習慣がありましたので、カスには困らない生活を送っておりました。


朝起きて、豆挽き機能付きのコーヒーメーカーに煎ったコーヒー豆を入れてスイッチオン。
RO水で落として飲む、という日々を送りました。

特別なことは何もしていません。

「ふう。挽きたてのコーヒーは風味が違うね」

そうして、出涸らしのカスをフィルターごと庭に持っていって、レモンの木の下で払い落とす、ということをコーヒーカスが溜まる度に行いました。

夏にはピーマンの苗を植えたりもしましたので、ピーマンにコーヒーカスをあげることもありました。
結果、美味しいピーマンがなりました。

ピーマンも、油カスとまではいきませんが、油系の肥料をあげるのは有効らしいのですね。
レモンも皮からリモネンなど油脂系の物質が分泌されることを考えると、油カスは有効と推測されます。

レモンの ゆめならば は復活しました。
青々と葉が生い茂り、枯れた部分などどこへやら。

アゲハ蝶などが産卵に訪れる程に元気になりました。



あの日の苦しみさえ


ここからが本題です。

レモンにコーヒーカスをあげることは習慣となりました。
燃えるゴミの日の朝は家中のゴミを集めるのは常ですが、コーヒーカスの確認などもルーティンに組み込まれてゆき…。
大体、火曜と金曜の朝に、ゆめらなば は肥料を受け取ることが多かったです。


そんなある日、私は
「明日はゴミの日か…」
ということで、夜中にゆめならばに肥料をあげにいきました。

その時、力いっぱい肥料となるコーヒーカスを根本に投げてしまったのです。
暗闇の中でしたのでね。
レモンのトゲが、手の掌外沿に深く刺さってしまいました。

要するに、思いっきり勢いよく手刀をしたその先にトゲがあると気付かなかったのですね。


レモンの木には、意外に大きなトゲがあります。

グサッといきました。

痛みより、クリーンヒットした驚きの方が大きかった。

「え! 棘に刺さった!? 狙ってないのに、軌道がピッタリ!」

こういう運が良いのか悪いのか分からないことが、私の人生では良く起きます。

「はー、びっくりした」

止血しつつ、その出来事のことは忘れてしまいました。


それから春が来て、寝ている私の元へ母が飛び込んできました。

「ゆめならば に蕾が出来ているよ! 花が咲くね!」

私は寝ぼけ眼で返事をします。

「へえ? レモン凄いね。もう実がなるの…」

レモンの木を植えて10年も経っていないのに花が咲くなんて…。
挿し木をしていたとしても、かつて家の庭に植えられていたミカンの木が実づくのに10年以上掛かった経緯を思えば、やはり驚きを隠せません。


そうしていると、不意に私の脳裏に冬の出来事の記憶が思い出されました。

「まるでナイチンゲールと薔薇だね。」

「なに? ナイチンゲール?」

「そう。知らないかな? そういうお話があるの」


ナイチンゲールと薔薇 (作 オスカー・ワイルド)

ナイチンゲールは、美しい恋の歌 愛の歌を歌うのが得意な小鳥でした。
ある日、ナイチンゲールは仲良しの苦学生・セリウスが嘆いているのを見つけました。
ナイチンゲールは訊ねます。

「どうしたの?」
「幼馴染のユリアと一緒にパーティで踊りたいんだけれど、ユリアには他に相手がいるらしいんだ。赤いバラを持ってきてくださるなら一緒に踊ってあげる、と言っていた。 でも、近所のどこを探しても、赤いバラは見つからなかった。ああユリア。」

それを聞いてナイチンゲールは困ったように言いました。

「泣かないで。私がそばにいるわ」
「ぼくはユリアと一緒になりたいんだ」

セリウスにナイチンゲールの言葉は届いていないようでした。

ナイチンゲールはセリウスのために、赤いバラを探してあげようと考えます。

そうして、静かに彼の元から飛び去ると、あちこちのバラを尋ね回りました。

「赤いバラを1輪くださいな」

けれどバラの木々は言います。

「私のバラは白なのです」
「ごめんなさい。私のバラは黄色です」

その中で、黒いバラが静かに囁きました。

「街の外れの先にある私の兄弟の所へ行ってごらんなさい。望みのバラをくれるでしょう」

それを聞いてナイチンゲールは喜びいさんで、街の外れにあるというバラの木のもとへ飛んで行きます。

「赤いバラを1輪くださいな。」

けれどバラの木は言いました。

「わたしのバラはたしかに赤です。でも冬の寒さと霜の冷たさと嵐の傷で、 私にはもうバラを 咲かせることはできないのです」

それでもナイチンゲールは言います。

「たった一つだけ。赤いバラが一輪欲しいのです。どうにか手に入らないでしょうか? 」

バラの木は言いにくそうに口を開きました。

「もし、あなたがバラをお望みなら、月の光のさす間、わたしの木のトゲに胸を押しあてなさい。あなたの血が私に流れ込んで、赤いバラを咲かせることが出来ます」

ナイチンゲールは少し戸惑いながら、そっと頷きました。
そして、飛び立ったナイチンゲールはセリウスのもとに向かいました。

「明日の朝、街の外れにあるバラの木を見てみなさい。きっと赤いバラが咲いているわ」

その夜、月が空に輝いた時、ナイチンゲールは自分の胸をバラのトゲに力いっぱい押し当てました。
そして1輪の美しい、見事な赤いバラが咲きました。

バラの木はバラが咲いた事をナイチンゲールに伝えました。
けれどナイチンゲールは、高い草の中に倒れていました。
そのまま死んでしまったのです。

それから昼過ぎに、セリウスはナイチンゲールの言葉の通り街の外れに向かいました。
一輪だけ美しい赤いバラが咲いていることに気付き、喜びました。
そしてそのバラを摘むと、恋するユリアの元へと行きました。
ところが、彼女は言うのです。

「そのバラは今夜着るドレスの色に合いませんわ。それに私は他の方から宝石を頂いてしまったの。宝石の方が花よりずっと高価だし、私に似合うわ。あなたとは踊れないの」

セリウスは嘆き悲しみ、バラの花を川に流してしまいました。

友人のナイチンゲールを失ったことにも気付かぬまま…。


これは、自己犠牲の尊さから来る耽美なるものを謳った物語ですが、それは今回の記事とは関係なく。
棘に身を刺し、血を流したことのみが当てはまります。

私はナイチンゲールと薔薇のあらすじを話しました。

「冬に ゆめならば の棘に私の手を思いっきり刺した。そのおかげで、レモンが咲いたのかもね。なんてね」

「そっか…。ナイチンゲール…」

母は納得した様子でした。


それから暫くして、私は庭のレモンの木を見に行きました。



偶然にも、ほんのりとピンクがかっておりましたので、本当に血を流し込んだみたいだな、と思いました。

非科学的なのは承知の上ですが、そういう遊びの一環ということでね。
「それっぽさ」みたいな。



そのすべてを愛してた あなたとともに


ナイチンゲールと薔薇の原本は、けっこう捻くれているっぽい感じなんですよね。
私はその内容は好かないので、まんが世界ばなし というTVシリーズにて放送されていた該当の物語の記憶を辿って、あらすじを再現しました。

かなり哀しくて美しい感じの内容でした。

絵が少しおっかないような、でも何故か耽美の。


そのシリーズは映像もそうですが、書籍化されたものが家に置いてあったので、暇な時に読んでいました。

そうして、物語なるものを覚えていったのです。

例え簡単なものでも、やはり本を読まないと身にならないですね。

動画よりも書籍です。
電子でも紙でも。

脳に残る。


脳を使う部位が違うのでしょう。
文字を読むのと内容を理解することを同時に行う為、手順を多く踏むということで記憶に定着しやすい。
それと同じで、動画視聴でも、とくにインパクトのある効果つきの字幕が付いているものは記憶に残りやすいです。

バラエティなどで多用されるテクですね。

「ビシッ!」
「キララララ…」
などの効果音と共に、飾り文字が流れてきたり浮かび上がってくるやつ。

こういうのは主に
「ここで笑うんよ」
という思考誘導のために行われております。

それに慣れきってしまうと、感情について考える機会を失います。
考えることが段々苦手になってくるということ。
アホになります。

疲れ切って思考力を失った、廃人みたいな状態の時に
「ははっ…」
と小さく笑うように作られているのですね。


バラエティ番組は、娯楽を探すのが面倒な上に疲れて思考力を失った大人に向けたコンテンツです。
バカバカしい。
でも、アホと思って適当に見ていよう。
脳休み、読み捨て的な。
深く考えたくない時に観る。

深夜番組くらい毒がないとつまらないですけどね。


ちょっとした日常を書いた日記でした。
こういう事件ばかり起こるって訳でもないですけれどね。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。


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