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AIの絵にハマる話


AIイラストの好きなところ


AIイラスト、私は好きです。
絵は絵ですので、好みのものがあれば見たい時に眺めたりします。

著作権のいろいろを考えると、たまに笑えないものも出てきますが。
無料の範囲内だったら、割とアリかな、とも思っています。
お金を稼ぐから怒られるんですよ。
ファンボックスで公開したり、元絵にフィルターをかけて比較したり。

ちょっと、嫌味なんですよね。
鼻につく行為でしょ。
意地悪しちゃ駄目ですよ。
画面の向こう側の相手を不快にしている自覚がないというのなら、もう少し人道を考え直すべきです。


私が好きなのはパロディです。
アニメキャラクターをそれっぽくAIで出力し直したもの。
細部が少し違う。
AIが勘違いしているんだ、全体から見た再アウトプットの結果がこれなのかと、笑います。

情報量の多さも好き。
ゴチャッとしている不可思議な構図を、ゆっくり時間をかけて見ます。

人間がやっていたら正気を疑うような絵でも、AIなら「まあAIだし」ということで許せる。
そこまでAIに対する期待値が落ちました。

プロンプトも拾いきれないのが現状ですのでね。
どんなに生成呪文を並べ立てたとて、全てを反映させることは出来ない。

融通がきかない。
半分くらいは、「好きに描いておくんなまし」です。

条件を多数拾いに行くほど、誠実ではないのですよ。
それは大勢の人が実感をしているはずです。

どう向き合うべきなのか?
それは、個人の興味という名の針の先を追いかけていくしかないです。


神霊的に見てAIとはなんなの?


文明の結果の現れとして、AIはどのようなスタンスにあるのか。
その謎を解くべく、我々はアマゾンの奥地へと向かいました。

例によって、ツォルキン・マヤで見てみましょう。
20太陽の一覧表。


全部ですね。
20のシンボルを全部足して20で割ったのがAIです。

赤い竜
文明の流れ。

白い風
AI生成の裏に生まれた悲しみ

青い夜
プロンプト研究の心

黄色い種
未来への系図。実はどんどん出すべきですね。

赤い蛇
倫理との戦い。

白い世界の橋渡し
未来への系図

青い手
バベルの塔の頂上を意味する

黄色い星
文明の便利さ

赤い月
AI生成の裏で生まれる哀しみ

白い犬
いつかの世の身から出た錆

青い猿
いつかの世の身から出たさび

黄色い人
初音ミクなど、ベースとなるキャラ。

赤い空歩く人
試練としてのAI

白い魔法使い
AIの利便さ

青い鷲
nosが持っていってます

黄色い戦士
活躍する人

赤い地球
今時分の頃

白い鏡
いつかの反映

青い嵐
うまいことやる人

黄色い太陽
未来への道しるべ


こんな感じで、AIという概念そのものが20太陽に当てはまるのですね。
時代の終わりを意味します。

AIはこれから発展を続けると思われますが、AIというプログラムが発生し世界中の人の手に行き渡ったという事実が、タカヒマラにおける時代構成の頂点に到達しつつあることを意味している、ということ。

文明の完熟です。


出力したAI絵の全ては、アカシックレコードのAIのコーナーに漏れ無く登録されますので、アカシックレコードに歴史を残したいという希望が強い人はどんどん生成するといいですよ。
既に膨大な量が登録済みですが、もっとバンバン出して歴史の痕跡を残すべきであると思われます。


そうすることで、次のセフィロト16がもっともっと良い世界になることでしょう。

セフィロトの樹は宇宙の区切りが発生する毎に植林されるのですが、先日までは14でした。

15はどうしたの?
それが、蓬莱の玉の樹になってしまったので、破棄されたそうです。
かぐやの宝物の一つ。
完全無欠の世界。

完全なる世界は、存在してはいけないのですよ。
どこかで新たな腐敗が発生する。
故に、セフィロト・ツリーの核となる人物は中途の祖である必要がある。
常に流動、成長を続けないと宇宙は駄目になるのですね。

蓬莱からの恩恵を受けながら、ゆっくり成長を続ける。
それが本来あるべき人類文明の姿です。


という訳で、AI出力行為は霊界資料の一つとして扱われることになる、と。


漫画についての持論


AIイラストは安定しないので、漫画には向かないと思っています。
細部が変わる。
それだけで、もう駄目です。

こまけえこたあいいんだよ!
というのが通じない世界。

AIに求められるのはイラストonlyです。


最近の漫画はデジタル化が進んでいるので、多彩なブラシや素材を駆使してアクセサリーをじゃらじゃら付けたデザインが多いですね。

見た目は綺麗ですが、やり過ぎだと思っています。
もっとシンプルでいいんじゃない?と。

最近おもしろいと思った漫画。

ザコ姫さまは生きのびたい


転生モノですが、話が面白い。
そして絵がキレイなんですよ。
主人公が、常時ウエディングドレスを着ているようなデザイン。
ここまで派手にしなくてもいいのにな…と贅沢なことを考えてしまいました。


この作品は、AIとは無関係ですが。

でも、AIからデザインを貰ったのかな?と思ってしまうほど、派手。

描くのが大変じゃないですか?
漫画のキャラデザはシンプルでいいんですよ。
その代わり、イラストはとにかく盛りに盛ります。

その差が大事。と思ってます。


ちょーシリーズ、好き

せめてこのくらいのデザインでないと、目がチカチカしてだめ。
宮城とおこ先生のイラスト、好きです。
適度に派手で、地味過ぎず。



とにかく、漫画には最低限守らねばならぬイロハがあるんですよ。

なんでもいい、とか、新しさ、とか不要なのです。

この感覚が理解出来ない人は、漫画を描く資格はないです。
そこまで言い切っちゃいます。

読者は、案外バカですよ。

型破りに見せかけた型なしを見ても、違和感に気づかない。
これでいいのかあ、と肯定的に受け取ってしまう。

誰かが批判し、大炎上が起きないと「それはいけないことだった」と分からないのです。
炎上が起こっても、何故かフォローに回る人がいます。
そういうのを八方美人というのです。
倫理観の欠如と言わざるを得ないです。

そうやって、コンテンツは腐っていきます。


更に言っちゃいますが、いわゆる、なろう系。
タイトルがサブタイトルのように長々としたものが多いですが、これが「なろう系」の特徴。
タイトル釣りが無くなってしまったら、なろう系はなろう系としての存在意義を失ってしまいます。

なろう系とは何も小説家になろう発という意味ではなく、カクヨムでもアルファポリス発でも、それ系の作品はなろう系と呼ばれるのですが、要するにアマチュア以下の素人作品群です。

最近、書籍化作品の中で「長ったらしいタイトルを拒否する動き」が出ています。
サイトでは煽りに煽った説明タイトルだったのが、書籍化を機にしょぼい感じのつまらない章タイトルを思わせるものに変更されるのですね。

センスないんだな、と思います。

長いのは長いので良いんですよ。
シンプルはシンプルで、それが良い場合もある。

タイトルの付け方にも作法があるんですよ。

ふざけたタイトルでも、しっくり来ればそれでいいのです。
タイトルの失敗でコケることも大いに有り得る。


描き方講座の記事ではないので、あまり細かいことは書きません。
また、そういう内容を扱った本が結構あるのです。
国語の教科書の教材として採用されたりしています。
こういった認識が抜け落ちること。
教育機関及び義務教育・高等教育政策の敗北ですね。

学校の勉強は、あまり変える必要はないのです。
子どもはいつも新しく入れ替わる。
故に、中身は新しくしてはならない。
ずっと同じ内容を、ぐるぐるぐるぐる山手線のように毎年続けていればよいのです。
親と子で、学校の授業内容が同じ。
みたいな状態が理想です。
認識が合う。
会話も合う。
知識レベルも合う。

先生の認識でいては駄目です。
子どもの認識に合わせる。
先進的なことは大学で学ぶ。
義務教育・高等教育は基本だけに留める。


そういった認識の基盤堅めをもとに、AI産業はさらなる発展を続けます。
基本、AIはデータを喰って生成します。
総まとめなんですね。

AI生成で初音ミクにブレが少ないのは、ミクが大量に喰われたからです。
数の暴力。
みんなが知っていること=AIの常識となって、アウトプットが安定するのです。


型は大事にすべき。
型があって、初めて前に進める。
基本を破るようなことがあってはならない。

ここで必要になるのが、忍耐力です。
集中力・落ち着きの無い人が、型を批判します。

目立ちたいがために。
自分は改革を起こす人間だと信じて疑っていないらしいです。

十で神童 十五で天才 二十歳過ぎれば只の人

十歳くらいなら奇抜なことも許される。
十五歳は、まだセーフ。
二十歳になったら凡人のフリが出来るようになりなさい。

そういう意味です。
悪い意味で頭角を現さないことが求められる。
それが、本当の大人の在り方です。


漫画のアイディアは奇抜でいいですよ。
でも、最低限の型は守るべき。
そうでないと、クズ以下に成り果てますね。

嘘っ子だけど、リアリティーは大事です。

またしても作品とは無関係な話になりますが、最近良く見かける「ファンタジー作品のキャラの服装デザインに現代風の私服を持ってくる」的なのはちょっとな、と思います。

「この服、イオンで買ったのかな」とか「中華通販か…」とか、想像力がどうしても発動しますのでね。


アルクェイドは「しまむら服」と嘲笑されていましたけど、彼女は吸血鬼ですし適当に買い揃えたと思えば自然ですよね。
それに、漫画を読むと違和感がない。
当時、作者様はアルクェイドの服をとても可愛いと思って描いていた筈です。
更に、白いハイネックのシンプルセーターを着せることで清純さを出していたのです。
スカートは始祖吸血鬼をイメージしつつ、シンプルなのが良い。
キャラクターをよく現している。
普段着はこれでいいですが、イラスト掲載時は雑誌の表紙撮影のノリで物凄く派手に飾り立てても良かったんじゃないかと…。


デザインはそれだけで説明の力を持つ。

AIイラストは派手でいい。
イラストですからね。

想像力を掻き立てるもの。
それが、広く深く愛されるコツですわ。



ここまで読んで頂き、ありがとうございました。



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