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性格診断としての十二宮星座


絶対信じない星座占い


私は10月25日生まれの蠍座ですが、これまで幾度となく星座占いを試してことごとく当たらなかった経験から、星座占いなんて信じられないと思っています。

星座占いのコラムなどを見つけたら取り敢えずで手に取り、自分の守護星座の欄を一通り読んでいました。
そのくらいには興味のあるコンテンツでした。

大抵の場合、蠍座は
「ミステリアスな魅力が特徴の、毒を持つ存在。強気でいくと空回りに終わる。駆け引きをしていきましょう」
的なことが書いてあります。

しかし、私は生まれてこの方、自分がミステリアスで色気があると思ったことはないですし、そういった扱いを受けた記憶もありません。

ミステリアスといえば
「うふふ。どう? ちょっといいでしょ。」
とか言いながら、あまり知られていない、お洒落でほんの少し便利なアイテムをここぞという時にチラつかせ
「わあ! かっこいい。それどこで買ったんですか?」
と、何となく尊敬の入り混じった眼差しで見られるような、そんなイメージを持っています。

紫の似合うイケジョ。
艶っぽいストレートのロングヘアをサラリとかきあげ、ルージュを引いて、ふわりと上品に組んだ足先のピンヒールが光る、そんな感じの。


上記に書いた姿と自分像が一致しないんですよね。
故に、蠍座はミステリアスでエキゾチック美人、と言われても全くピンと来ません。


イメージ像ではなくて、運勢的なものは?
というのは、良く分かりません。
占いの内容を読んでも
「ふーん」
と思ったきり忘れます。
ラッキーカラーなどもすっかり忘れ。他のことに集中します。

仮に予知的な意味合いで当たっていたとしても、忘れていたら意味がないですよね。
それと同じで、誕生石なども信じないことにしました。

幸せな結婚を意味するアメジストを手にしても、効力を発揮して欲しい時に限ってまるで真逆な現象が起こります。
アクアマリンも同じ意味があり、もちろん持っていますがどうも効果ある感じではなく。
長い目で見れば当たってはいるのですが、近日的な意味では大外れ。
得てしてそういうものです。
故に、デザインや好みで選ぶのが良いと思っております。



では、十二宮にはどんな意味があるの?

それは・・・。

キューキュータマ
タマタマキューキュー
みんなでレッツ
キュータマダンシング
キューキュータマ
タマタマキューキュー
12の3で
地球をすきゅう


宇宙戦隊キューレンジャーではないですけど、意味合いとしては大体合ってます。
地表から見た点つなぎの星座から判断するものなので、地球規模で視ないと駄目なんですね。

ずっと言っていました。

星座占いは質量保存の法則からなる星の動きから命運を調べるものであるので、複雑怪奇故に読み切れるものではなく、そんな曖昧なものに縋るのは愚かであるとしても過言ではないので、エンターテインメントの域を出ないものであるよ、と。
ペンターブシステムを基本とした、量子テンソルを読めなければ意味がないんす。


そう言っても、世の占い師なるものの多くは
「ハッピーだよ! 幸せの為に生きているの!」
という意識である上に、そうでなければならないとまで言い切ってしまっているため、このようなネガティブな意見は占い業界には存在してはならないのです。
私が今一歩、ビジネスに踏み切れない理由の一つになっております。


しかし、思想としては研究の余地があり。
ライオンズ・ゲートの話を聞いても
「はあ?」
だったのに、どんどん理解が進んだ今なら
「ライオンズ・ゲートっていうか、レオ・ゲートだよね。世の中の人はみんな欲張りだ」
と斜に構えた見方までするようになりました。


そうして、十二宮の真髄とは?という答えに辿り着いた気がしますので、ここにメモしたいと思います。
当てるものではなく、沿って生きるものです。

よろしくどうぞ。



エンパスによる動物との会話


霊媒が出来るということは、誰かの心の声が何となく聞こえてくるという意味と同義です。
秘密の内容とかではなく、独り言みたいな念がフワッと頭の中に入ってくる的な。

妄想じゃねーのか?
と何度も調べ直した結果、どうやら妄想ではないことが判明しました。

しかしながら、言うだけならどうとでもなりますのでね…。


これを特に公にはせず、自宅で飼っている猫と対談して、その内容らをサンプルケースとして扱い思考を重ねてきました。

白猫と黒猫。
この2匹は性格がまるで逆です。
しかし、実は真魂の型が全く一緒なのです。
点質としての形質が一致すると、ものすごく仲良しに。
ということは一切なくてですね。
普通に仲が悪くて、喧嘩ばかりしています。

ここでのメリットは、動物・生物としての脳からなる思考パターン・行動パターン、認識の違いなどの比較をする際に、基準という意味では適している、という点のみです。

検体として接する際の環境に恵まれていたと言えます。

本心と脳からなる思考回路がまるで違うと、世界の何もかもが変わって見えてくる。

白猫ちゃんは
「シャー!」
と威嚇しますが、黒猫ちゃんはしません。

どうやら、猫の遺伝子の始祖はヘビとイヌとで分かれているらしいことが判明しました。
アカシック・レコードにも記載されております。
猫は、「シャー!」と言う子と言わない子に分かれるということ。
言う子の遺伝子の型はヘビに近く、言わない子はイヌに近いです。
同じイエネコでも、進化の過程が違ってくることを意味します。

そうして脳の形状を基としての行動パターンを調べると、動物は非常に自分の気持に素直で、己の感情をとても大事にすることが分かりました。
まあ、猫ですのでね。
お猫様は常に自由ですが、人間と比較すると本当に顕著です。


我慢をしない。
好きなものは好き。
嫌いなものは嫌いです。

感性が先に立つ、とここでは呼んでいます。
時折我慢強い子がいますが、その場合は他の事を考えて気が逸れているか、本当に我慢しているかのどちらかです。

本当に我慢している子は、相当知能が高い霊魂です。
中身、人間なのかな?という子ですね。


そこら辺の話になると「霊層」が関わってくるのですが、今回の記事ではそういったテーマは扱いません。

ここで重要なのは、脳パターンの在り方です。
十二宮は、脳パターンからなる生き方を参考にして生きると良いことありそうですね、というものになると思われます。



アストロ・フラクタル


Raimuさんが垂子でおろしたアストロロジーたん。
勝手にn次創作をした私は、アシタバ アスト というキャラクターを作りました。
彼女は西洋占星術の使い手という設定です。
ヌーソロジーの勉強が欠かせないとしているものの、恐らくイデア・サイコロジー方面が主となるでしょうね。


彼女の「西洋性戦術の初法術」とはなんぞや?という。
このお話はバトルありきのRPG風になるという想定でいますので、攻撃術です。

恐らく、高等術になるとスペクタルなどが出てくると思います。
角度計算をしつつ
「ディヴァイン・レーザー!」
とか言いながら敵を倒すかも。
神聖なる光の線?
それは星座を作るということ?

ということは、中級術はハウスを活用したものかも。
「ワン・ハウス!」
1ハウスは自己という意味になりますので、自己の室に閉じ込める系の精神攻撃ですかね。
対象の能力によって、効果が変わってくるかも。

初級術はなんだろう…。
十二宮の活用ですかね。
サインかな。
そこで、十二宮の性格診断が必要になってくるのやもしれません。

イデア・サイコロジーについては、本などを拝見させて頂いておりませんが。
流れてきた動画をみる限りでは人間の成長過程についての分析をする感じですので、十二宮の要素は補助となるでしょう。

これを見て、パッとしないな。。。と思う人は、自分の性格についてまるで分かっていないことが原因であると分析できます。
生き方の方向性について惑っている状態。
指標がないと、ボヤッとしたまま人生が終わってしまいます。
なんとなくの人生の在り方、自分の心の置き方などを調べるツールとして、星座占いは有効でしょうね。

というか、そういう考え方でないと私が納得できないです。

「うう。星座ごとの性格、超かわいー!!」
だけでは駄目なのです。
創作をして楽しむのは自由ですけどね。
生きているのは自分ですよ。
作ったキャラクターの性格を目指すくらいでないと、星座占いはオモチャで終わってしまう、と言いたい。


そこで、星座のシンボルとなっている動物の脳パターンを借ります。
山羊っぽく水瓶っぽく魚っぽく牡羊っぽく牡牛っぽく双子っぽく蟹っぽく獅子っぽく乙女っぽく天秤っぽく蠍っぽく射手っぽく。

生まれた月日により運命が定められているというのなら、きっとそうなのでしょう。
山羊座の人は山羊の宿命を背負い、蠍座の人は蠍座の宿命を背負う。


蠍座の宿命?(ಠಿ_ಠ)ハァン?
やなこった!
と私は思いますが、これは恐らくパワーストーンと同じで真逆の性質が架せられているせいだと思います。
つまり、苦手克服の為に試練として立ち塞がるものなのですね。
ここにご都合主義を持ってきてはいけない。

励ましに使うのは正しくない、ということです。
「あなたは人生において、秘密について考える必要があるの。その答えを得るまで足掻きなさい。蠍座がそれにふさわしい試練を下ろしてくれるわ」
みたいなね。


白羊宮 アリエス


羊の脳パターンは
「和をもって尊しとなす」
です。
羊は基本的に群れで行動しますが、それ故に群れから外れた行動を酷く嫌います。

black sheep white sheepという言葉がありますね。

白い羊の群れの中に黒い羊が一匹。
または、黒い羊の中に白い羊が一匹。

異端者の意味です。
その羊が周囲より頭一つ秀でた存在なのか、目に見えて劣った存在であるか、それは分かりません。

場に馴染めるかどうか、という試練ですね。
この人生試練は、表面上は普通にしていても実は粗野な扱いを受けている、という現状を察することが出来るかどうかとなります。
それを嗅ぎ取れないということは、試練に負けている証です。
自分の毛色が周囲と違うことに気付けていない。
同じ毛色の群れを探さないと、ずっと孤独が癒えぬまま。
相手に合わせる。
自分の気持を殺してでも。
それが大事です。


金牛宮 タウラス


牛の脳パターンは
「痛みを忘れて突き進む」
です。

牛は痛覚が極端に鈍い生き物です。
銃で撃たれても、耳を切られても角を切られても足をちょん切られても痛みを殆ど感じません。

心の在り方としては、バッファローの群れです。
集団で突進する。

初代では最高の攻撃力を誇ったケンタロス。
力の面で見ると、十二宮最強でしょう。
集団で突撃し、一気に仕事を片付けます。

一方で、ミルタンクの面もあります。
ミルク飲み。
他者を慮り、労る。
余計なことを考えるとコケます。

本能の赴くままに仕事に従事し、時に誰かを労る。
アニキ・姉御肌の人生。


双児宮 ジェミニ


双子座の神話。
双子の心。
一卵性なのに性格が違うとか、二卵性だから違いを笑われるとか。
先に生まれた方が下の子になるって?
なんだか不思議な関係性。

ミニ四駆の漫画。
爆走兄弟 レッツ&ゴー

星馬烈 星馬豪のような感じ。
豪がヤンチャをし、烈が諌める。

冷静に見える烈は実は熱い性格。
豪は無鉄砲で…なんかいいとこ取りしてないか??

ふたご座は、烈か豪になるかに分かれます。

優等生の烈。
主人公格の豪。

そんだけです。

コロコロなどに掲載される玩具をテーマにした作品は、基本的に商品の説明をストーリーに仕立て上げたものであるため、キャラクターや設定などはオマケです。
ミニ四駆もベイブレードもゾイドもビーダマンも…(以下略)、オモチャで遊んでナンボ。
しかし、そういうのに限ってキャラが良かったり設定が秀逸だったりします。

全てに通ずることですが、哲学を見出すか興味のある対象に没頭して智のピースを集めるか否かは個々によって変わって来ますので、ここに書いてあることは参考程度に、智のピースの一つとして扱うのが望ましいです。


巨蟹宮 キャンサー


カニは何を考えて生きているのでしょう。
あぶくぶくぶく。

ここで、宮沢賢治の「やまなし」をお借りします。
以下はあらすじの引用。

小さな谷川の底を写した2枚の青い幻燈(スライド)があった。
五月。2匹の蟹の兄弟が青白い水の底で話をしていた。それはクラムボンについての話である。上や横の方は青く暗く、鋼のように見える。つぶつぶと泡は流れていき、それを見た蟹の兄弟も5、6粒の泡を吐くのであった。蟹の頭上を、1匹の魚が銀色の腹をひるがえして通っていった。

「クラムボンは死んだよ。」
「クラムボンは殺されたよ。」
「クラムボンは死んでしまったよ………。」

 なおも蟹の兄弟たちの会話は続く。魚が行ったり来たりするたびに太陽が隠れ、辺りは暗くなったり明るくなったりを繰り返す。

 蟹の兄弟が魚を見ていると、突然鉄砲玉のようなものが飛び込んできて、魚をさらっていった。蟹の兄弟が恐怖でぶるぶると震えていると、お父さんの蟹が出てきた。お父さんの蟹は、蟹の兄弟に飛び込んできたのはかわせみであると教え、大丈夫だと慰めるが、幼い蟹の兄弟の恐怖は取れなかった。

 太陽の光の網はゆらゆらと伸びたり縮んだりし、カバの花びらの影が静かに砂を滑っていた。

 十二月。成長した蟹の兄弟は、月が明るく水がきれいなので眠りにつかず、外に出て互いが吐いた泡の大きさを比べていた。そこに、お父さんの蟹が出てきて、もう寝なさいと言ったが、弟の蟹は自分の泡の方が大きいと涙ながらに言い張り食い下がる。

 そのとき、トブンと何かが川の中に落ちてきた。かわせみだと蟹の兄弟が声を上げるが、お父さん蟹がよく見ると、それは「やまなし」だった。匂いにつられてやまなしを追いかける三匹。やがて、やまなしは木に引っかかって止まった。美味しそうだったが、お父さんの蟹は、やまなしの酒ができるまで待とうと兄弟を諭し、親子の蟹は三匹、自分らの穴に帰っていった。

 ゆらゆらと青白い焔をあげる波は、まるで金剛石の粉をはいているようだった。

 そして、幻燈はここで終了する。

 クラムボンとはなんぞや?
流れから察するに、伝説の蟹と思われます。
蟹の兄弟は、自分の吐く泡の大きさを競い合います。
弟蟹は、自らの泡が兄よりも優れている、と父蟹に泣きつく程です。

つまり、蟹の兄弟たちにとってクラムボンは話題に出すほどの存在だと伺い知れます。
crab bomb (かにばくだん)
爆弾級の大きさの泡吐き名人だった、という意味。

兄弟は、かわせみを恐れています。
取って食べられてしまうからですね。
クラムボンはかわせみに食べられてしまったのか?
それは分かりません。
ただ、兄弟たちがそう思っているだけかもしれません。
寿命で死んだのかもしれないし、喧嘩に負けたのかもしれない。

かわせみだと思った影は、実はやまなし。
梨ですね。
父蟹は、お酒になるくらいまで発酵してから食べようと言いますが、兄弟たちはすぐに食べたい様子。
父蟹は、やまなしを取りに行ったら本当にかわせみに見つかって食べられてしまうかもしれないから、今は川底に潜んでいよう、と遠回しに忠告をしているのかもしれません。

ゆらゆらと青白い焔をあげる波は、まるで金剛石の粉をはいているようだった。

いきなりここで、量子回転による物質界・金剛界の比喩が出てきます。

虚しい、と父蟹は思っているのですね。
物質の中に虚無を見て。

やまなしというタイトルは、流れてきた山梨と、宮沢賢治自身による「なんかとりとめのない話になっちまったな…」という自虐が込められています。
やまなし おちなし いみなし
やおいではないですよ。
物語の山場はどこに?と、迷いが現れているのです。

一回読んだだけでは意味が分からんでしょ?

宮沢賢治は、諸行無常の響あり、盛者必衰の理をあらはす。
色即是空空即是色
という想いを、なんとなく文章に書き出して言語化を試みたのだと思われます。

話の筋はこれだけです。

兄弟蟹のように、勇ましさだけを前面に出して生きるか、父蟹のように慎重に慎重を重ねて損に思える役回りで生きるか。

蟹の人生は、その辺りに分岐が発生するでしょう。


獅子宮 レオ


ライオンズ・ゲートについての話題を出しましたが、それはここでは無関係です。
しし座だから願い事が叶いやすくなる、なんてことはありません。

ネコ科ですが、大型の肉食獣の思考パターンをここに採用します。

ライオンや虎などは、休み休み活動します。
アフリカのライオンは、常に狩りのことを考えています。
飢えが日常に染み付いているため。
猫の食いしん坊っぷりと同じです。
暇さえあれば、食っちゃ寝して過ごしたい生き物なのです。
動物園のライオンは幸せです。
自由とか考えないです。
放り投げられる肉のことしか考えていません。

栄養事情が改善されると、今度はライオンはじゃれ合いについて考えます。
じゃれ合う時と、そうでない時の波があります。
攻撃性を出す時と休息を交互に繰り返して生きる。
そういう性質を持っています。

故に、しし座の人は限られた環境の中で如何に自分のペースで生きられるか、仮に自由が失われたとて息抜きの最適解の模索が可能かが求められます。

百獣の王にふさわしいというか…。
楽しみとそうでない時のメリハリの付け方。
人生の楽しみ方を探す人生です。


処女宮 バルゴ


乙女=処女なんですか?
これは現実的ではないので、心の聖域を意味するものとします。

自他境界線という言葉がありますね。
自分は自分、他者は他者。
その境目を考えよう、です。

他人のものは俺のもの、という感覚を無自覚で出してくる人がおりますね。
「あなたとあたしの仲じゃない。駄目? ケチね」
みたいなことを平気で言ってくる人。
こういう人は、マジで嫌われます。

人間の心には、踏み込んで良いものと絶対に入ってきてはいけない場所があるのです。
自分以外、もしくは自分すら立ち入れない神聖とするモノ・人・言葉・思想。
それらをひっくるめて「聖域」と呼んでいます。

それは、一概に何とは言えません。
あなたが大事にしているものは、他者にとってはどうでもいいかもしれないし、他者がゴミ同然に思っているものが、実はあなたにとって重要なものかもしれない。

相手のことを真に慮り、察し、聖域に踏み入らず、自己の聖域も守る。

それについて深く考える必要があるのが、乙女座です。

処女という言葉が出てくるからといって、えっちなことは考えないんですよ。
聖域を踏み荒らされたら、普通の人は反撃に出ます。
絶望し、人格形成に支障がでるやもしれません。

乙女なら、それくらい考えようよ、ということかな?


天秤宮 ライブラ


天秤と言えば、それっぽい記事を書きましたね。

この記事に書いた、意志のゆらぎを左右する天使と悪魔がてんびん座です。

正義感の塊と、利益についての受け止め方で、心の天秤はユラユラと揺れます。
どちらが天使になるか悪魔になるかは分かりません。

利益についての受け止め方は、足利さると藤原かっぱの天秤。
実際は、モビールのようになっているかもです。
(面倒なので画像は作りません)

モビールってこういうの

バランスを取る人生。
その努力。
そのまんまですが、それがライブラです。

ロマサガ2
宮廷魔術師 男

画像が小さい…。


天蝎宮 スコーピオン


サソリは毒を持った生き物として恐れられていますが、生物進化の視点で見ると生態毒を分泌可能な動物は総じて臆病な性格です。

つまり、さそりの本性は内気。

砂漠の地域では、靴を履く前に一旦ひっくり返してサソリが居ないか確認する、という習慣が身につきます。
いつの間にか、さそりが靴の中に入り込んでしまうため。

さそりは非常に臆病な生き物です。
狭くて暗いところに潜り込んで身を隠すことを好みます。
そして襲われても反撃する意気地がないので、代わりに毒のある尾を振りかざします。
生物界では、毛虫とサソリと蜘蛛とヘビと派手な色合いの生き物は毒を持っているという先入観があるため、サソリは基本的に襲われることはありません。
毛虫も派手なカエルも毒グモもサソリも、気性は大人しいのですが。
攻撃的なのはヘビです。

蠍座の人は、蠍のように嫌われがち故に引きこもる性格を乗り越えることが求められます。
時に開き直って、知らんわの精神で。
自己保身に走りやすい。

いいえ私は蠍座の女〜♪
なんて歌もありますが、あれは威嚇しているだけです。
本心ではビビっています。
まあ、一途っちゃ一途か?
人によりますが。
空気が読めないと詰みます。

それがスコーピオの宿命。


人馬宮 サジタリウス


ケンタウロスの気持ちなんて知りませんが、ギリシャ神話では賢者扱いされていますね。
ケンタウロスのケイローンに教えを乞う、なんてよく聞くパターンです。

つまり、知識で戦うことを求められる人生です。
と言っても、雑学王から高学歴から色々ありますね。

知識は、最終的に使い方がモノを言います。
出すタイミングが大事。

何を知っているか。
何をどうに当てはめるか。
真偽の見極め。

それらすべてをひっくるめての「智」です。
主に魔境の脱し方ですね。

これはかなり分岐が分かれる上に、イチから書き出すと大変なことになるので
「射手座には思慮深さが求められるのよ。考えすぎても駄目だし、短絡的なのも駄目。ある意味、最も自分が出る星座と言えるわね」
ってところでしょうなあ。

いて座の人でアホなら、その人の本性は高確率でアホということです。


磨羯宮 カプリコーン


山羊は、羊の始祖です。
山羊を品種改良したものが羊です。
(人間が操作したのではなく、イレギュラー種へ突然変異した)
羊の群れのリーダーとも言える。
猪と豚の関係性みたいな感じ。

先に書いたアリエスの、毛色の違う固体を意味します。
悪目立ちするか、超☆超リーダーシップを発揮するかのどちらか。
寡黙な山羊座、とよく言いますが、あまり言葉数を増やすと泥沼化する可能性があるとして、敢えて言動を控えているだけです。
ピーチクパーチク、余計なことを言うとそれだけ敵を増やすことになりかねない。
リーダー格の人間はそれを知っているのです。

カリスマ性、もしくは孤立した時のことを考える必要がある星座です。

上手く振る舞えれば、幸福度はピカイチです。


宝瓶宮 アクエリアス


水瓶座は、冷静になる必要がある星座。
冷水を浴びせられるような状況に陥った時、どのように振る舞えるかで明暗が分かれます。

普通は、頭から冷水を浴びせられたらショックを受けます。
そこで逆上するか、一旦落ち着いて・文字通り頭を冷やして状況を立て直せるか。

バカと天才の両極端と言いますが、まさにその通り。


双魚宮 ピシーズ


魚は何を考えて生きているのか?
なんにも。
ただ呑気に泳いでいるだけ。
水の中を進むことが気持ちいい。
それだけです。

釣り上げられても何も思いません。
ただ、呼吸苦により暴れているだけです。
食べられても何も感じません。
「そうですか」
それだけです。

ただそこにあるだけ。
それが、正しさの意味としての象徴です。

超マイペースな性格ですが、その中で流されることなく正義感を働かせることが求められます。
周囲に合わせて、魚群となって泳ぐのは気持ちが良いみたいですよ。
ものすごい連帯感。

その中で、「ぼくが目になろう」と言い出す勇気が求められることもあります。

レオ・レオニ スイミー

この話の肝は、団結もマジョリティのスイミーの活躍もそうですが、流されるようで流されることなく、集団の中でも自分を持ちつつ騎士道精神を忘れない心にあります。

うお座の人は、天然ふわふわマイペース、とよく言いますね。
周囲に何となく馴染みつつ、それでいて自分を貫く。

そんな人生の宿命を持ちます。

ちな、水瓶座のツボの中に魚がいるかどうかは非常に重要で、それにより水瓶座が輝けるかどうかが決まります。
水清ければ、魚住まず。
金魚の糞が浮いているくらいで良いってことでしょうか。
汚いなあ。

ピシーズの時代のあとにアクエリアス・エイジとなる、とスピリチュアル業界では囁かれていますが、この二つは切っても切れない関係にある、と。
2月と3月はセットみたいです。



魔法なんてない


アシタバ アストちゃんはサインの攻撃魔法を使うことになるのでしょうか。
どうなんでしょうかね。
雰囲気的に補助っぽいですよね。

星占いは、知識そのものは面白いですが、実際に魔法力なるものが備わっている訳ではありません。

星座占いが未来予知的な意味合いで当たったからと言って、それが何?と思います。
私の中で、アストロジーは忘れやすいコンテンツであるという理由からそう思うのかもしれません。

血液型と同じで、自己紹介となり得るネタの一つとなるので、それで特別視をしてしまうのかな、と。

自分の守護星座モチーフのグッズなどを見かけたら、何となく見てしまうしデザインが良かったら購入するかもしれない。
属性シンボルを所持することは、それだけで娯楽の心が発生します。
何となく自己形成の材料になる気がして。
その補助ツール的な。

先入観を生み出すきっかけにもなりますものね。


人間という生き物は、自己の持つ認識フィルターをかけて世の中を見るのを好みます。
それは「馴れ」を求める心からなるもの。

知らねえ顔とは関わりたくない。
一見様お断りの看板が深層心理に根付いているのですね。

これも、自己保身の一つです。


その心理そのものは健全ですが、そこに願望をくっつけるのは望ましくないです。
「私は星座占いを良く知っている。だからあなたのことも手に取るように分かるのよ」
的な。


占い師によくいます、こういう人。
占いを覚えれば、魔法に近い力を得られると勘違いしてしまうのです。

そういう人は、当てっ子ゲームをしたいのです。
自分の言葉がピタリと言い当てられることが、この上なく快感なのですね。
それは、自分が占いをして貰って「当たってる…!」となった喜びからくる心です。
神様みたいに思ってしまうらしいんですわ。


自分の正体を知りたいとか、私が私であるコンテンツをもっと身につけたいとか、自分の価値や地位を高めたいとかいう願望からくるものですね。

スピにハマる人は、総じて無自覚からくる出世欲が絡んできています。
アセンション、次元上昇という言葉から、人よりも秀でているとか神に近づくとか、そういった方向に思考を連ねてしまう時点でそうです。


そうでなくて、もうちょっと具体的に調べてみん…?
と私は思いますが、階段を昇るのと同じ視点で考えてしまうんですね。
段を昇ったからって、何が偉いことになるの?という意見は無視。

階段を昇ることの善悪はそこにはなく、「えらいえらくない」の念が発生することが良くないと言っているのです。
隙あらば、称賛を求めることばかり考えている。
自他問わず褒められないと死ぬ病気に罹患しています。

次元上昇を夢見る人は、好戦的な性格が滲み出ていますね。
勝ちたい慾がとんでもない。
例えそれがヒトに備わった本質だとしてもね。
理性と自覚が足りんね。


星座占いについてでした。
生き方の宿命としての視点を持つなら、私はこれもアリだなあと思います。

しかし、実際に占いの時に上記のようなことをお客様に話すと恐らく客がつかなくなると思いますので、鑑定結果を出す時はオブラートに包んで更に砂糖をまぶすくらいでないといけませんね。
ぶっとばされますわ。

どうして金払ってまで説教されねばならんの?と。

現在、私は本腰を入れて活動をしていないので、辛口なことを平然と書きます。
しかし、占いで生計を立てようとなったら、めっちゃフワッフワに書くでしょう。

占いの本質と建前は別。
結局はサービス業なのですね。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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