⭕日々の泡沫[うつろう日乗]7−2


伝承では夢の方が門を通ってやって来るのに対し、ここでネルヴァルが描いているのは、自ら慄きつつ門をくぐる、いわば冒険者としての夢見る者の姿~(野崎歓) 

⭕第1章◉山の上の舞踏団 [その弐]
    ————五太子町、白山神社。山の上の舞踏団の空中浮遊の話。

ひととき、風が凪ぎ、粉雪はゆらゆらと空中に浮遊していた。
鉛色に重い空に高層ビルが昏いシルエットを際だたせた。騒乱が起きた新宿西口のあたり。高速バスのターミナル。状況劇場のテントがいち早く高層ビルを借景にした。55広場でギリヤーク尼崎が5千人を集め白鳥の湖を踊った。街頭にその匂いはない。
あの日と同じ12月12日、その朝に着くようにKは夜行バスに乗り込み、車窓から雪の降りそうな雲を見上げながら出立を待っていた。山の上の舞踏団が小説に書かれると聞き、心に騒乱が起きた。ボイスのビデオブックが水戸芸の展覧会になり、寺山修司が小説に書かれると…もうそれは自分がリアルに体験した[それ]とは異なるもの…少しだけでなくまったく変異、変質してしまう…になって、目の前に出没し、触れるのさえ嫌になる。…歴史は現在時の物語をもって書き換えが何度も行われるものなのだから…体験したことは他者の記述のなかである種の現実として固定される…そうしてKにとってのリアルな幻想は居場所を失っていく。
三人のお父さんと常々言っているあと一人は土方巽。しかしながら、山の上の舞踏団は土方巽の舞踏団ではない。系譜にはある。室伏鴻は、もっとも土方巽を凌駕しようとする欲望をもって立とうとした。だからこそ山に舞踏団を置こうとしたのだ。
山の上の舞踏団のこと、まして空中浮遊の話などをすることは、もう二度となくなるだろう。記憶から取り出そうとは思わなくなるだろう。話すことによって劣化コピーが始まる。…とにかく行って——。遭難しかかった山の頂に——その頂に立って思うことだ——。記憶の中に今を刻み、それによって記憶を封印することだ。
でないと…記憶装置の消去モードをクリックすることになる。そうやって次々に棄ててきたから結局のところ、今の鬱があるんだろ…Kは思う。あの時に存在したはずのものを、意識の中で検討せずにそのままに放置した…文字にしなかった。できなかった。現実を…Kが現実と思っていたことを、妄想でなく幻想でなく現実として存在したことを感覚として確かめたい。


Kはずっと門の前で待っていた。カフカの『掟』の前のKのように…幸いなことにいくつかの門があいて見ることはできた。ネルヴァルにほど遠く…生きてきて…文章を書いてこなくて、今更。門を潜れるとは思えないが、潜って見るということもあるのだと知る。だから山で閂を抜いてみようと…。山の上の舞踏団の室伏鴻は、もうすっかり山の人ではなくなって、都市にエッジを立てるダンサーとして世界を廻っている。燻銀のボディスタンプを劇場の床に刻印しながら——。室伏もまた何かを失い、あるいは切り捨てて、ぎりぎりの喫水線で立ち/倒れているのだろう。[伐倒]はそのように形を変えているのだろう。
山に向うのは…深瀬昌久の鉛色の雲を見に、森山大道のざらついたモノクロームの獣に会いに、夜行で[遠野]に向うロマンティークとは違い…若い頃は…そうして夜汽車にのった——のとは異なり苛つく澱を抱えている。だから夜行バス。この旅は…また引き戻される、あの頃はと…あの頃は北の風景が生きていた。誰もが見たこともない東北に既視感があった。土方巽の東北も…風も。それは土方巽が記述した東北なのだ。(今だからそう思える…)土方の踊り描いた東北は、ほんとうの東北の風すれすれに立っていた。あやうく、そしていかがわしく。だからこそ闇から放たれる美しい光だったのだ。それでも、なにゆえに今、Kはあの山に向うのかと自らに問う。舞踏団があったという山の頂、その部落へ。五太子町へ。
高速に入るとすぐに雪が横殴りに降り出した。酔わないように選んだ最後尾で…最後尾のほうが酔うんだっけ…窓のカーテンを少しだけ開けて風景を見ていた。客はまばらに——吹きつけられた雪が窓の視野を狭くししだいに何も見えなくなった。そして風が強く流れだした。止まっているものがすべて動き出し、雪が風を孕んで窓に風花を押絵した。

[小松]に着くのは朝の6時25分。12月12日の…はずだったが、雪で遅れに遅れたバスがターミナルにたどりついたのはもう正午近かった。北陸本線に乗りかえ武生に向う。武生の駅はあの頃とそれほど変わらず…懐かしさを深呼吸ともに…懐かしんだら目的地までいかれない。線路に沿って歩き始めたゴドーまで。ゴドーは以前の場所にはなく新しい場所にブックカフェゴドーとして再生中だった。煉瓦の入り口を移設したので印象は変わらない。工事中。…今日は休みらしい…駅のタクシー乗り場まで引き返し、ひとの良さそうな運転手をさがして交渉した。
五太子町まで行ってもらえる?
雪が酷いからなぁ。通常なら1時間。日本海に出て海岸線を走って、そんから山へ登る。こっち側からは上がれないんだよ。その分だけ遠回りだけどね。でも雪がなぁ…
行けるところまで…駄目ならまたここまで連れかえってもらえるかな。
そりゃ構わんが。一万円ほど前払いしてもらえるかな。
いいですよ。
車は酔うので余り得意ではない。そうそう体調も良くないまま…タクシーに乗り続けて…なので親切にいろいろ言ってくれるドライバーの話を流しているうちに…車内はジャクジャクいうチェーンの音だけになり、そのうち新雪なのか音もしなくなって…うとうと始めた頃に。視界がばんと開け日本海に出た。車ごと吸い込まれるような…風はさらに強く、雪を舞い上げ車も飛ぶんじゃないかと思うほどだ。風花が日本海の荒海に舞っている。ほどなくタクシーは山に向う道に入り走り始める——10分も走ると反り返って走っているというくらいの急勾配——ジャリジャリいいながら上がっていく。タクシーのフロント硝子からは道しか見えない。頂上などまったく感じられない周囲を木で覆われて閉塞感がどんどん増していく。先は行き止まり? 道に迷った? そして、ここは道なんだろうか…タクシーが後ろに引かれるような急勾配をにいることだけが分かる…。15分も登ると車がからまわっているようなトラクションが座席に伝わってきた。
ここまでなんだろうか…我慢していた吐き気が酷くなってきた。
吐くんなら外でやってくださいよ。と、ドライバーが声をかける。戻りますか?
戻る気まんまんだな…。とめてもらっていいですか。ちょっと外へ。どの当たりまで来たのか確かめたい。
ドアを開けて、吹雪の中へ出た。
とつぜんバラバラと白い人蔭。懐中電灯のあてられて目が眩んだ。目の奥が昏くなり、逆光の向こうに黒いシルエットが行き来している。
お前たちは誰だ?
お前たちとか言わないほうがいいぞ。後悔する。
何を?しているんだこんな山の中で。
それはこちらが言うことだ。ここで何をしている。
落ち着いた振りをしないといけない。自分に言い聞かせた。
「山の上の舞踏団がこの当たりにあると聞いてきた。」
そうでも言わないと大変なことになりそうだ。理由をきちんと言おう。嘘でもいいから。嘘じゃないけど…自分に言い聞かせた。「室伏鴻がここにいただろう。」
お前、TVのレポーターか。お笑いの江頭か2.5か。それとも調査を依頼されたものか?
いや踊りの演出家だ。前に室伏鴻が[伐倒]を教えてくれると言われて…伝授されにきた…その時の約束を果たしにきたんだ。
みなが静まった。そして、間が合って、誰かが言った。「バットウ術を習いたいんだとよ…」「バットウ術を?」白装束の男が装束の中で笑ったのが分かった。
バットウじゅつ?術ではないが…。声には出さないように…口のなかで踠いた。
きゅるきゅる、雪をタイヤが軋ませる音がして、タクシーが慌てて向きを変えて逃げだした、その後ろ姿が見えた。
取り残された——。
男たち(たぶん)の背後の樹に…ことごとく白い布が捲かれているのにはじめて気がついた。布には渦巻きが描かれている。○○の本部が近いのか…。気づかれないようにと、そっとあたりを見まわしていると、また顔に懐中電灯をあてられた。
何を見ている。
背後から左右ともに腕を抱えられた。体を捻じって振り向くと渦巻きが描いてある白い雪上車が増えていた。取り囲まれていた。車からさらにばらばらと白装束の人間が出てきた。ずいぶんの数だな…ここから先は通行止めだぞ。どこへ行くつもりだったのか? と、最も背の高い装束が言う。
山の上の舞踏団。暗黒舞踏の…と、Kは答えた。
そんなものはない。きっぱりと首領格の白い装束が答える。額の位置に渦巻きの模様がある。
かつて…ここに…あったはず。あそこは?木立の中の白い建物を指さした。
指をさすな。あの白い建物は、教団の建物だ。昔からな。舞踏団はない。
教団?なのか?宗教なのか?
…。
おまえ今、「かつて」と言ったな。無いのを知って来たんだな。
左右から腕を固められて、引き面れるように道を登っていく。雪で獣道なのか、それすら分からない。山頂に近いのだろうか、しだいに木立の上空が少し明るくなってきたように思えた。
ちょっとした広場が見えてきた。新雪のなか石塔の頭がぽつりぽつり覗いていて、その上にも禿(かむろ)のように雪が積もっている。神社の跡だ。確かここには白山神社があったはず。
神社は?
今は、ない。
やはり白山神社か。室伏鴻はおそらく山岳信仰の白山神社も視野に入れて五太子町に稽古場をおいたはず。白山信仰…山伏だものな。木乃伊だものな…室伏の踊りは。
神社を壊したのか?
そんなことはしない。勝手に崩壊したんだ。
何十年も前のことだ。
知っているだろう山の上の舞踏団のことを。

ここは稽古場だ。神聖な。
神社を踏みつけて踊るのか?
白山神社は…山一つ向こうに移築した。
嘘をつけ。
嘘じゃない。

石柱跡を目印に方形の舞台が…雪を少しだけ踏み固めてある稽古場に…建物の方から8人の白装束がゆっくりと出てきた。袖から舞台に歩いてくる雰囲気をもっている。儀式というより劇場。ゆっくりと歩いてきて方形の雪場の廻りを囲んだ。何かを見せてくれるようだ。
真ん中に白い男が進み出た、服を脱ぎ去った。手を大きく拡げた。駱駝艦?いや迫力と形が駱駝ほどない。似てるけど、とっても似てるけど、違う…うまく言葉にできない。
「はっ」と声でなく息で合図をする。と、方形の円芯に歩いてきた8人の男がバサーンともんどりうって逆に倒れた。全体が奇麗な花びら型に開いている。倒れて身動きしない。静寂がさらに凍った。男たちの上に雪が積もっていく。きれいだな…けっこう…けっこうの方は聞こえないように思わず呟く。(偽感があるのと奇麗なのとは共存するものだ)これは…。
これがバットウ術だ。これを習いに来たんだろ。どうだ見事だろう。どうしても教えて欲しいなら入団しろ。白装束の下で男は得意げだった。(たぶん)入団したら教えてやるぞ。まぁ入団にも許可がいるがな…教祖様のな。
頷いて見た。
着いててこい。
また左右の腕を固められて、白山神社跡のその奥に引きずられていった。
離せよ。身体触られるの嫌いなんだ。
ぐるぐると廻る道を…わざと迷路にしている?のかもしれない。ソルトレイクのアースワークを思ったが、そんな良いもんじゃないと言い聞かせた。次第に好奇心がシンパシーになりそうで…ちょっとそうじゃないと言い聞かせた。取材をすると気持ちが寄り添う。だからこそ話をしてくれる。そうした仕事を長いことしてきた…。
最後のカーブを廻ると山の懐を斜めに遮断して道が作られていた…ころがるようにそこを降ると…そこは河原だった。山頂から下まで降りたのか?いやそんな距離はなかった。川は山に囲まれている。山頂近くのエアスポット…
教祖様にバットウ術を伝授して良いかどうか、面通しをしないとな。
教祖はどこだ?
あのつり橋の向こうの神社の中だ。
見上げるとかなり高いところにつり橋が見えた。床の部分がだいぶ素通しになっている。
えっ?つり橋を渡るのか?
そうだ。俺は下を船で行から、この男たちにつり橋まで連れていってもらえ。つり橋を渡ったところで待っている。
舟で連れていってくれよ。
バランスの悪い奴に舟に乗ってもらっては困る。この雪の中水にでも落ちたらお互い命もう危ない。
何言ってんだよ。
また傾斜面を引きずられてつり橋まで連れて行かれた。
床板が腐っているじゃないか…。だいたい高所恐怖症だから…行きたくない。
白装束の男たちを廻りで腕を組んでみている。逃げるのも勝手にしろと言わんがばかりだが、どうやってこの雪の中、ここから下界に…ここは利賀村のような、落人の隠れ里?なのか。
使ってないなしばらく。板が腐っているじゃないか。再び繰り返した。
いやそんなことはない。俺たちが毎日わたっている。
二三歩、踏み出してみて…
つり橋の奥、そこだけが少し明るい。Kはそんなことに気がついた。と、同時に目の隅に手すりに巻き付いてこちらを見ている白い蛇が…入ってきた…オッドアイ…神の白蛇。ここは『掟』の門か?Kは入れないだよな。Kじゃなかったっけ?
ただちに銭洗弁天の白い蛇を思い出す。北鎌倉の実家の裏山を抜けると、銭洗弁天まで山伝いに行かれる。ちなみに円覚寺も建長寺も山で繋がっている。山道がある。子供の頃、日々、走破して遊んでいた。銭洗弁天は、源氏山まで山道を行ったらすぐだ。大晦日から元旦に向けていつもその山道を歩いた。午前参時頃になると人が少しだけ切れてゆったりとする。入り口は掘った手の跡の残る狭いトンネル。上には櫓があり切り通しの中間点にある。切り通しを下れば鎌倉に入る。銭洗い弁天には山の湧き水を溜めた池があって、巳の日巳の日に祭りがあり、ゆで卵を供えたりする。蛇を祭っている。蛇をみたことはないが池をみるのは好きだ。参るのはここ。池に白い蔭が走った。水の上を。蛇かな…蛇だな。意識の像だったかもしれない。
祈って茶店で甘酒を飲んでいると、店の女将…女将というような雰囲気でもないが…が、突然、目の前に立って、「ありがたや神のご来光。久しぶりに拝ませたもらった」
? 何?
白蛇の化身…
いや、髪の毛を白く染めてるだけでしょ。幼稚園児の頃から毎年、この時期には来てるでしょ。
正月でなくても…。それでなくても…。
それでも拝まれ続け…黙って受取ることにした。それを…むしろ蛇からの贈り物。巳の年、1989年の正月。銀髪に染めていたとはいえ…それにしても。あの人もKが蛇年生まれとは知るよしもなく…
吹雪が止まった。音が吸われていくほどの静寂が風景の白さを凍てつかせる。つり橋の上の…山の端が割れて光りがさした。瞬く間にまた雲がさしかかる。それでも渡れると、思った。渡らなくてはとも思った。落ちたらそれは蛇の意志。これまでということだ。ロープを手にしながら、腐れた板に気をつけて渡りはじめた。蛇の横を通る、何か反応あるかと…しかしながらオッドアイの白蛇は、こちを見向きもしなかった。目を合わせないほうがよい。言い聞かせ、自分も振り向きもしなかった。通過しおわる、と、背後からすっと何かが…清涼が…身体に入った。落ちても大丈夫。いや大丈夫ではないだろう、落ちず…どうにか。
渡り終わると舟で先に川を横切った白装束が待っていた。
良く渡れたな。と、マスクの下でにやりと笑った。白のシルエットが少し柔和になった。
受け入れてもらったな…。入団試験か…こっちもあとは穏やかに…
羽交い締めもなく、足跡のついていない新雪を踏んで、白装束の後をしばし進むと…白い神社に着いた。
白なのか…。塗ってある?白い木を集めたのか…。
こちらへ。
案内された神社の殿は、意外にも暖房が利いていて、奥の御簾のうちからか…香が…漂っていた。
女性?なのか。なんとなく思った。男でも香はたくだろうと思いながら。
バットウ術を伝授してくれと言ってきかないもので。白装束が御簾の中にはなしかけた。
橋を渡ったのか。
渡ってきました。

習いたいのか?
Kはここが肝要と、少しだけ語気を低くしっかりと言わねばと…『背火』の痕跡を身に浴びに来ました。思っている内容と少し違う言葉が発せられ、少し驚いた。正直にしかしながら思っても見ない言葉がでた。でもそうなんだろうな。あの時見れなかった何かを見る、痕跡を求めているんだろうな。でも未練なこと…よ。分からないもの、見れないものはそのままにしておけばいいのだ。
『背火』?知らない。
でも伐倒は背火のものです。他の暗黒舞踏ではやりません。室伏鴻だけのものです。ここにあるということは…。
誰かが教祖に耳打ちをした。
教祖…新興宗教なのか?
教祖ではない。新興宗教ではない舞踏団だ。
心が読めるのか?声を出してしまったのか?『背火』の系列?ですか。
御簾の裡は、質問に答えず「ここでの集団目的は山の人の奥義に至ること。シャン人、山窩…意味は知っているだろう。『夜想』を組んでいるなら。夢野久作の号は良くできていた。あの中に山窩がでてくる。しかし良く出版できたな。五木寛之の『戒厳令の夜』は揉めたのにな。」
何で知っている。
ご存じかもしれませんが、映画の『戒厳令の夜』のロペスの絵は竹中英太郎の描きおろしの油絵です。その頃、竹中英太郎が存命を知って、息子の竹中労に取材をしたところ、竹中英太郎伝をかいてくれました。なおかつ出版に関して守ってくれました。山窩の関係でももめたらた、俺の名をだせ。大丈夫だと。おれが下北沢まで交渉にいくと。
そうか。それは良かった。私たちはもちろん山の人に直接関係はない。ただ精神を嗣ぐものだ。そして私たちは新興宗教ではない。舞踏団だ。山で踊りを踏むものだ。
だったら室伏の『背火』と流れが一緒だ。しかも五太子町。
いや、『背火』は知らない。『背火』というのは、『戒厳令の夜』の山窩のまとめ役[鹿火]からとったものなのか。
それこそ知らないです。土方巽の命名だと聞いていますが、腕に布を捲いて火を放って踊るダンサーですから…自分でつけたのかもしれません。言葉にセンスのある人ですから。室伏鴻は。大駱駝館の新聞も作っていたかと…。
話を遮って、御簾の声は。
「舞踏の最終目標は空中浮遊。それ以外にない。バランスは深ぶかと地に刺さって制止する槍のように。あるいはあくまでも重力を無視して、持続していつまでも空中に在り続けること。跳躍は跳躍ではなく、踊り手は地上から切り離された世界に棲む別種の珍奇な生き物であると思えるように。」
何かを読んでいるような調子…。しかしながら、Kは突然に熱きりたった。自分でも良く分からない感情の反応だった。自分がしてきた仕事が…そうじゃないようなことになっていると…立ち上がって御簾を指さしながら、「馬鹿言うなそんなに言うなら見せてみろ。空中浮遊をやって見せろ。」
勅使川原三郎や土方巽や田中泯や笠井叡や泉勝志、折田克子、石井みどりにかかわってきたが
演出席にもそれぞれ一二度坐らせてもらったが、空中に在り続ける浮遊をしたものはいない。
唯一、浮遊するといえば笠井叡。床から浮くように浮遊する。それは見た。宙を飛ぶことがあっても浮遊するのは天才ダンサーといえども笠井叡の天使館においてのみ。それも床から浮くのだ。空中じゃない。誰かできるなら見せてみろ。中沢新一が先生とよんだ新興宗教の教祖も、ヨガのポーズの上での、ジャンプし続ける果ての浮遊だ。それは自分は見ていない。やってみろ。浮遊してみろ。何を言っているのか分からなくなった。
そして不思議なことに白装束たちは誰も止めなかった。

私以外は修業中だ。空中浮遊は弟子たちはまだ達成されていない。できるのは私だけだ。それにしてもお前。有名人を出せばひるむと思ったのか。見かけによらず、スノッブで、他人の威を借りるしょうもない奴だな。少しがっかりしたぞ。『夜想』の編集長ともあろうものが、自分の言葉で勝負しろ。他人の生で生きるのは、もう否定しようと、その答えを求めて来たんじゃないのか。

突然、Kはうなだれた。図星とまではいかないが、…いや図星だ。
俺が。確かに。自分は踊りてでもないので、そして作家でもないので言葉は、具体的な言葉は使え
ない。いつもそこにいて、生成する瞬間を見つめてきただけだから。

言葉に詰まったKをみて、場が静まりかえった。
で、あなたは? 浮くのか。宙に。ならば見たい。どうしても。
静かな声で請うた。見たい。浮くなら…。
病気療養中。話はここまでだな。お引き取り願って下さい。
浮かなくてもいい。踊りを見れないか。稽古でも良い。
残念だな。またにしてくれ。男のような言葉からは、何か魅力があった。
踊ったら、浮遊しないまでも稀なる踊りをするのではないか…。Kは思った。石井みどりのリハーサル、当代藤間勘祖の勘十郎時代の素踊り…梅幸・菊五郎、丑之助三代の[道成寺]ゲネプロ…稽古場でしか見られない神技がある。もしかして…見れるのでは。
踊って…
言葉最後まで言う前に、背後から羽交いに抑えられ、神社から引きずり出された。
それでも男たちは最低限の拘束しかしなかった。教祖に言い含められているのか、それは分からない。
今日はここで休んでください。小部屋に案内された。窓が一つ。雪で埋もれていて外は見えない。だいぶ昏くなっていて部屋には蝋燭の灯火と寝袋が置かれていた。修業部屋ですから一通り揃っています。外から鍵をかけますが、明日、麓まで必ず送ります。

教祖さまに気にいられたようですね。間があって声が響いた。大きな建物の中のようだ。

生きて還れるのは我々にも不思議です。あとで食べるものを持ってきます。たいしたものはありませんが…。
蝋燭を吹き消すと…漆黒の闇と冷気に包まれた…闇は…天井桟敷の完全暗転クラス。空間感覚が無くなり、向いている方角が分からなくなる。上下の感覚はそのままにある。しかし時間が経つと床が揺れてくる。暫くすると目が慣れて窓から雪明かりを感じるようになった。完全暗転ではないのだな…それでもかなりの闇であることに違いはない。この闇は、この漆黒の闇が…落ちどころのなのか…。
また独りになった…まだ夜は深い。


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