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守りたいもの、すがらずに生きていけるもの

31歳。

守りたいものが、年々増えていく。
すがらずに生きていけるものが、年々増えていく。


守りたいもの。

好きな人たちと囲む美味しいご飯やお酒の会。
ご飯を作りながらキッチンで飲むビールの時間。
祖母の家の前のメタセコイアの並木道。
生まれ育った実家。
愛のある人との仕事。愛を持って仕事をすること。
大切にしてくれる人たちからもらう言葉の数々の記憶。
いつも私の帰りを健気に待ち続け、精一杯の「待ってたよ」で迎えてくれる愛犬。
大好きな隣町の喫茶店の、例えばイソギンチャク型のランプシェード、レトロな花柄のソファ席。


すがらずに生きていけるようになったもの。

10cmを超えるハイヒール。
デパートの化粧品。
人気店や新年のセールなどに何時間も並んで満たす物欲。
いつでも何人もいた「好きな芸能人」。
ちょっとしんどい時にでも参加していた飲み会。
あれこれ誰かにどこかで言われているかもしれないという強迫観念。
大学や社会に出て失敗した数々の経験・記憶。

守りたいもの、すがらずに生きていけるもの、両方増えていけば、嬉しい。
両方増えれば、私の人生は足取りどんどん軽くなり、あたたかな生き方ができていく。

歳をとればとるほど、「譲れないものが増えて頭が固くなる」とか、何だか嫌なように言われたりもするし、人生の先輩たちもよく同じことを言う。私も実感としてそう思ったこともある。でも、楽しいことだってたくさんある。歳をとることが、何もややこしいことばかりじゃない。

嫌なことに目をつぶるわけではなく、楽しく生きられるように、大切なことに目を向けていきたい最近の日々である。


〜(本文より長い)あとがき〜

これをふと思ったのは、先日の地震がきっかけ。東日本大震災やコロナウイルス、年明け早々に発生した能登の地震、そして、被害はなかったものの久しぶりにヒヤッとした、愛媛・高知を襲ったつい先日の地震。生きている年数を重ねれば重ねるほど、愛おしい人生、愛おしい人たちが増えていくけれど、それと同時に悲しく辛い経験も増えていく。落ち込んだり悲観的になっているわけではなく、なんだかふと、自分の周りの暮らしについて考えることが増えた。

地震の翌日、隣町の喫茶店を訪れた。移住してからずっと大好きな場所で、役場で勤めていた頃も、土日勤務の代休が取れた時にはその喫茶店を訪れらたり、その度に、翌日からまた始まる仕事に「また頑張ろう」と思いながら束の間の時間・空間を楽しませてもらっていた。久しぶりに訪れることができた店内で、ふと、好きな席に腰を下ろし、顔を上げた時、「あぁ、地震で壊れるのは、人の暮らしだけじゃないんだな」と感じた。

好きだったお店も、好きだった風景も、壊れる可能性がある。「災害は日常を奪っていく」と言うけれども、当たり前にその「日常」という言葉の中には、店や仕事など、家の中の暮らし以外のさまざまなことが含まれている。大地震や大津波が襲ったとして、その後に復興でもしもまた店の営業が再開されたとしても。この可愛いイソギンチャク型のランプシェードも、時代を感じさせるレトロな花柄のソファも、最高の音楽も、私が大好きだと思っているこの店を作るありとあらゆるものは帰って来ないのかもしれない。そう感じた。守りたいものというほど、私はこのお店に対して何の力も持っていない、ただの一人の客でしかないけれど、でも、私が今、これから先も守っていきたい(もしくは残していきたい)もののうちに、恐れ多いながらも入るなと感じた。私が守りたいものは、何だろうか。


その反対に、すがらずに生きていけるようになったものも増えたなと感じるこの頃。昔は「これは絶対」と思いながらこだわってきた部分があったし、家族に「何それ」と言われてもやめないくらい意地になっていることもあったけれど、その「絶対」は、自分を飾るものばかりだったと思う。今となっては、私の中の優先度では最下位に、もしかしたらランクにも入らないくらいちっぽけなことだ。

でも、間違えたくないのは、「すがらずに生きていけるようになった=不必要だった、要らないものだった」ということではない。捨てていくということでもなく、すがらなくなったものたちが私の人生に要らないものだったということではない。今、31歳になった私にはたしかに無くても良いものだけれど、31歳になるまでの私を作り上げてきた大切なものだったなと思う。自分が周りにどう見えるかが大切だった十代の頃、背の低い私にハイヒールは大切だった。少しでも大人になれるような気がしたデパートの化粧品が、あの頃の私には必要だった。

そうやって生きてきたからこそ、あの頃大切だったものに触れて生きてきたからこそ、今はそれにすがらずに生きていけると思う。今の私の中に詰まっているから、「もう手放しても大丈夫」、そう思えるようになった。

31歳、今、「守りたい」と思うものを大切にしていきたい。あの頃すがっていたものたちを私の身体にしまっておきながら身軽に、でもそれらも大切にしながら、生きていきたい。


最近めっぽう世の中で起きるありとあらゆる「災害」に弱くなった。地震が起きる度、気分がズドンと落ちていく。コロナ禍の数年間は、私の性格を大きく変えた。守りたいと思うものを大切にして生きていても、もしかしたら一瞬で、そしてコロナ禍のように時間をかけて、失ってしまうかもしれない。それでも、今、大切なものを大切にして生きていたら、どうにか乗り越えられるかもしれない。そんな風に思うから、今日も地震、津波、ムカデに、しっかり怯えながら、一生懸命生きている。

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