台本公開「葉桜と魔笛」

※下記掲載の脚本をご使用になりたい方は、ご一報くださると幸いです。

『葉桜と魔笛』 

原作 太宰治
脚色 山本陽将

(人物)
美登利(語り手)      
歌子      
M・T      

(本文)

歌 子「M・T様。春の陽気が待ち遠しいこの頃、いかがお過ごしですか? うちの庭には、早くも梅の花が咲きました。毎年、春になれば庭一面に桜が咲き誇ります。あと二か月もすれば、私はここから飛び出して、花びらの舞う中で踊りたくなる衝動を、きっと抑えられないでしょう」

M・T「歌子様。春まだ浅い今日この頃ですが、お元気そうでなによりです。もうしばらくすれば、僕の暮らす城下町にも、きれいな桜が咲き誇ります。何もない小さな町ですが、山菜が美味しいことと、桜の美しいことは自慢できます。戦局は日一日と予断を許さない状況ですが、訓練は順調です。次に歌子さんのお手紙が届く頃には、きっと僕の戦地も決まっていることでしょう」


歌 子「M・T様。あなたがお国のために頑張っているのに、庭の木々を眺めながら、祈ることしかできない自分をお許しください。私も不自由な身体に鞭を入れて、せめて気持ちだけでもと思い、手ぬぐいを縫いました。同封しますので、使って頂けたら幸いです」


M・T「歌子様。手ぬぐいありがとうございます。そして、お元気そうで何よりです。でも無理をしたらいけません。お身体に触ります。それに、また優しいお姉さんに叱られてしまいますよ。僕は順調です。先日、上官に呼ばれたのです。我が軍の勝利は、僕たちの双肩にかかっていると。……歌子さん、言葉って不思議ですね。上官の言葉で、僕は百万馬力を得た気分になりました。歌子さんの手紙も同じです。僕がどん底にいても、歌子さんの手紙を読み、歌子さんの言葉を反芻すると勇気が出るのです。ミッドウェー海戦の借りは僕が返して見せる、いま、僕はそんな気持ちで一杯です。僕は、この国と、あなたのために戦って死にたい」


歌 子「M・T様。そうそう、姉さんったら、先日も私が裏庭にいると、血相を変えて飛んできて、身体に触るから寝てなくちゃダメって、うるさいんです。でもね、自慢の姉なんです。思い込みが激しくて、おっちょこちょいなところもありますけど。……ねえ、M・Tさん。あなたが私の手紙で元気づけられるように、私もあなたの言葉に救われているのです。なのに、私、あなたに、今日まで隠していることがある。これからお国のために戦うあなたを裏切るような行為です。でも今日は勇気を持って告白したいんです。私……」

美登利の声「ねえ歌子。起きてるの?」

    美登利がふすまを開けて入って来る。

美登利「あっ、また手紙書いてたのね。今度は誰? 美代ちゃん? 聡子ちゃん?」
歌 子「姉さんには内緒~」
美登利「何言ってるの。部屋中に散らばった手紙をいつもまとめてるのは誰ですか?」
歌 子「はいはい。お姉さまでございます」
美登利「ふふ。少し窓開けるわね」

    美登利が窓を開ける。

美登利「梅の香りがいい匂いねー」
歌 子「姉さん、はっきり言って。大丈夫だから」
美登利「なんのこと?」
歌 子「お医者さん。さっき聞いてきたんでしょう」
美登利「うん。順調です。なんの心配もいりませんって。あのお医者さん、ただでさえ仁王像みたいな怖い顔してるのに、眉間に皺寄せて言うからビックリしちゃったけど。でも良かった良かった」
歌 子「姉さん」
美登利「なあに」
歌 子「それなら、どうして姉さんが泣いてるの?」

     間。

歌 子「…私ね、毎日神さまにお願いしてるのよ。いつか姉さんに」
美登利「(遮り)やめてよ! 神さまなんているわけないじゃない! もし神さまがいるなら、どうして……どうしてあなたが!?(泣き崩れて)」

語り手「歌子さんの容態はもって百日以内、あのとき医者はそうはっきり申しました。1945年、葉桜の頃です。私二十、妹十八で、妹は、死にました。これはそのときのお話でございます」

   M 軍艦マアチのメロディ

語り手「いまから七十年前、父はその頃まだ存命(ぞんめい)中でございまして、私の一家、と言いましても、母は早くに他界なされて、あとは、父と、私と妹と三人きりの家庭でございました。私が結婚致しましたのは、二十四の秋でございますから、当時としてはずいぶん遅い結婚でございました。父は頑固一徹の学者気質(かたぎ)で、世俗のことには、とんと疎く、私がいなくなれば、一家の切りまわしがまるで駄目になることがわかっていました。だから私も家を捨ててまで、よそへお嫁に行く気が起らなかったのでございます。せめて、妹さえ丈夫でございましたならば……」

歌 子「ねえさん、見て。桜、桜。昔、ねえさんと桜の花びらを追いかけて走り回ったわね。懐かしいなあ」

語り手「妹は、こんな具合で、私に似ないでたいへん美しく、髪も長く、とてもよくできる可愛い子でございました。ですが、妹はもうよほどまえから、いけなかったのでございます。腎臓結核という、わるい病気でございました。医者の宣告からひとつき経ち、ふたつき経って、そろそろ百日目がちかくなって来ても、私たちはだまって見ていなければいけません。妹は、何も知らず、割に元気で、終日寝床に寝たきりなのでございます。それでも、陽気に歌をうたったり、冗談言ったり、私に甘えたり、これがもう三、四十日経つと、死んでゆくのだ、はっきり、それにきまっているのだと思うと、胸が一ぱいになり、総身を縫針で突き刺されるように苦しく、私は、気が狂うようになってしまいます。三月、四月、五月、そうです。五月のなかば、私は、あの日を忘れません」

歌 子「ねえさん、この手紙、いつ来たの?」
美登利「ついさっき。あなたが眠っている間に。あなた、笑いながら眠っていたわ。あたし、こっそりあなたの枕もとに置いといたの。知らなかったでしょう?」
歌 子「全然知らなかった」
美登利「もう読んだの?」
歌 子「読んだわよ。でもおかしいわ。あたしの知らないひとなのよ」
美登利「知らない人がどうしてあなたに手紙をくれたりするもんですか」
歌 子「でもこのM・Tっていう男の人、本当に知らない人なんですもの」

語り手「知らないことがあるものか! あのとき私は、妹の喉元に食ってかかろうかと思ったくらいです。私は、その手紙の差出人のM・Tという男のひとを知っております。いいえ、お逢いしたことは無いのでございますが、私が、その五、六日まえ、妹の箪笥をそっと整理して、一束の手紙が、緑のリボンできっちり結ばれて隠されて在るのを発見したのです。そして、リボンをほどいて見てしまったのでございます。およそ三十通の手紙、全部がそのM・Tさんからのお手紙だったのでございます。
もっとも手紙のおもてには、M・Tさんのお名前は書かれておりませぬ。手紙の中にちゃんと書かれてあるのでございます。そうして、手紙のおもてには、差出人としていろいろの女のひとの名前が記されてあって、それがみんな、実在の、妹のお友達のお名前でございました。なので、こんなにどっさり男のひとと文通しているなど、夢にも気附かなかったのでございます。
私は、若い人たちの大胆さにひそかに舌を巻き、けれども、一通ずつ日附にしたがって読んでゆくにつれて、なんだか楽しく浮き浮きして来たのです。そしてときどきは、あまりの他愛なさに、ひとりでくすくす笑ってしまって、おしまいには自分自身にさえ、広い大きな世界がひらけて来るような気がいたしました」

歌 子「姉さん、読んでごらんなさい。なんのことやら、あたしには、ちっともわからない」
美登利「嫌よ。あなたへの手紙をなぜ私が読むの?」
歌 子「もしかしたら、姉さんの知り合いかもしれないじゃない。ね、いいから読んで。いまここで読んでみて」

語り手「このとき、私は妹のことを憎らしく思いました。私は知っているのです。妹たちの恋愛は、心だけのものではなく、もっと醜くすすんでいたということを。私は最後の一通の手紙を読んで、雷電に打たれたような気分で動けなくなりました。私は、手紙を焼きました。一通のこらず焼きました。M・Tは、妹が勇気を持って病気のことを告白すると、卑怯なことに妹を捨て、もうお互い忘れてしまいましょう、など残酷なこと平気でその手紙にも書いてあり、それっきり、一通の手紙も寄こさないらしい具合でございました。私さえ黙って、一生ひとに語らなければ、妹は、きれいな少女のままで死んでゆける!誰もごぞんじ無いのだ! 私は苦しさを胸一つにおさめて、けれども、その事実を知ってしまってからは、なおのこと妹が可哀そうで、苦しい毎日を送っていたのです」

歌 子「ほんとうに、読んでいいのね?」
美登利「ええ、読んで感想聞かせて」

語り手「私は震える手で、その手紙を読み上げました」

M・T「――歌子様。今日は、あなたにおわびを申し上げます。僕が今日まで、がまんしてあなたにお手紙差し上げなかったわけは、すべて僕の自信の無さからであります。僕は、貧しく、無能であります。あなたひとりを、どうしてあげることもできないのです。
あなたを、一日も、いや夢にさえ、忘れたことはないのです。けれども、僕は、あなたをどうしてあげることもできない。それがつらさに、僕は、あなたとおわかれしようと思ったのです。あなたの不幸が大きくなればなるほど、そうして僕の愛情が深くなればなるほど、僕はあなたに近づきにくくなるのです。おわかりでしょうか。僕は、決して、ごまかしを言っているのではありません。僕は、それを僕自身の正義の責任感からと誤解していました。けれども、それは、僕のまちがい。おわびを申し上げます。僕は、あなたに対して完璧の人間になろうと、我慾を張っていただけのことだったのです。
――僕たち、さびしく無力なのだから、他になんにもできないのだから、せめて言葉だけでも、誠実こめてお贈りするのが、まことの、謙譲の美しい生きかたである、と僕はいまでは信じています。僕は、もう逃げません。僕は、あなたを愛しています。それから、毎日、あなたのお庭の塀のそとで、口笛吹いて、お聞かせしましょう。あしたの晩の六時には、さっそく軍艦マアチ吹いてあげます。僕の口笛は、うまいですよ。お笑いになっては、いけません。いや、お笑いになって下さい。元気でいて下さい。神さまは、きっとどこかで見ています。僕は、それを信じています。あなたも、僕も、ともに神の寵児です。きっと、美しい結婚ができます。
 僕は勉強しています。すべては、うまくいっています。では、また、明日。M・T」

語り手「私が手紙を読み終えると、妹は崇高なくらいに美しく微笑しておりました」

歌 子「姉さん、あたし知っているのよ」
美登利「……どういうこと?」
歌 子「ありがとう、姉さん。この手紙、姉さんが書いたのね」

語り手「そうだ! 私が書いたのだ! 私は、あまりの恥ずかしさに、その手紙、千々に引き裂いて、自分の髪をくしゃくしゃ引きってしまいたく思いました。いても立ってもおられぬ、とはあんな思いを指して言うのでしょう。妹の苦しみを見かねて、私が、これから毎日、M・Tの筆跡を真似て、妹の死ぬる日まで手紙を書き、それから晩の六時には、こっそり塀の外へ出て、口笛吹こうと思っていたのです。ですが、どうしてそんなことを妹に告白できるでしょう」

美登利「(狼狽して)何言ってるのよ! 私、こんな字書かないわ!」
歌 子「いいの。ありがとう」
美登利「知らないって言ってるでしょう!」
歌 子「姉さん、落ち着いて」
美登利「私は落ち着いてるわ! あなたでしょう!? あなたがこの人と文通してたんでしょう!?」

    間。
 M 

歌 子「姉さん、あの緑のリボンで結んであった手紙を見たのでしょう? あれは、ウソ。あたし、あんまり淋しいから、おととしの秋から、ひとりであんな手紙書いて、あたしに宛てて投函していたの。
……姉さん、ばかにしないでね。青春というものは、ずいぶん大事なものなのよ。あたし、病気になってから、それが、はっきりわかって来たの。ひとりで、自分あての手紙なんか書いてるなんて、汚い。あさましい。ばかだ。あたしは、ほんとうに男のかたと、大胆に遊べば、よかった。あたしのからだを、しっかり抱いてもらいたかった」
美登利「何言ってるのよ。恋なんて、青春なんて、そんなの、つまらないものよ。男の方なんて、知らないままでいい」
歌 子「でもね、あたしは今までいちども、恋人どころか、よその男のかたと話してみたこともなかった。姉さんだって、そうなのね。姉さん、あたしたち間違っていた。お利口すぎた。ああ、死ぬなんていや。あたしの手が、指先が、髪が、可哀そう。死ぬなんて、いやだ」
美登利「死ぬものですか。あなたが、死んだり、するものですか……」
歌 子「私、毎日神さまにお祈りしているのよ。いつか姉さんが、素敵な方と出逢って、結婚して、私たちみたいな仲のいい姉妹を生んで、平和な日本で暮らしていけますようにって」
美登利「やめてよ!(演奏ストップ) 神さまになんか祈らないで! 神さまなんていやしない! どこにもいない! もし神さまがいるなら、どこかで見ているなら、あなたみたいな優しい子を、見殺しにしたりするものですか! 私は……!!」

    間。
 M 軍艦マアチのメロディ

    動けず、固まったままの美登利と歌子。じっと耳を澄ましている。

語り手「私と妹は、その場で固まってしまいました。そのとき、葉桜の奥から聞こえてきたのは、軍艦マアチの口笛だったのです。時計を見ると、ちょうど六時なのです。私は震える妹をきつく抱きしめて、ただその口笛に耳を澄ましました」

    美登利が座っている歌子を背後から抱きしめる。

歌 子「……姉さんの身体、温かいのね」
美登利「……歌子、ごめんね。何もしてあげられなくて、ごめんね」
歌 子「姉さん、誤解しないでね。私、私はこんな病気になったけど、神様に感謝しているの。だって、だって神様は、私を姉さんの妹に選んでくれた」

間。

美登利「(泣きながら)……そうね。神様はいる。きっといる」

    歌子が立ち去る。

語り手「私たちはきつく抱き合ったまま、いつまでも軍艦マアチの口笛を聞いていました。妹が亡くなったのは、それから三日目の朝のことです。医者は、首をかしげておりました。あまりに静かに、早く息をひきとったからでございましょう。けれども、私は、そのとき驚かなかった。
――なぜかって? 
何もかも神さまのおぼしめし、と私は信じていたからです」

                                  (了)

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