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【007】今まで生きてた中で、一番幸せにしてくれたチーム

 私にとって初参加となった「全国障害者スポーツ大会」(全スポ、かごしま大会)で、うれしいなと思ったことが二つありました。今回と次回で、その二つを紹介して、このnoteでの今大会の「全スポ」の話題を一区切りにしたいと思います。
(※見出し写真は、かごしま大会でお世話してくださったチーム付きの学生ボランティアの皆さんからのメッセージ。お菓子ごちそうさまでした! 3人ともお名前に「田」の付く方々でしたw)

■陸上競技の選手に話しかけた時のこと

 今回の「大阪市」選手団は、個人7競技と団体3競技(聴覚障害のバレーボール男女、知的障害のバスケットボール、グランドソフトボール)の計10競技に出場しました。日程の都合上、応援には行けなかった競技があったのは残念でしたが、同じ時間を過ごした中で、宿舎が同じでもあり、特に長く帯同した陸上競技の選手たちには、大きく心を動かされた瞬間がありました。

 陸上競技のO選手(知的障害)に話しかけた時のことです。14歳で、選手団最年少でもある彼は、私の問いに、右手の指を唇のあたりに当てるだけなのです。「あれ?」と思った私は、「それ、手話?」と尋ねました。
 「あっ!」と小さな声。どうやら、無意識で、手話を使っていたようです。そして、O選手は「はい」と答えました。

■その返事は、「話したくて!」

私「そういえば、陸上チーム、よく手話を使っているよなあ」
O「はい。覚えました」
私「どうして、覚えたの?」
O「(聴覚障害の)N選手と話したくて。動画、たくさん見ました」

 「スパーン!」と、頭の上で、高く乾いた音が響いたような気がしました。
 剣士でもあるO選手に、届くことはないだろうというほどの遠い間合いから、鮮やかな飛び込み面を決められたような思いです。
私も剣道経験者。その瞬間、審判に「面あり。勝負あり」と宣告された中学時代を思い出しました。あのころは、いっぱい負けて、いつも悔しかったけど、ただ、今回は悔しくないというか、相手の技にほれたというか。こんな攻撃は受けたことがないほどの素敵な言葉の一撃だと感じました。そして、私自身は手話をきちんと学んでいないことが、恥ずかしくてたまりませんでした。

■「彼ら、空き時間は、ずっと手話の動画を見ていました」

 全スポ「大阪市」選手団には、手話が使えるコーチが何人かいました。特別支援学校の教員でもあるAコーチに聞くと、「彼ら、空き時間になると、ずっと手話の動画を見ていました」と教えてくれました。大会期間中の練習や試合の後、競技場から宿舎への帰り道にも、N選手やAコーチが手話クイズを出して、他の選手がそれを答えるシーンがありました。正解なら回答者はガッツポーズ。不正解でも、「出題」の動きを真似て、「よし、覚えた!」などと元気に話していました。

 聞こえにくい選手だけではありません。車いすを使う選手や、見えづらい選手が不便な瞬間があります。そんな時には、選手たちは互いにサッと動いて、補い合っていました。最近、「合理的な配慮」という言葉をよく聞くのですが、「配慮」などせずとも、仲間として補い合う姿は、自然なふるまいとして、身についているメンバーなんだなと感心しました。

【下の動画】陸上競技女子立ち幅跳び(視覚障がい)で金メダルを獲得した濱田和代選手(大阪市)。同じ陸上チームの選手たちはスタンドから応援しており、動画からは、その声が聞こえてきます。


■仲間の絆~競技場でも、宿舎でも、空港でも

 競技場で、出場中の選手たちを応援する時も、宿舎でご飯のおかわりの順番待ちをする時も、そして鹿児島空港から大阪に戻る時も。いつも、自然にコミュニケーションを取って、補い合える姿に、私は、ただ、ただ、うれしく思いました。

鹿児島空港で保安検査場への順番を待つ「大阪市」選手団=2023年10月31日


■58年の人生で、最高のチーム。来年も、一緒に佐賀に行こう!

 大阪に戻る前夜にあったコーチ陣とのミーティングでも、大阪(伊丹)空港に着いてからの解散あいさつでも、私は、総監督として同じことを伝えました。

 「今月(2023年10月)に私は58歳になりました。いままでに、数えきれないほどの多くのグループやチームに入った経験があります。その中で、今回の全スポで一緒に行動したみなさんは、最も自然というか、互いに補い合える仲間に見えました。来年の全スポは、佐賀県で開かれます。まず、来年春の大阪市障がい者スポーツ大会に出場してください。そして、「大阪市」代表の座を勝ち取って、来年秋に、一緒に佐賀に行きましょう!」

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