【娯楽小説】小さな本屋 エクリルエマチエル〈一折目の物語〉エクリルエマチエルの秘密⑤
小さな本屋 エクリルエマチエル
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〈一折目の物語〉
エクリルエマチエルの秘密
① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧
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エクリルエマチエルの秘密⑤
小人の少年クータは、長老の試験を突破して本作りの見習いにしてもらい、今は奥の工房へつづく扉の前に立っています。扉といっても、子ネズミくらいの大きさしかない小人からしたら、それはてっぺんも見えないくらいの高い壁です。だからクータは扉を開けられませんが、扉のしたに、ちょうど小人が通れる穴があいていて、そこから出入りできるようになっているのでした。
その穴からは、ぱっとまぶしいくらいの光がもれていて、クータの顔をアヒルみたいに白く染めています。そして、光だけでなく、向こうの部屋の音も穴をくぐって聞こえてくるのですが、それはきっと本を作っている音でしょう。カンカンという金属の音が小気味よく響いたり、「わーわー」という掛け声がたえず渦巻いているのでした。
「このむこうで本が作られているんだ」
クータは本作りの仲間に入れてもらいたくて、このエクリルエマチエルへやって来ました。クータは、どうやって本を作るのか、その工程をひとつも知りませんが、この穴をとおって工房へ行けば、ずっと知りたかったその秘密がわかるばかりか、じぶんだってその仲間にくわわることができます。それを思うと、クータはもう、わくわくする気持ちがとまらなくなり、まるで知らない国へのトンネルをくぐるみたいに、ばっと勢いよく扉の穴へ飛び込こみました。
「まぶしい!!」
工房へ入ったクータを驚かせたのは、目をつらぬかれたと思うほどの強い光でした。それまでクータは、一灯の石油ランプが照らすだけの、墨をまいたような暗い部屋にいました。それとはちがって工房は、かえって何も見えないほど明るく、そして、それだけの光を出すために薪でもくべているのか、むわっと汗が吹き出るほどの熱気が充満しているのです。
クータはだんだん目が慣れてきましたが、今度は自分の目の前に、山のような四角い塊があることに気づいて、もう一度おどろきました。
「なんだこれは!?」
それは本でした。厚みがクータの背丈ほどもある本が何冊も、床に平積みされていたのです。人間におきかえてみたらそれは、大きな建物のようなものでしょう。クータは腰をぬかしました。
「本って、こんなにでっかいのか!」
しかし、小人からしたら巨大な本も、それをたかが何冊か平積みしたところで、高さは合わせて数十センチもありません。部屋ぜんたいで言えば、積まれた本のうえに、ぽっかりと巨大な空間が広がっているわけで、天井は遥か上空にあります。クータは、ぐーっと後ろに折れ曲がるほど首を反らせながら、ぐるぐると部屋を見渡して言いました。
「なんて広い部屋だ!」
工房の広さや、間近で見る本の大きさに、じぶんが小人であることをもういちど思い知ったクータでしたが、今度はどこからともなく吹いてくる風に、体ごと飛ばされそうになりました。ぶわん、ぶわんと、すこしの間をおいて、巨人が団扇をあおぐみたいに、風が何度も吹き抜けていきます。
「部屋のなかなのに、なぜだろう?」
クータが飛ばされないよう身をかがめ、部屋の向こうを見てみると、そこでは白くて巨大な紙が勢いよく立ち上がり、それから「やー」とか「せーの」という掛け声とともに、紙が半分に折られていくのでした。紙は本に使うものでしょうから、小人からしたらその一枚はとても大きなものです。紙の周りでは、小人が何人も集まって紙の端をもち、それから紙を持ち上げて、重ねて、折目をつけて、じつに手際よく折っていきます。風はそのたびに巻き起こるのでした。風に乗ってこんな声も流れてきます。
「ほら、右の角!紙が10分の1ミリずれてる!」
「こんどは反対側に100分の1ミリずれた!」
クータはもう一度、部屋全体を見渡しました。この部屋には何十だか何百だか分からないくらいの小人がいて、それぞれ何かの作業に熱中しているのです。あるところでは、つるはしのように大きな金槌で、ひっきりなしに何かを叩く者がいて、カンカンという音が絶えず聞こえてきます。
「餅つきでもしてるのかな?」
その他にも、ロープで厚紙を運ぶ小人、革に絵具を塗る小人、それから完成した本を布で磨く小人なんかもいます。ここは本を作る工房なのですから、それらはぜんぶ本作りのための仕事なのでしょう。大がかりな作業も、細やかな作業もあるようですが、小人たちの熱気はひとつになって渦巻き、この部屋の天井を吹き飛ばすほどに燃え盛っているのでした。
もちろん、クータにはそれぞれ何をしているのか、よくわかりません。でもそれは、本というものが、たくさんの複雑な作業をへて作られているということ。小人たちはみんな、じぶんの仕事に打ち込んでいて、怖いくらいに精神を集中しています。それを見ていると、クータは何でもいいから自分も早く仕事をして、本作りの仲間に入りたいという気持ちになってきました。
すると、その時でした。部屋を眺めているクータの背中を、どんと突く者がいました。
「じゃまだ!どけ!」
それは何人かの小人の集団でした。どうやら出来上がった本を運んでいるらしく、みんなで一冊の本を持って進んでいたのですが、その通り道にクータがいたから邪魔だったのです。集団の中で、いちばん歳上の者がクータに怒鳴りました。
「なんだおまえ!あたらしい見習いか!?邪魔だ!すっこんでろ!」
「ひっ!すいません!」
クータはおずおずと後退りしました。小人たちはクータの前を「えっほ、えっほ」と通りすぎます。
「あ、あの……」
クータは何か手伝おうと、小人たちに声をかけました。しかし、恐ろしさのあまり、その声は喉に絡みついたように口から出てきませんでしたし、小人たちはクータのことなんてもうこれっぽっちも気にしておらず、また次の本を運ぶため、駆け足で工房の中を走り去ってしまいました。それを引き留めることなんて、とてもクータにはできません。
クータは泣きそうになりました。もちろん、怒られて恐かったというのもあります。でも、それよりも悲しかったのは、じぶんがまるで道端に立て掛けられた木の枝みたいに、誰にも相手されず突っ立っていることでした。クータは、この部屋に入ったらからには、何か仕事が与えられたり、何かを教わったりするものと思っていました。それなのに、今のクータは意味もなく部屋のすみにいるばかり。これでは本作りはおろか、他の人と話すこともままなりません。「泣きべそかくな」と言われていたので、クータは必死に涙をこらえましたが、ほんとうはもうこの部屋から飛びだして、わっと泣きたいくらいでした。
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