見出し画像

「弱者男性」とタル・ベーラ

 最近、「弱者男性」という言葉が流行っているそうです。どうも経済的に貧しい男性や人間関係が充実していない男性を指すようです。
 
 それで、これに関してトイアンナという人が記事を書いていました。本も出しているそうです。まあ、流行りのワードに乗っかって本を出すライターなので、何も期待する事はありません。
 
 こういう話に関しては何も思わないというか、(うんざり)です。(お前らなあ、世界では八億人も飢えてんだぞ)と小言の一つでも言いたくなります。
 
 興味本位で「弱者男性」のウィキペディアも見ましたが、評論家の藤田直哉の名前も見えました。トイアンナという人の本の帯を書いているのは「たぬかな」という炎上したゲーマーで、要するに、その手の界隈だなあ、という感じです。

 経済的な「弱者」を問題にしたければ、経済の格差問題として取り扱えばいいだけです。また、人間関係について取り扱いたのであれば、共同体の問題として取り扱えばいいと思います。

 わざわざ「弱者男性」というキーワードを使うのは、そこにある種の魂胆があるからでしょう。そもそも、金を持っていれば「強者」という価値観が平板過ぎます。

 それと私が感じるのは、「弱者男性」について論じている人というのは自分が「弱者」だと決して思わないのだろうな、という事です。
 
 ネットで「チー牛」という言葉が「弱者男性」を揶揄する言葉として流行っていますが、こういう言葉を使っている人は、自分よりも下の存在を見つけて、それに対して言及する事によって、少しでも自分を慰めようとしているのだと思います。
 
 人間というのは弱いものです。それ故に、自分の弱さを隠そうとします。だから、自分よりも弱い存在を見つけて、そういう存在を積極的に侮蔑します。
 
 タル・ベーラに「サタン・タンゴ」という映画があります。その中で、か弱い少女が出てきます。その少女は、村で一番弱い存在です。彼女の母親は売春婦ですが、男を連れ込む為に、娘が邪魔なので、娘を家の外に追い出します。
 
 少女は村のどこにも居場所がありません。彼女は屋根裏部屋に行きます。そこで、彼女は猫を見つけます。彼女は、猫を殺します。猫に毒薬を与えて殺してしまいます。
 
 どうして彼女が猫を殺すかと言うと、村で一番弱い少女の彼女ですら、自分よりも弱い存在を欲しているからです。少女は猫を捕まえて「私の方が強いんだ」と言います。そうして毒薬を与えて殺してしまいます。
 
 その後、少女は、猫を殺してしまった事に良心の呵責を覚えます。彼女は猫の死骸を抱いたまま、自らも毒薬を飲んで死んでしまいます。
 
 タル・ベーラが描いたこのストーリーには、人間というものの弱さがよく現れています。人間というのは弱いのですが、一番弱い人間は、自らの弱さを見ようとしない人々です。そうした人は、自分の弱さから逃げ出す為に、自分よりも弱い存在を見つけようとします。
 
 ネットでの議論というのは大抵、そういうものではないかと思います。…もっとも、タル・ベーラは、毒を飲んで、目を閉じ、今まさに死のうとしている少女は、「天使が迎えに来るのがわかった」という風に、その内面を描いています。そこにはタル・ベーラの優しさがあります。少女は弱い人間でしたが、自らの犯した過ちに気づいて、自らを殺しました。そして自分を殺した彼女には天使が迎えに来る。そこにはタル・ベーラの宗教観も覗いています。

  「弱者男性」という社会問題を取り扱いたいのであれば、「弱者男性」と言わずに、男性に絞る事もなく、現代の経済的格差について論じればいいだけです。しかし、それでは他と差がつかないので、わざわざ「弱者男性」といった特徴的なキーワードを使って、多くの人に認知されようとするのでしょう。
 
 要するに、人々のゲスな根性に訴えかけようとする議論なのだと思います。そしてその根底にはそれこそ人間の弱さがあります。
 
 私には「弱者」なのは、自分の弱さ、自分の脆さを見ようとせず、自分をメタな位置に置いて、自分よりも下の存在を血眼になって探している人達の方ではないかと思います。彼らは自分自身の生に自信がないので、自分よりも「下」を見つけて、それについて絶えず議論していないと不安なのです。そうした人達は、私は一番弱い存在ではないかと思います。
 
 もっとも、現代のように腐った時代では、早い話、馬鹿が馬鹿を神輿に担いで盛り上がったり、愚かさを賢さと捉え、弱さを強さと捉える、そうした事は当たり前のようにあるでしょう。ですが、タル・ベーラのような優れた芸術家がいれば、そうした人間の弱さも強さも全てむき出しになるように作品を描いていくのだと思います。

 タル・ベーラのような人は少女を上から見下ろし、侮蔑しているのではなく、少女の隣に並んで、彼女の良心の苦しみをあたかも自分自身の苦しみのように感じて、ああいうエピソードを作ったのではないでしょうか。そんな風に私は思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?