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光らなくなってしまった自分を愛せるか

「17:45業務終了しました。明日も出社予定です。お先に失礼します」

チームのzoomチャットに誰よりも早く勤務終了を告げる。さてここから寝るまでの時間をどう過ごそうか?17時過ぎからそんなことを考え始めたらワクワクと胸は踊り出す。

「16:45業務終了しました。明日もフレックスです。8時に出社予定です。お先に失礼します」

駐車場までの足取りは軽く。1時間早く帰れるとなるとできることも多い。トレーニングとスタバのハシゴができる。ゆっくり本が読める。最高かよ。

「17:45業務終了しました。明日もいつも通り出社予定です。お先に失礼します」

さて今日は何しようか、可処分時間長いのマジで最高かよw…最高…だよな?

「17:45業務終了しました。月曜日も9:00出社予定です。お先に失礼します」

華金!!最高…

…最高、なのかこれ?

これまで華金なんて言葉を使うことがなかったのは、土日に部活やら授業準備やら、なんやかんやで仕事はあり、平日と休日の線引きが曖昧だったこともある。今ははっきりと平日と休日が区切られていて、1週間には5日間の仕事の日と2日間の休日があることを知る。

この華金には土日の始まりをアルコールで華やかに飾りたいところだが、どこか今の生活への引目と段々と価値を失っていく自分への不安から一刻も早く眠って今日から逃げ出してしまいたいと感じてしまう。

そう、今の僕は光らなくなってしまったのだ。

光らなくなってしまった自分を愛せるか

毎日がおもしろくないというわけでもない。

年上の先輩社員が見せるビジネスマンとしてのかっこいい生き方と会議のスマートな回し方に憧れ、すぐ何がスマートだったかを手帳に書き殴り、年下の先輩社員の作る丁寧な議事録とスタイリッシュな文書を見て、自分もこれをと夢中になって書き方を学ぶ。

ここにいたらまだまだ伸びていけるかもしれない、そんな感覚は気づいたら数時間前から時計を気にする日々を忘れさせてくれるぐらいだ。

知らなかった自分がいることを知る。

人生においてこんなにも刺激的でおもしろいことはないのに、ふと気を抜くと足りない昔の充実の影を追う。

新しい環境に身を置いた4月、ストレスの少ない穏やかな生活の中に、穏やかだという理由でストレスを感じる。

今ある充実は、僕が知っているのと何か違う、そんなことを理由に寂しさ交じりの自信の喪失を感じているのだから贅沢な病だ。

5月病の一種なんだろうけれど、これも言葉にしてしまえば胸のつまりは消えるだろうから言葉にして収めてしまおう。

2年ほど前に30代に突入し、それなりの経験から見えるものが増えた。がむしゃらに時間を掛けたあの頃とは違って、ちゃんと選びながら時間を注いでいる。

よい授業に決められた形がないのだから、僕らの仕事は際限なく求めることができる。誰かの引いた線をなぞるなら求めないこともできる。仕事なのか趣味なのか、生きがいなのか、生業なのか、僕らの仕事はそんな曖昧さを残す。

すると僕は自分のもてる時間のすべてをそこに注いでしまうたちだったのである。

コスパだとかタイパだとか、流行り言葉の逆をいく。それでもちゃんと価値を受け取ってもらえるのがわかったから、命を削ることができたのだ。子どもが笑ってくれる、あれにはいくらでも時間を注いでしまう不思議がある。

ただ、命を削って働くことでしか充実を感じることができなくなってしまったのだとしたら、たちが悪い病気である。

子どもが目の前にいない今の自分にもきっと価値はある。

どれだけ自分を卑下しようと、これはまごうことなき事実である。

存在するだけで価値がある。僕がいるだけで、それを支えにしてくれる人がいる。

僕の価値はきっと僕の知らないところでずっと広がっているはずだ。

教育のできる僕に価値があるのではない、僕に価値があるのだ。

だから教えてほしいのに、目の前に笑っている子どもがいないとわからなくなるのだ。

「誰にでも価値があってそれは僕にも当てはまる話らしいんだけど、それは果たして本当だろうか?」

「本当だよ」そんなアンサーがほしいのに、いつも厳しい自分は否と、首を振る。

30代、働き盛りの僕と同世代は今、命を削り、名を上げ、わかりやすく価値を与えている。もう世界を相手に仕事をしている奴もいる。

僕だって…

17:45、彼らが光るほど、自分が光らなくなっていくのがわかる。

自分が好きか?と問われたら、好きだと言えるだけの過去がある。

でもどうだい、今の光らない自分は愛せるのか?

「置かれた場所で咲く」と話したシスターは光らない時に何を考えていたのだろう?

今は新しい自分が芽生えるまで、出てくるかもわからない土に水をやり続けている。

好きな自分は陰ってしまったけれど、この水はもっと好きな自分を育てるのかもしれない。

オンリーワンに慰められるのを嫌うなら、価値をもつまで、光続けるまでやるんだよ。

今の光らない自分は愛せるのか?

愛すしかないのだ、光らない時も、自分だから。

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