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京都・石清水八幡宮周辺を歩く早春旅「空中茶室・松花堂跡」


「大岩神社が凄く素敵だったよ。」

2024年のゴールデンウィークはあっという間に残り僅かとなってしまいました。雨が心配されましたがお出かけ日和が続きどこも大盛況。混雑が大の苦手な私は家で昼ご飯を作りながら、とある報道バラエティ番組を何気なく観ていました。画面は外国人観光客のインタビューへ映り変わり伏見稲荷大社の感想を話していました。

「入口の鳥居に大量のインフルエンサーがいたよ。」

先日私も伏見稲荷を歩きましたがインスタやTiktokを生業にしてそうな外国人を数組見かけました。モデル級の美人さんや和服を来た人が自撮りしていたんですよね。インタビューは続きます。なんと彼は大岩神社の画像をカメラの前で示し一番上の言葉を発したんです。驚きました。ついに大岩神社に参拝する外国人観光客が現れたのかと。

『コンビニの上に富士山、地元住民大迷惑』

GW初日に地上波テレビでも取り上げられて黒幕設置で本格的な騒ぎとなりました。富士山コンビニはこれまで日本のメディアで紹介されたことがほとんどなかった日本人の知らない観光地です。大岩神社もそれに近い存在で一般人の多くはまだ認知していません。現在、伏見稲荷大社を始め、平野神社、二条城、嵐山などの超有名観光地に多くの外国人が押し寄せています。定番の観光地では多くの人数が来ても対応可能ですが穴場だとそうはいきません。もし大岩神社が大混雑となれば大きな事故が発生するでしょうね。豚汁が流行したように日本の何がブームになるのか。我々日本人には予想がつきません。あなたが住んでいる家の目の前が突然観光地になることだってありえるのです。

オーバーツーリズムの新たな問題が明らかになった2024年GWでした。さて今回は石清水八幡宮表参道の石段をひたすら登っていきます。


表参道の石段はこんな感じ。

幅が広く取られていて大変歩きやすくなっています。おそらく現代人向けに改修されたものでしょう。江戸時代以前に作られた石段は幅が狭く急勾配でした。昔の人は健脚で命の価値は今ほどではありませんでした。コストが安く済みますしそれで良かったのでしょうね。ちなみに男山展望台ルートに急勾配の石段が残っています。次回の記事で紹介する予定です。


大正元年と書かれた玉垣


石造りの水道


山中にある神社は日本各地に数多くありますが、石垣も見られる参道はそうないと思います。


自下馬至是二町と書かれた道標。二町はメートル法換算で約218mになります。


今回の目的地、史跡『松花堂およびその跡』に到着しました。

一見なんの変哲もない空き地に見えるかと思います。ここのスゴさを知るにはまず先に松花堂庭園・美術館にて情報を仕入れる必要があります。


現在は木に囲まれていてその面影はまったくありません。当時は"空中茶室"として多くの人を驚かせました。設計は京都好きなら知っている戦国・江戸初期の武家茶人・小堀遠州と、寛永の三筆であり松花堂弁当のキッカケを作った文化人・松花堂昭乗です。


嵐山にある星野リゾート"星のや京都"さんの客室で空中茶室に近い雰囲気が味わえると思います。シンガポール・マリーナベイサンズプールが代表的な最近流行りのインフィニティシリーズ。閑雲軒はその最先端を歩んでいました。


見る人が見れば本当の価値がわかる場所。

それが史跡『松花堂およびその跡』になります。まぁ古墳跡の山の一端を見て当時の雰囲気をイメージするようなものですからかなりの高難易度な観光地と言えます。歴史に興味がない友人やパートナーを連れていったらキョトンとされること間違いなしでしょう。


所変わってこちらは昔のスパチャですね。

日本人は無宗教だなんて言われることがありますが、実は"推し活"という名で姿形が変わっただけなんですよね。応援したいという気持ちそのものは決して悪いものではなく節度と限度を守っていればまったく問題はありません。ただ熱狂的になる側面も持ち合わせているので、宗教2世やホストクラブ売掛金が現代の社会問題になっています。


宿坊跡の石垣です。

わたくし学生の頃は「明治維新政府の神仏分離許すまじ」という過激思想を持っていました。仏教を廃し仏像を壊すなんて酷いと。誤解であったことをのちに知りました。歴史を中途半端に学んだことによる弊害ですね。廃仏毀釈は政府が押しつけたものではなく、神職や民衆の行き過ぎた運動だったんです。

つまり、政府が目指したのは天皇を頂点とした国家神道の確立であって仏教排斥を意図したものではありませんでした。こうした民衆のやり過ぎ行為については我々も数年前に体験しました。コロナ禍の自粛警察です。政府は終始お願いという形を取っていましたが、民衆の多くはマスク着用を強制だと捉えてしまったんです。


世論に流されることなく石清水八幡宮の仏像を善法律寺や誓願寺へ移した当時の関係者の判断は本当に素晴らしいものでした。

コロナ禍における日本人の行動分析を今の時点で公にするのは正直難しいでしょうね。日本人そのものの否定だと考える人が一定数いるからです。同じ過ちを繰り返さないためにも過去を正しく振り返る必要があるのですが、民衆の責任を問うことを民衆は決して致しません。政治家に責任を押し付けるという楽な手段があるからです。第二次大戦のヒットラーしかり。まぁ今の私は世の中をどうこうしたいという意志はまったくありませんので、そういう考えもあるのだなと話半分で聞いてもらえたらとありがたいです。


こちらも宿坊跡の石垣になります。

石清水八幡宮の宿坊は明治時代にすべて取り払われた、と知った時は大変残念に思っていたのですが、今回の旅で神仏習合の痕跡に触れる事ができました。一を見て十を知った気になるのは本当よくないコトですね。人は誤解する生き物です。自分以外の世界を判断するときは深い理解が必要だということを学びました。


以上です。

次回は雄大な景色を眺めに男山展望台へ登ります。シリーズ最終回なのでぜひみにきてください。



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追記

note公式マガジンに記事が掲載されました。ありがとうございます。


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