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京都・石清水八幡宮周辺を歩く早春旅「神應寺奥の院・杉山谷不動尊」


大河ドラマ"光る君へ"第17回「うつろい」観ました。

関白・藤原道隆を生き様をみて現内閣総理大臣をイメージしたのは視聴者の中できっと私だけだと思います。国家観はまったくないけれど子に跡を継がせたいとする強い執念は二人に共通するモノです。まぁこういうのってビジネスの世界でもよくあることですし、脚本にそういう皮肉めいた意図はないのでしょうけれど、いつの時代も権力に振り回される人の有り様は実に滑稽であります。下の者にとっては迷惑極まりないことですけれどもね。

天下を手中に収めた者たちはどのように子へ継承していったのか。日本の歴史で一番うまくやったのが江戸幕府を開いた徳川家康になります。彼は鎌倉や室町の反省を大いに活かし約260年続く新体制を構築しました。元気なうちに子の秀忠に将軍職を譲ったのはもしかしたら中関白家の失敗を教訓にしたのかもしれません。

戦後以降の日本は世襲が全くうまくいっていないように感じます。絶大な人気を誇っていた田中角栄の娘、田中真紀子氏はすでに政界を引退しました。トヨタ自動車現代表取締役会長・豊田章男氏の活躍は創業者が意図したものではなくただの偶然でしょう。永遠の命を手に入れたいという秦の始皇帝以来の願いは"さもありなん"と言えます。

中宮定子の気苦労や女の友情など、話したいことがいくつかあったのですが長くなるのでまたの機会にしておきますね。では旅の続きに参ります。前回は石段を登り神應寺の境内を散策しました。今回は奥の院に参ります。


奥の院に向かうルートは山沿いと谷川沿いの二つあります。


どうしても間近で鉄橋を見たかった私は道標に従い山道ルートを進むことにしました。


おっ見えてきた。


こちらが全長108.7mの男山橋梁になります。

形式はトレッスル橋です。幼少の頃より幾度も利用した石清水八幡宮参道ケーブル。下の景色ってこんな感じだったんですね。規模は違いますが今はなき余部鉄橋を彷彿とさせます。


こちらの山沿いルート。

大人同士すれ違えるくらいの十分な道幅はあったものの、ビビリのわたしは谷底を見て恐怖を覚えます。山道なのでもちろん手すりや落下防止柵はありません。こんな思いをするなら山門まで戻って下の道から行くべきだった。

後悔先に立たず。


なんとか奥の院に到着しました。

こちら杉山谷不動尊は谷不動ともいわれ、厄除け不動として信仰されてきました。本堂には秘仏の不動明王が座し、矜羯羅こんがら童子と制多迦せいたか童子が両脇には控えます。参道に紅白の奉納幟旗がたくさん立っていました。

気になるものといえば独特な形状をしているお堂の屋根。石清水八幡宮の”八”を模したものなのでしょうか。合掌造とは違うしいくら調べても確かな情報は見つかりませんでした。謎の屋根でございます。


由来が書かれた石碑に弘法大師の名が見えました。

創建時は法相宗だった神應寺。天台宗、真言宗へと移り変わり、1408年に曹洞宗となりました。そして現在に至ります。


京阪本線石清水八幡宮駅から徒歩十分圏内でありながら、小鳥のさえずりと小川のせせらぎが聞こえる自然豊かな場所です。

知る人ぞ知る秘境といったところでしょうか。


帰り際、二又に分かれる道を発見。

左に進むと霊泉瀧、別名ひきめの瀧と呼ばれる場所があります。滝行をする聖域であるため橋の手前で引き返しました。虫とか野生動物が怖かったのも即撤退した理由の一つです。


こちらの景色は谷川沿いルートから仰ぎ見た男山橋梁になります。

鉄橋の高さは約43mでケーブルカー鉄橋としては日本一の高さを誇ります。近くの五輪塔も中世以降では日本一の石塔でしたし、何気に日本一が密集している場所であります。


谷川沿いルートの入口に戻ってきました。

神仏習合なので山門だけでなく鳥居も当然ございます。


憤怒の形相で不動明王さんは石清水八幡宮の神様と地元の人たちをずっと守ってきたのでしょうね。こちら紅葉の名所でもあるので秋にも訪れてみたいです。また違った美しさが見られることでしょうね。

神應寺と奥の院の紹介は以上になります。次回は刀剣ファンおなじみのあの神社へ参ります。



今回の観光スポット


おまけ

2018年6月に撮影した前面展望動画(音量注意)です。

記事投稿直前に偶然発見しました。当時はリニューアル前で"男山ケーブル"という名称で運営されていました。右手に見える建物が神應寺本堂になります。


追記

note公式マガジンに記事が掲載されました。ありがとうございます。


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