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天使のハシゴを登り、ひつじ雲に乗る。


多分、この発想の出どころはフランダースの犬の最終回のシーンから連想していると思われる。

保育園の時ぐらいの頃まで雲の間から差す光を見て「あの光の差す先には死んだ人がいるに違いない。」と疑う事なく思っていた。

なので、沢山光が差し込んでいる時は「今日は沢山死んだなぁ。」なんてメルヘンと不謹慎の紙一重なことを思いつつ、「よーく見ていればあの光の中で人が空に昇るところが見れるはず。」と、目を凝らして見ていた。

まぁ、当たり前だが見れることはなかったけど。

小学生にもなるとそんな絵本の世界の住人から現実社会の住人へとお引越しをし、"雲からの光は天の導き説"はありえない事だと気付き、着実に成長という名の階段を上るワタクシ。
またその光が「天使のはしご」なんてメルヘンかつオシャレな名前であることを知るのは大人になってから。
世の中には粋なネーミングセンスをお持ちの方がおられるものだと非常に感心した。


小学校中学年だったか。秋の運動会の練習中こと。
私の通っていた小学校は時代も相まって生徒数も多く競技数も多かった。
練習となると毎度とにかく時間が掛かった。何なら全校練習というものがあり、一時間目から四時間目までずっと全生徒が校庭で練習をする苦行以外の何者でもない蛮行が行われる日もあった。
夏休みが明けた9月とはいえ、日中の日差しもまだ強い。
たまに吹く風に涼を取り、まだ夏の色を濃く残す入道雲が何とか太陽を隠さないかと、滅多に祈らない神に祈る。

暑さで思考は停止する。
所々で先生が誰かに向けた怒号が聞こえるが、もう意識は暑さに支配されいる。

身長順の整列に並ばされるのだが、目の前には私より少し大きい人の背中しか見えない。私は身長が低いので、その先も等間隔に少しづつ身長の高い人がズラリと並んだ背中がチラチラ見える。今の私の視界は狭く窮屈だと思った。

私は窮屈が物凄く嫌いだ。そう思うと途端に今いる自分の世界が嫌になる。

それを避ける様に空を見た。

そしてこんな時、妄想癖があるワタシは存分に妄想を捗らかす。

モクモクの雲に強い光が照り、立体的に光る雲。
近くに見えて遠く遠くにある。

とても水蒸気の塊になんて見えない。
イナバの物置みたいに「100人乗っても大丈夫!」と、言わんばかりの重厚な質感。そんな大きくどっしりとした積乱雲に「雲の上は実はもう一つ街があって死んだ人が住んでいるんじゃないか。よく見たら雲の端っこから誰かのご先祖が下界を覗き込んで笑っているんじゃないか。」そんな風に思うともう止まらない。

勿論、3年生、4年生にもなって"そんなことはあるはずがない"と思うと同時に、ひょっとしたら…なんて妄想の世界を膨らます事で現実逃避をした。
妄想の世界はワタシの中で小さな現実だった。
純真だったし、妄想は何より協調性の無い私の処世術だった。

しかし、そんな妄想を打ち砕く出来事が起こる。
確か5年生だっただろうか。
理科で気象の授業が始まったのだ。


知っていた。知っていたさ。雲の上に街なんぞ存在ない。
人だって死んだら物質となり土に還る。空になんて居ないのだ。


先生が学習に合わせて学級文庫に置いた気象の本には、飛行機の中から撮った写真なのだろうモクモクとした雲の層を抜け、太陽が輝く雲の上の写真が載っていたのだ。

学問というものは、しばしば私が築いた世界を壊しにくる。
賢くなるというのは、時に「そんなわけないさ。」と諦めのような気持ちにさせられる事がある。

そうやって大人になるのだ。

それでも空は広く、妄想するには充分な懐があり、イメージを掻き立てられた。
そして、やっぱり空に浮かぶ雲を見ていると色んなことを妄想してしまう。


中学生の頃、近所のおじいさんが亡くなった。
子供好きのおじいさんで私も小さい頃、可愛がってもらった。葬儀には沢山の近所の子供達と元子供だった大きいお兄ちゃんやお姉ちゃんが弔問に来ていた。
お葬式の翌日、部活帰りの冬の夕暮れ、空を見るとサアッと薄い線を引いたような雲を見た。
おじいさんは、もう空に昇ったのだろうか。
子供と一緒に遊ぶのが好きでよく公園にも居たっけ。にこにこ笑いながら薄い線の雲を平均台のようにして渡るおじいさんの姿を想像した。

その時の私は妄想をするにはもうすっかり大きくて、想像ばかりだ。


それから何となく、人が亡くなり葬儀に参列する度、何気なく空を見てしまうようになった。

敬愛する祖母の時はよく晴れ、真夏の蒸し暑い時期だったのによく風の吹く日だった。雲はどんどんと形が変わり流れていった。楽しい事が好きでユーモアに溢れた人だったからか、雲の形を楽しみながら昇っていったのだと思った。

物知りで大好きだった叔父の時はうっすらと曇りの日だった。出しゃばらず穏やかで、無理に物事をはっきりしようとしない優しさのある人だった。「俺はええわ。」そんな事を言いながら控えめに薄い雲に隠れている様だった。あんなに薄ら曇りの空模様だったのに葬儀後荼毘に付し、山手にある火葬場から出た時、麓の街に天使のハシゴが差していた。

父の時は肉親がこの世からいなくなった事が信じられないような見事な晴れの日だった。雲ひとつなくて「雲無いし上られへん。雲が出て来るまで、もうちょっとゆっくりしとくわぁ。」なんて何処からか声が聞こえてきそうだった。


そして、この秋。私に一つの訃報が舞い込んだ。

息子が小学校に入学してからずっとその小学校の図書ボランティアメンバーとして活動している。息子が小学校を卒業し、大学生になった今でも在籍している。何ならそんな人は私だけではない。
更にうちの図書ボランティア活動は門戸が広く、そういったOB・OGだけでなく、学区内在住の方で参加希望の気持ちを持って下さっている方ならどなたでも歓迎している。
彼女はそんな方のひとりだった。

彼女は私とは親子ほどの年齢差があり、この市で図書館所属の団体の発足から数十年図書活動をされてきた。

私はずっとこの市の住人なのだが、小学生の頃この団体が年に一度学校にお話をしに来てくださるのが、すごく楽しみだった事を覚えている。
図書ボランティア外でもお世話にもなった。底抜けに明るく、聡明で太陽のような人だった。
大先輩で仲間。尊敬する友人。私の本好きの恩人である。

その最後も図書活動中に倒れたそうだ。

葬儀に参列し、最後のお別れでその顔を見るまで信じられなかった。

なんとその人らしいことか。皆が口々にそう言った。

告別式が終わり、葬儀場を出て空を仰いだ。
空には秋らしいひつじ雲。
綺麗に並んで沢山浮かんでいた。
まるで絵本に出てきそうな光景だった。

きっと彼女はこの羊の中の1匹に乗って「あらー。羊の本が読みたいわぁ。」なんて笑っている。

私はそんな想像をした。


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