結束主義の元祖イタリアファシズムの概略
ファシズム、結束主義の話題がタイムラインに,出ているので、昔書いた文章の一部を切り取り出してみる。
ファシズムとはイタリア語のファッシ(束、集団、結束 )にイズム(主義)を付けた言葉である。
日本においては軍国主義とか誤った訳で語られるが、直訳するなら、結束主義となるのだろう。
呉智英は『封建者かく語りき』において皮肉混じりに「とにかく、ただただ悪いファシストという種類の人がいる。この人は、常日頃から、戦争とか侵略とか少数民族抑圧とか管理社会化とか悪いことばかり考えている。何故悪いことばかり考えているかというと、それは当然、その人がファシストだからである。その人は何故ファシストなのかというと、決まってるじゃないか、悪いことを考えている人だからである。とにかくね、いるんです、悪いのが、ファシストっていう」と語るように、 ファシズムは単なる悪という、イメージのみで語られることが多い。
しかし、ファシズムを勉強してみると違った姿が見えてくる。ファシズムの創設者ムッソリーニは、左翼、しかもアナーキスト寄りコミュニストであった。それが、第一次世界大戦参戦論で所属していた党(イタリア社会党)を追われて以後、イタリア戦闘者ファッシを結成、第一次世界大戦に従軍し、既存の左翼とか一線を画した運動と思想を展開した。その後、ファッシ党を設立した。
ムッソリーニはマルクスに心酔しつつも、ソレルの影響を受けていた。それが、単なる左翼ではない、ファシズムを生み出すこととなった。この頃からは「右」という自覚に変わっていったものと予測される。
このファシスタ党というのは、面白い組織で、極左から極右、アナーキスト、共和派から王党派までを抱えていた。
それもこれもファシズムドクトリンでも書かれているように、ファシズムが既存の思想のライン引きとは違うラインを引いたから生まれた結果であった。私はその共通項は『直接行動』と『反議会主義』であったと考えている。
ここでいう「反議会主義」とは、大衆民主主義という意味であって、独裁公認ではない。討議、合議には、反対しているわけではない。
独裁者と言われるムッソリーニも、ファシスタ党内で異論を挟まれたり、反論されたりし、最後にはファシズム評議会で政権から追われることになるなど、全く独裁権力を振るえていないのだ。
私が注目しているのが、ファシスタ党が様々な人々を共通項があれば受け入れていたという所である。ムッソリーニなどが典型例だろうが、既存の組織に収まりきれない、パージされた、爪弾きにされた人々の溜まり場であったとも見えるのである。いわば異端の集合体であったとも言える。『権力を目指した異端たち』とも言えるかもしれない。
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