見出し画像

鬼無里伝説と自我

長野に久しぶりに行きました。

佐久方面には数年前に行ったのですが、
今の私の原点の地、安曇野周辺にはもう長い間行けていません。

長野市でのイベントにお誘いいただいたことで、
行きたい!行こう!と直感で決め、いろいろ振り切って行くことにしました。

前泊。
お宿を探していると鬼無里にお宿があるのを見つけました。

「鬼無里(きなさ)」は、安曇野にいた頃にそこから初めて戸隠に行った時、大町からかなりの峠を越えて戸隠に入るのですが、その峠の谷間に「鬼無里」の地名を知りました。

安曇野だって、アルプスを抱く本当に美しい里でしたが、
そこから戸隠へ行く峠は、安曇野にいる私ですら思わず驚いて目を奪われるような、絵に描いたような里山の集落がありました。
本当に日本昔ばなしのような、藁葺き屋根をトタンに変えたお家が山間にぽつんぽつんとあり、
季節のお花が野や庭先に完璧な様子で咲いていて、
何かを燃やす煙が田んぼから立ち上り、
どこもかしこも目に焼き付けておきたいような、
現代とはまるで違う時空に入ったようでした。

「鬼無里」という名前。
鬼というものがさも日常に話題に上っているかのような、
それが全く違和感のない風景。

名前と風景、グネグネ坂を必死で運転しながら「なにここ!なにここ!」と強烈に惹かれるものを感じていました。

そしてそこを越えて現れた戸隠は、奥社への荘厳な杉並木や、突然圧倒的に聳え立つ戸隠山、鏡池の平和が漂っている様…
もう一段天の国に来たという気がしました。

その天の国の手前に、現代とは違う時空間の「鬼」などという字を冠した里がある。

今回お宿に鬼無里の名前を見つけたとき、
あの時は通り過ぎるだけだったあの昔話の時空で一晩身を置いてみたい。
そう思いました。

(もちろんルートは安曇野・大町から峠を越えて鬼無里を通り、戸隠を詣でて、長野入りです)


鬼無里に入る頃から周辺には雪雪雪。
4月だというのに思いもかけない雪景色に、やっぱり異世界に入った感。
夜は真っ暗で、静か。
そしてひんやりとした朝の空気。
広い館内に泊まり客は私たちだけ。

お宿でもらったパンフレットに、鬼無里の由縁、
鬼女の伝説というものが。


937年(承平7年)のこと、 子供に恵まれなかった会津の夫婦(笹丸・菊世)が 第六天の魔王に祈った甲斐があり、 女児を得、呉葉(くれは)と名付けた。 才色兼備の呉葉は豪農の息子に強引に結婚を迫られた。 呉葉は秘術によって自分そっくりの美女を生み出し、 これを身代わりに結婚させた。
偽呉葉と豪農の息子はしばらくは睦まじく暮らしたが、 ある日偽呉葉は糸の雲に乗って消え、 その時既に呉葉の家族も逃亡していた。
呉葉と両親は京に上った。ここでは呉葉は紅葉と名乗り、 初め琴を教えていたが、源経基の目にとまり、 腰元となりやがて局となった。 紅葉は経基の子供を妊娠するが、 その頃御台所が懸かっていた病の原因が 紅葉の呪いであると比叡山の高僧に看破され、 結局経基は紅葉を信州戸隠に追放することにした。
956年(天暦10年)秋、まさに紅葉の時期に、 紅葉は水無瀬(鬼無里)に辿り着いた。 経基の子を宿し京の文物に通じ、 しかも美人である紅葉は村びと達に尊ばれはしたものの、 やはり恋しいのは都の暮らしである。 経基に因んで息子に経若丸と名付け、 また村びとも村の各所に京にゆかりの地名を付けた。 これらの地名は現在でも鬼無里の地に残っている。
だが、我が身を思うと京での栄華は遥かに遠い。 このため次第に紅葉の心は荒み、京に上るための軍資金を集めようと、 一党を率いて戸隠山に籠り、 夜な夜な他の村を荒しに出るようになる。 この噂は戸隠の鬼女として京にまで伝わった。
ここに平維茂が鬼女討伐を任ぜられ、 笹平(ささだいら)に陣を構え出撃したものの、 紅葉の妖術に阻まれさんざんな目にあう。 かくなる上は神仏に縋る他なしと、観音に参る事17日、 ついに夢枕に現れた白髪の老僧から降魔の剣を授かる。 今度こそ鬼女を伐つべしと意気上がる維茂軍の前に、 流石の紅葉も敗れ、 維茂が振る神剣の一撃に首を跳ねられることとなった。

呉葉=紅葉33歳の晩秋であった。

戸隠観光ガイド 紅葉伝説

これは…
紅葉さんは実際にはどんな人物だったのだろう。
ただただ存在しているだけで、周囲が勝手に翻弄されて、噂が噂を呼び妖怪レベルにまでされてしまったファムファタール的な気の毒な女性の話、魔女狩りにも通じる話という気もしなくもない。
いるだけで周囲に嵐を巻き起こすエネルギーの持ち主というか…。

でも噂でなく本当に野望を抱いて軍を編成してということであったとしたら、
これはかなりの出来事であるし、
どうだったんだろう。

村人が異物である紅葉さんを徹底的に排除したか、紅葉さんが自分の在り方にこだわりすぎたのか、
それとも本当に妖怪だったのか。
圧倒的に違う存在と場を共にするって難しい。

んー。と、鬼女紅葉さんに思いを馳せておりました。

お宿の夜、静かな特別な夜に読む本として、最近買ってまだ読んでいなかった、
「数学する人生」 岡潔 森田真生編
を持って来て、読み始めました。
(これもお客さんにその数学者の名前を聞いて知りたい!と思い、最近珍しく行動してすぐに入手してみたのですが、
望みのままに動いてみたイベント参加と本の購入とが、ピッタリこの瞬間に学びをくれた気がしています。)

その本の中に、

大宇宙を個人主義という目で見るのはやめなさい。

命の水は「個」ではなく「全」から湧き出てくる。

外界は全て懐かしく、そうであることが嬉しい。

小我中心に考え、感じ、行動していると、その心の動きが止まってしまう。

などなど。
水が染み込むように大切な言葉が入ってくる。

紅葉伝説もそういうことかもしれないな。
都を追われた身の上だから仕方ないけれど、
都人である小我にこだわったがゆえに、大宇宙との調和がとれなくなり、村人の心を乱す存在となっていったのかな。
小我を開け放ち、外界を喜びと共に感じられていたら、妖怪(扱い)にはならなかったのかもしれない。

世界はそこにあって、私と繋がっているのに、
私の作り上げた世界に籠ってしまう。
小我を開け放つこと。
それが今で言う「手放す」なのかもしれない。

小我にこだわると、苦しみと喧嘩しか生まれないし、
かといって、全て明け渡してしまうことともまた違うだろうし。
でもきっと、世界はそんなこと超えた大きな世界だから、ちょうどいいあり方はあるはず。

占星術で太陽は「自我」であり、これを意識の中心におくことで宇宙へと歩を進めて行ける。とありますが、
ここで言う「自我」とは、ここまで書いてきたような個人主義、自意識という意味での「小我」ではなく、
シュタイナーの星の本では、
私という存在を肉体や心や魂や、全てを俯瞰して捉え、その意味を理解しながら進んでゆくのが自我だというふうに言っていて、

大人になった私が「自我」を中心に置く必要があるという意味は、
「大我」という意味なのだと思うのです。

なので、占星術の太陽の示す「自我」という言葉は、
パッとイメージされる「自我=個=小我」ではなく、むしろ「自我=全=大我」の意味合いじゃないかな。
私はそう思います。

アロマの講座(プレ)で、
意識が把握して、常に考え続け、心に囚われている「私」ではなく、
肉体、魂、あらゆる存在の「私」に広げて、それらと会話してゆくためのエッセンスとして精油がある、とお伝えしていますが、
この「自我=全」の視点を持つためにアロマはとても大切な役割をしてくれるように思います。

そこのところをもっともっと追求してゆきたいな。

鬼無里の夜にそんなことを考えていました。


そして、旅を通してずっとずっと、そびえ立つアルプスを眺めながら、
人工物であるビルがそびえ立っている都会にいると、自分が無力で誰にも価値を持たれようもないちっぽけな存在のように思えるけれど、
同じそびえたっているでもアルプスだと、自分が無力でちっぽけな気にはならなくて、大きくて強いなにかがいつでも認めてくれている。
小さくて何もできない私であることは同じなのだけど、お山に通じるものが自分にもあるという誇りを感じるというか、
そんな違いを改めて感じました。

それが「自我=個」の切り離された感と、
「自我=全」の嬉しさの違いなのかもしれない。



山々に見守られて、魂の洗濯して帰ってきました。
長野は私の魂の故郷に思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?