白神山地のブナの森と土星
ひと月以上経ってしまいましたが、北の端に太古からの広大なブナの原生林(白神山地)が残されていることについて、何か言葉にしたいと思ってきました。
シュタイナーによると、ブナは土星に属する木です。
そして日本中を覆っていたブナの木は、木材としてあまり使い勝手が良くないということで、産業面での理由からどんどん伐採され、利用価値のある杉などの植林に置き換わっていったということです。
それは「ブナ退治」と呼ばれるほど。
ブナはゆっくりゆっくり成長します。まるで順行以上の逆行をしながら少しづつ前に進む土星のように。なので、荒っぽく木肌がコルク状に割れたりすることもなく、すべすべと美しい。
幹は中心軸からじっくりと広がる樹形をしていて、周囲に合わせてひょーっと伸びたりということのない、重鎮な感じ。
閉じていて、じっくり軸から育まれていく。
それが土星に属するブナの木だそう。
近代以降、この木を価値なしとしてガンガン伐採していったというのはなんとなく分かる気がします。
そして月に属する桜が尊ばれているのもまたセットで。
土星は世界の全てを知るもの。
全てを知るが故に口調は厳しく、足取りは重く、憂鬱に閉じがち。
はてしない物語の亀のように。
それよりも、重さがなく、表層的で美しく、心を揺らす月に属する桜の世界観を求めていくのが現代なのでしょう。
でも北の端、最大規模の縄文の遺跡の残る青森の地に、ブナは残されていた。しかも広大で、外れていたからこそ人の手が及ばない形で。
あぁ残っていた。
そのことがどれだけバランスを保ってくれていたのだろう。
プラスチックでヴァーチャルに世界が進む中で、残っていてくれている。
北と南の端には本当を伝える文化(琉球、アイヌ)が残ってくれている。そして、東北のこの白神山地の森は、伝え続いているというのではなく、一本一本が長い年月を生きて、世の中の移り変わり、時の流れを見続け、息をし続けてくれている。
その息遣いは日本中に、世界中に、人知れずもたらされているのだと思うのです。
この世界の全ての意味を知るものの息遣いが。
実際に白神山地(正確には人の手の及ばない世界遺産地域ではなく、周辺の散策エリアですが)のブナの森を歩いてみると、ブナと同じくらいに楓がありました。
しかも可愛いぷっくり楓(コハウチワカエデ?)
あれは北の種なのかしら。
楓は水星、風。
重厚なブナに寄り添って、太陽の言葉を伝えている軽やかな子。
そして山紫陽花や、いろんないろんな植物動物たち。
役者が揃っているなぁ。
ブナがあり、様々な特性の動植物たちがある。
それは長老がいて、旅人がいて、結果盛んな若者がいて、…
豊かな村のような姿であり、
その中に身を置くと、自分もまた違う特性を持つ一人として安心してこの剥き出しの地球にだっていられる。
植物の頼もしさを心から感じました。
いま、私たちは、しっかりとブナに目を向け、耳を傾けて、世界とはどういうものなのか教えを受ける時なのかもしれない。
ゆっくりでも、華々しくなくても、そこから始まるし、そこにたどり着くしかない。
昨年から沖縄、北海道、そして青森と誘われ、ブナの原生林に立ち、
あぁ私は、地球の本当のことをじっくりと知って、目に見えて進んでいないように思えても、一般受けでも人気でもなくても、一つ一つ中心軸から物事を選択してやっていこう。そういうふうに日常のことから生きていこう。
そんなふうに思いました。
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