見出し画像

思い込み文化からの脱却

やくさひろです。
2022,春全国書店にて発売される書籍執筆に至る中で、感じたことを綴っています。

幼少期の頃から私は相手に合わせること、場の空気を読むことが苦手な子供でした。当然周囲からは「協調性がない、歩み寄りがない、自我が強く」と批判されたものです。

例えばこんなシチュエーションがありました。
小学生の文化祭でピアノの伴奏者を決める時、私はピアノの発表会にも数々出場していたことから挙手をしました。しかしそれが批判の的になり「ピアノなんてみんな習っているのに何故手を挙げるの」と当時クラスメイトの両親からも批判めいた言葉を多く受けました。場の空気を乱したりクラスメイトの誰かを傷つけたりそういったことは一度もしたことはありません。
ただ「皆と同じ方向を向く」「諦める」ことができない子供でした。

では何故私が当時から人に嫌われても自分の意思や意見を伝えてきたのかについて考察してみます。

私は幼少期の頃にいじめられていました。手を触ること、握ること、労わることで自分の心を安定させ踏ん張り方を学んできたのです。家族に知られて心配をされたくないという思いから手だけが私の相棒でした。そんな幼少期時代から今日までずっと手のお手入れをする中で、得たものがあります。

それは、自分の意見を持ち、それを堂々と人に伝えることができる能力です。私は日本人特有の「話さなくてわかるよね。通じ合えるよね。」という空気を読むという感覚を疑問に思います。

逆にいうとこれは「思い込み文化」であり「こうに違いない。だから先回りしてこうやってあげよう。〇〇さんはこういう人だから」という想像したり想定をしたり仮定をすることがとても苦手なのです。
結果、誤解を生むこともあり、ルールも誤解もない文化を作りたいと幼少期の頃からずっと考えていたのです。

自分の意見を持ち、人の意見に流されない芯のある人に成長するためには、自分なりに人生を楽しみ自分を労わることが根底にあります。自分を常に労わり大切にすることを手のお手入れから学び、また手のお手入れをすることで自信をもつことができるようになります。つまり自分のことを好きだと堂々と表現できるようになるのです。何歳になってもどのような環境下でも「なりたい自分」というイメージを強く持っていることが、ブレない強さに繋がってくるのではないでしょうか。

相手のことを推測する、空気を読むということは一見協調性があるように感じられますが、自分の意見や主張を隠して相手の心情を推測し思い込むというのは、本来の自分の姿で生きることができていないように感じませんか。

手のお手入れは心のお手入れ。
常に自分に対して正直に心の声を拾い、自分に対してアンテナを張り巡らせて些細な感情でさえも両手でキャッチし、労わってあげましょう。そうすることで、自分の心地よい、好きなもの、時間をかけてでも大切にしたいものがわかってきます。結果として自分と向き合う時間を多くとるができ、手のお手入れ時間が充実したものになります。

思い込みで相手を推測し、本当の自分が表現できない人や、本音で会話ができない人が増えてきたからこそ、SNSを感情のはけ口として罵り合ったり否定批判をしたり、ネガティブな感情が溢れてきたのではないでしょうか。
恐らくそういった方は自分を労わる時間を持っていないのかもしれません。

自分に合わないものばかりだと思い込んでいるのかもしれません。自分の好きってなんだろう?心地よいってなんだろうと考えてしまう人は、まずは自分を愛せるように手のお手入れから労わることをはじめてください。
どんなに辛いことがあっても私はまっさらな世界を自分の心に置くことを意識しています。
自分自身と向き合い、今の私に何が必要かを見直すために重要なことなのです。考えすぎて煮詰まって何をしたらいいのかわからない、日常のルーティンで物事をやっても楽しくないと感じる場合は、是非取り入れてみてください。

自分の寿命があとどれくらいか平等に「わからないこと」だからこそ、自分の心にかけているストッパーをはずし、表現できうる全てのことを誰かに伝えていきませんか。思い込み文化が日本人の美徳であるわけがありません。どんなに気を使って配慮をしても人の意見は賛否両論あるわけです。

そういったマイウェイを貫く強さを与えてくれたのはまさに「手のお手入れ」だったのです。
自分のペースで過ごすこと、好きな物事や人のために時間を使う大切さを実感でき、人生を何よりも楽しく幸せだと感じることができるようになります。


やくさひろです。 記事が広くシェアされ、手のお手入れを通して誰かの幸せに繋がることを願っています。 いただいたご支援は活動費として使用させていただきます♡