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【茶道の心】明けましてお茶の世界②【Tea World feat.ヤク】

こんにちは. ヤク学長です. 前回はお茶の精神世界に触れた.
今回は茶道による「侘び寂び」の世界.

茶道による侘び寂びの世界戦

前回は茶道は、書道や華道や着物に至るまで日本の「美意識」がすべて詰まった総合伝統文化として触れてきた。

ふと、そもそもお抹茶はどのようにして作られるのだろうと気になったので米国在住の友達にリサーチ. お抹茶はなんと心得るか?と説いてみた,,,すると,,,

「お寿司屋さんで飲んだことがあるやつ」と返答が返ってきた.

なるほど.日本のお茶のイメージはお寿司屋さんで出される「煎茶」のイメージのようだ. 要するに, 現代の諸外国の人から見た日本は、お茶室よりもお寿司屋さんの方が特別に格式高いものなのかもしれない. 

とはいえ, 日本人としてお抹茶と煎茶の違いを知らないのもなんなのでリサーチ. 

煎茶とお抹茶の分岐点

お抹茶の栽培方法から調べるとなんとも趣気深い工程だろう.

始まりは一緒. 燦々と輝く太陽の光を浴びて苗木はスクスク育つ. 新芽が伸びる茶摘みの時期. その2週間前ぐらいから直射日光が当たらないように黒い布をかける. 遮光率は98%の世界, そこは一面真っ暗闇の世界で新芽は太陽の懐かしさを感じて成長していくようだ. 

日光を遮られたことで緑草が増加し,それはそれは綺麗な緑色になる.
匂いもとても香ばしいお茶の香りが漂ってくる.

日光を浴びないことで渋味成分のタンニンが少なくなる. その代わりに旨味や甘味を感じる成分であるアミノ酸のテアニンが増加する. 太陽光線にテアニンは弱く簡単に破壊されてしまうので, 闇に閉じ込めておくことでテアニンが生成され甘くなる.  

暗黒世界で新芽も恐怖に駆られ身も硬直したころに(適度な張りが感じられるころ)に, 職人の手で1本1本,  指でしごいて摘採するそうだ. 

その後、職人の手で積まれた茶葉は蒸気で蒸されホカホカの状態に仕上がる. まるで, 湯船に浸かった後のような艶やかな状態. 

ここが運命の分かれ道. 煎茶になるか?抹茶になるか?

煎茶の場合は, 葉を揉まれて乾燥を繰り返す. 抹茶の場合は, 葉を揉まないですぐ乾燥させる工程になる. たった一手間. この「揉む」工程を加えるかどうかが分かれ道. お寿司屋さんへ行くのか,お茶室へ行くのか. 

分岐はどうあれ乾燥させることにより茶葉の酸化が止まる, 酸化を止めることでより一層華やかな濃緑色となる. それは, まさに宝石のような輝きを放つ. 

こうして出来上がった一連の工程により煎茶or抹茶の原料が出来上がる. 

「玉露」か「碾茶」かの分かれ道

さらに運命の分かれ道が待っている.「玉露」か「碾茶」になるかの分かれ道. 
「玉露」は煎茶と同様に揉む段階を経て製茶するが, 「碾茶」は揉むことなく次の工程に進む. 

お抹茶へと進む道は「碾茶」のルート. 「碾茶」はお抹茶が誕生する前の呼び名. その後, 石臼でゴリゴリ磨り潰してお抹茶が出来上がる. こうして出来上がったお抹茶の粒子は非常に細かく, 約4ミクロンとキメの細かい粒子となっている.

なぜ石臼で引くのか?,,,石臼は石自体の重さと摩擦係数の関係が絶妙で,再現不能な粒子をこの世にもたらしてくれる. 一度, 口にすれば極上の幸福感を我々に与える. 微細な粒子は仄かな風にのり, 広大な深緑の香りをあなたにもたらしてくれることでしょう. 

さて, お抹茶を立てたくなってきたところではあるが, お抹茶の侘びしさも感じてきたので「侘び寂び」の話でもしようではないか. 

侘び寂び(Wabi-Sabi)

日本の美意識の中でも侘び寂び(Wabi-Sabi)と言う言葉がある, 日本に元々ある美意識の1つ. どうやら本来はこの言葉は「侘び」と「寂び」で別々の意味を持っていた. 

【侘び】=寂びの味わい深さや美しいと思う心の内面的な豊かさを表す言葉

【寂び】=時間の経過とともに色あせて劣化することで出てくる味わいや趣ある美しさ

「侘び」は室町時代に茶の湯と結びついて発達した背景がある. 「侘び寂び」として西洋的に圧縮されて英語でもWabi-Sabiとしてそのままの言葉で通じることは東洋的が逆噴射が起きている. これは, なんとも近代合理主義を背景とした西洋的モダニズムと東洋的な極化した侘び寂びとが対局的に位置する美意識だということがわかる.

詰まるところ「侘び」と「寂び」の両方が合わさった結果, なんとも落ち着いて, 静かで, 質素なものが感じられることを「侘び寂び」と言うようになった. 

茶道はこの「侘び寂び」のメッセージをとても大切にする. 静寂で澄み切ったお茶室で,,,ただ目の前のお茶を立てることにのみ集中する

ひたらに脳で思考を巡らせるのをやめて, 身体の感覚に意識を向けて心を落ち着かせる. 自分自身と向き合い精神を高めていく.

茶道は一見, 不可侵の壁があるように感じるが, おそらく決して難しいものではないのだろう. 本来, 日常生活での一体を源流を元にしている教えであるからこそ, お抹茶を出されたらただ味わうのみ. いや, 心に忠実に, 身体に忠実に,ただ目の前にある御抹茶をいただけば良いのである.

千利休もこんなことを言っている.
その日1日1日を大切に生きる」 

茶道の精神はなんとも美しきこと. 1日1日を大切に生きることは, 現状が既にいかに幸せな状態であるかを思い出させてくれる. 追い求める幸せというものはなんとも儚きこと夢の如し.

茶のGENRYU

茶道の歴史とは千利休が頭に浮かんでいることと思うが, お茶の歴史は紀元前2700年頃まで遡る. 中国で「薬」として生まれたことから始まったとされている.日本に伝わったのは時を越えて時代は平安時代のこと.

一体, お茶には何千年の歴史があることだろうか. 近代から流入したシニフィアンとシニフィエンのような言語関係のように, 言葉のロジックから解放されたフレーム外の阿頼耶識的な感覚が多分に含まれている. 

茶道は「動く禅」とも言われているのは納得だ. 「静」のお茶室で精神を統一してお抹茶を立てることは現代人の疲れた精神を修養することでもある.

茶道が目指すところは余計なものを捨て「シンプル」に生きると言うこと

きっと現代のミニマリストも自身の心に忠実に選択をした結果はシンプルになっている. 行き着くところは「茶の世界」に通じていることだろう. 外界の殺伐とした世界と全くかけ離れた異空間、極めて静寂で平和のお茶室, 一は全であり全は一. きっと,,,きっと, その中で自分自身と対話し心を整えていたことでしょう.

最初の外国のお友達の話に戻るが, 煎茶という言葉はなぜ知ったのか?と聞くと, 岡倉点心の本に書いてあったとのこと. なんともまぁ,,,岡倉天心の「茶の本」の偉大さを感じながら今日も茶を立てて夢現に浸るのである.


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