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副業を始める前、どれだけポンコツ人生を送っていたか赤裸々に暴露します。

半年ぐらい前。

ある人から何気ない質問をもらった。

質問者は顔をキョトンとさせて理解できない様子だった。

何かの冗談だと思ったのだろう。

妻子持ちサラリーマンの環境でYouTubeで銀の盾を2枚獲得し、3年以内に副業収益が1億円突破したと言っているのに、

その人物が30代突入時はニートだったと言うのだ。

ちょっと何言ってるかわからない...と思われても無理はない。

でもこれ、事実なんです。


…ということで今回は従来の副業の概念をぶっ壊し続けたヤコは一体どんな人物なのか?どうやってそこまでたどり着いたのか?

それを改めて自己紹介もかねてお伝えしたいと思います。

過去の人生において失敗続きであったとしても、
特別優れていない凡人だったとしても、
現代は下克上できる環境があると。

より多くの人に知って頂きたいと思ったので。

ちなみに、これは僕の運営しているYouTubeスクール「HYBRID YouTube プロジェクト」通称HYPの中のサポートの一部で行ったウェビナーの抜粋なのですが、参加して頂いた方々からも「神回」と言われたものを書き起こしました。

僕もそこそこのフォロワー数にもなり、最近フォロー頂いた方は「何となく凄そう...」みたいなイメージを持っていらっしゃるかもしれませんが...

全然そんなことないです。

ちょっと前までの僕は凡人の極み...
いや...それ以下だったかもしれない。

しかしそんな人間でも今は下克上はできるんです。

これ読んで頂くだけで今色々厳しい環境にある人も、いつかきっと自分の夢を掴むことができる。

そんな希望と勇気を与えられる内容になっていると思います。

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今回は無料noteで一般公開していますが、年に1回か2回しか行わないシークレットセミナーでのみ聴ける話やYouTubeの今後について重要な共有事項がある時は以下のヤコ公式LINEでお知らせなどもしています。
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重要情報を漏らさないためにもこの機会に登録しておいて下さい。
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今回はヤコという人物がどんな人間なのか?
興味のある方だけで良いのですが、
改めて知って欲しい意味もあり執筆しています。

このnoteを読み終わった後に(@yako_tera)にメンションをつけてツイート感想を頂けると泣いて喜びます。

では、僕が今まで歩んできた人生を振り返りながら、

ヤコとは何者なのか?
どれだけポンコツだったのか?
どうやって這い上がったのか?

これらをお伝えしていきます。

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◆アホすぎる小学/中学時代


僕は今年で40歳のいい歳したおっさんです。
中学の頃はXJAPANとエヴァンゲリオンにハマり。
大学のときはスロカスだった時代もあります。

そんな僕の幼少期はとにかく落ち着かない子供でした。

通知表には常に「落ち着きがない」と書かれ、頭から5回も血を流すほどの怪我をするヤンチャを通り越したバカだったと思います。

学校の成績は「どれだけ目立つか」で決まっているという独自の謎理論により、常にクラスをシラけさせるほど目立とうとする空気の読めないヤツでした。

当然、通知表の結果は言うまでもありません。



中学時代はたまたま近くの中学校のレベルが高かったため学力はそこそこ上がります。

一方、この頃はクールな男がモテると勘違いして小学校時代から一転して無口な硬派な男へ変身。

しかしただのコミュ力がないカッコつけ野郎にしか見えなかったと思うので当然モテずに爆死。

勉強は友達などまわりのレベルに合わせることである程度高い学力をキープ出来ていました。

結果、志望校に高い確率で入れると事前の学力テストで知ったヤコは、受験勉強を全くせず悪友と遊びまくります。

それでも志望校に合格はしたのですが、この結果が後々悪い方向へと進んでいくのです...


◆迷走する高校時代


高校では受験の努力を疎かにしたせいで勉強する習慣が完全になくなってしまい、学年順位は下から数えた方が早いほど落ちぶれます。

ワースト10以内とか日常茶飯事でした。

小中と続けていたサッカーも辞め、何もすることがない帰宅部へ。

たまに友達と麻雀をするぐらいのスレた青春を送っていました。

特に人生の目標ややりたいこともなく、目的もないまま大学受験へ。

「とりあえず大学は行っておいた方が良さげだから行くか...」的な、ありきたりのパターンのやつ。

しかし勉強する習慣がなくなっていたので受験勉強がとにかくツラい。しんどい。

友達が予備校で一生懸命学ぶ横で、講義をサボりまくってゲーセン通い。
かなりどうしようもないヤツだなと今思い出してもそう感じます。

そんな自堕落な生活を続けていると体に大きな変化が現れます。

本来は大学受験に向けて勉強をしなければならないという、

・強迫観念
・極度のストレス

これにより「重度のアトピー」が発症。
嫌なことから逃げているのにストレスからは逃げることが出来ていない。
人として弱すぎると言っても過言じゃないと思います。

しかしこれが尋常じゃなくキツイ。

一般的な軽いアトピーではなく、全身の皮膚がただれるミイラ男状態。

見たことある人にしかわからない例えで申し訳ないですが「もののけ姫」に出てくるエボシが世話する病に侵された村人みたいなイメージ。

この頃は毎日死にたいと思っていました。
看病してくれる親にも常にそう言ってしまっていた。

それを聞くたびに泣く親を思い出すと、
今では本当に申し訳なかったなと思います。

結果、もはや勉強したいと思ってもできない状態になり、名前を書けば入れるような地元の三流大学に入ることになったのです。

しかも一浪で...

こうして人生のビクトリーロードとは程遠い落ちぶれ感満載のストーリーで始まり、ここから華麗なる逆転劇に転べばいいのですが...

人生、そんなに甘くないんですよね。


◆微妙すぎる大学と新しい挑戦


大学は三流大学というだけあって素晴らしい学校でした。

生徒数は定員割れ。
一コマ90分ある授業は教授のやる気のなさから15分で終わる。

これ意味わかんないですよね?

課題の提出と次の課題を伝えるだけ、という内容で速攻授業が終わるんです。

ここの大学教授の仕事、マジでイージーすぎてヤバイ。

大学の「単位」という仕組みをあまり理解していなかったヤコは、1年と2年であまり授業のコマを取らず後半卒業ギリギリの瀬戸際まで追い込まれます。

今思えばこの頃、20歳前後の時はアトピーの症状が治らず、自分の見た目を卑下しながら人とはなるべく会わない行動をしていました。

その潜在意識から人と会うのを避けて授業の取得コマ数を減らしていたのかもしれません。


その後、重症だったアトピーは受験の重圧から解放されたことで徐々によくなっていき、ようやく少しずつ色んな活動ができるようになっていきました。

その時友達から誘われて課外活動としてのボランティアやインターンに積極的に取り組むことになります。

まぁ...大学でやることがなさすぎて課外活動やってみた...みたいな流れです。

この頃は全く気づいていませんが、今思えばこの活動を通じて「自主性」みたいなものが少しずつ芽生えていたのかもしれません。

自ら動くことの重要さと言いますか。

「自分で行動範囲を広げた分だけ可能性が広がる」

そんな体験ができていたのだと思います。

その活動が楽しくなってきた頃に大学生活における最大の壁。
就職活動の時期に入ります。

しかしまぁ、さすが三流大学。

大学3年になっても誰も就職活動しない。

「なんとかなるっしょ?」的な考えの人が大半。
僕もこれに流され大学4年になり、ようやく焦り始める。

こうして、「とりあえず男なら一度東京を体験しとくべきだべ!」という謎のノリで東京での就職活動を始めます。

満喫やネカフェに泊まりながら色んな企業の面接を受けるのですが、ようやく東京で一社拾ってもらえる会社があり、内定を頂くことが出来ました。

こうしてヤコは、地元企業に就職する友達に
「ワイは東京で一旗上げてくるわ!」

…と意味不明にイキリ散らかして大都市に殴り込むのでした...



◆社会人編(新卒時代)


北国出身の田舎者が初の東京進出。

まるでお祭りのような人混み。
南米か?と思うような蒸し暑さ。
立ったまま寝れるほど過密な満員電車。

田舎から出てきたイキリ青年は早速大都市の洗礼を食らう。

しかし三流出の自分には誇れるものが何もない。
この会社で誰にも負けないよう、
今度こそ頑張ろう!

そう決意していました。

営業会社だったため、とにかく手数だけは負けてはいけないと、営業対象に手当たり次第にアタック。

この頃の周りの評価は、
何も考えずに突き進む新卒、ってイメージだったらしく、よく「ノリと勢いだけのヤツ」と上司に言われ、からかわれました。

逆にそこを可愛がってもらえて気に入られた側面もあったので結果オーライ。

東京に出てきたばかりで鼻息も粗かったので、
小言を言うムカつく先輩には...

「結果でねじ伏せりゃいいだろ」

という生意気さ全開で突き進んでいました。

昔の僕はとにかく生意気、
だらしない、
いい加減、
無計画。

お金も使い切ってなんぼぐらいの感覚。
ガス代の支払いも遅延しすぎて冬でもお湯が出ない。

貯金なしでリボ払いしまくってクレジットカードの信用情報も焦がします。

普通に愚かな若者って感じ。


ただ営業としての行動量はそこそこあったため、
2年目にはその事業部内でナンバーワンになれました。
言うて数十人程度の規模なので全く大したことはありません。

しかし、愚かなヤコはここで何かを成し遂げた気になってしまうんですね。

「今の自分ならもっと大きなことできるんじゃね?」

少し勘違いを始めます。

「このままサラリーマンという社会の歯車で人生いいのか?」

大した経験もないのに人生とか大きなことを考え始めます。

この時タイミングが良いのか悪いのか...

同じように考えていた地元の友達がたまたま近くにいたため、その友人二人と一緒に三人で「起業しよう!」というノリになってしまいます。

はい。

地獄へようこそ。


◆起業編


3年近くお世話になった会社を辞めることを決意し、
鼻息荒い男たちは夢に向かって地元で起業することとなります。

これが地獄の入り口とも知らずに...

・事業計画など皆無
・サークル活動ノリでのおままごと
・ただ自分たちのやりたいことをやるだけ

今思えばビジネスの「ビ」の字も知らない子供のお遊びの延長線上だったような気がします。

具体的にどんなことをやっていたかというと...

・飲食の移動販売
・フリーペーパー発行
・イベント集客事業

などなど、とりあえず楽しそうだからやる。

…って発想。

これがまた、マジで儲からない。

本人たちは至って真剣なつもり。

しかしビジネスとしてあまりに稚拙で、
自分たちが食う分すら確保できない。

結果、僕も他の会社でバイトしながら自分たちの会社の事業をやるという本末転倒な状態が一年近く続きました。

そのうち仲間内でも、

「いやいや、他でバイトしててもしゃあないやん!」

「一回ちゃんと注力してやろうや!」

みたいな流れになり、バイトをやめて自分たちの事業一本に絞るも...

まぁ稼げない。
笑っちゃうぐらいに。

自分の給料が3ヶ月出ないとか普通でした。

「今月は給料出せるかもよ!!!」

…と、月給貰える方が珍しいという状況。
それも15万円ぐらい。ほんとマジできつい。

この頃は実家に転がり込んでいたのですが、実家じゃなければ普通にのたれ死んでましたね。

とにかく家にあるものを何でも売って食いつなぐ状態がまた一年ぐらい続きます。

その後知り合いからたまたまネット回線の代理店の話をもらい、あまりに稼げなすぎた僕らはとにかく目の前にある仕事で資金を作ろうと躍起になります。

当時は光回線などの新規のネット回線を受注すると数万円の報酬が貰えたので、これを何とか積み上げられないか?と考えます。

そこで町の小さい不動産屋にひたすら営業ローラーをかけて、ネット回線を必要とする新しい入居者を紹介してもらう策に出ます。

紹介料として不動産業者に数万円キックバックする形式にしていたので、少しずつこれで受注が取れるようになってきました。

さらに電話営業の仕事もあると聞いた僕らは、ある会社のフロア内の一部を間借りさせてもらい、そこでひたすら光回線を引いてもらう電話営業を何時間も繰り返しました。

ここでようやく食いつなげるようになります。
給料として月20万円以下。ちなみに当時28歳前後です。

言うてそんなに稼げていない。
そしてこの仕事がまぁしんどくてつまらない。

好きなことやってきらびやかに生きるイメージを持って起業はしたものの、やってることは泥臭い仕事ばかり。

しかし、これが現実でした。

「ああ...お金になる仕事って人がやりたがらない、つまらない仕事なんだな...」

当時そう思ったことを覚えています。

さらに今までギリギリの生活が続いていたため、
心にも余裕がありません。

アルバイトを雇うもきちんと教育したり、
成長を見守る余裕がない。

そして当の僕本人は、
切羽詰まった異常な熱量で空回り。


それが続いたある日。
アルバイトの一人がこう言いました。

「すみません。本日で辞めさせて頂きます。」

マジか。稼働人数ギリギリなのに勘弁してくれ...

僕がそう思った矢先、

5人いたアルバイトの残り4人も同時に、

「私たちも今日で辞めます。」

!?

全員!?

頭が真っ白になりました。

こんな未熟な人の元ではとても働けない。

きっとそう思われて、皆、裏で結託していたのでしょう。

この日から僕は一人になりました。

5人以上で回さなきゃならない仕事を残して。

結果、毎日徹夜のような生活が続き、心身ともにボロボロになります。

何とかここを乗り切ったあとも、この先の自分の将来について漠然と不安を感じるようになってきたのもこの頃です。

「このままこの先も食いつないでいくことができるのだろうか...?」

「いつかまた給料の出ないあの極貧時代に戻るのでは...?」

そんな考えが常に頭をよぎります。

もちろん貯金なんかありません。
今度給料が出ない期間が続けば…
もはや詰みです。

今このnoteを読んでいる人からも、
「そろそろ諦めたらいんじゃね?」
そんな声が聞こえてきそうです。

ごもっともです。

当時付き合っていた彼女にもそんな微妙なタイミングでプロポーズしたのですが、当然NGでした。そして見事にフラれる結果に。

悔しくて地下鉄のホームで泣いたことを覚えています。

とは言え、そりゃそうですよね。
普通に考えて当時の僕に将来性を全く感じないもの。

「今やってることを辞めて、普通のサラリーマンに戻ろうか...」

「毎月給料がほぼ確約されている普通の会社員...なんて羨ましいんだ...!」

そう何度も思いました。

ちなみに会社を起こす(起業)なんて全く特別なことじゃありません。
書類を作るだけ。誰でもできる。面接を受けて就職するよりも簡単。
そして僕たちは誰かにもらったつまらない仕事をやるだけ。

学びもない。普通にキツイ。
やってる意味あんのかな?

そう思いながらも、

「自分だけ逃げるなんて...」

一緒に会社を立ち上げた仲間を裏切ってしまうのでは...?そんな考えが常によぎり、ズルズル続けていた自分がいます。

そして、この強いストレスは僕の体をどんどん蝕んでいったのです…


突然襲う強烈なめまい。

立っていられない。

激しい嘔吐。


救急車で運ばれた先で診断されたのは「メニエール病」

治療法がない難しい病気。

その後、何度もこの症状に襲われることになります。

入退院を繰り返しながらも自分たちの仕事を続けていましたが、流石にそろそろ限界を感じてきました。

ことあるごとに倒れる今の自分には、まともに働くことすら出来ない。

「僕にはもう何も出来ることはないのだろう...」

そう考え、ここで辞めることを決断します。

この時すでに30歳。

もちろん次にやる仕事、目標など何もありません。

ただ実家で親の同情を買い、ひっそりと息を潜めるだけ。

30歳にして僕は持病持ちのニートへと成り下がることになるのです。


30歳と言えばそこそこの大人。社会経験も豊富で、結婚して家庭を持つ人も多いでしょう。

しかし僕はこの時点で空っぽでした。

本当に何も残っていない。

小学校時代から落ち着きがなく。
中学では受験から逃げて遊びまわる。
高校でも受験から逃げ、挙句の果てにストレスで重度のアトピー。
三流大学で何も学ばず、就職活動もギリギリで滑り込み。
一大決心した起業も手元に何も残らず、
30歳でただの持病持ちニートへ成り下がる。

…どうでしょうか?

自分が30歳の時、これよりはマシな経歴だったかな?
…って人も多いのではないかと思います。

もちろん、もっとしんどい人もいるでしょうけど。

この時点で僕は圧倒的に失敗しかしていない。
そしてその失敗からも大して学んでいない。

凡人の極みどころかそれ以下。
それが30代突入時の僕です。

「この先どうしたらいんだろう...?」

さすがにこの時は未来がなさすぎて絶望しましたね。

もしかしたらこの時の僕と同じように、

・先の未来が見えない。
・失敗だらけの人生だった。
・今の自分に自信なんて持てない。

そう感じている人も多いかもしれません。

ただ...一つだけ言えることは、

まだ終わってないんですよ。

僕の人生も。
あなたの人生も。

一年近くニート生活を続けた僕もさすがに危機感を覚えます。

「そろそろ働かなきゃやばいかも...」

この絶望的な状況から再起を図るのです。


◆サラリーマン復活編


持病持ちニート生活も半年が過ぎた頃。
起業という重責から離れたおかげか、ストレスも軽減してメニエール病の症状も少しずつ和らいできました。

当時は本当に何もすることがなかったので、やっていたことと言えば

・無課金でのパズドラ攻略
・ニコニコ動画を見ることぐらい

これで1日が終わります。
ゴミみたいな生活。
この繰り返し。

半年ダラダラした後に、ソシャゲも動画視聴も飽きたし、ヒマだから今度は自分で動画でも作ってみようか?

…と思い、無料ソフトのAviutlをインストールして少しずつ動画編集で遊ぶようになりました。

今YouTubeで色々活動するための原型がここで生まれたのだと思います。

とは言ってもこの時はただの遊び。暇つぶしにしか過ぎない。

ニートになり一年近くが過ぎそれにも飽きた頃、
「さすがにそろそろ働かないとやばいかも...」
そう考えてようやく再就職活動を始めます。

しかし困ったのは自分のキャリア。
改めて見るとマジでまともなキャリアを積んでない。

でも今度こそちゃんとした会社で安定した暮らしを目指したい。

「さてどうしたもんか...」

色々考え抜いた末。

「もうこれは自分の起業時代の経験を話しまくって、バイタリティあるスゴそうなヤツと思ってもらうしかない!」

そう考え、
「珍しい貴重な人材と思われる作戦」
を実行します。

「レアな経験してるから結構受かるんじゃね?」

そう考えて展開したこの作戦の結果は...

大した成果を生みませんでした。
普通に面接落ちまくりました( ^ω^ )

「なんか扱いにくそうなヤツだな...」

そう思われたのかもしれません。

そもそも失敗しているわけですからレアでも貴重でもなかったのです。

しかし、たまたまその中で、なんかスゴそうなヤツ作戦に引っかかってくれた会社がありました。

営業会社だったのですが、起業するほどのバイタリティがあればゴリゴリ営業で成果を挙げそうじゃない?と思ったのでしょう。

ノリと勢いでやってただけなんで全然そんなことないんですけどね。
わたくし壮大にコケてますし。

とは言え運良く一社拾ってもらうことができ、ここでようやく普通の、まともな一般人としての人生がスタートしました。

この会社には今でもめちゃ感謝してますし、当時はすごい嬉しかったです。

ようやく普通の人生が送れる...と思って。

しかしさすが失敗続きの人生を送るヤコ。

そう簡単にことは運ばないんですね。



僕の経歴は今までお伝えしてきた通り、
普通のサラリーマンとしての社会経験は2,3年くらい。
あとはノリと勢いでやってたおママごと事業。

いい歳した30代が身につけているはずの、
会社員としての素養がまるでありません。

さらに今まで好き勝手やってきた常識は当然通用しないため、会社のルールや社風としての常識に馴染めず苦労します。

そこそこ大きい会社だったので、そういうサラリーマンとはこうあるべき!みたいな空気が息苦しかったんですね。

組織人としての未熟さが存分に露呈してしまったわけですが、ようやく掴んだ普通の暮らしを守るために必死で結果を残そうと奔走しました。

ようやく慣れてきたかな...と思った矢先。

ヤツが現れます。

そう。重度のめまいを引き起こすメニエール病くんです。

「来るんじゃねぇ…!!!」

再就職という大きな環境の変化は自分が思っている以上にストレスとして負荷がかかっていました。

またもや入院することになるのですが、
この時の後遺症で右耳の聴力をほぼ失うことになります。

メニエール病は突発性難聴と同時に発症することが多く、今現在も聴力は戻らず僕は左耳だけでほぼ全ての音を拾う生活を送っています。

その後、めまいの症状もようやく良くなってきたかな?
…と思った矢先。

さらにここに輪をかけてヤツが現れます。


そう。アトピー性皮膚炎くんです。

「もう...なんなんッッ!?!?」

って感じでした。

朝から晩まで痒くて仕事に集中できない。
でもそんなことも言ってられない。

今では免疫注射(月5万円)を毎月打つことで症状も治りましたが、
当時はそんな苦しみと戦いながらもサラリーマン人生を全うしていました。

ここでようやく気付きます。

自分は「ストレスが致命的な健康被害へと変わる体質」であると。

薄々気づいていましたが、この時やっと確信します。

そして思いました。

「自分...弱過ぎなんよ...」

己の精神力の弱さを嘆きました。

こうしてヤコの中で一つの<人生観>が定まります。

「いかにストレスのない人生を送るか?」

これが僕の最重要かつ、最優先事項として、自らの人生観となったのです。

そしてもう一つ。それを成すために<仕事観>も定めます。

「顧客満足の追求」

顧客満足の結果が対価となり、
その追求が数字にもストレス耐性にも最もリターンが高いと。

これを自分の仕事観として設定したのです。

会社の評価を追求しすぎると数字としての要求がインフレして負担になる。

…ならば、顧客満足を追求してお客さんと仲良くなった方が僕にとっては良いと。その方が精神的にラクでした。

こうして、会社の評価より顧客の評価を優先しながら、ストレスを過度に受けない程度にバランスを考えながら仕事をこなすようになったのです。

出世して業務や責任などの負担が増えるくらいなら、
少しぐらい給料が低くても顧客のことだけ考える方が良いと。

ちなみにYouTubeにおける動画や僕が作る教材、コンテンツはこの「顧客満足の追求」の仕事観に基づいて全て生み出しています。

世間一般的な地位や名誉は大して気にしない。

手に取ってくれた顧客(ユーザー)が最優先であり、
その満足を最大限に引き出す。

それを最重要事項として考えて今も動いています。

そう考えるようになってからはサラリーマン生活も少しラクになりました。
自分のすべきことを明確にする、という意味で。


しかし、サラリーマンという環境はそう単純じゃないですよね?

同じような環境でいつまでもいられるわけじゃありません。

・業務命令
・異動命令
・方針転換

などなど、色んな辞令で仕事環境が変わることも珍しくない。

そして僕にもそれらに関わる白羽の矢が立ちます。

はぁ...気ままに楽しくやってたんですけどね。

欠員による補充で部署移動。
昇進する代わりに負担業務の増加。
そして横暴で有名なパワハラ社員が上司に。

ガラリと環境が変わりました。

部署移動してからというもの。
普段のミーティングでもその上司が求める答えを出せなかった時は、

「何それ?ああー56したいわ」
「はぁ?殴りたいんだけど?」

とか、その他暴言を普通に毎日言われ続けてました。

まずいですね。
僕のストレスゲージがどんどん上昇していきます。


そんな中、待望の第一子が生まれます。

最高に可愛い我が子です。

ようやく人並みの幸せを手に入れたような、
そんな気分になりました。

大きな環境の変化がほぼ同時に訪れたのです。

この時、僕は思いました。

・会社の人間関係は所詮ガチャ
・サラリーマンは生殺与奪の権を会社に常に握られている
・子供の将来を守るためには一本の収入源では真の安定とは言えない

これを強く考えるようになったのです。

・最悪会社一本に頼らない生き方はできないか?
・嫌な上司をスルーできる精神力をどう身につけるか?
・子供の未来を守るために必要なことはなんだろうか?

その結論として導き出したのは「経済力」と「土台としてのスキル」

クビになっても最低限生き残れるスキルを確保し、
「お前より稼いでるけど?」と、心の中で上司に呟く余裕を作り、
妻と子供を養える保険としての経済力。

これを作るしかない。副業で。

そう考えて2019年12月。

会社にバレない方法としてAmazonで狐のお面を購入し、

当時YouTubeで流行っていたビジネス系っぽいスタイルでまずは挑戦することを決意したのです。

こうして「ヤコ@失敗研究家」が誕生しました。

失敗続きの凡人でも覚悟さえ決めれば勝てることを証明したい。
妻子持ちサラリーマンでも副業で成功できることを証明したい。

これはフォロワーが少ない頃からずっと言い続けてきた僕の覚悟。

Twitterを始めてからずっと変えていない「失敗から学べ」というヘッダーは自分への戒めでもあったのです。

そしてこの覚悟は初挑戦から3年以内という短い期間において、
残りのサラリーマンの生涯年収を稼ぎ切るという形で実現するのです。


◆最後に


YouTubeは凡人に与えられた最後の希望。何者でもない人でも普通に生活しているだけでは得られない信じられないリターンを得ることができます。

こんな世界がまだ残っている内に皆さんもぜひ全力で挑戦して欲しいと思います。

YouTubeを始めてみたいけど、どんなチャンネルを作って伸ばしていけば良いかわからない。または始めてはみたが手探りすぎてどうしたら良いかわからない。という人はまず以下の赤noteで基礎知識をしっかりと身につけて下さい。↓↓↓

既にYouTubeを始めていてサムネやタイトルの作り方で悩んでいる人は以下のBrainは必修科目でもあります。↓↓↓

ガチで副業で生涯年収を稼ぎ切るほど濃密に濃く深い学びを得たい、という人は僕の運営するHYプロジェクトというスクールをオススメします。かなり手厚いサポートを僕自ら長期的に行っているので。

ただし常に参加に対して人数制限を設けているので、一年に数回あるかないかの募集タイミングでしか新規生を入れていません。

そのお知らせだけでもチェックしたいという方は以下のヤコ公式LINEに登録して再募集のタイミングをお待ち頂ければと思います。
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その他に重要情報を共有することもありますので、それらを漏らさないためにもこの機会に登録しておいて下さい。
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皆さんが良き副業ライフをお送りできることを願っております。

今後とも宜しくお願いします。

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