なぜ「人と接すること」が必要なんですか?
「一生暮らしていくだけのお金を稼いでしまい、早期に引退」することを示すFIREという言葉が流行った。
それを目指している人々がネットには蠢いているけれど、実際それが実現したとしても触れ込みほどいいものではない、ということはなんとなく一般にも周知されてきているような気がする。
「生活の心配をする必要がない」という状態は、一見するといいように思えるものの、実際には退屈で、面白くないらしい。簡単にいうと、ボケやすくなるようだ。
「ボケ防止」というと老人が心配することのような気がするが、若者だって頭を使っていないとボケるのだと思う。仕事をしていれば、強制的に頭と体を使うので、基本的にはボケにくくなる。
仕事に一生懸命打ち込んでいた人で、退職して暇になった途端にボケる人はたくさんいる。ボケないためにはどうしたらいいのだろうか。
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企業経営者はかなり高齢でもあまりボケていない人が多い。これはもちろん頭を使っているからだろう。
最近聞いた中で結構意外だったのは、田舎の町内会長はボケにくいらしい。決してそれが楽だからではなくて、田舎の人間関係は複雑で深いので、そういったものを常日頃から相手していると頭が鍛えられるのだろう。めんどくさい人間関係のほうが頭を使い、ボケ防止にはいいということだ。確かに田舎では高齢で矍鑠としている人をよく見かける。
デイトレーダーみたいに人と接触しない仕事というのも最近はあるけれど、そういう仕事をしている人は最終的にはどうなるのだろうか。
デイトレードは非常に頭を使うらしいので、その点ではボケにくいと言えるかもしれないけれど、人と何かを交渉したり、折衝したりする機会はあまりない(トレードの時間においては皆無だろう)ので、そういう意味での対人面での頭の使い方はしないかもしれない。
デイトレーダーとして一線でやっているうちはいいだろうが、大儲けしてFIREした生活に突入したら、ボケ一直線かも。
ある程度若いうちから対人交渉などの経験を積んでいかないと、いざ高齢になってから大変だろうな、とは思う。普通は年齢を重ねるほど対人面や交渉ごとには得意になっていく傾向にあると思うのだが、能力がちゃんと比例していない場合は、苦労も絶えないだろう。
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去年一年間は仕事のうえであんまり人と接することが少なかった。ひたすらデータを分析して、提案を作成したりしていた。それはそれで頭を使うのだけれど、対人間で実際に交渉したり折衝したりする大変さに比べたら、それほどたいしたことはない。
やっぱり人間が一番苦労し、エネルギーを使うのは対人関係だと思う。しかし、これも場数を踏んで鍛えるのが一番だと思うので、恐れたり、面倒がらずに、他人と接していきたいな、と。
結局、「思い通りにならない」ことが大事なんだと思う。思い通りにならないことでストレスも感じるが、「じゃあ、どうしたらいいのか?」と真剣に考える。自分は趣味で将棋を指すが、もちろん負けることもたくさんあるので、そのたびにストレスを感じるものの、負けることで脳が回転しはじめる感覚がある。
対人関係もそうだろう。イエスマンで周囲を固めていても、自分のためにはならない。
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