SEED FREEDOMの感想を吐き出す場所

この記事は機動戦士ガンダムSEED FREEDOMのネタバレが満載になっています。

SEED FREEDOMを観てきた。

最初はあとで数百円でstreamingで観ればいいかと思ってたんだけど当時と今では「ナチュラルVSコーディネーター」の対立への見方、感じ方が変わっているのではないか?と観てきました。

ところが、そういう気分で観にいく映画ではなかった。

面白かったけど、モヤる部分もあるので自分の考えや感想を整理するための文章です。

●ナチュラルVSコーディネーターの対立

やはり「遺伝子が優秀な者が偉い」「遺伝子で与えられた役割がある」みたいな思想自体、2002年もそうだが、まったく共感を産むものではないし、幼稚にすら思える。

2024年にもなって、そのような主義主張で戦争やってるのは何なの?って思ってしまう。

ただ、もう少し考えて「だからそんな幼稚な思想で戦争になるのはおかしいか?」といえば、2024年を生きている感覚からは、やっぱ戦争になるでしょ!となる。

その点だけは、当時(2002年)とは違う。そんなことで殺し合わないはずがない。しかもこの世界、核だけじゃなくて、宇宙から地上を焼く玩具もある。
2024年のほうがまだ平和なのかもなって思えてきた。

●SEEDらしさを感じた点

アコードたちは「デスティニープラン」(能力の優劣、能力ごとの役割)という価値観だったんだけど、主人公たちの価値観は「愛」だった。

アコードたちは、人類の平和とか、「全人類がその型にはまったらいいよね」みたいなことを言いたかったのに、愛する人は能力では決めないとか、恋愛とか恋人選びの話になってしまった。

遺伝子の優劣によるイデオロギー対立を痴情のもつれで戦争してるみたいにされてしまった。アコードとしては無念だろう。

この「話が通用しねぇ」って感覚がSEEDっぽさだと私は思う。

もっとちゃんと敵の主張、功罪を受け取って、俺もそう思うところもあるけど、でも…みたいなのは、ない。だって、デスティニープラン自体をマトモに取り合って「遺伝子じゃなくて努力だよ」みたいな話をするのも陳腐すぎる。

だから、もういっそ「愛」ってことでブン殴ってやるしかないということになってしまったのだろう。

「愛ってことにしてブン殴る」にすると、劇場に足を運んだ非モテナチュラル(あるいはヒューマンデブリ)にもレクイエム当たってますから。ボっとその場で炎上しますから。

「話が通用しねぇ」…論点がズレていくってのはリアルではよくあることが…。

●イングリット→髪の毛が青い、負けヒロインは善い人である

前半から、敵の荷物、弱点になりそうな香りが漂いすぎていた女、イングリット。あまりにも匂いがプンプンしていた。

アコードたちの中で、彼女だけがデスティニープランに疑問を持っていた点で、1番マトモだったんだろう。デスティニープラン通りに動かないのは何故?ってラクスに詰め寄ったのも、自分の迷い・疑問をラクスに解かせようと思ったからだと思うし、役割にはない人を好きになっていたから。

結局、ラクスを殺す勇気もなかった…勇気以前に、殺せないと思っていたように思う。

デスティニープランダメやな!って確信を得たとき、もう最終局面に入って、オルフェと一緒に死んでやることしかできなかった。

最期の最期でオルフェがイングリットの愛に気づいたかもしれないともそうでないともとれる見せ方でしたが、「オルフェは気づかなかった」と私は解釈しています。

そのほうが、2人にとって優しい解釈だと思うんです。
死の直前に気づいたら残酷。

●敵の言葉が率直だったのは良かった

遺伝子的に賢いって設定だけど、最後のほうの敵の言葉がバカだのアホだのというレベルだった。コーディネーターの賢い頭を使って考えたことがソレなのか?って。

「お前(ラクス)が、自分より劣った人間(キラ)を選んだのは、劣った者に崇拝されたいからだろ!」ってのは、ひどすぎて笑ってしまった。

でも敵が気持ちを率直に言ってくれたのは良かったと思う。それはデスティニープランの大義を唱えるよりマシということでもあるけど、やっぱどういう気持ちで死んでいったかが分かったほうが良いと思ったから。

「DPという大義に殉ずる」というほどでもなく、ただそれしか知らない人たちだったんだと思う。

●ラクスよ、「愛」で人を殴るな

最後の最期、「愛してくれる人が近くにいるのに気づかないだけかもよ」って言われてしまって、オルフェのイライラも最高潮に達したと思うんですよね。イングリットの気持ちよりもオルフェ君が可哀そうと感じてしまった。

それに、愛してくれる人が近くにいるのに気づかないのではなくて、本当にいない人がこの映画をみたらもっとムカつくと思うんだよね。

本当に存在しないのに「気づかなかっただけの人」にされてしまう…そんなナチュラル(観客)の悲しみが分かるのか?この少子高齢時代に…愛で殴ることのアブなさを考えてください。

ラクス先生、これ以上、もう誰も「愛」で叩かないでください。

せめて、愛する人はいたけどレクイエムで死んでしまったことにさせてくださいよ。ナチュラルなのに部分的にコーディネーターの人だっているんだから。

●ラスボス機体はかっこよかったのに、その前にオルフェ君が負けていたのが悲しかった

最終決戦が始まる前にオルフェがラクスに精神で負けてたので、折角のカッコイイMSが、乗る前から負け機体になっちゃった。ガンダムバエルだってマクギリスが乗った時は覇気があったのに。

非モテだと、乗ったMSにマイナスのイメージがつくのか?

オルフェの場合は非モテというか、遺伝子的に「(ほとんど)ラクスとしか子をなせない」んだからちょっと違う、とフォローはしておきたい。

●ブラックナイツの死にざまが雑魚すぎて残念だった

特に、戦闘狂みたいな女、もう少し気合を見せて欲しかった。映画の中で1番、死にざまが楽しみだったのに、普通に死んだ。「私が直撃を受けている」ぐらいは言って欲しかった。

こんなに無様なやられ方をしたのは、リリカルなのは3期の戦闘機人以来だよ。

序盤からイラつかせてくる、調子に乗ってる嫌われ役なんだから
もっとスカっとした死に方をするのが役割ではないのか?

それがデスティニープランではなかったのか?(説教)

●私のモヤモヤの核心はデスティニープラン

やはりデスティニープランという、まったく共感できないどころか、
むしろ幼稚・陳腐な思想で戦争がはじまるという物語のコアな部分が根本だろう。

だから、主人公も「愛だのなんだの」しか言うことがなくなってしまうし、
敵が散っても「無惨…」とならず、そんなだから、敵はロリババアにでもすっか!ってなってしまう。敵がふざけてるから、最後がネタ気味になってしまう。

キラは本気で戦争を止めようと悩んでいたのに…「愛」で殴って悩み解消なんか?(=キラはラクスのために戦争を止めようとしていたので、ラクスが望まなければ戦争してても良かった? しかし、デュランダルが死んだ後の世界に責任を感じている様子もあったので、単にラクスのためではないだろう)

そういう物語のコア部分のズレが、「愛」というレクイエムになって
劇場に足を運んだ非モテたちを焼く払う。

繰り返す

デスティニープランは、現代的なセンスでは受け入れがたいが、ナチュラルとコーディネーターによる戦争解決に対しての、答えだった…天下国家を論じていたのに、「愛」…恋愛観で叩かれてしまった。

天下国家を論じていたオルフェが、恋愛観で叩かれ、オルフェの痛みが非モテたちを襲った。

それがモヤモヤの正体であり、メカニズムだったんだろう。

●面白かったところ

まず、キラがいじけたりして、自分の底や感情を爆発させたこと。
キラの好感度が少しアップしました。

シン…もはや完全な道化になっていたが、SEED世界の、痴情の縺れから解放されたことで、1番幸せな人だったんじゃないかと思う。ナチュラルでもコーディネーターでも「憑き物に憑かれてる人」は、ダメなんだな。

月光のワルキューレの取り扱いの酷さも面白かった…ビッチであることが悪だというのか?私は彼女を応援したかった。でも幸せになれれないだろうとは思った。「無理だ。外から見ると分かる。」…急に敵に寝返る点で、クェスを思い出した。非モテでもビッチでも駄目…という難しい世の中。寒い時代だとは思わんか。

やっぱりガンダムは好きだから、MSが出てきたら嬉しいから。ミサイル撃ちまくって煙が描く曲線好きだから。序盤の市街地のMS戦も、何がやりたい戦闘かよくわからなくても、それでもMSが戦えば嬉しいから。

ズゴックが宇宙出たのは変すぎないか?と思ったけど、中身がガンダムだったからというので説明になってるのも面白かった。

●最後に残る謎:ケルピーはどうした?

海には化け物がいる、ケルピー(海にいる馬みたいなヤツ)が出るらしい…

これ聞いて、海の中に木馬型戦艦が隠れてる伏線と思ったし、アスランがズゴックで出てくるから100%確信したんだが…あれはなんだったのか?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?