「必要だから愛するのではありません!愛しているから必要なのです!」への反論

*この文章はラクスを批判するものではありません。

「必要だから愛するのではありません!愛しているから必要なのです!」は、あまりにもド正論でオルフェをぶん殴った台詞だった。

映画館で観たとき、「そんな当たり前のこと言うなよ…」って感じたんですがアコードの視点からはどうだろうか?

SEEDの設定からになるが、ある目的のために遺伝子を改良したのがコーディネーター。普通のコーディネーターは、「ちょっと優秀になるため」に富裕層などがコーディネーターになること(自分の子供をコーディネーターにすること)を選んだわけだが、さらに進んだアコードたちは、特定の目的・役割のために作られていた。

すなわち明確に対比させると、
・ナチュラルは「愛」によって生まれてくる
・アコードは「必要」によって作られてきた

だから、アコードにとっての「必要」は、ナチュラルにとっての「愛」に相当するのではないか?と考えてみた。そうすると、いままでと違う見方ができるように思う。

たとえば、オルフェは、「必要か不要かという打算、冷徹さ、あるいは視野の狭さ」でラクスに迫っていたのではなくて、「最高の必要」(=ナチュラルで言うところの「最高の愛」)という最大限の"愛情"を伝えていた。

オルフェとしてはラクスとはアコード同士なんだから「これは絶対にイケる最高の告白!」と思ってたんだけど、ラクスは育ち・生まれから"愛"に関してはナチュラル寄りの考えだったから、「必要だから愛するのではありません!愛しているから必要なのです!」になってしまった。

単にナチュラル的な恋愛という価値観では「オルフェが振られた」という風に見えるが「必要」という最高の"愛"が、まったく通用しなかったことに「冷めてしまった、ラクス意味わからねぇ…と諦めてしまった」のかもしれない。

ガンダムってよく考えたらSFだった。(ガンダム=ガンダムというジャンルと思っていた)

だからSFで、ロボット(AI)が意思を持ったり恋愛したらどうなるんだろうがあるみたいに、同じ人間のようにみえて「愛」が全く違うヤツらがぶつかったらどうなるんだろうみたいな話だったのかもしれない。同じ人間のようにみえて炭素生物にケイ素生物が混じってました、とかね。痛いと、キモチイイが逆転している人間がいました、みたいな。

●「必要だから愛するのではありません!愛しているから必要なのです!」への反論のまとめ

ナチュラルの価値観においては、「必要性という打算で愛を語ったら、殴り返された」と滑稽に見えるが、それは自分(観客)がナチュラルだからそう見えるのであって、

自分(観客)がアコードだったら「必要性という最高の愛を語った」のは最高にイケてるんだけどなぜかラクスが断ったので「は? ラクス…何言ってんの?こいつアコード(人間)じゃねえ!」になるのかもしれない。

価値観がこうも違うなら、「必要だから愛するのではありません!愛しているから必要なのです!」という正論にアコードが負けたのではない。

「必要だから愛するのではありません!愛しているから必要なのです!」と
「愛するから必要なのではありません。必要だから愛しているのです!」の、

互いに対称な構造の、ぶつかり合いだったのです!!!

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