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なにを伝えるためにつくるのか?日本の歴史から紐解いて考えてみた

ぐっめ~~~にん!観測者のみなさま💛お久しぶりです。やぎめです🐐

近況

「個人制作アニメをつくろう」と思って、技術的にアタリがザックリですがつきましたので、絵コンテを描こうと思い一旦は取り組んだのですがなかなか納得いくイメージが描けなかったんです。

早々に、絵コンテは中断して、ストーリーをもっと深堀していくべきだと切り替えました。

投稿を完全に断っていたのですが、その理由は
ストーリーに関わる部分を投稿すると後で変えようと思ったときに混乱が生じそうと思ったことが大きいです。

脚本として今できたものがあるのでそれを公開しても良いと思ったのですが、いざ絵コンテを描こうと思ったらあまりにも絵のイメージが幼稚で脚本から練り直すことにしました。

元々の脚本は、きちんとしたプロの方に依頼して書いて頂いた脚本なのですが、元々の私の構想が低年齢層に向けていたことや、NH〇のガラピ〇プーがイメージだったりしていたので幼稚になてしまって当たり前でした。

脚本作成から時間を置いたことで今描きたい内容が子供に向ける内容ではあるにしても、小学校高学年程度あるいは中学生くらいの内容としたいと思ったので、世界観の設定から練る必要が出てきました。

また私の中の心情の変化も大きいです。低学年向けといって、野暮ったくわかりやすく描くことに、子供を信用していないなと感じたからです。子供だってそれぞれ考えがあります。5歳の息子を見ているとそう思うのです。”こちらが仕掛けなくてもみせることはできるはず”と考えを変えました。

そんな訳で、個人でアニメ制作に挑戦しようと思って、技術的には雑でもアタリがついたので、中身をじっくり練り直す日々を過ごしていました。

深みのあるストーリーとはなんだろうと考えて神話に答えを求めた

わたしは文章作成が苦手です。論理的思考が苦手だと思います。でも私にとってはストーリーはとても大事に思えました。私としては元々建築学部を卒業しているという背景もあり、建築=舞台=背景=ストーリーの方に重きを置いているんですよね。

今回ストーリーを組み立てる上で、面白いストーリーとは論理的思考がすべてではないと自分を励ましながら作っています(;^_^A

そんな中で、ストーリー作りに新しい切り口がないかなと考え、世界に深みがあり人を夢中にさせる作品の共通点を考えました。

私の出した答えは神話から着想していこうという事でした。
宗教というのは人を熱狂させます。あらゆるところにその仕組みが隠されていると私は考えました。

宗教とは違いますが、分かりやすい例えを言えば、ナチス党の軍服について前々から思うところがあります。
ナチスの軍服は確かにそれを見れば、ナチスの悪逆非道を、また戦争を想起して嫌悪します。
デザインが心理と結びついてる以上それは避けられず、安易にそれを利用するのはもちろん注意することです。
でも、その歴史的所以がなかったらあの軍服の評価はどうでしょう。
私には優れたデザインに見えます。
(もちろんナチスを肯定している訳ではないです。あくまで軍服単体を見た時の話です。)
逆に言えば、とても優れたデザインだからこそ、ナチスに採用されたのだと私は考えます。

このナチス軍服の例にあるように、優れたもの(軍服のデザイン)は大きな権力(ナチス)に利用されると思うのです。その仕掛けに人は熱狂する。

そこで宗教や神話です。

自分の宗教観

私は無宗教と思います。大多数の日本人がそうだと思います。

ただ聖徳太子だったかが日本人は「神道に始まり、儒教で育ち、仏教で終わる」みたいなことを言われたらしいのですが、それはそんな気がします。

私は子供のお宮参りは神社でしました。
結婚式も神社です。
儒教は親孝行とか年功序列、また男尊女卑(仏教もその気配がありますが)とかの教えです。(この辺は昨今の経済状況と相まって揺らぎつつある気がしますが)
小学生の頃は近所で聖書を読む会に参加していました。ミサにも一回だけ行ったことがあります。子供ながらロウソクの美しさと教会の荘厳さに感動して涙しました。
クリスマスはケーキを食べます。
正月は初詣に行きますし、引っ越したらその土地の神社を訪ねてお参りします。
お葬式は仏教で執り行います。
年に少なくとも1回はお墓参りに行きます。

ここまで書いて、無宗教というより全宗教という気もしてきました。

ただ、熱心な宗教の信者の方には怒られそうなのですが、正直なんというか信じているけど信じてないというかんじです。多分、縁起を重視する発想なんだと思います。

日本人は忌み言葉を嫌いますよね。受験生がいたら「すべる」「おちる」という言葉はその意味でなくても避ける傾向にあります。落ち葉を見て不吉と思ったり。スキーやスケートを避けたり。
特に口に出すのはご法度です。
これは、縁から起こることを感じているからではないかなと思うのですが、どうなんでしょうか。

無宗教で信仰心がなかろうと、とある宗教の謂れでこうなっているんだから祝おうじゃないか。あやからせていただこうじゃないか、、、というかんじでしょうか。縁があった(起こった)ということに感謝していると言えば納得して頂ける人もいますかね。縁起を重んじる教とでもいいますか。

神道への無知識と違和感

こんなことを考えてるうちに、自分の宗教に対する知識の浅さが気になりだしてきました。なんとなく、一神教と多神教があって、日本は多神教っぽいなと思っていました。でも神道と仏教の違いはわからないし、断片的にある神話の知識もゲームとか漫画、小説で得たもので大いにエンタメ性があり興味はありますが、実際どういう原典が作品にどのように活かされているのかよくわかりません。

そこで、5大宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教)についてざっとどういうものなのか目を通すことにしました。

この著者中村さんの語り口が公平な感じが気に入り他にも気になるものは目を通してみました。

5大神話(日本神話、ギリシャ神話、インド神話、中東神話、北欧神話)

そして、一神教においては無神論という考えも一つの勢力であるという発想も大変興味深く、また無神論のブラックジョーク的なSNSの投稿も大変面白く思いました。

さてここまできて、よくわからないと思いつつも何か引っかかっていたことがやっとわかりました。

それは、神道への無知識と違和感でした。

古事記があんまり好きになれなかった

古事記と日本書紀の内容くらいは元々知っていました。でもそれと現在の神社の様態がなんだか結びつかないんですよね。

それに、正式な歴史書という割に矛盾も多いし、あまりにも神々の行いが短絡的すぎて笑い話にするにしても下品だなと首を傾げることが多々あったので好きではなかったんですよ。

超余談ですが、個人的には北欧神話のオーディンの聡明で知的探求心に溢れた神の方が私にはよっぽど美しく見えます。。。終末の日ラグナロクを迎える神々という設定もかっこいい。

一方の古事記ですが、どこが嫌悪感を抱くか一例をあげれば、亡くなる直前のイザナミの描写とか、イザナギがカグツチを切るところとか、黄泉の国にイザナミを迎えに行った後のイザナギの逃走劇からの夫婦の別れ。

その後イザナギ一人から生まれる三貴神。三貴神といいつつ、アマテラスは天皇家の由緒だけあってか変な描写はないですが、ツクヨミは空気だし、スサノオもひどい描写ばかり。

他にも色々ツッコミどころ多く、読み物としては面白いのかもわかりませんが、私は好きではありませんでした。道徳本としてもほとんど使えないと思います。

ただ、神社は好きなんですよね。神社に散りばめられた小さなデザインから樹木を含めた空間設計、すべてが好きです。名の知れた大きな神社はもちろん、近所の神社でも感動します。あの神社の空気感と日本神話がどうしても結びつかなくてそれが大きな違和感でした。

また伊邪那岐、伊邪那美にある”邪”という文字。これもすんごい違和感だったんですよね。「邪馬台国」の邪、「卑弥呼」の卑、「倭人」の倭、このような言葉は忌字でわざと中華思想を持った当時の中国がつけた、蔑んだ呼び名というのは聞いたことある人も多いかと思います。

この文字をアマテラスの父神母神にあたる二人にあてるでしょうか?その意図とは???神社では神社名に”伊射奈美神社”とか別の字をあてている所もあります。

この疑問に何故かちょっとゾッとして調べたらこんな本に出合いました。

この本では「ウエツフミ」という古史文献が引用されていました。

実は他にも様々な古史文献が存在し、「偽書」とされているらしく、国家的にまともに研究がされていないらしいです。

ウエツフミの日本神話のお話は、私に”これだよ!これこれ!”と思わせる内容でした。

どういった経緯で父神母神にあたる二人に忌字が使われるようになったのかよく分からないな~と思いながら、他の古史文献も調べたりしていました。

偽書に限らず、どんな本でも文章でもどういった背景や起源で編纂されたのかということを鑑み、編纂者に都合よく書き換えられた部分があるかもなと想像を膨らませる必要があると思います。
この点に関してはもはや古事記、日本書紀も然りと思います。出雲の国譲りの違和感、富士山の描写がなかったり違和感だらけですから。

結局”邪”の文字の明確な答えは出ないですが、このYouTubeの中で少しお話があったので引用いたします。


神話を調べていたら古代から現代まで地続きだった

私の描く世界の当初のコンセプトは「戦を避けるために浮かべた島」という設定だったんです。でも、社会秩序を守るため宗教を使い人の心を支配し、色で区別をしていた。圧倒的な支配権力構造。超機械的なシステムでそれを実現していたという設定です。ものすごい言論弾圧がされています。

そして、それに立ち向かう主人公レアちゃんなんですが、立ち向かった後のラストをどこに持っていこうかとひたすら考えていました。

下手をすれば戦争賛歌にとらえられかねない。
または宗教の否定ともみられるかもしれない。
など考えながら唸っていました。

最初は神話からはじまりましたが、最新の歴史の知識を必死にかき集めました。近代の戦争についても知識の更新をしました。
最も驚いたのは、私が学んでいた時代とは縄文時代のイメージが大きく変わっていることでした。
戦後、天皇陛下由緒の神話教育を見直したことで、古代の研究が進んでいるらしいです。昔であれば不敬罪で逮捕されるような資料が出てきているみたいですね。

日ユ同祖論とか日シュ同祖論とか、以前は”なんて馬鹿げてる”と笑っていましたが、証拠のようなものが出てきているのが昨今の古代歴史事情のようです。

偽書とされている他の古史文献をあたると、俄然ツクヨミの存在感もマシマシです。

という訳で、日本から世界の歴史までどっぷり浸かっていました。

ストーリーの方向性

多少脱線しつつも上記のことに思いを巡らせているうちに、ストーリーにイザナミを盛り込んだものにしたいなと考えるようになりました。
後世の創作によって(勝手な持論ですが)、邪神に身を堕とした悪魔の様なデザインが散見されるイザナミ。せめて、私は新しい生き生きとしたイザナミを描きたいです。

また宗教と科学との対立、この辺のことを私なりに描けたらと思い進めています。

宗教とか科学とか大きなものを扱うことにしましたが、
宗教=あるものを信じるコミュニティ、共同体、界隈
科学=自分の思う個人的な真理を突き止めようとする意志、好奇心、個性

こんな風に読みかえれば、身近なものと感じれる作品にしていきたいと考えています。

個人的には、宗教に肩入れする気も科学に肩入れする気もありません。

宗教は進化論の否定などのように人の思考を止める部分もありますが、辛い時に希望となることも分かります。
科学は好奇心をかき立てますが、原爆など兵器を開発したり、優生学という発想に結びついたり、取扱いを誤れば人に大きな悲しみを呼ぶものです。

面白く見せるために、見る人によってはどちらかが悪くどちらかが善く見えるものになるかもしれません。

ここまでご覧いただきありがとうございました。

では次回までお元気で!まためぇ~~🐐🐐🐐

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