いま観ても面白い!「北の国から」を観た後に知っておきたい12の裏話
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いま観ても面白い!「北の国から」を観た後に知っておきたい12の裏話

今まで断片的には観たことがあったけど、シリーズ通して観たことがなかった「北の国から」を連続ドラマからスペシャルドラマを含めて、今更ながら全話完走しました。
全話観て予想通りその内容にハマってしまい、1人「北の国から」ロス状態になり、この状態を少しでも解消すべく「北の国から」情報を求めてインターネットを徘徊していました。
その情報を自分の中だけで消化するのはもったいないので、その中で得たなるほどなと思う情報をここでまとめて紹介したいと思います。
「北の国から」が本当に好きな人にとっては当たり前のことばかりかと思いますが、そういう人にも知らなかったことがあるかもしれませんのでぜひご一読ください(以下敬称略)。

1 「北の国から」は異例づくしのドラマだった

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放送開始時には全ての撮影を終えていた。

今のドラマは1クール(3ヶ月)12本が基本。ところが脚本が撮影前から全て出来あがっていることは、まず、無い。視聴率の動向を見るためだ。
初回、もしくは2、3回の数字を見てその後の展開を考えるのだ。
「この路線ではダメだ。もっと展開を早くして」とか「新たな登場人物を出して新味を加えよう」とか「誰かを殺して緊迫感を煽ろう」とか・・・・
どういうことか?作り手に自信が無いのだ。視聴者の顔色を伺いながら話の筋を変えていくのだ。
「北の国から」は腰が座っていた。ドーーーーーン。当時でも珍しい2クール
(半年)放送。しかも放送開始時には全ての撮影を終えていたという。
始まりからして凡百のドラマとは姿勢が違うのだ。

大根仁のページ : 北の国から - ライブドアブログ
http://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/51160259.html

スターや2枚目が主演を務めるのが当たり前の時代に「主演・田中邦衛」

『北の国から』の主演俳優は、田中邦衛である。60年代から70年代にかけての田中は、加山雄三の映画『若大将』シリーズや『仁義なき戦い』シリーズでの脇役という印象が強い。ドラマの主役といえば、スターだったり二枚目だったりすることが当たり前の時代に、いきなりの「主演・田中邦衛」。多くの視聴者は戸惑ったはずだ。

なぜ『北の国から』は20年間も続いたのか?空前絶後のドラマ、すべてが尋常ではない | ビジネスジャーナル
http://biz-journal.jp/2016/06/post_15433.html

プロデューサーが心痛から入院するほどの膨大な制作費

制作費予算は総額約6億円で1話あたり約2,500万円[10]。ただし、倉本によると実際には1話あたり5,000万円近くかかり、放送前の時点で赤字が積み上がったため中村敏夫プロデューサーが心痛から急病[注釈 3]で入院することになったという[注釈 4][11]
・・・
[注釈 4]結局1シーズン24話で当初予算の2倍以上の15億円かかった。

北の国から - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89

富良野の住民の協力

倉本先生は77年に東京から富良野に移り住みましたが、初めて麓郷を訪れて「まだ日本にこんなところが残っていたんだ」「ああ、いいところに住んでいますね」って私に言ったんです。お世辞だと思ったら、岸田今日子さんや阿久悠さんという大物を連れて来たんですよ。

倉本先生は私の山にまで入って来ました。うちの作業場では、冬の昼休みに大きな焚き火を焚いて、作業している連中が囲んで弁当を食べるんですが、先生はそれを見て「ここでドラマを作りたい」と言いました。

撮影を始める際、フジテレビの常務がやってきて「オールロケに近い、映画に近い撮影をしたいので、地元の協力がほしい」と言いました。こっちは「協力しますよ」と言いました。撮影中から観光客が増えていきました。

「北の国から」資料館閉館へ 私財投じ運営の仲世古さん「いつか日の目をみるように」
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/07/kitanokunikawra-museum_n_10858832.html

フジテレビの黄金時代が始まったきっかけにもなったらしいです。


2 「北の国から」には倉本聰の「理想の生き方」が詰まっている

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「都会」との戦い

「都会は無駄で溢れ、その無駄で食う人々の数が増え、全ては金で買え、人は己のなすべき事まで他人に金を払い、そして依頼する。他愛ない知識と情報が横溢し、それらを最も多く知る人間が偉い人間だと評価され、人みなそこへ憧れ向かい、その裏で人類が営々と貯えてきた生きるための知恵、創る能力は知らず知らず退化している。それが果たして文明なのだろうか。『北の国から』はここから発想した」

なぜ『北の国から』は20年間も続いたのか?空前絶後のドラマ、すべてが尋常ではない | ビジネスジャーナル
http://biz-journal.jp/2016/06/post_15433.html

経済的な豊かさと幸福は別のもの

残念な話ですが、今の日本人の「幸福度」は決して高いと言えません。

'15年発表の国連の調査によると、世界中で最も幸福度が高い国はスイス。以下、アイスランド、デンマークと続き、日本は国内情勢が安定しているとは言いがたいベネズエラやウズベキスタンより低い46位に位置しています。日本には戦争も内乱もなく、世界的に見て先進国と呼ばれるのに、不思議なものです。

その理由の一つは、多くの日本人が、経済的に豊かになりさえすれば、幸福も得られると誤解してきたからではないでしょうか。

しかし、経済的な豊かさと幸福は別のものです。多くの日本人はそれに気付かないから、いつまでたっても幸福になれない。そんな気がしてなりません。

倉本聰が自ら語る「『北の国から』の五郎さんが伝えたかったこと」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47383

現代ビジネスの記事にはさらに詳細な倉本聰の考え方が掲載されています。


3 黒板五郎はかつて「一発屋の五郎」と呼ばれていた

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倉本の設定では学生時代は女好きであり、付き合った女性はすぐ妊娠することから「一発屋の五郎」というあだ名がつけられていたという[17]。

北の国から - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89

付き合った女性を妊娠させてしまうのは遺伝ですかね。


4 笠松のじいさん役の大犮柳太郎は自殺してしまっていた

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このドラマは名脇役が大勢出演しているのだが、その中でも私は『大犮柳太朗』が演じた『笠松杵次』(きねじ)の事が妙に心に引っかかった。
黒板五郎の父親の親友だったという設定である。
自分が子供も頃は、『大犮柳太朗』の演じる『 丹下左膳』を映画で楽しませてもらって、チャンバラゴッコで真似をしたりしていた。
『杵次』は最後は酔っぱらい、黒板家からの帰りに自転車で橋から川に落下して死んでしまうのであるが、役を演じた『大犮柳太郎』もビルの屋上から飛び降り自殺をしてしまった。
役とそれを演じる人とは勿論違うのだが、自殺の報道を聞いて以降、自分の中でこの二人が一つになってしまっている。

『北の国から』の杵次 - 【アイデンティティとは】 - 消前烈火
http://midomidotacnet.blog.fc2.com/blog-entry-200.html

杵次大好きでした。


5 草太役の岩城滉一はボクシングの試合で実際に病院に搬送されていた

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岩城さんで語り継がれるのは、連続ドラマ第21話のボクシングの試合で気を失い病院に搬送されたことも有名だ。

「吹き替えにすることで、ありきたりなドラマになるのが嫌で、自ら出たんですよね。そうしたらノックアウトで本当に気を失い、想像以上にみんなが心配しちゃってね」

岩城滉一語る『北の国から』、「僕にとって別格の宝物」 | エンタメウィーク
https://ent.smt.docomo.ne.jp/article/336108

あの迫力あるボクシングシーンは演技じゃなかったんですね。


6 UFOシーンはファンタジーを大事にしたいという倉本聰の思いから生まれた

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『北の国から』にUFOを出したことについて、倉本は移住当時北海道でUFOを目撃したという騒ぎがよくあったことと、科学で割りきれないものやメルヘンやファンタジーを大切にしたいという思いが背景にあったことを述べている[29]。

倉本聰 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%89%E6%9C%AC%E8%81%B0

あのシーンだけ妙に違和感があるのはそういうことらしいです。


7 吉岡秀隆は尾崎豊を兄と慕い、倉本聰に勧めていた

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『'87初恋』では、尾崎豊の楽曲が多用されている。倉本が吉岡秀隆に「最近の若者に人気のある歌手を教えろ」とリサーチしたところ、吉岡から強く勧められたのが尾崎であった。倉本は尾崎の存在を知らなかったが、吉岡に贈られた尾崎のカセットテープを聞いて楽曲を気に入り、本作での採用が決まった[23]。特に、「I LOVE YOU」はその後何度も使われ、純の恋愛を描く上で象徴的な挿入歌として、『北の国から』と切り離せない存在である。

北の国から - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89
吉岡秀隆は、5歳年上の尾崎豊をプライベートでも兄弟のように慕っていた。この世を去ったそんな尾崎への思いが、このときまだ拭いきれなかったのだろう。
・・・
ドラマ「北の国から」にも純の尾崎豊へのリスペクトが表現されているが、吉岡自身にとっても、子役のときから演じていた世界とリアルの自分との境界を超えて、頼れる存在が尾崎だったのかもしれない。尾崎自身から貰ったネックレスを肌身話さずつけていたという逸話も本当だったのかもしれない。

故・尾崎豊と兄弟のような関係だった吉岡秀隆 - エキサイトニュース(1/2)
https://www.excite.co.jp/News/90s/20171219/E1513241678549.html

尾崎豊がヒットしたのもこのドラマの影響が大きいようです。


8 中畑のおじさんのモデルも地井武男自身も奥さんを癌で亡くしていた

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以下、モデルとなった仲世古善雄さんの話。

最後のドラマとなった「2002遺言」の中で、中畑和夫の妻ががんで亡くなります。実は、私の妻が前年、がんでぽろっと死んじゃったんですよ。ちょっと前まで元気だったのにね。倉本先生は、「酷なようだが奥さんの話を書かせてもらいたい」と言ってきたんです。こっちは「事実だからいいですよ」って答えました。

中畑を演じる地井さんは、お忙しかったのか、当初は出演辞退するつもりだったけど、奥さんが台本を読んで、「出た方がいい」って背中を押したそうですよ。でも、その奥さんもがんで、その1週間後に亡くなってしまいます。地井さんは最後までがんのことを奥さんには伝えなかったようです。
劇的な話だよね。地井さんは、何度も声を詰まらせながら演じていました。ドラマが鎮魂歌になった。忘れられませんね。

「北の国から」資料館閉館へ 私財投じ運営の仲世古さん「いつか日の目をみるように」
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/07/kitanokunikawra-museum_n_10858832.html

あの迫真の涙の演技もこういう事情があったならより納得です。このあたりは「ドキュメンタリー・北の国から」でも描かれています。


9 正吉役の中澤佳仁は芸能界を退き「北の国から」のみ特別に出演していた

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中澤は芸能界を退き、一般企業に勤める会社員となっていたが本シリーズだけは特別に出演を続けていた。しかし「2002」では仕事との両立が困難となったことでこのような扱いとなった。

北の国から - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89

「2002遺言」に出ていなかったのはそういう事情があったんですね。


10 「北の国から」にはその後が描かれた短編がある

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富良野市麓郷『拾って来た家』の一角に新たに「純と結の家」が作られた事を記念した倉本の書き下ろし短編。純の語りだけで構成されており、完成式で倉本自身によって朗読された。純と結の新婚生活と2人の拾って来た家が作られるまでの物語。「季刊 富良野塾」に掲載された他、麓郷の拾って来た家では直筆原稿を読むことができる。

「北の国から2005 純と結の家」黒あぶのブログ | Que sera sera - みんカラ
http://minkara.carview.co.jp/userid/151704/blog/26753629/

以下、「北の国から2005 純と結の家」。

小さな事件は色々あった。でもそれは、どこの家庭でも起るような事々で、とりたてて人に云うような話じゃない。
2002年冬。僕は結と結婚した。
その時、それからその後のことを、実は今思い出したくないんだ。テレビが知ったらそこらのことを、スペシャルドラマかなんかにしていただろう。

結婚と同時に僕らは麻町にアパートを借り、麓郷を離れて富良野の町に住んだ。中畑のおじさんも成田のおじさんもシンジュクさんもクマさんも結婚式にさえ呼ばなかった。そのことで、僕らはまわりの人々から陰で恩知らずと云はれていたらしい。
でも。

僕は僕なりに結婚ということを、新しい家庭を創るという夢を、誰の手も借りず、誰に迷惑もかけず、二人っきりのこの世で初めての純粋な作業にしたかったんだ。多分そのことを僕らにとっての出航の仕方だと思っていたんだと思う。

だから僕らは結婚式も僕ら二人の考えだけで進めた。式場は僕らの2DKのアパートで、参加してもらったのは父さんと雪子おばさんと、それに羅臼のトドだけだった。披露宴も一切しなかった。この三人にだけ来てもらえば充分だと、宇(有)頂天の僕らは思いっ切り信じていた。埼玉の方にいる蛍や正吉には、金がかかるから来ないで良いと云った。

その後、僕らと別れた父さんとトドが、くまげらで飲んで何故か荒れ狂い、中畑のおじさんや成田のおじさんやシンジュクさんまで呼び出して大暴れをし、ふすまを何枚も叩きこわしたという話を後できいたときも、全くしようがねえ!と思っただけだ。

僕らは麻町の小さなアパートで、まゝごとのような愛の巣にたてこもり、ヴィデオを見たりテレビゲームをしたり、とにかく幸せの絶頂にいた。
麓郷にはたまにしか僕は行かなかった。むしろ結の方が年中通って、父さんに晩めしを作ったりしていた。

二年前おばさんを癌で亡くした中畑のおじさんが、新しい奥さんをもらうことになったと聞いたのは2004年の春先のことだ。そのおじさんの新婚の家を、雪子おばさんの拾ってきた家の隣に、やっぱり捨てられてあるものだけを集めて父さんが作り始めたらしいという話も、その時一緒に風の便りにきいた。死んだおばさんの遺言の中にあった、拾ってきた町という夢みたいな話を、父さんがマジに追っかけているという話に、いゝかげんにしよと僕らは笑った。

事実を僕が初めて知ったのは、コンビニで逢った中畑のおじさんの口からだ。
木材屋をやってるおじさんだったら、いつだって新しい材料で新築の家が建てられるのに、おやじがわざわざ拾ってきたもので変てこな家を建てたりしちゃって、迷惑してるんじゃないですかと笑ったら、中畑のおじさんは、しばらく黙り、それからいきなり小さな声で怒鳴った。
それはちがう!とおじさんは叫んだ。
五郎の建ててるのは俺の家なんかじゃない!あれはお前ら二人の為の家だ!
育ててくれたおやじを、麓郷を、簡単に捨てて出て行ったお前らに、いつかもう一度戻って来て欲しくて、あいつが黙々と建てている家だ!
あれは、お前ら二人の為の家だ!

その晩僕らは月明かりの下で、そっとその家を見に行った。
僕らは口がきけなかった。
アパートに帰っても僕らは黙っていた。
テレビもつけずに、結も僕も泣いた。

父さん!

この二年を僕は今。考えています。新婚の幸せにどっぷりひたり、家庭は僕ら二人きりのものなのだといつのまにか次第に思い込んでいた自分。
しかしその間父さんは変らず、一方通行の無償の愛情を僕らに対してそそいでくれていた。それが僕たちの嘲笑していた、あの新しい家だったんですね。

「北の国から2005 純と結の家」黒あぶのブログ | Que sera sera - みんカラ
http://minkara.carview.co.jp/userid/151704/blog/26753629/

五郎も純も相変わらずのようで良かったです。


11 さらに倉本聰による「その後」の構想がある

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2012年2月に発売された雑誌『文藝春秋』2012年3月号で倉本は「頭の中の『北の国から』―2011『つなみ』」と題した現時点での登場人物の「その後」について触れた文章を寄稿した。

北の国から - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89
富良野の町は、駅前が再開発で大きく変わり、旭川から帯広へ向かう広規格道路が北の峰の地中を貫通しかけている。町はドーナツ化現象が進み、マクドナルドやケンタッキー、レンタルヴィデオ屋(ママ)のゲオやホーマックの進出で外郭道路周辺に町の中心が移って来つつあった。

正吉・蛍一家は2004年から浪江町に移住し、正吉は浪江町消防署勤務、蛍は南相馬市の南相馬市立総合病院で看護師として働いていたが、東北地方太平洋沖地震のため、病院では「地方に避難するか病院に残るかは職員各自の自主判断に任せる」という苦渋の選択をする。当直明けの蛍は、早朝、ベットに眠っている患者に握り飯二つをそっと置いて誰にも告げず息子の快とともに2日間掛けて鉄道で富良野へ避難する。蛍は患者や正吉のことを心配していたが、正吉が行方不明と知り快を残して福島県に戻る。瓦礫の中を正吉を求めて半狂乱で彷徨い、何日か目に正吉を捜していた純とばったり出逢う。

純は結と2003年に結婚し、五郎と共に石の家に住んでいた。その後、麓郷の町の中へ二年がかりで建てた拾ってきた家に住むも2006年に離婚。出ていった結を純は狂ったように探すも行方は分からなかった。純はごみ収集職員として働きながら借金を返済していたが、2007年の大晦日三沢のじっちゃんが亡くなり、伝え置きにより返済から解放される。ごみ収集職員としての日常をブログに綴っていたところ、読者の一人がれいだと判明。メールによる交流が始まる。2年前に離婚し東京で暮らすれいと7年ぶりに再会する[注釈 14]。恐る恐るれいのアパートへ招かれた時、東北太平洋沖地震に遭遇。正吉一家とは連絡が取れず、五郎にも連絡ができない。福島県に赴き瓦礫の山の中で黙々と正吉の遺体を探しているところで蛍と再会する。その後、福島第一原子力発電所事故に伴う放射能飛散が懸念されながらも、原発現場の瓦礫処理の下請け作業員の末端として危険な現場に身を置いている。

北の国から - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89

純と結の離婚は現実とリンクしているよう。
れいと再婚するというのはファンにとっては嬉しいですね。
3.11後の「北の国から」映像でぜひ観てみたいです。

内田有紀と吉岡秀隆の結婚と離婚原因、2人の現在まとめ【再婚は?】
https://newsmatomedia.com/uchida-yoshioka-1


12 「北の国から」続編製作の可能性はある?

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「週刊誌の記事の後、女性誌も続けざまに田中さん復帰の可能性を報じました。より具体的に『北の国から』について書かれています。 脚本家の倉本聰さんが、最終章の構想を持っていると。もちろん、田中さんの出演が前提になりますが、本人が意欲を見せてリハビリに励んでいるということでした」(前出・スポーツ紙記者)
・・・
最近の田中の様子を知っているという住民が、心配そうに話してくれた。「はっきりいって、田中さんの体調は回復していません。認知症もかなり進んでいるようです。施設を出てからは家の2階にこもりきりで、外にはまったく出てこないようです。奥さんが沈んだ表情で周囲に話していたと聞きましたよ……」

田中邦衛は本当に「元気」なのか、近隣住民の証言でわかった妻との自宅闘病 - エキサイトニュース(1/4)
https://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20171212/Jprime_11274.html

田中邦衛の体調次第ということもあるようですが、今年12月12日の女性誌の報道によるとあまり良さそうではなさそうです。


以上、インターネットを調べてわかる範囲で知り得た「北の国から」情報をまとめてみました。ネットに載っている情報のためその真偽は定かではないので参考にしてもらえればと思います。

「北の国から」未見の方はぜひこの年末年始にでもイッキ見することをおすすめします。「北の国から」はFODで今なら30日間無料で視聴可能です。

最後にここには載せませんでしたが、他にも面白い情報が載っているサイトもありましたのであげておきます。

「倉本 聰」とは…。 vol.1 ~ニッポン放送退社まで~ - 「北の国から」
http://azusan36.blog40.fc2.com/blog-entry-2680.html

倉本聰がいかにして「北の国から」を描くに至ったのかが簡単にまとめられているブログ記事。
北の国から
http://www.ipc-tokai.or.jp/~hiroaki/kitanokunikara.html
「北の国から」ファンが作成したファンサイト。細かい情報がまとめられています。
「北の国から」を考察する - 勝手創千界
https://www.tunami-shelter.jp/%E5%8B%9D%E6%89%8B%E3%81%AB%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E8%AB%96/%E5%8C%97%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89-%E3%82%92%E8%80%83%E5%AF%9F%E3%81%99%E3%82%8B/

倉本聰の記事での発言の引用等が載っている考察サイト。


以下、関連動画。今回掲載した情報についても語られています。


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※画像は一番下以外の画像についてはBSフジの「北の国から」のサイトより引用しています。一番下の画像はエキサイトニュースのサイトより引用しています。

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