八神あき

中卒社会人。高校は入ったけど人間関係しんどくて退学。  働きたくないと思いながら毎日働…

八神あき

中卒社会人。高校は入ったけど人間関係しんどくて退学。  働きたくないと思いながら毎日働いてます。いまだに作家になりたい。 小説家になろうでもたまに書いてます。 https://mypage.syosetu.com/1690305/

最近の記事

中華人民共和国の歴史 下

 毛沢東は国内の情報を一切漏らさないようにしていた。外交官が来ても作り上げた理想郷だけを見せていた。  毛沢東の演技は世界中を騙し、日中戦争でゲリラ戦を指導した天才的軍事指導者としての名声を高めた。実際には勝利を得たのは一部の部下たちであり、毛が仕切った作戦はことごとく失敗したが、歴史書には反対のことが書かれた。  毛沢東はアメリカと関係を持つことに成功。ニクソン大統領を招く。  実はこのとき、国際的には中国の代表は共産党ではなく国民党だった。第二次大戦中に連合へ加わった国

    • 中華人民共和国の歴史 上

       中華人民共和国は中国共産党の国だ。中国共産党が建て、中国共産党が支配する。一党独裁の起源は孫文にある。  孫文は清朝末期の革命家だ。彼は清朝を覆すための反乱を繰り返し、共鳴者を増やしていった。そして複数の反乱勢力が清朝を滅びした後、臨時大統領に選ばれる。  孫文の革命理論では、清朝が滅びたあとの政治体制は、軍政、訓政、憲政と移行するものとされた。このうち訓政は国民党が政治を主導する時期とされ、国民党が国家を支配する党国体制がとられた。  孫文の意思通り、清朝が滅んだあとに

      • 中華人民共和国前史 後半

         前回の記事で梁啓超を紹介したが、最も有名な革命家といえば孫文だろう。  孫文は思想・政策を西洋に学ぶべきという点では梁啓超と同じだが、清王朝を滅ぼし共和国を成立させようとしていたことが違った。  孫文は幾度となく革命を試みるも、そのたびに失敗していた。  何度目かの失敗のあと、孫文は新軍に目をつけた。新軍は西洋式の訓練を施された清朝の軍隊だ。日本への留学経験もあり、革命思想を受け入れる下地があった。 1911年 新軍内に味方を作ったことでようやく大規模な蜂起が起こる。辛

        • 中華人民共和国前史 前半

           歴史家・司馬遷は黄帝の時代から史記を書き始めた。黄帝は天の意思の体現者、天子と呼ばれる。  歴史上最初の天子である黄帝は、中国人の祖先と形容されるほどの存在である。  黄帝から時代は下り、尭と舜があらわれる。この二人は儒教において最高の天子とされている。舜の時代からあとは悪くなるばかり。ゆえに儒教が盛んになると、中国の支配者層たちの間では復古主義的な考えが主流になった。  さらに時代は下り、17世紀。天子の位は清の朝廷へと受け継がれていた。  清は満州族という、中国東北

        中華人民共和国の歴史 下

          生存報告

           お久しぶりです、八神です。生きてます。  ここ一か月ほどお仕事しんどくて帰ってきたらヨルクラ見て回復してまた働くを繰り返してました。みんなヨルクラ見ろ。  記事は投稿してないんですが中国史の本は読んだり、あと小説も書いたりしてます。二万文字くらいのディストピア百合(?)ものです。なろうに投稿してたりします。 https://ncode.syosetu.com/n7169iz/  つい先日13万文字のものを一作書き、新人賞に投稿したので、もう当分は書きたくないなー、と思

          中国地理ノート

           中国の領土は960万㎢と広大であり、陸上の国境線は2万2千kmと、世界一長い。陸軍兵力は98万人。陸上で危ないのはインドとの国境で、カシミール地方の帰属をめぐって争っている。インドは陸上だけでも113万の兵力を持つ大敵だ。  同盟国としてはロシアとパキスタンがある。それぞれ陸上戦力は55万。インドは北に中国の98万、西にパキスタンの55万と対峙している。  インドは中国に対抗するため、軍事同盟のQuad(日、米、豪、印)を形成し、防衛力を強化している。  海軍戦力は総トン

          中国地理ノート

          中国の歴史 7(最終巻)

           イギリスは清へアヘンを輸出。それまで輸出ばかりしていた清は一転して輸入国になる。  アヘンを輸入することで、銀は他国に流れる一方になった。それ以上に問題だったのは、アヘン中毒によって心身を壊される者が続出したことだ。  政府のアヘンに対する態度は二つあった。完全に禁止せよとする厳禁論と、厳禁は現実的でないから規制するに止めようとする弛禁論である。 当初は弛禁論が優せいだったが、最後にとられたのは厳禁論だ。実施にあたったのは林則徐である。  林則徐はアヘン取締のため、特別

          中国の歴史 7(最終巻)

          中国の歴史 6

           朱元璋は息子の皇位を安定させるため、力をもった大臣たちの粛清に奔走した。しかし息子は若くして死ぬ。  朱元璋が没すると孫の建文帝が即位。朱元璋の努力のかいなく、燕王が反乱を起こす。燕王は甥である建文帝を殺して即位、永楽帝となる。  永楽帝の時代、明は興隆期を迎える。首都を北京に移し、紫禁城を建築。ラストエンペラーまで皇帝の住居となる。  永楽帝は鄭和に航海を命じた。鄭和はインドを越え、サウジアラビア半島にいたり、さらにはアフリカにまで達している。  西方からの訪問者も増

          中国の歴史 6

          中国の歴史 5

           金の勢力が拡大する中、チベット系の民族である夏が存在感を増していた。  中国初代王朝と同じ国号を持つ夷狄の国は、漢族の神経を逆撫でしたようだ。しかし、宋は他国の名称に文句を言えるような力は失って久しい。この国は歴史上、西夏と呼ばれる。  西夏は金に服属する。金は宋を滅ぼすには至らず、戦線は停滞。勢力の均衡が訪れる。  均衡を打ち破った力はさらに北方、モンゴル草原から現れた。  1206年、いくつのも部落に分かれていたモンゴル人をテムジンという名の首領が統一。チンギスハン

          中国の歴史 5

          中国の歴史 4

           六朝は高い文化を持つ貴族社会であった。  華北の隋が天下を統一すると、天下に人材を求めて科挙を開始する。これは民間からも広く才能のある人材を得ようとした試みだ。しかし、六朝文化を飲み込んだ隋には貴族社会までも継承し、家柄ばかり重んじられる門閥政治に堕してしまう。  二代目皇帝の煬帝ははやくも政治を失敗し、各地に反乱が勃発。  618年、煬帝は反乱軍に殺される。同年、反乱軍の首領のひとりであった李淵が唐の皇帝を自称する。  唐は他の軍事勢力を滅ぼし、天下を平定。漢以来の長

          中国の歴史 4

          中国の歴史 3

           王莽は漢王朝を乗っ取り、皇帝となる。自身の国を新と名付ける。  王莽の政治は復古的で、現実にそぐうものではなかった。やたら官職などの改名を繰り返すも、混乱を招くだけで民衆の不満は募るばかり。  新の圧政に耐えかねた民衆は反乱を起こす。いくつかあった反乱軍の中でも、有力だった頭目に劉秀がいた。  紀元23年、王莽は反乱軍に敗れて死ぬ。そして、新は滅亡した。  新滅亡後、劉秀が皇帝となる。劉秀は漢王朝の血縁者だったため、国号を同じく漢とする。歴史上では後漢と呼ばれる王朝だ。王

          中国の歴史 3

          伊藤真の法学入門

           最近ずっと中国関係の本だったので、気分転換に別ジャンルの本。どうでもいいけど伊藤真とかいわれると伊藤誠しか思い付かない。  法律は前から勉強したかった。理由はふたつ。  ひとつは歴史のため。歴史を学ぶ上で、その国の法律を理解することは必須といってもいい。特に私の好きな古代ローマは史上初めての統治国家であり、ローマ法ぬきにその歴史は語れない。  もうひとつは実益。私は去年、まる一年かけて職場とバトっていたのだが、その際に法律系のカードを使った攻撃は非常に有効だった。バトルは

          伊藤真の法学入門

          中国の歴史 二

           前回に引き続き、中国の歴史シリーズ二巻目。稷下の学士の時代から、前漢の滅亡まで。  稷下の学士は中国史を学んだものならだれでも知っているだろう。斉の国に集まる学者たちだ。彼らの議論により学問は発展し、諸子百家が生まれた。  諸子百家には儒教、老荘、法家など、さまざまな系統がある。その中でもとくに老荘の思想が、稷下では主流だった。これは秦が天下を統一しても変わらなかった。  思想世界の流れが変わったのは漢の武帝の時代。武帝は儒教を好み、国家として儒教を支援したために正当な思

          中国の歴史 二

          中国の歴史 一

           陳舜臣先生の描く中国の通史です。そそりますね。  このシリーズ、全七巻のうち最初の一巻だけは電子なんですが、残りは紙媒体という謎な買い方をしてしまいました。ちなみに僕は紙媒体のが好きなんですけど、本棚の容量がヤヴァイのでここ二、三年はずっと電子で買ってます。最近、発行画面の見過ぎでドライアイ気味だったんで紙で読めるのはうれしいですね。  さて、一巻は考古学、あるいは神話の時代から孔子前後まで。陳舜臣先生は考古学の説を紹介しつつも、あくまで神話を尊重する形で歴史を解釈されて

          中国の歴史 一

          「論語」 金谷治訳註

           論語、言わずと知れた孔子の言行録だ。先日読んだ「孔子伝」の中で白川先生は、「孔子はただ論語のみに現れる」と書いていた。では、孔子とはどのような人間だったか。  私の目に映ったのは、厳格な儒者ではなく、もっと悲しげな表情をした思想家だ。往々にして理論家は行動家たりえないが、孔子は行動家を夢見た理論家だったのではないだろうか。  孔子が卑賤の生まれであることはまちがいと思う。幼いころは苦労したようだ。  十五にして学に志す  孔子は学問が好きだったのだろう。家業である葬

          「論語」 金谷治訳註

          「孔子伝」 白川静

           孔子の人物像が掴めたところで、史実に移ろう。  孔子伝は、読み進めるほどに疑問が増える本だった。碩学の頭の中の一端を覗かせ、私が知っていると思っていた事実に対しても容赦無く攻撃を加え、まちがいだったのだと認めさせられる。論語を読んだあとにもう一度じっくり読みたい本だ。  本文に移る前に、基礎知識をまとめておく。 神話時代 黄帝、堯、舜といった聖王が収める。 紀元前2000年 中国最初の王朝、夏が成立。 紀元前1600年頃 殷が夏を滅ぼして天下をとる。殷からのち、漢までの時

          「孔子伝」 白川静