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小説「わたなべなつのおにたいじ」⑭

 それからの三日間、母と湯浅さん、上椙さんのチームは、精力的にスキャンを進め、プリントアウトが毎日届いた。清明はそれを次々と自分の物にしていき、博正も手に入れた楽譜で、鬼祓で奏でられる曲が徐々に増えていく。

 そして金曜日の夜遅く、とうとうスキャン作業が完了し、全ての古文書が解析されて私たちの手元に届いた。その内容は、ほとんどが清明の首飾りに関する記述だった。この首飾りには安倍晴明の魂の欠片が封入されていて、使用者たる、と認められれば、強大な力を手に入れられる、という。ただし、心願成就までは決して外れることがない、というおまけがついていた。

 首飾りに付けられた勾玉には、それぞれ晴明が鬼や魔物を退治する際に使役した「式神」が封入されており、その式神についての記述が4冊、さらに晴明本人の術式について記載した物が1冊、一番分厚い古文書に書かれていたのは、鬼界と人界を永遠に隔てる術式を事細かに示した物だったが、そのために必要な材料が、現在では手に入らない物が多数あるため、実際には実行不可能だと判断された。

 鉢金についての記載もあった。頭に巻いて使用する防具の一種で、使用者の身体に強力な守護の力をもたらすのだと言う。

 その他、鬼や魔物の出現場所やその様子などを記載した絵地図、時の帝から晴明に下された、魔物調伏依頼の詔、またその感状、晴明が「心気を高める」ために行っていた生活の方法が書かれたものなどがあった。

 鬼丸について触れられた古文書は、ついに1冊もなかった。

 「本当に、お疲れさまでした。大学の方は、大丈夫そうですか?」

 母を含め、スキャンチームの疲労は極限状態にあるようだった。湯浅さんのふわふわの髪が、パサパサに乾いてしまっているようだったし、上椙さんは今にも倒れそうな顔色をしている。

 「来月の電気代が大学に請求されてからが勝負ね・・・。そこのところは、私が偽装を考えてるから、それで誤魔化すわ。」

 母は強気にそう言っているが、不安の色は隠せない。

 「皆さんにはなんてお礼を言ったらいいか・・・。でも、おかげさまで『向こう』の様子もだいぶわかりましたし、僕達も那津と一緒に戦えるだけの準備はできたと思います。」

 清明が神妙な面持ちで、3人にお礼を述べた。

 「・・・電気代のことなんですけど・・・万一の場合は、僕が寄付する、ということでいかがでしょうか?」

 博正が気づかわしげにそう提案する。一見突拍子もない案に思えたが、母や他の二人に疑惑の目が向いた時に、博正がスポンサーだったことにして大学側に実害が及ばなければ、何らかの処分が下されたとしても、軽微なもので終わる可能性はあった。つまるところ、『札束で黙らせる』というやつだ。大抵は悪役の所業だが、今回は仕方ない。

 「やっぱり、博正君ってお金持ちなんだ?」

 湯浅さんがふんわりした笑顔で言った。目は笑ってないように見えたけど。

 「音楽会社や楽団との契約金とか、演奏の印税もあるので。」

 博正も存分に「金持ち具合」を発揮している。「いくらあるか」ではなく「わからないけどたくさんあるよ」なのだ。そのうち誘拐とかされるんじゃないかと心配になる。

 「じゃあ、万が一の時は、頼らせてもらうわね・・・。」

 母は笑顔だったが、その奥底には大きな不安が眠っているようだ。ここから先の戦いに、母は入り込めないのだ。手伝えることは、終わった。

 「話は、済んだか?」

 そこに、鬼丸が手にお盆を持って現れた。お盆には、瓶子と人数分の盃が乗っている。清明が古文書から手に入れたレシピで作成した、疲労回復と活力増加に効果のある酒が入っている。これで、『固めの盃』を交わそうと言うことだ。

 全員の盃に酒が満たされた。そこでみんなが交互にみんなを見る。だれが乾杯の音頭を取るのか、で、無言の攻防が繰り広げられていたが、やがて全員の視線が清明に向けられた。清明は驚いた顔をしたが、全員の期待のこもった眼差しに、覚悟を決めたようだった。

 「えー、では。これからは僕たちの戦いになります。でも、常に皆さんと一緒に戦ってるつもりです。敵は歴史上に何度も登場する『災い成す者』ですが、必ず打ち倒して帰って来ますので、それまで、待っていて下さい! 解析作業お疲れさまでした! 乾杯!」

 「乾杯!」

 全員が盃を空けた。お酒の味がわからない私たち3人は、一様に「うえっ」という顔をしていたが、母たちは反応が違う。

 「な、なにこれ!美味しい!」

 「初めての味です!濃厚なのに、爽やかで!」

 「うっま!」

 「むぅ・・・さすが、『晴明酒』じゃのう・・・。」

 鬼丸は早速瓶子を取り上げると、自分の盃を満たし、それから母や湯浅さんの盃も満たした。そんなやり取りが数回あった後、とうとう瓶子は空になったが、皆が名残惜しそうに瓶子を見ていた。

 「あ、また作っておきますから!今度は・・・少し、多めに。」

 大人チーム全員が笑顔になった。鬼丸だけが一人瓶子を持ち上げ、さかさまにして口に付けていた。

 

 翌日、私たちは得た力の成果を試すため、『狭間』に入っていた。清明が「土鬼の術」とやらで、鬼のダミーを作り出し、実際に術や博正の笛を試してみよう、ということになったのだ。『狭間』は、一言で言うなら、「あらゆる生き物のいない人界」だった。時折、何かの拍子で迷い込んだ生き物に出遭うこともあるらしい。鬼界のような歪みもないが、空の色は見たことのない奇妙な青と赤のマーブル模様だった。

 「準備、いいか?」

 清明の質問に、二人ともうなずいて答える。鬼丸は刀になって、私の手に握られていた。清明もうなずき返し、胸の前で次々と『印』を結びながら、聞いたこのない言葉で『呪文』を唱えていた。ある程度のプロセスは聞いていたが、実際に目にするとなんとも奇妙な光景だった。

 変化はすぐに現れた。目の前の地面がボコボコと煮立ったように波打つと、それはどんどん人の、いや鬼の形を作っていった。わずか数秒で、鬼の彫像が形作られた。

 「できた・・・ほんとにできた・・・。」

 一番驚いているのは、当の清明だった。

 「で、これを壊すの?」

 博正が身も蓋もないような発言をする。

 「まだだよ!いいか、動かすぞ?」

 清明が短い呪文を唱えると、彫像が動き出し、こちらに向かってきた。今度は博正の鬼祓を試す手はずにはなっているが、いざとなれば切りかかれるように身構える。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、博正は落ち着いた態度で優雅に鬼祓を取り出すと、静かに目を閉じて瞑想を始めた。まったく、演奏会じゃないんだから、そういうデモンストレーションはいらないって言うのに。

私は博正と鬼との距離を測りながら、今か今かと笛の音が聞こえるのを待っていたが、博正は鬼祓を咥える気配すらない。いよいよ間に合わない、と私が跳躍しようとした瞬間、嫋々と笛の音が響き渡った。途端に土鬼はビクンと震えて後ろに後ずさり始め、やがて頭を抱えるようにしてうずくまり、その動きを止め、やがて元の土塊へと形を移した。

「見たか!『鬼殺し』の笛!」

博正が、鬼祓を突き出すようにしてポーズを決める。これからずっとこの調子なのだろうか。どうも博正は芝居じみた動きをしないと気が済まないらしい。と言うより、幼少期から「人を魅せる」ことが身に沁みついているのかも知れない。とにかく、博正の鬼祓も効果を発揮することはわかった。

その後も、清明が土鬼の数を増やしたり、動きに統率性を持たせたりしながら、清明の術や博正の他の曲など、いろいろと試すことができた。都合30体目くらいを倒し終わると、清明が急に地に膝を着いた。

 「やば。MP不足・・・。」

 なるほど、実際にMP不足になると、人はこうなるものなのか。こういう時、ゲームなら回復アイテムを使って瞬時にMP補給ができるけど、もちろんそんな便利なアイテムはここにはない。

 「ちょっと・・・式神、試してみるか・・・。」

 清明はそう言うと、首飾りの勾玉をひとつ外して少し先の地面に投げた。

 「顕現!」

 地面に落ちた勾玉に向かって指を突き出し、そう唱えると、勾玉はみるみるうちに大きくなり、やがていわゆる「牛車」と呼ばれていた四輪車に姿を変える。ちょっと違うのは、牛が牽くのではなく、大きな亀が2匹と、その周囲につながれた小さな無数の亀が牽く、ということだ。豪華な御者台もついていて、乗り降りは左右と後面からできるようだ。「元亀車」と言うらしい。名前からして元気が出そうだが、その通り、中に入ると傷や疲れを癒す効果があるらしい。後ろの扉を開けてみると、中は外見からは想像がつかないほどに広い。軽く八畳はありそうだった。

 「うわ・・・豪華・・・。」

 天井には色彩に溢れた天女や天人が描かれた天井画があり、壁は一面の金箔張りだった。右側には箪笥が並び、左側には机がしつらえられ、これまた豪華な椅子が二脚。中央の床はいかにもフカフカの敷物が敷かれていた。

 中に入ると、ほんのりと温かく、甘い香りが漂っていた。確かにここで過ごしたら元気になりそうだ。博正が箪笥の一つを開けてみると、中には様々な果物やお菓子が並んでいる。

 「これ、食べていいのかな?」

 博正はピンク色の餅のようなお菓子を手に取る。見るからに美味しそうだ。

 「いいんじゃないか? 滋味に溢れる食物らしいぞ。」

 それを聞いた博正がお菓子を口に入れ、一口かじった。見ているだけでその柔らかさがわかる。

 「うまい・・・。すあまだよ、これ。」

 私たちは敷物に座り、それぞれ菓子皿から饅頭や米菓子を手に取って食べた。どれもとても美味しい。試しに蜜柑も食べてみたが、甘味と酸味のバランスが良く、とてもみずみずしい。3人が3人とも、あっという間に元気を取り戻した。心なしか、陽気な気分になってきている。

 そうやって、いろいろ試しては疲れたら休み、を何度か繰り返した。驚いたことに、元亀車の中と外では時間の経過も違うことに気が付いた。中で30分ほど休んだつもりでも、外に出てくればほんの数分しか時間が経過していない。

 「いやはや、とんでもない力が手に入ったもんだな・・・。」

 清明がしみじみとそう言った。確かに、清明も博正も急激に力を付けた。まだ実際の鬼と戦ったわけではないにしても、それは大きな自信となったようだ。今日一日で、土鬼を300体は倒したに違いない。私はそのうち50体ほどは切っただろう。前回、鬼と戦った時よりも滑らかに動くことができる。これも『盟』の効果の一つなのだろう。鬼丸と歴代の『遣い手』の経験が、そのまま私の経験となっている、ということがよく理解できる。体の感覚や反応速度が高まったことと相まって、「対多数戦闘」も難なくこなすことができた。

 「そろそろ、帰るとするか。」

 清明が元亀車を元の勾玉に戻して、首飾りに付けた。

 「そうだね。明日もあるし。」

 博正は鬼祓を拭き上げると、薄絹に包んで大切そうに箱にしまう。

 私は鬼丸を人に戻し、狭間の出口を作ってもらうようにお願いした。

 「土鬼とは言え、だいぶ稼いだのう!」

 鬼丸も上機嫌だ。帰りにソフトクリームを買ってあげよう。


 こうして、私たちの土日は訓練に明け暮れて終了した。清明は術の練度を上げ、呪文や印を簡略化することに成功したし、博正は鬼祓の様々な曲を独自にアレンジして、新たな曲を作り上げていた。私は日曜日の最期に、清明に無理を言って、土鬼の百人斬りに挑戦した。目指す朱点の勢力は、総数1000万鬼だと言われている。百人斬りを10万回しなくちゃならないってことだ。対決までどれくらいの時間があるのか分からないけど、この辺りで私にも、何か自信になる物が欲しかった。実際にやってみると、そこまで大変でもなかった。まあ、土鬼だから、ということもあるのだろう。次の休みには、千人斬りを試そう。


 月曜日、事件はお昼に学校で起こった。警察が学校に事情聴取に来たのである。当初は昼休みだけで終わる予定、と放送が入ったが、予定が伸び、4時限目の授業は全校自習となった。2年C組からも、何名か事情聴取に呼ばれた。全員がすぐに戻ってきたが、その話によると、3年生の女子生徒2名が失踪しているのだと言う。どうやら1名は金曜日に、もう一人は日曜日に、部活の大会帰り、学校で用具の片づけをしている最中に姿が消えたと言う。

金曜日の出来事については、校内か校外か不明だが、日曜日の分は間違いなく校内で、ということらしい。私物が残されている上、残されている防犯カメラの映像を解析しても、その女子生徒が学校から出て行く様子が確認できていないと言う。

 当然、先週木曜日の警備員2名の失踪についても、関連性が疑われていることだろう。

 博正が意味ありげにこちらを見てくる。私はわからない程度にうなずいた。博正も微かにうなずき返し、聴取を受けた女性生徒に近付いていく。博正は校内での知名度を逆手にとって情報収集に活かすことにしたのだ。それを見た清明が、さりげなくこちらに近付き、すでに離席して空いている私の前の席に座ると小声で囁いてくる。

 「いよいよ、動き出したんじゃないのか?」

 「そうに違いないと思う。こんなに立て続けに、なんて、誰でもおかしいと思うよ。」

 「だな。」

 そう言って、二人で博正の方を見た。すでに博正を中心に人だかりができていて、事件についての議論が交わされていた。博正は適当に相槌を打ちながら、聞けるだけの情報を聞くつもりのようだ。

 結局、その日は午後から学校閉鎖となることが決まった。どうやら本格的に警察の捜査が入るらしい。明日については、午後6時までに生徒全員に一斉メールで連絡が行くことになっている、と三浦先生が話していた。

 「いい? 今日は全員真っ直ぐ帰宅して、自宅学習としてね。早引けだからってあちこち遊び回らないように。それから、このことはみだりに言い触らさないように、と警察からもお願いされてるから、各自、節度のある行動を取ってね。違反者には厳しく対応するから、そのつもりで。絶対に動画投稿とか、ツィートとかしちゃダメよ? 必ずバレるからね!」

 さすがにいつものおちゃらけた様子がない。先生も不安なのに違いない。同時に生徒のことを深く気遣っているのが、よくわかる。

 そのまま、解散となり、私たちはそれぞれ別々に帰宅し、その後博正のマンションに集合することにした。私は家に着いて私服に着替えると、出がけに、母に今日の出来事とこれからの予定をラインで送っておいた。既読はつかない。この時間なら、講義中だろう。

 

 博正のマンションに集合すると、早速博正が集めた情報を整理する。一人は生徒会の役員を務めていて、全校集会でも何度か登壇したことがある3年生だった。既に海外の大学への推薦入学が決まっており、家庭環境からも失踪する理由が見当たらない、と言う。もう一人は弓道部の3年生で、同じくこれといって失踪する理由はなかった。部室の鍵を返しに、実習棟から本棟に向かい、そのまま行方不明となったらしい。その後一緒に遊ぶ約束をしていた生徒数名に荷物を預けており、いつまでも戻らないことに不審を覚えたその数名が、職員室に様子を見に行って事態が判明したということだ。

 「・・・一人目が最後に見かけられたのは、いつなんだろうな。」

 清明が呟く。博正はそこまでの話はなかった、と答えた。もしかしたら、警察もその辺りを聞きたかったんだと思う。だからこそ、事が露見することも厭わず、広く生徒から事情聴取をしたのだろう。

 「気になるのは、二人目の生徒だ。実習棟から本棟までなら、時間にして10分も掛からないだろ? それに、渡り廊下を通ったはずだ。」

 渡り廊下。私たちが、最初に鬼に出遭い、鬼界に引きずり込まれた場所だ。失踪が鬼の仕業である可能性が、一気に高まった。

 「鬼丸、鬼界と人界が繋がるのに、回数は関係あるのか?・・・つまり、一度繋がった場所は、また繋がりやすい、とか、そういったことを聞いたことは?」

 「ふむ・・・。可能性としては大いに有り得る。少なくとも、歪みが余韻となってしばらく残ることは間違いない。」

 「じゃあ、そういう歪みの余韻が、何かの拍子にあっちと繋げてしまうことは?」

 「有り得る。昔から、鬼が出た場所は札や塚で封じるのが普通じゃ。」

 そこまで聞くと、清明はじっと何かを考え込んだ。やがて、意を決したように顔を上げると、清明は考え付いた作戦について、一気に話し始めた。


「わたなべなつのおにたいじ」⑭
了。


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