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小説「わたなべなつのおにたいじ」⑫

 「もう!初日からめちゃくちゃじゃない!」

 私は博正のマンションで、清明と博正、それに狭間から出てきた鬼丸を前にして、喚いていた。

 「いや、僕だってあんなことになるなんて、思ってなかったよ!」

 博正は言い訳がましくそう言ったが、想像以上の学校での反応に、まんざらでもないと感じているに違いない。

 「・・・まあ、予想するべき事態だったな。俺たちには当たり前のことだけど、考えてみたら、博正はドラマの世界設定で日常を生きてるみたいなもんだからな。」

 「なんだよ、それ。褒めてるの?」

 「そんなことより、明日からどうするのよ?今日だって博正はずっと取り囲まれてるし!まさかマンション前まで押し掛けてくる連中がいるとは思わなかったわ!」

 「そうだよなぁ。アイツら、いつまでも帰らない勢いだったしな。」

 博正の人気は相当のものだった。すぐにファンの集団が作られ、奪い合ってでも一言話がしたい女子生徒の一団が、博正のマンションまで付きまとい、博正が中に入ると出待ち状態になってしまった。博正は聞かれるままに一人暮らしのことや、部屋が最上階のペントハウスであることを正直に答えてしまい、乙女心とは程遠い、欲深い女の執念に火を着けてしまったのだった。

 私も清明も、住人の誰かがたむろしている女子高生の集団に苦情を言うまで、マンションに近付くことすらできなかった。特に私は、あの消しゴム事件があった後ということもあり、誰かに博正のマンションに入るのを見られたら、近いうちに後ろから刺されるハメになるに違いない。そういうのは、せめて鬼だけのことにして欲しい。

 「まあ、しばらくはこの状態が続くだろうけど、長続きはしないだろ。今日も誰かが苦情言ったみたいだし、学校だっていつまでも騒がしいままにはしておかないはずだ。それまでは成り行き見守るしかないな。とりあえず、博正が校内で孤立することはないだろうから、その間は二人で情報集めしようぜ。」

 「それはそうだけど、問題は博正だよ!調子乗ってペラペラ話しちゃって!まさか鬼のこととか、話してないよね?」

 「さすがにそれはないよ!僕だってそれくらいはわかる!」

 「まあまあ、博正も悪気があったわけじゃないし、その辺で許してやれよ。」

 清明は私たちを落ち着かせようと、そう言った。私もそれくらいはわかってるんだけど、悪気がないのが逆に腹が立つ。思い切り文句を言う訳にもいかないから。

 「わかったわよ・・・とりあえず、しばらくは距離を置いてほとぼり冷まさないといけないわね。リア充系女子の、私への態度、見た?」

 「・・・あれは、ひどいよな。露骨に風当り強くなったもんな。」

 私はそれまで、いわゆるそちら系の女子からは「射程圏外」の存在だった。まあ、「運動バカ」くらいのことは陰で言われてただろうけど。それが、今日の出来事で一変した。私はいきなり「敵性存在リスト」のトップに躍り出てしまった。その効果はすぐに現れ、今まで言われたことのない「クラスの平均点を下げる」だの、「せめて居眠りするな」だの、余計なお世話の忠告をされたり、いきなり後ろからぶつかって来られたり、挨拶を無視されたり。明日辺りは上靴に何か仕掛けられてるかも知れない。そんなことを思い返しているうちに、鬼丸の一件を思い出した。

 「そうだ、鬼丸、昼休みのあの子の頭痛、どうやったの?」

 「なぁに、狭間からあやつの頭を叩いてやっただけのこと。痛みよりも驚いた方が強かっただろうよ?」

 「そんなこともできるんだ?」

 「狭間は、いわばこの世から半分ずれた世界なんじゃ。多少の影響なら及ぼすことはできる。その辺は、まあ塩梅というやつじゃな。」

 鬼丸は得意満面にそう言うと、ソファにふんぞり返る。

 その後は、みんなで情報交換をして過ごしたが、校内の噂話でこれといったものはなく、自然とただの世間話で時間が過ぎていった。そろそろ仕事も一段落の時間だろうと思い、母にラインを送った。すぐに返信が来て、お互いに異常がないことが確認できた。

 「よし、それじゃ今日はこの辺にするか。」

 清明が宣言し、その日は解散することになった。私と清明は正面からの出入りを避けるため、一旦地下の駐車場まで降りてから外に出ることにした。博正が気を利かせて、スペアキーを渡してくれたので、これからは今日のようなことがあっても時間を無駄にしないで済む。表は日も陰り始める時間で、マンション前の人だかりは消え失せていた。2人はいつもと変わらない取り留めのない会話をしながら、それぞれの家路に着いた。


 渡辺八重は、自室の窓から眼下の駐車場を眺めた。18時を過ぎ、主だった教職員は帰宅しているようだったが、それでもまだ半分ほどの車が駐車場に止まっていた。

 タイミングを慎重に測る。小うるさい教授連中がいるうちは難しいが、かと言って目当ての人物が帰宅してしまっては元も子もない。そろそろ動き出す頃合いだろう。

 八重は大きめのトートバッグに防水バッグが見えないように入っていることを確認すると、念のため羽織っていたカーディガンを脱いで、トートバッグに被せた。

 八重の研究室は4階にあった。目当ての場所は地下にある。本来なら、この時間に地下に降りる必要性はまったくないのだが、誰かに会ってしまった時のために、それらしい理由も考えていた。

 大きく息を吸ってからドアを開き、廊下に出る。ただこれだけのことで、心臓が鼓動を速めた。左右を見渡しても、歩いている人はいない。これからエレベーターホールに行ってエレベーターに乗るまで、誰にも会わないように祈りながら、八重は歩き出した。

 エレベーターの下ボタンを押す。1階から上がって来る僅かの時間が、とても長く感じられる。扉は開いたが、中には誰もいない。待機状態で呼んだのだから、当たり前のことなのに、ホッと息が出た。乗り込んで、地下のボタンを押す。次は途中で誰かが乗ってこないことを祈る。しかし、その祈りもむなしく、エレベーターはすぐに減速し、2階に止まった。扉が開いて、職員二人が乗り込んできたが、知り合いではなかった。スマホを見ているフリをしながら1階で降りる二人を見送りつつ、閉まるボタンを連打した。ここで誰かに乗られたら、まずいことになる確率が大きく高まる。

 やがて扉が閉まり、エレベーターが動き出した。また一つ問題をクリアしたが、降りた先に誰かいても困るし、目当ての場所まで約30m進む時も危ない。

 鼓動はいよいよ高まってきたが、扉の先には誰もおらず、廊下もしんと静まり返っていた。よし、いい兆候だ。自然と速足になって、目当ての場所まで来ると、金属製のドアをノックした。インターホンは記録が残るので、使いたくない。

 三度目のノックで、扉が開いた。中から見慣れた人物が顔を覗かせた。

 「あれ、渡辺先生。どうしたんですか?」

 白衣を着た銀縁メガネの彼女は、湯浅由乃。大学院で考古学に理系でアプローチする様々な研究を行っている。学生時代から、八重とは様々な場面で一緒に活動することが多く、卒業論文の作成に当たっては、大いに議論を交わした。それが縁となり、湯浅は就職を取り止め、大学に残る決意を固めるキッカケとなったし、八重も出土品についての科学的調査を湯浅に頼んだりと、お互いに助け合う存在となった。

 だが、今は研究中の題材もないし、貴重な資料が数多く保管されているこの場所に、八重が来るべき用事はなかった。

 「お願いがあるの。とにかく、中に入れてくれる?」

 八重がそわそわと周囲を見回すのを察知して、湯浅が体を避け、八重を室内に導き入れると重い扉を閉めた。

 中に入ると、八重は扉にもたれかかり、胸に手を当てて大きく息を吐いた。

 「何かあったんですか?」

 心配そうにしながら、湯浅が水のペットボトルを差し出した。

 「ありがとう。誰かに見つかりはしないかと、ドキドキだったのよ。」

 そう言ってボトルのフタを開き、水を一口飲む。ほどよく冷えた水が胃に落ちていくのがわかり、それとともに八重は落ち着きを取り戻した。

 「・・・実はね。助けてもらいたいことがあるの。」

 そう切り出した八重は、これまでの経緯を『信じられないと思うけど』と前置きした上で話した。この若くて鋭敏で、将来有望な若者を巻き込むに辺り、それは最低限の礼儀だと思ったし、またその方が、湯浅は協力してくれる、と踏んだのだ。それと、もう一つ。万が一自分に何かがあった時のため、真実を知る研究者を作っておきたかった。

思った通り、最初は目を丸くして、次にニヤついて話を聞いていた湯浅だったが、八重の真剣な眼差しと話の熱量に圧倒され、最後の方には時折質問を差し挿みながら、静かに話を聞いていた。

 「・・・それで、分析したいという古文書はどこですか?」

 八重が話し終えると、湯浅はむしろ強い興味を覚えたようだった。

 「ここに・・・。」

 そう言って、八重が防水バッグを取り出す。慎重にジッパーを開き、中を覗き込むと、さらにジップロックで小分けにされた数冊の本が見えた。いずれもかなりの年代を経過している物であることは、すぐにわかった。

 湯浅は防水バッグのうち一つを受け取ると、研究室の奥の、さらにガラスで区切られた一角へと進んで行く。

 「ねえ、さっきも話したけど、これは盗品なのよ。それを調べるっていうことは・・・。」

 八重がそこまで話したところで、湯浅が振り向き、指を上げて制止する。

 「大丈夫です。これから起こることは、この部屋から外には出しません。それに、私は事情を全てわかった上で、協力するんです。たとえちょっと経歴に傷がついたとしても、このチャンスを逃すことはできません。信用して頂いて、大丈夫です。」

 そこまで言われては、八重に返す言葉もない。

 奥の扉を開け、さらに中に進むと、右奥に放射線マークのついた金属扉がある。あの中に、今回の目当ての機械が収まっている。

 X線CTスキャン装置。それまでのX線スキャンでは透視することのできなかった、墨書の透視スキャンが可能な装置だった。インクと紙と違い、墨も紙も同じ炭素のため、通常のX線スキャン装置ではテキストだけを抽出するのが不可能であったのだが、この装置はそれらを分類し、三次元的に再構成することで、ページごとに「何が書かれているか」を明らかにすることができる。専門的に言うなら、位相コントラストを用い、屈折率の違いを検知して撮影することができ、墨と紙の僅かな密度差、組織変化を検出する画像解析が可能となった装置、ということになる。

 この装置の登場で、古代日本や古代中国のいわゆる「墨書文化」で書かれた古文書の解析が、飛躍的に進むことになったのだが、問題はその使用電力の多さと、サーバーコンピューターの占有率だった。そのため、使用に当たっては、本来、学長の許可が必要となる。

 湯浅は最初に電子顕微鏡を用い、それぞれの冊子のページ数をざっと計算した。ページ数が多くなれば、それだけスキャンにも再構成にも時間がかかることになるからだ。計算の結果、全ての防水バッグをスキャンするのに、18時間から20時間の時間が必要になる、ということだった。

 「誤魔化しながら装置を作動させられるのは、恐らく一日あたり一時間が限界ですね。ざっと3週間から4週間、というところでしょうか・・・。」

 湯浅は顔を上げると、そう言った。

 「やっぱり、それくらい掛かっちゃうわよね・・・。」

 「お急ぎなら、時間を半分にする方法も、ないではないんですが・・・。」

 「それは? どうするの?」

 「今の時間は、撮影と解析を私が一人で行った場合の時間なんです。でも、解析を誰かに手伝ってもらえれば、単純に時間は半分で済みます。」

 「・・・魅力的な提案だけど・・・危険は増すわね?」

 「事情を知る人が増える、という点ではそうですが、時間的な問題で事が露見したり、作業を中止せざるを得なくなる、という危険度は減ります。実は一人、適任と思う人がいるんです。」

 その人物は、湯浅の後輩に当たる人物で、今年から院生としてこの研究室に参加することになった、上椙千英という人物だ。X線CT装置の事実上の開発者の娘であり、本人もこの装置のエキスパートだと言う。

 「・・・実は・・・私の、彼女なんです。見た目は、ちょっとアレなんですけど、この装置で解析をさせたら、日本一の腕だと思いますよ。」

 これも時代だと思うが、最近では教え子でも同性愛のカップルが多いので、驚きはしない。それに、湯浅の言うことももっともだった。一ヶ月もの間、この作業を隠し通せるものなのか、大いに不安がある。さらに、その間に新たな「正規の」研究依頼が舞い込めば、ここも多数の関係者が出入りすることになり、こちらの動きは止めざるを得ない。

 「わかったわ。じゃあ、二人でお願いできる?」

 「はい!じゃあ、連絡入れてみますね?たぶんまだ資料室にいると思うので!」

 驚くほどすぐにスマホが繋がり、さらに驚くほど速く、上椙は研究室に戻って来た。

 そしてその外見に、私はもっと驚かされた。耳、鼻、口の端、至る所にピアスがこれでもかと付いている。顔だけで相当の重さになる気がする。髪型はショートボブで、緑色のメッシュが入り、目の周りが真っ黒に化粧されていた。派手な英語の書かれたTシャツの裾からへそが見え、下はジーンズのショートパンツだが、これもあちこちダメージが入っている。下着が見えないところを見ると、もしかして下着は付けていないのかも知れない。

 彼女はムスッとした顔で涼しげに部屋に入って来たが、私を見つけると途端にたじろいで、モジモジし始め、湯浅の後ろに隠れてしまった。

 「彼女が上椙千英です。・・・実は、先生の大ファンで・・・。」

 「ほんとに? 一度も研究室に来たことはないわよね?」

 研究室どころか、ゼミでも、もちろん授業でも会ったことはなかった。この外見なら、一度会えば忘れるわけがない。

 「あ、あのっ!『北海道と本州における縄文式土器の態様差異』すっごく勉強になりました!デーノタメ遺跡の論文も!」

 予想したよりだいぶ高い声だった。声変わり前の男の子の声に似ていた。私の研究論文の中でも、歴史のある、あまり有名でないものを挙げてきたところからすると、かなりコアなファン、ということらしい。

 「ありがとう!そう言ってもらえて、とても嬉しいわ!それでね・・・。」

 私は途中まで事の経緯を説明し、その後のことは湯浅が噛んで含めるようにして説明していた。その間もチラチラこちらを見ながら、クネクネしている。

 「わかりました!全力全開でやりますっ!」

 両の手を握りこぶしにして、縮こまるようにしながらキラキラした目でそう言われる。その気はまったくない私でも、カワイイと思える仕草だった。

 「あ。ありがとう。でも、ちゃんと理解してる?場合によっては放校処分になるかも知れないくらいのことよ?・・・もっと悪いかも。」

 「大丈夫です!せんせぇの頼みで、由乃もやるなら、刑務所入っても全然大丈夫です!」

 間違いなく、「せんせぇ」と聞こえた。ますますかわいい。

 時計は7時の少し前を指していた。今日は8時までなら問題なく作業ができるらしい。二人はてきぱきと準備をし始め、5分も経たないうちに装置のスイッチが入れられた。予想していたよりも音が大きい。ブーンという重い低周波の音が、耳を刺激する。装置のアイドリングに約10分、やがて装置が稼働し始めると、ウィーンというような機械音も混ざり、音はますます大きくなった。

 湯浅の撮影した画像が、次々とモニターに映し出される。それを見ながら、上椙が「2ポイント戻して」とか「右1度角度付けて」などとヘッドセットで湯浅に指示を出していく。その間も上椙の手は動きを止めず、画像を回転させたり、重ねたり、ずらしたりを続けている。なるほど、速い。前に同じ作業を見学した時は、3人係りで意見を交換しながら、驚くほどの時間が掛かっていたが、湯浅と上椙のコンビはほんの数分で1ページを仕上げた。

 「・・・先生、ちょっと見てもらっていいですか?」

 上椙がまじめな顔で私を呼んだ。先ほどとは打って変わって、研究者の顔をしている。モニターに出ていたのは、最初のページだった。

 「・・・これ・・・サンスクリット語じゃない。」

 書かれていた文字は、日本語ではなかった。サンスクリット語、つまりは梵字だが、横向きに、縦に書かれていた。ということは、中国を経由していない文典ということだ。サンスクリット語は、はるか古代に中国で縦書きに直され、日本に多く伝わっているのも縦書きの物だ。通常は左から右に読むが、「逆からも読める」文字であり、読み方で意味が変わる、という性質を持っている。しかし、縦書きに直されたことで「真の意味」が伝わっていない可能性が、前々から指摘されていた。これはいわば「原典」で、歴史的にも非常に重要な発見となる可能性がある。時代測定はしていないが、中国を経由しないで日本に渡来した可能性のあるものだった。

 その後も次々とページが形となっていき、8時少し前に、最初の一冊25ページがプリントアウトされた。区切りもいいので、今日はここまで、ということになった。3人で頭を突き合わせるようにプリントアウトを覗き込んだが、まったく読めない。現代の文字とは形が違うのだ。

 「せっかく作業してもらったけど、これじゃ読めないわね。」

 八重は自嘲気味に笑ってプリントアウトの束を振った。解読できる人間を探さなくてはならないが、それには様々な問題がある。読めそうな人間を当たってみるか、という湯浅の問いに、八重はノーと答えた。それにはこのプリントアウトを見せなくてはならない。書いてある内容がわからない以上、危険なことだ。先ほど八重が気付いたことにその人間が気付きでもしたら、それを大々的に発表されたら、大変なことになる。

 「それにしても・・・世紀の発見となるかも知れない文献が、なんの研究もされずにしまい込まれていたなんてね・・・。」

 八重は大きくため息をつくと、荷物をまとめて3人で部屋出た。

「わたなべなつのおにたいじ」⑫
了。


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