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小説「わたなべなつのおにたいじ」⑱

 「那津!」
 近付く私に気が付いた江藤さんが、段の途中で足を止め、笑顔で手を振った。大江田先輩もこちらを見ている。できれば、鬼界じゃない学校で見られたかった。
 
 「江藤さん!早く乗って!大江田先輩も!」
 
 私は二人に5mくらいのところまで近付いて、急ぐように声を掛ける。
 
 「君が、渡辺那津か!」
 
二人に追い付いた私を見て、大江田さまが笑顔でこちらに振り向いた。こんなに間近で微笑まれたら嬉しいはずなのに、今はそれどころじゃない。

 『那津!何やってんだ!早く二人を乗せろ!』

 清明からも突っ込まれた。わかってるってば。

 「と、とにかく、早く乗って下さい!急いで!」

 私が二人を押し込もうとして大江田さまの左肩に触れようとした時、大江田さまにその手首を掴まれた。

 「そんなに慌てなくたって、いいじゃないか!」 
 「な、なにを・・・っ!」

 言い掛けて、右手首の激痛に顔を顰めた。顔は相変わらずニコニコしているが、掴む力が尋常じゃない。

 「ちょ、ちょっと!い、痛いっ!」
 「あー、ごめん、ごめん!あんまり、嬉しくってさーっ!」

 何か様子がおかしい。笑顔が狂気を孕んでいる。背筋に冷たい物が走った。

 「でもさ、痛いってのは、こういうことを言うんじゃないのぉっ!」

 大江田さまが空いてる右手を伸ばすと、江藤さんの胸にその右手を突き込んだ。少し前まで笑っていた江藤さんは、自分の胸に手首まで突き刺さった生徒会長の右手を見て、キョトンとした顔をしている。
 見る見るうちに、江藤さんの白いブラウスが深紅に染まっていった。

 「い、いぎゃぁぁぁぁっ!」

 江藤さんは今までに聞いたことのない、金属が擦れたような悲鳴を上げた。血しぶきとともに。その血が私の顔にも飛んでくる。私は狂ったようになって右手を振りほどこうとするが、どんなに暴れても、そのたびに右手に激痛が走るだけで、ピクリともしない。
 ジワリ、と大江田さまの額にオレンジ色の点が滲み出てくる。

 「朱点!」

 私は、絶望と共にその名を口にした。

 「ばぁかぁ。遅いんだよっ!」

 そういうと、朱点は右腕を江藤さんの胸から抜き、血だらけの手を私に向かって伸ばす。衝撃に備えるように身を縮めたが、衝撃は襲ってこなかった。その代わり、背中に背負った鬼丸を奪われ、それと同時に突き飛ばされた私は、何度も後ろに転がってから地面に倒れた。
 江藤さんは崩れるように倒れると、そのままピクリともせずに元亀車の段を落ちて、朱点の足元に横たわった。命の灯が消えているのは間違いない。
 朱点は血だらけの右手に鬼丸を握り、その手を高く突き上げて勝ち誇ったような高笑いをしている。

 「那津っ!大丈夫かっ!」

 すぐ隣に、青ざめた顔をした清明が、あおすけに乗ったまま着地する。同時に紅尾が羽ばたいて元亀車が持ち上がった。
 朱点はそれに気付いているようだったが、特段気にもしていない。勝利を噛みしめるように何度も腕を振り上げ、笑い続けていた。その笑いが響くたび、朱点は見る見る大きくなり、その姿を変えていった。制服はとっくに破け、中から赤錆色の身体が現れる。頭からは赤黒い角が二本生え、口には大きな牙が現れた。目からは瞳が消え、黄色みがかった白の眼窩が覗いているだけになった。そして、顔や体に浮かび上がる、無数の朱点。

 「ようやく!ようやくダっ!・・・長かった・・・長かったゾ・・・!」

 鬼にふさわしい、地獄の底から響いてくるような恐ろしい声だった。私も清明も、その声を聞いただけで痺れたようになり、体を動かすことができない。
 朱点がこちらを振り返る。その顔は、「今、初めて気が付いた」とでも言わんばかりの余裕が感じられる。鬼の表情など知りたくもないが、明らかにニヤニヤしているとわかる。
 こちらに近付こうとして、足が江藤さんの身体に触れた。朱点は一瞬動きを止め、不思議そうに江藤さんを見下ろしていたが、やがて何事もなかったように江藤さんの身体を踏んで前へ進む。二度と忘れられないような音を立てて、江藤さんの身体が潰された。

 「・・・ぐっ・・・!」

 口中に酸っぱい味が広がる。それを無理に飲み込むと、やがてそれは鉄の味に変わった。

 「ガゥアーーーーっ!」

 左手から、米呂院が雄叫びを上げて突進してくるのが見えた。だが、その牙が朱点に届く前に、地面から別の鬼が現れ、米呂院の行く手に立ちはだかった。朱点と同じ、4mはある大きな鬼だ。右では、少し離れた場所で、既にゼルマと鬼が戦っていた。ほぼ倍の大きさの鬼を相手に、ゼルマもよく戦っているようだったが、かなり劣勢のようだった。その向こうでは、アダタラが長い龍のような化け物と死闘を繰り広げている。
 朱点は周囲を見回し、殊更口を大きく歪めた。笑っているつもりなのだろう。

 「バカメ!このワたしヲ、ダシぬけルとでモおもッタのカ!」

 そう言うと、朱点は右手の鬼丸を長い爪の付いた親指と人差し指でつまむように持ち替えた。朱点が大きくなった分、小さく見える。

 「こいツさエうばエレば、オマえラナど・・・むリョくダっ!」

 朱点は左手でも同じように添えて、鬼丸をつまむ。そのまま鬼丸を私の眼前に来るように差し下ろした。そして・・・
 
朱点の手で、鬼丸が二つに折られた。

「うう・・・ぅっ!」

動けず、声も出なかったが、一瞬にして体中が燃え上がるような感覚が、私を襲った。激しい憎悪が体中を駆け巡った。だが、どうすることもできない悔しさに、頭が爆発しそうになる。朱点を睨みつけている視界が、じんわりとぼやけ、瞳から溢れた涙が頬を伝い落ちる。
何もできなかった。どうすることもできなかった。出し抜けたと思い込んだ。全て、朱点の策略だったのだ。鬼丸を奪うためだけに、破壊するためだけに、朱点が張り巡らした罠の上で、もて遊ばれただけだった。
お父さんが命懸けで伝えてくれた物を、幾多の御先祖が守り抜いて来た物を、私は簡単に奪われた。浮ついていた。憧れの人を無事に救えそうだ、いいところを見せられた、もしかしたら、これを機にもっと近い存在になれるかも知れないとさえ、思った。

くそっ。くそっ。くそっ!

 そのせいで、江藤さんは無残に殺された。あんな死に方をするような人では、断じてない。いや、誰であろうと、あんな殺され方をされていい訳がない。
 
 そのせいで、私たちは窮地に追い込まれた。私はいい。自分の油断が招いたことだ。だけど、隣の清明は・・・。清明・・・。考えてみたら、ずっと清明に頼り切りだった。任せ切りだったと言っても、いい。受験の時も、進級の時も。そして、今回のことまで。私が背負わなくちゃいけないことを背負わせて、私の油断と慢心で絶望的な状況に立たせてしまっている。もう、ごめんねも、ありがとうも、言えないのかな・・・。

ダメだ!

 ここで清明に万が一のことがあったら、せっかくこの場を離れた博正や三浦先生も鬼界から出られない!そうしたら、いずれは同じ結果だ。だから、朱点は見向きもしなかったんだ。見逃しても、いずれどこかで鬼の餌になるだけだから!

・・・くそっ。くそっ。クソッ! クソッッ!!
私のせいで! 私のせいで! ワタシノッ! セイデッ!

ひゅぅぅぅ、きょぉぉぉぉぉぉぉぉぉん

 あおすけが、咆哮を上げた。途端に、空間が歪むくらいの衝撃波が襲ってきて、私は文字通り吹っ飛ばされた。転がり続けながら、あおすけを中心にして全ての物が、吹き飛ばされる様子が見えた。朱点は少しの間踏み止まったが、それも数舜のことで、仰向けに倒されると、成す術もなく転がり始めた。米呂院も、ゼルマも、アダタラも、戦っていた鬼の群れごと、吹き飛ばされている。
 良かった。これで清明が逃げ出す時間が稼げる。それが、たとえとりあえずでも。

 そして、私は気を失った。

「わたなべなつのおにたいじ」⑱
了。


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