見出し画像

小説「わたなべなつのおにたいじ」最終話

 川のせせらぎの音で、私は目を覚ました。柔らかな風が吹き、抜けるような青空には雲一つない。若草と花の香りが、鼻孔をくすぐる。起き上がってみると、一面の草原だった。ところどころに色とりどりの花が、競い合うように咲き誇っていて、ゆらゆら風に揺られていた。

『あー、天国に来たんだ』

漠然と、そう思った。と言うことは、聞こえているせせらぎは、噂に聞く『三途の川』というやつだろうか。

「那津。」

名前を呼ばれて振り返ると、そこに父が立っていた。

「お父さん!」

私は立ち上がって、父に歩み寄ろうとして、制された。

「ダメだよ。那津はまだ、来ちゃいけない。」

やっぱり。何となく、そんな気はした。そうしたいけど、そうしてはいけないんだ、と心が理解している。

「・・・ごめんなさい・・・。私、ダメだった・・・。」

「何が、ダメだったんだい?」

「鬼丸、折られちゃった・・・。お父さんが残してくれたもの、全部使ったのに・・・。朱点と戦うことすら、できなかった・・・。一方的に、やられちゃった・・・。」

「それで、ダメだった、と?」

「うん・・・。ごめんなさい。・・・ご先祖様にも・・・。」

『申し訳ない』と言いたかったけど、言葉にならなかった。こみ上げる嗚咽が抑えられなかった。

「まだ、終わってはおらんぞ。」

 父とは違う声に、ハッとして顔を上げると、父の隣に見慣れぬ鎧武者が立っていた。

「終わって・・・ない・・・?」

「まだ刀を折られただけではないか。腕も、足も、無事に残っておる。それも無くしたなら、噛みつけ。胴で巻き絞めろ。戦う意思がある限り、お主は戦える。」

 そうか。私、まだ甘えていた。そうだ、あそこには鬼の使ってた武器もある。石ころだってある。その気なら、まだ戦えた・・・。でも・・・。

「もう、遅い、と思うのかい?」

父が、優しい声でそう言った。それは、ほんとに、人生で一番優しく感じた声だった。私は無言で、コクンとうなずいた。  

「那津、と言うたな。うむ、確かに、我が妻の面影があるのう・・・。で、お那津よ、遅いかどうかはともかく、お主は、どうしたいんじゃ?」

「・・・わたし・・・わたし、戦いたい!朱点を倒したい!清明を、みんなを助けたい!戦いたいですっ!朱点と、戦いたいっ!鬼丸の分も、江藤さんの分もっ・・・朱点に倒された、みんなの分もっ!」

父も、鎧武者も、じっと私を見つめていた。私の覚悟を見定めるかのように。

「戦いたいっ!朱点を、倒したいっ!」

バカみたいに繰り返してる。顔中、涙だか、鼻水だか、よだれだか、もうわかんないのでくしゃくしゃ。

「戦いたいっ!今度こそ、今度こそっ!」

「その言や、良し・・・。」

気が付くと、父と鎧武者の後ろに、とても大勢の人が立って、こちらを見ていた。鬼丸のような服の人もいるし、鎧武者もいる。軍服姿の人、綺麗な着物の女性、スーツ姿の人、何かのユニホームを着た子供・・・。大勢の人が、じっと私を見つめてる。

「行け!那津!行けっ!」

目の前に、まぶしい光が広がる。どんどんまぶしく、どんどん大きく。まぶし過ぎて、何も見えない。さながら、光の闇だった。

「しゅぅぅぅぅ」

自分が息を吸いこむ音で目が覚めた。

私はパッと飛び上がると、周囲を見回した。

清明は、あおすけの背で気を失っているようだが、無事そうだ。良かった。

だが、朱点は、どこだ!


いた!


あおすけと清明から、30mは離れている。朱点は、頭を振りながら起き上がろうとしているところだった。


ドクンッ!


心臓が、強く、大きく鼓動する。

息を、大きく吸い込んだ。深く、深く。


「いぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁっ!」

私は雄叫びを上げ、朱点に向けて突進を開始した。必ずっ、倒すっ!


その声で朱点がこちらに気付き、私に向き直る。

いつの間にか、私の手にはそれぞれ一振りの刀が握られていた。

左手に、金の刀。

右手に、青の刀。


あっという間に朱点との距離が縮まった。私は刀を顔の前で十字に構えると、遥か手前で跳躍し、朱点に飛び掛かる。


ガキッ!


振り下ろした刀が、朱点が振り上げた左手に食い込む。

まだだ。まだ足りない。


私は両足で朱点の腕を蹴り飛ばすようにして、その勢いで朱点から距離を取って着地した。朱点が、驚いたように左腕の傷を見る。十字に付いたその傷から、細い金と青の煙が立ち昇って、消えた。


私は間、髪を入れず、今度は姿勢を低くして、朱点に切り込んだ。朱点が身構えたのを見て、左に飛び、すぐに右に向きを変えて朱点に飛び込んだ。朱点の右腕が大きく振り回された。私はそれを右手で受け流しながら、左手で掬い上げるように朱点の右腕を切り裂き、そのまま余勢を駆って左に飛び抜けた。今のはなかなかの手応えだった。


朱点の右腕から、さっきより太い金色の煙が昇っている。今度のは、消えない。だけど、私の右腕も、ざっくり切り裂かれていた。受け流し切れていなかった。受けちゃダメだ。躱さないと。


 「コシャくナ・・・こムスめメ!」

 

今度は朱点の番だった。地響きを立てながら突進してくると、左腕を地面に叩きつけるようにして攻撃してきた。余裕を持って躱した地点に、右手が突き込まれる。後ろに飛んでそれも躱すと、今度は蹴りが襲ってきた。これは躱せない。私は両手でその足をブロックしたが、あまりの重さに吹き飛ばされて転がった。


飛び跳ねるようにして起き上がり、右手の刀を突き出しながら朱点に飛び掛かる。朱点が受け止めようとして両手を開いたところで、クルリと姿勢を変え、錐揉み状態で朱点の胸に切りつけた。ひるまず掴み掛って来る両手をすんでのところで躱し、足元にしゃがみ込むと、左脚を切りつけながら、朱点の股の下を通って後ろに回り込む。


たわめたバネをいっぱいに伸ばし、思い切り上に飛び跳ねた。ちょうど向きを変えた朱点の顔が、目の前にあった。私は朱点の左の角を切り落としたが、振り上げた手に足首を掴まれ、そのまま地面に叩きつけられた。


肺の空気が、一気に押し出された。空気を求めて必死に息を吸いこむが、激しい痛みがそれを拒む。目の前がチカチカして、視界が狭くなる。まずい!

 

 朦朧とした意識を必死にかき集め、とにかく距離を取ろうともがいたが、足が言うことを聞かない。よく見ると、左足が有り得ない方向に曲がっていた。折れているに違いない。息を吸いこむと、胸にも刺すような痛みが襲ってくる。


 どーん!


 大きな音と共に、何か白い物が朱点にぶつかった。米呂院だ。全身血だらけだったが、まだ戦おうとしている。よく見ると、皮膚が裂け、あばら骨が一部見えている。朱点が膝を着く。左手で角の部分を押えていた。その部分から、どす黒い粘液が流れ、顔の半分を覆っている。確かに、朱点も弱っている。

 ふいに、朱点がビクンと背をのけぞらせる。今度はゼルマが、最後に残った腕で朱点の背中に切りつけたようだ。朱点は半身を返し、ゼルマに強烈な蹴りを浴びせ、それをまともに受けたゼルマは小石のように吹き飛んだ。



 あおすけは、背中の清明がケガをしないように、脚を折りたたんで座ってから、清明を背中から降ろした。小声で鳴きながら、清明を鼻で突いたり、足で軽く蹴ったりしてみるが、意識は戻らない。あおすけは、清明の隣に座り込むと、その角を清明の胸に触れさせた。

 

 清明は意識を取り戻した。ハッとして飛び起きると、少し先で、朱点と那津が戦っているのが見えた。那津が朱点に抱きすくめられそうになり、思わず首を引っ込めた。だが、那津はするりとその腕を抜け、朱点の足元から後ろに回り込むと、飛び上がって朱点の角を切り落とす。だが、飛び抜けようとした足を朱点に捕まれ、したたか地面に叩きつけられた。

 「まずいっ!」

 清明は心配そうに見つめるあおすけに跨ると、空に駆け出しながら、片手で印を結び、呪文を唱え始めた。


 博正は元亀車に乗りながら、鬼界に潜入した地点まで戻って来ていた。途中であおすけの咆哮を受けた紅尾が恐慌を来たし、元亀車ごと墜落しそうになったが、何とか持ちこたえ、フラフラになりながらもここまで送り届けてくれたのだ。

 元亀車の中を覗くと、ぐったりした様子の5人が身を寄せ合っていた。三浦先生のケガはひどかったが、茶箪笥の菓子の効能で、順調に回復に向かっているようだった。だが、生徒会長と江藤さんがいない。あおすけの咆哮からそこそこ時間が経っているが、那津や清明が戻って来る気配もない。そこで、入った時に使ったお盆のことを思い出した。

 「紅尾、悪いんだけど、様子を見て来てくれないか?」


米呂院とゼルマのおかげで、なんとか立ち上がる時間が稼げた。体中がバラバラになりそうなくらいに痛んだが、刀は二本ともある。刀を振るう腕もある。偶然ではあったが、朱点の角は明確な弱点のようだ。もう片方、右の角も落とせれば、勝機が見出せる。朱点が膝を着いている今が好機なのだが、正面から突っ込んでは危険だ。


「那津!」


考えあぐねているところに、清明があおすけに乗ってやってきた。頭上に炎の矢が何条も浮かんでいる。そうだ!


「清明!朱点に火箭を打ち込んで!」


清明は左手を天高く突き上げ、右手で朱点を指差した。途端に火箭が凄まじい速度で朱点に撃ち込まれる。


同じタイミングで、私も飛んだ。

火箭に気を取られた朱点が、点を仰いだ。


今だ!


私は刀を交差させ、自分も火箭に貫かれながら、朱点の右の角を捕らえた。朱点がこちらに気付いた時には、もう遅かった。私は飛び込みながら両手を外に開くようにして、朱点の右角を切り落とした。


「ぐぅおおおぉぉぉぉ!」


受け身を取る余裕もなく、私は再び、地面に叩きつけられた。全体重と飛び込んだ勢いを一点で受けた右肩が、すごい音を立てた。音だけで、折れたとわかる。


だが、朱点も右の角からどす黒い粘液を噴出させ、苦悶の表情でのたうち回っている。もう一息だ。


その時、地響きとともに地面が次々と盛り上がった。朱点の叫びに呼応したかのように、新手の鬼が現れる。その数は、膨大だった。 


私の背中を何かが登って来た。

この感覚が、絶望なのか・・・。


博正は水面で、那津と清明の様子を見ていた。那津の捨て身とも思える一撃で、一旦は朱点を倒せたと思った。しかし、そう思ったのも束の間、地面から夥しい数の鬼が身震いをしながら現れた。那津も、米呂院も、ゼルマも、もはや少しも動かない。アダタラは少し離れた地点でバラバラにされていた。

清明が目いっぱいの火箭を飛ばしているが、とても間に合いそうにない。それに、火箭もいつまでも飛ばせるわけでもない。既に清明は青ざめた顔をして、汗だくになっている。

「くそっ!こんな時に役に立たないなんて・・・。」

ここからでも、戦いの砂煙が遠くに見える。だが、今から走って行ったところで間に合う訳もない。

博正は鬼祓を掴み上げると、地面に叩きつけようとして、思いとどまった。

「!・・・待てよ・・。」

博正は、元亀車の中にいたつむじを外に連れ出すと、つむじに何事かを告げた。


地面から現れた鬼が、朱点を囲むように壁を作り始める。清明が上空から火箭を飛ばし続け、増援の鬼を打ち倒していくが、その壁は徐々に厚みを増し、朱点が見え難くなりつつある。


遠くから、博正の吹く鬼祓の音色が聞こえたように感じた。そんなわけはない。博正は元亀車で飛び去ったじゃない。・・・でも・・・いや、聞こえる!どこからともなく、鬼祓の嫋々とした音色が!空耳じゃない!その音は、徐々に強さを増し、今でははっきりと聞き取れる!


朱点を囲んでいた鬼の壁が、崩れた。鬼祓の音色が苦痛なのだ。無数の鬼たちが、頭を抱えて地面に這いつくばるようにしている。中には、地中に戻りかけている鬼までいる。


朱点が、また露わになった。もはや両手を地面に付け、立ち上がることすらできないようだった。


私は、三度、立ち上がった。左手の刀を口に咥え、動かない右手の刀を左手に持ち替えて跳躍に身構えた。次が、おそらく最後の一撃だ。慎重に目測を測り、残った脚を撓めて、力を溜めていく。


そして・・・


跳んだ。朱点に向けて、まっすぐに。全ての命のために。狙うは、朱点の首、それのみだ。


朱点が弱々しく右手を挙げて、頭を庇うようにする。私はそれを左手の刀で払いのけた。朱点の左手が、肘から少し先で切断され、吹き飛んだ。むき出しになった朱点の首を目掛け、体ごと突っ込むと、朱点とバチっと目が合った。瞳の無いその目に、絶望と恐怖が浮かんでいるのを、確かに見て取った。


思い知れっ!


私は、心でそう叫び、首を思い切り振った。


「ぅヌがーーーーーーッ!」


朱点の首が体を離れ、宙を飛びながら確かにそう言った。


今度は十分の余裕を持って着地したつもりだったが、折れた足では踏ん張りがきかず、私は地面に転がった。と、同時に、朱点の首のない巨体が、音を立てて地面に倒れる。朱点を取り囲んでいた鬼たちが、我先に逃げ出し始めた。その背に、今では数条にその数を減らした火箭が突き立ち、逃げ惑う鬼に引導を渡していたが、やがて飛来する火箭も無くなった。


私は起き上がり、警戒態勢のままで上空を振り仰いだ。あおすけの背で、長い首にもたれかかるようにして、清明が体で呼吸をしているのが見えた。青ざめた顔をして、汗だくだったが、どうやら無事のようだ。


もう見回せる範囲に、動いている鬼はいない。

今度こそ、大丈夫だ。

私は鬼界の地面に大の字に倒れた。


すぐ隣に、あおすけが降りてきた。清明がその背からずり落ちた。立ち上がれない様子の清明は、四つん這いのまま、私の方に近付いてくる。

助けに行ってあげたいけど、私も顔を動かすだけで精いっぱいだった。全身の筋肉という筋肉が、限界を超えた酷使に苦情を言っているみたいだ。


「ひでぇ・・・顔だな。」


清明が私の顔を覗き込んでそう言った。


「清明だって、死にそうな顔、してるよ。」


清明が私の隣に寝転がった。どちらからともなく、クスクスと笑い出す。やがて笑い声は鬼界中に聞こえるんじゃないかという、大きな笑い声になった。


「・・・だけど・・・やったな。」

ひとしきり笑い合った後で、清明が言った。


「やったね・・・。でも、まだだよ。」

「だな。」

「うん。」


二人は、重い体を起こして立ち上がる。清明が博正と元亀車を呼び寄せた。博正は清明からの伝話が届くまで、鬼祓を口から離さなかったようだったが、今はその音色も止んでいた。やがて二人の元に、博正と共に紅尾に掴まれた元亀車が現れた。奥入瀬とつむじも一緒だ。


「二人とも、ひどいね・・・。ちょっと・・・臭うよ。」


博正も笑顔を作って軽口を叩く。まあ、確かに、冷や汗、あぶら汗、普通の汗、ありとあらゆる汗を、数年分一気にかいたような状態だから、仕方ない。

博正は元亀車の中に声を掛け、果物と飲み物を両手に抱えて戻って来た。私と清明は貪るように甘い味の水を飲み、桃に皮のままかぶりついた。やがてふつふつと元気が沸き起こって来る。心なしか、痛みも少し和らいだ気がする。

三浦先生や他の生徒が心配そうに元亀車の入り口からこちらを見ていたが、笑顔を作って中で待っているように伝えた。私たちには、まだやることがある。

清明が地面に転がっている朱点の首を、上から見下ろしていた。私と博正がその傍らに立つ。

「・・・恐ろしい相手だった・・・まさか、人に化けているなんてな。よりによって、生徒会長に・・・。」

「・・・いつから、だったんだろう?中学生の時からかな?」

私と清明は、中学生の頃から大江田を知っていた。入学時のオリエンテーションで会ったのが初めてだった。私はそこから大江田を追い掛け始めていたから、よく覚えている。

「さあな。だけど、今となっては、もう関係ないだろ・・・。」

「・・・そうだけど・・・鬼丸の言ってた通り、人に化けた鬼が、まだまだいるんだろうね・・・。」

「ああ。今度はそいつらが、俺たちを狙ってくるかもな・・・。」

三人とも、無言になった。それが、いつなのかはわからないが、現実となる確かな予感があった。

「さて、後処理するか。」

そう言うと、清明は特大サイズのお札を取り出した。裏も表も、記号のような文字がびっしりと書き込まれている。それを朱点の首に被せると、九字の印を切り、呪文を唱える。


「五陽五神、八偶八気、元柱固具、鬼気祓拭、邪気胡散、金剛縛鎖、急急如律、令!」


たちまち、お札は複雑に絡み合った、様々な太さの無数の鎖に変わり、朱点の首を覆い隠した。それを、家庭では使わないような特大サイズのゴミ袋に放り込む。人界に戻ったら、今度はコンクリートで物理的に封印する予定だ。

首のない体は、清明が配合した謎の液体を掛け、その後、あおすけの咆哮で文字通り粉々に砕いた。砕かれた朱点の身体は、砂のようになり、鬼界の風に吹かれて飛んでいった。その間中、博正は葬送の曲を鬼祓で奏でていた。


江藤さんの亡骸を探したが、ついに見つけることができなかった。あおすけの咆哮で、バラバラになってしまったのかも知れない、ポツリと、清明が言った。


その後、清明が生気を失い、彫像のようになった米呂院、ゼルマ、アダタラを勾玉に戻す。以前のような輝きは失ったが、時間と共に生気を吸い集め、いずれ復活するという。


 奥入瀬とつむじが、二本に折られた鬼丸と、粉々に砕けた鞘を集めて拾って来てくれた。私はそれを胸に抱き、心の中で鬼丸に詫びた。詫びながら、ほんのわずかな時間だったけど、鬼丸と共に過ごした時間を思い返していた。ダーツではしゃぎ、美味しそうにソフトクリームを食べていた鬼丸。私を慰め、勇気づけてくれた鬼丸。人に興味を持ち、テレビや本を熱心に見ていた鬼丸。・・・そして、口にこそ出さなかったが、切望していた朱点との戦い。私のせいで、その願いを叶えてあげられなかった。そのために生まれて来て、長い長い時間、私たち人間のために戦ってくれたのに・・・。私は手元に残った金と青の刀とともに、清明にもらった懐紙に包んで、両手に抱えた。


ここでやるべきことは、終わった。戻ろう。


 入って来た時の逆を辿って、人界に戻って来た。元亀車の中で清明が事情を説明し、すでに全員に例の丸薬を服用してもらっている。三浦先生は生徒会長と江藤さんのことを気に掛けていたが、結局本当のことは口にできなかった。今は全員が、まるで夢の中にいるような顔で、どこでもないどこかを、ぼんやりと眺めていた。上椙さんの車の中で、病院に移動しながらみんなの応急手当をする。元亀車の中で過ごした間に、三浦先生のケガも治癒し始めていた。

総合病院の暗い立体駐車場に車を入れ、全員を降ろした。ここなら、いずれ誰かがみんなを見つけることだろう。上椙さんが防犯カメラに細工して、全ての映像を消すことも忘れていない。

「まあ、ジャミングしてるから元々映ってない可能性もあるんだけどね。有線式だった時のために。」

この車にも、湯浅さんや上椙さんにも、まだまだ秘密がありそうな気もするが、今は触れないでおいた方がいい。


病院から出たところで、車内には事情を知った人間だけが残った。戻って来た時の私の状態を見て慌てた母も、今は落ち着きを取り戻していた。それとは逆に、私の肩と足の痛みが激しさを増してくる。アドレナリンが切れたのだろう。じっとりとした嫌な汗が出る。

「ねぇ、大丈夫?」

母が心配そうに聞いてくる。私は無言でうなずいて見せたが、実はそんなに大丈夫じゃない。車が揺れるたびに、息が止まりそうな痛みに襲われる。それに気付いた上椙さんが近くに来て、ケガの状態を見る。

「ちょ、ちょっと!右肩も左足も、ひどい骨折じゃない!なんで言わないのよ!由乃!バックバック!」

今度は上椙さんが慌て出した。湯浅さんも驚いたように後ろを振り返った。

「な、なになに!戻るの?」

「いや、大丈夫です!このままマンションに!」

上椙さんの慌てぶりを見て、清明も慌てたように訂正する。

「な、なに言ってるのよ!かなりの重症よ!」

「大丈夫ですから、落ち着いて!」

清明があおすけの説明をした。あおすけの角には強い治癒能力があるが、鬼界で清明の治療にその能力を使ってしまったため、少し時間を空ける必要があるのだ。それでもなお、上椙さんは食い下がったが、私が自分で大丈夫、と伝えて、不承不承という感じでようやく引き下がった。

「これ、ボルタレン。服用じゃ効き目は薄いと思うけど、何もないよりは・・・。」

上椙さんが錠剤を2錠と、水のボトルを差し出してくれた。ありがたく受け取って、服用する。

「・・・女の子をこんな目に遭わせて。キミ、もてないぞ!」

水を飲む私の前で、上椙さんが清明を睨みつける。清明のせいじゃないのに、上椙さんの中の清明株が急落したようだった。いつか訂正してあげよう。今は清明も不満そうな顔をするだけで言い返しはしない。申し訳ないけど、私も今はそんな元気がない。

 博正のマンションに着くと、すぐに全員で狭間に赴いた。私は母と元亀車に乗せられ、留守番をする。上椙さんからもらった薬は、恐ろしく効いた。鈍痛はあるが、呼吸を妨げられる程の痛みではなくなっている。

「じゃ、朱点の始末をしてくるよ。」

他の4人は、朱点の首を物理的に封印する作業に掛かる。すでに、ドラム缶に3分の1ほどのコンクリートが流し込まれて、準備していた物がある。それに朱点の封印された首を入れ、その上からさらにコンクリートを流し込んでフタをする。コンクリートに、様々な金属片を細かくした物と小石を入れるのがコツなのだそうだ。こうすると、硬さも増し、破壊する時にも時間が掛かるらしい。湯浅さんの発案だった。

そのドラム缶を入れる穴も、すでにアダタラで掘ってあった。アダタラがいない今、埋め戻す作業は人力で行うしかないだろう。場所は、校庭のど真ん中だった。 


一時間ほどで、みんなが疲労困憊して戻って来た。

「お帰りなさい、意外と早かったね。」

そう声を掛けたら、一斉に睨まれた。そうだった。元亀車の中では時間の経ち方が違う。私が一時間と感じていたなら、外では4、5時間経過したはずだ。

「ご、ごめん・・・元亀車の中だった・・・。」

それでみんな納得してくれたみたいだった。無言だったけど、物凄いプレッシャーを掛けられた。赤い彗星もたじろぐほどの。

黙々と茶箪笥の飲み物や食べ物を手に取るみんなを見て、なんだか無性におかしくなってきた。笑ってはいけないと思えば思うほど、おかしさが込み上げてくる。

「・・・ぷっ!・・・」

到頭吹き出してしまった。真顔でもぐもぐ口を動かしながら、みんながこっちを見る。その顔を見て、またおかしくなる。

我慢できずに、声に出して笑った。もうどうにも止まらない。次に、母、湯浅さん、博正と笑いは伝播していった。そして、元亀車中が笑い声で包まれた。もはや、爆笑の渦と言っていい。

「ちょ・・・ちょっと、フフフ、笑わせ、ヘヘッ、ないでよ・・・!」

笑うたびに左肩や肋骨に痛みが走るが、止まらない。

「那津が・・・ハハハッ、笑い始めじゃないか・・・フハッ!」

「ちょ、ちょっと・・・フフフ、いい加減・・・フハハ!」

数分後、どうやら爆笑の台風は通り過ぎた。いい加減、笑い疲れたのだ。でも、みんなさっぱりしたいい顔になっていた。

朱点は体を粉々にされ、首は厳重に封印されて、今は地下3mほどのところに眠っている。しかも、ここは狭間だ。将来的に、人間が掘り起こす心配も皆無だった。

こちらも犠牲者を出してしまったが、勝利と呼んで、いいんじゃないかという思いがある。安倍晴明が書き残した完全封印はできなかったが、できる限りのことはした。それでも朱点が蘇ってくると言うなら、来ればいい。今度はもっと、うまくやって見せる。

全員の目が、顔が、そう言っているようだった。私も、同じ思いだ。悔やんでも悔やみきれないこともあるが、それを今、口に出すのは違うような気がした。


清明があおすけを顕現させ、私のケガを治療する。頭を下げたあおすけの角を、両手で握る。脈動する温かい波が、全身を包み込む。ほんの数分で、私の身体は元通りになった。よろめくあおすけの首を優しく支え、横たえさせる。少し無理をさせてしまったようだ。

「ごめんね・・・あおすけ、ありがとう・・・。」

あおすけがこの上なく優しい目で、こちらを見つめ返した。その首を清明が優しく撫でると、勾玉に戻して首飾りに付けた。



  土曜日(2週目)

狭間から戻って来ると、日付が変わっていた。元亀車で過ごした時間の分も考えると、金曜日はほぼ二日分という長さになる。人生で一番長い金曜日だった。

清明は、戻って来るなり床で横になった。湯浅さんと上椙さんも、ソファでお互いに寄りかかるようにして寝息を立てている。博正が毛布を出して来て、みんなに掛けて回ると、自分も清明の横に長々と寝そべった。

元亀車の中に長くいた私と母は、二人きりになった。湯浅さん達の向かいのソファに並んで腰掛け、みんなの眠りを妨げないように小声で鬼界での出来事を母に話した。

その間中、母が私の肩を、時に頭を、優しく撫でてくれた。

とても心地いい温かさと母の匂いに包まれて、いつしか私は眠りに落ちた。



  月曜日(4週目)

今日から『自宅学習』を止め、再び学校に戻る。休暇を取っていた母も、休講していた湯浅さん、上椙さんも、今日から日常に復帰する。

狭間から戻って来た土日を完全休養に当て、英気を養った私たちは、次の週からお父さんが拝借していたほとんどの物を返却して回った。

ほとんど。清明の首飾りと、博正の鬼祓は、返していない。

清明の首飾りは、土曜日の朝、清明が目を覚ますと外れていた。『朱点を倒す』という願いを叶えたからだろう。だが、鬼丸を失った今、これから先のことを思うと、この二つの遺物は、私たちにとっての切り札だ。幸いに大きなニュースにもなっていないし、使える人間が限られることも考えれば、手元に置いておく方が賢明だろう、という判断だった。


返却に当たっては、湯浅さんと上椙さんの活躍が大きい。二人とも、趣味のサバイバルゲームと『のぞき』で培った技術を存分に発揮した。あらゆる施設に簡単に忍び込み、完璧に目的を果たした。私たちは上椙さんの車で、青森から京都まで旅をした。旅費は、お父さんの遺したお金を使わせてもらった。

その旅の真の目的とは裏腹に、とても楽しい旅になった。いつか、この時のこともお話できるといいなあ、と思う。


その旅の途中、旅館のテレビで平安高校の謎の失踪事件が大きくテレビで取り上げられていたのを観た。解決の糸口を見出せない警察が、公開捜査に切り替えたみたいだった。失踪から戻って来た人もいるが、記憶が曖昧で、その時のことは全員が覚えていない、と言っている。集団違法薬物接種の可能性もある、なんて、訳知り顔のコメンテーターが勝手なことを言ってるけど、真実は私たちの心の中。たぶんあなたには、永久にわからない。


私の手元に残された、折られた鬼丸と、金と青、二振りの刀。湯浅さんが、材質をスキャンしたいと言っていた。それに、現代でも有名な刀工はいるから、鬼丸も『刀として』だけなら、元に戻せるかもしれない、と言っていた。それにふさわしい人を探してみる、とも。

今すぐに、というわけにはいかないけど、いずれお願いすることになるかも知れない。


ベッドから出て、制服に着替える。なんだかすごく久しぶりの気がする。ドレッサーの前に座って、髪を整える。鏡の中に、足を伸ばして座りながら、熱心に本を読んでいる鬼丸の姿が一瞬見えたような気がしたけど、錯覚だった。


立ち上がって、窓から外を見る。今日もいい天気だ。天気予報では、かなり暑くなるようなことを言っていた。


私は、渡辺那津。渡辺綱源次の末裔で、渡辺伊織の娘。

生まれながらにして鬼退治の宿命を背負った、女子高生だ。

もう、『嫌な夢』は見ない。






 川島美佳は、病院で退院前の最終検査を受け、病室に戻るところで、激しくよろめいた。学校の渡り廊下で発見されてから、すぐに病院に運ばれ、入院してあらゆる検査を受けたが、特に異常は見当たらず、明日の午前中には退院して、土曜日で仕事が休みの両親が迎えにくることになっていた。
 「だ、大丈夫?」
 通り掛かった看護師が、慌てて駆け寄って来る。
 「だ、大丈夫です。躓いてしまって・・・。」
 そう言って笑顔を作ったが、実際は違っていた。
 『朱点・・・さま・・・』


「わたなべなつのおにたいじ」
了。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?