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小説「わたなべなつのおにたいじ」⑦

私は、鬼丸を人の姿にした。鬼丸も茫然と、仰向けに倒れている男を眺めている。

「お・・・おいたわしや・・・伊織殿・・・。」

 絞り出すように鬼丸がそう言い、私の隣に座り込む。
 大男は・・・お父さんは鬼丸と私を交互に見て、力なく何度もうなずいた。

 「お・・・お父さんっ!」

 なんでかはわからなかったが、私の両目から涙がどんどん溢れてくる。頭部への一撃は、両手で支えても致命傷になるほどの衝撃だったのだ。倒れている私を庇いさえしなければ、こんなことには・・・。

 「な・・・那津・・・か・・・お、大きく、なった、な・・・。」

 父の、そこだけが人とわかる瞳から、大粒の涙が流れ出てくる。父は、左手で私の顔に触れようとして、直前で思い直し、手を引っ込めた。まるで、この手では私に触れる資格がない、とでも言うように。私はその手を両手で包み、自分で私の頬に触れさせた。ゴツゴツと固くて、まるで木材を肌に当てたかのようにザラザラしていたが、大きくて、温かい。

 「ご・・・ごめんなさい! こんな・・・こんな・・・。」

 私は何かを言おうとして、その何かが言い切れなかった。生まれて初めての感情が、いくつも折り重なって、ぐちゃぐちゃになっていた。

 父は、力なく首を横に振りながら、とても優しい目で私を見つめる。

 「だい、じょうぶ・・・那津は・・・よく、やってる。す、すまない・・・お前・・・にまで・・・。」

 自分の力の無さから鬼を取り逃がし、役目を娘に引き継がざるを得なかった父の悔恨が、無念が、痛いほどよくわかる。言葉にはならなくても、感情が伝わってくる。

 「す・・・朱点は・・・つ、強い・・・ひ、一人では・・・!」

 そこまで言うと、父は激しく咳き込んだ。咳をするたびに、口から血の泡が流れ出てくる。

 「お父さん!もう喋らないで!お、鬼丸!なんとかできない!?」

 私は両手で父の手を強く握りしめながら、鬼丸に懇願した。鬼丸は辛そうに、ゆっくりと首を横に振る。清明が父の頭の後ろに手を当てて、上体を少し起こすようにすると、咳はやがて収まり、呼吸も少し楽になったようだった。

 「コ、コートの・・・ポケット・・・」

 父が私の手を離し、コートの左ポケットを探ろうとして、見つけることができないように左手を宙に彷徨わせている。私はそれに代わって、左手でコートのポケットを探ると、「72」と書かれたキーホルダーの着いた一本の鍵を見つけて、父に見せる。

 「これ?」

 父はうなずき、鍵を指差す。

 「え、駅の・・・ロッカー・・・な、那津に・・・た、頼む・・・。」

 「わかった!わかったから!もう喋らないでってば!」

 父は、口元を歪めて首を振った。もう助からない、と言っているようだった。

 「ダメ!ダメだよ!私、ひとりじゃ・・・・。」

 「仲間・・・見つけ・・・じ、準備・・・しろ・・・。」

そこまで言った時、父が激しく痙攣を始めた。瞳が大きく見開かれ、目、鼻、口、耳・・・あらゆる場所から鮮血が滴る。

 「い、いかん!真の鬼になってしまう!」

 鬼丸が悲痛な叫びを上げた。激しい痙攣の中で、父が私を指差す。

 「じ、時間がっ・・・わ、わたしを・・・刺せっ・・・!」

 こんなことが、あっていいのか。たった今、出会ったばかりの父が、実の娘にその命を絶てと、懇願しているのだ。

 「そ、そんなことっ!できるわけ・・・!」

 私は父から後ずさり、首を激しく横に振った。もう、気が狂いそうだ。

 「那津っ!お主にしかできんことじゃ!生き血が全部抜けたら、伊織殿は鬼になる!人の内に、止めを刺すのじゃ!」

 そういうと、鬼丸は命じもしないのに刀に戻って私の足元に転がった。私は現実を直視することができず、泣きながら激しく首を振っていた。

 父はもはや清明をふ振り払い、時折人のものではない唸り声を上げながら、私の足元に這いずり寄って来る。その様を、私は激しく震えながら見ているしかなかった。体が言うことを聞かない。その時、下から見上げた父の視線と、私の視線が絡み合った。そこに見たのは、間違いなく人間の憐れみを孕んだ眼差しだった。その目が、瞳が、「頼む」と言っていた。


 ふつん


と、音を立てて何かが切れた。私はやおら立ち上がると、鬼丸を引き抜き、その刃を父の背中に突き立てた。どこか遠くから、悲鳴とも雄たけびとも取れる叫び声が聞こえる。それを自分が発しているんだ、と気が付いたとき、私は真っ逆さまに倒れそうになり、人の姿になった鬼丸に、ギリギリのところで支えられた。

 私は、抱えられながら地面に座らせられた。清明と鬼丸が、父を仰向けに寝かせるのが見えた。清明がこちらを見ながら何かを叫んでいたが、その声は耳に届かない。だが一生懸命に手招きするのが見え、私は文字通り這いずるように、父の元へと向かった。

 今度こそ、死の静謐が父を包んでいた。顔や手が、人のそれに戻りつつある。急速に失われつつある命の灯とは逆に、呪いが解け、人としての「形」を取り戻していた。

 父が、ボーっとした目で私を見つめていた。その顔はひどくやつれてはいたが、安らぎを得た人の顔だった。

 「那津・・・ありがとう・・・辛い思いをさせてばかりで・・・済まない・・・。」

 父はそう言って、薄く微笑んだ。

 「だいじょうぶ。私はだいじょうぶ。だから・・・ダメだよぅ・・・。」

 子供のように泣きじゃくる私を見て、父が優しく微笑みながら、うなずく。父の身体が、どんどんと形を失い、無数の光の粒へと変わっていった。

 やがてそれは、胸まで達し、胸元で握っていた父の手が私の手から零れ落ちるように消えた。そして、とうとう・・・。父は無数の光の粒になって、まるで蛍が群れで飛んでいるかのように空中へ舞い上がり、空へと消えていった。

 最期の、最後の瞬間に、私は父の口元が「八重」と呼び掛けていたような気がした。 


 その場所を、沈黙が覆っていた。父が消えたその場所から、私も、清明も、鬼丸さえも動くことができなかった。私の手には、コインロッカーの鍵だけが残されていて、私はそれを見つめていた。


 清明が最初に動き出したのが、気配でわかった。博正のことを思い出したらしい。次に鬼丸が、優しく私の肩に手を乗せてきた。

 「お那津・・・。」

 私は鬼丸を振り返り、救いを求めるように尋ねた。

 「わたし・・・おとうさん・・・ころしちゃった・・・。」

 鬼丸は、ゆっくりと首を振りながら、優しい声で私を慰めた。

 「そうではない、そうではないぞ・・・。お那津は伊織殿を救ったのじゃ。あのままにしておいたら、伊織殿の魂は鬼界に落ち、今度は鬼となって・・・朱点の手先となって、儂らに襲い掛かってきたことじゃろう・・・。伊織殿が・・・お那津の父が、それを望むと思うか?」

 私は黙って、首を振った。

 「そうじゃろう?伊織殿の呪いを解き、その魂に安らぎを与え、人が還るべき場所へ、お那津が導いたのじゃ。伊織殿の最期の顔を、安らぎに満ち溢れた父の顔を、忘れぬことじゃ。」

 私は少し迷ったが、やがて力強く、大きくうなずいた。

 これで、悲しむのは最後にしよう。父の思いを背負って、必ず朱点を葬ってみせよう。そしていつか、父に胸を張って報告するのだ。その時こそ、たくさんたくさん、褒めてもらおう。今度は、まごうことなき父の手で。

 私はゆっくりと立ち上がると、清明と博正の元へと歩き出す。その後ろを、鬼丸が飛び跳ねるように付いてきていた。


 博正は、完全にのびていた。いつから意識を失ったのかはわからないが、むしろこれでよかったのかも知れない。

 「とりあえず、移動するか。」

 そういうと、清明が博正の頬をピシャピシャと叩く。だんだん、その叩く力が強くなっていくと、やがて博正は意識を取り戻した。

 「あ・・・あ・・・。」

 目覚めた博正は、驚いたように周囲を見回す。やがて異常がないことにホッとしたのか、視線が定まり、正気を取り戻したように見えた。

 「あ・・・あれ、鬼丸くん、その恰好・・・。」

 言われてみて気が付いたが、鬼丸はいつの間にか元の狩衣に戻っていた。もしかすると、刀に戻すと服装がリセットされるのかも知れない。そうなると、鬼丸に貸した私の服はどうなってしまうのだろう。

 「プフッ!アハハハハ!」

 そんなことを考えた自分と、目覚めて第一声が「鬼丸の服装について」だった博正が、おかしくて、私は思わず吹き出してしまった。清明は、私が本当に気が触れてしまったと思ったらしい。当惑の表情でこちらを見ている。その顔がまたおかしくて、私はツボにはまった。極度の緊張と、深い悲しみと、それを乗り越えた決意と・・・確かに、短い時間にいろいろあり過ぎて、感情のコントロールが出来なくなったみたいだが、たぶん、まだ正気は保っていると思う。ギリで。

 「だ、だって・・・目覚めて最初の疑問が・・・そこっ??」

 私が説明して、清明も博正もおかしさに気が付いたみたいだった。キョトンとして三人を見回す鬼丸をしり目に、私たち3人は、転げ回るようにして笑い合った。

 ひとしきり笑って、笑いの渦が収まると、私たちは博正を抱きかかえるようにしながら、なるべく目立たないように敷地を出た。そういえば、この騒ぎでも誰にも見つからなかったっていうのが不思議だった。警察も警備会社も、すぐ近くにいたはずなのに。こんなことで大丈夫なんだろうか?

 私は、博正を清明にお願いして、今日は博正を清明の家に泊めてもらうようにした。あんなことがあった後で一人になったら、さすがの博正でも何か変調を来たすかも知れない。それに、倒れた時に頭を打った可能性もある。

 私は鬼丸と一緒に家に帰り、事の顛末を母に報告しなければ、と思っていた。

 母はどのように感じるだろう。悲しむのは間違いない。でも、結果的に私が手を下したと聞いた時の反応が、私には不安だった。重い気持ちで玄関を通り、リビングに入ると、母がソファに座って、泣いていた。「泣いていた」という形容は、おかしいかも知れない。虚ろに空間を見つめ、能面のような無表情の顔に、涙だけがとめどなく流れている、という方が、より正確だった。

 「た、ただいま・・・。」

 私は恐るおそる母に声を掛ける。ゆっくりと、ものすごくゆっくりと、母が私の方を向き、じっと無言で見つめていた。

 「・・・お父さんに・・・伊織さんに、会えたのね。」

 質問ではなく、断定だった。私は黙ってうなずくと、母の正面に腰を下ろす。鬼丸はソファの後ろに立ち、事の成り行きを黙って見ていた。

 「さっきね・・・お父さんが挨拶に来たの・・・。私、最初は夢だと思ったんだけど・・・。」

 そう言うと、母は堰が切れたように話し始めた。

 母は、午後になっても頭痛がひどく、薬を飲んで自室のベッドで横になり、うつらうつらとしていたらしい。ふいに人の気配を感じて起き上がると、目の前を一匹の蛍が飛んでいたが、捕まえようとして捕まえ切れず、蛍が進むままにリビングまで追い掛けてくると、そこに父が立っていた。

 「あの頃と変わらない、人を小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべててね。」

 母が何かを問いかけようとするが、声が出せず、近付こうとしても体が動かなかったらしい。その様子を見た父が、さもおかしそうに笑い、なんだか腹が立った、と言う。

 そして、長い間苦労を掛けたことを詫び、那津を立派に育ててくれたことに感謝を述べ、これから那津に起こることについて、支えになるよう、頼まれたそうだ。

 そこで急激に目が覚めると、相変わらず自室のベッドで横になっていたらしい。夢でも会えたことが嬉しかった、と母は思ったそうだ。そして、喉の渇きを覚えて、何か飲もうとリビングに出てきた時、

 「お父さんがいつも着けていた香水の匂いがした。」

というのだ。ブルガリのブラックという種類のその香水は、今では廃盤になり、手に入れることはできないらしい。

 「だから、あー、夢じゃなかったんだって!」

 私も、そう思った。父は、母に会いに来ていたのだ。二人とも、笑顔で涙を流していた。ソファの後ろで、鬼丸が洟をすする音が聞こえた。

 「・・・でも・・・ああして会いに来た、ってことは・・・。」

 そう言うと、母は俯いて黙り込んでしまった。

 私は大きく息を吸うと、覚悟を決めてさっき起こった出来事を母に聞かせる。私が父に頼まれたとは言え、鬼丸を使って、父を刺したところまで。

 母は、じっと無言で私の話に耳を傾けていたが、話が終わると、やにわに立ち上がり、私の隣に腰を下ろして、私を強く抱きしめた。

 「あなたには・・・辛い思いをさせたわね・・・。でも・・・ありがとう!あなたはお父さんを救っただけでなくて、私のことも救ってくれたのよ。」

 私は母の胸の中で、赤子のように声を出して泣いた。母も私を抱き締めながら、泣いていた。長い長い時間、二人はただ抱き合って、泣くしかできなかった。


 どれくらい時間が経ったのだろう、気が付くと、辺りはすっかり暗くなっていた。私たちは泣き腫らした顔を突き合わせながら、お互いのひどい顔を見てひとしきり笑うと、いつもの二人に戻っていた。


 

 清明は家に帰ると、仕事から帰って来ていた母に、今日は博正を泊める、と告げた。母は大喜びしながらも、「ろくな準備をしていない」と急に慌て始め、父に追加の買い物を頼むか、何か店屋物を取るかで悩み始めた。

 「あ、お構いなく。急に勝手に決めちゃって・・・。」

 博正は恐縮してそう言い、さらに母を喜ばせた。

 「じゃあ、俺たちとりあえず部屋に行ってるから。夕飯の時に声掛けて。」

 清明は年甲斐もなく身を揉むようにしている母に呆れたようにそう言うと、博正を伴って二階の部屋へと上がった。

 「・・・さてと・・・さっきのこと、どれくらい覚えてる?」

 清明は博正にそう尋ねた。すぐに気を失っていたのなら、なんとか事実を誤魔化すことができるかも知れない、と考えたからだ。だが、博正はほとんど全部を見ていた。気を失ったのは、那津が那津の父を刺したところだったらしい。

 「衝撃的だった・・・あの、那津の声・・・あんなに魂を揺さぶられるような声を聞いたのは初めてだった・・・。ああいうのを「魂切る叫び」って言うんだろうな・・・。」

 博正らしい感想だった。視覚で得た情報より、聴覚で得た情報の方が優先になる。音楽家としての、博正の才能の片鱗なのかも知れない。

 「そっか・・・じゃあ、一から説明するよ。・・・とは言え、俺もまだ分からないことが多いんだ。なんせ、初めてが昨日のことだからな。そのつもりで聞いてくれよ?」

 清明はそう念を押してから、昨日からの出来事を話し始めた。博正は時にうなずき、時に大袈裟に驚きながら、話を聞いていた。




 那津は久しぶりに、母と二人で台所に立っていた。せっかくだから、今日は父のために二人で父の好物を作ろう、ということになったのだ。

 料理をしながら、那津は父のことについて母に尋ねた。今までは何となく気まずい気がして、聞いたことがなかったのだ。

 母は当時の様子を克明に覚えていて、父との出会いから、恋に落ち、私が生まれ、結婚してから離れ離れになるまでの話を、さして思い出すような素振りも見せずに語った。

 「え、じゃあ、私って、もしかして『できちゃった子』?」

 「まあ、順番的にはそうなるけど、間違いなく二人が愛し合ってできた子よ。『できちゃった』って言われるのは、当の本人にでも言われたくないわ。」

 当時大学生だった母と、その指導者の立場だった父。今なら、道ならぬ恋と世間に言われそうな話だった。

 話に花を咲かせながら、てきぱきと料理を仕上げていく。父が好きだったという玉ねぎなしのハンバーグ、豆腐の煮浸し、定番の肉じゃが。そして、煮干しダシを効かせたみそ汁。

 今日は、鬼丸の分も合わせて4人分を食卓に並べる。こんなに華やかな食卓は、いつ振りのことだろう。

 父のハンバーグには、母がケチャップでハートを描いた。何やら、さっきの母の話の中で、私には聞かせられない部分もあったようだ。それは、父と母でなく、伊織と八重、二人だけの話と言うことらしい。

 母と鬼丸と、そして姿は見えないが父との食卓をゆっくりと楽しんだ私は、鬼丸を連れて二階の自室へと戻った。時計を見ると、9時を過ぎていた。博正の様子はどうだろう?私はスマホを手に取り、清明に電話を掛ける。

 「あ、清明? どう、変わりない?」

 「ああ、こっち大丈夫・・・今、博正に経緯を説明してたところだよ。で、そっちは?おばさんには、話したのか?」

 「・・・うん。さっきまで。それで、二人でまた大泣きしちゃった。」

 「・・・無理もないよな・・・。それで・・・大丈夫か?」

 「うん。泣いたら、なんか少しスッキリした。クヨクヨするより、今はやらなくちゃいけないこともあるし・・・。」

 「だな・・・。とりあえず、明日、コインロッカー調べてみようぜ。」 

 「うん・・・そのつもり・・・。でも・・・。」

 「でも? なんだよ?」

 「・・・また清明たちを危ない目に遭わせるかも知れないから、ここからは私と鬼丸でなんとかするよ。お母さんも協力してくれるって言うし・・・。」

 清明の反応は激的だった。

 「はぁ? 何言ってんだよ! 今更それはないだろ! 俺も博正も、とっくに巻き込まれてるんだぜ? それに、行方不明の警備会社の人たちだって・・・。どっちにしろ、これからも通う学校で起きてることなんだから、無関係じゃないだろ。」

 「それは・・・そうだけど・・・。」

 「おじさんだって、一人じゃ無理だって言ってただろ? 仲間を探せって。今のところ俺たちは何の役にも立たないかも知れないけど、役に立つ場面が出てくるかも知れないだろ。それに、現実問題としてどっちにしろ危ないなら、お前の側にいるのが、一番危なくないって見方もできるんだぜ?」

 やっぱり、この手の議論で清明に敵うはずはなかった。清明の言ってることは、いちいちもっともだった。

 「そうだね・・・。博正も、それでいいの?」

 「もちろんだよ。って言うか、むしろ博正の方が頭に来てるみたいだぜ。」

 「そうなんだ? 博正が怒ってるのって、想像できないけど・・・。」

 「俺も初めて見たけど、鬼界の音が、博正は生理的に受け付けられないんだと。あんな音が蔓延る世界は、ごめんだってさ。」

 「あ、あー。・・・なるほど。博正らしいっちゃ、らしいね。」

 「だろ? とにかく、こっちはそういうことだから。」

 「うん・・・ありがと。博正にも伝えて。」

 「お、おう。じゃ、明日もあるから、お前も早めに休めよ? お前が倒れちゃ話にならないからな。明日は、10時くらいから動くか?」

 「うん、じゃあ、10時に清明の家に行くよ。それでいい?」

 「わかった。準備しておくよ。」

 そう言って電話を切った。清明や博正の思いは、とても頼もしいし、ありがたいけど、私の側にいるのが一番安全、なんてことは、ないと思う。だって、鬼の狙いは私と鬼丸なんだから。それに、清明や博正に何かあったら、二人のお父さんやお母さんは、どれだけ悲しむだろう。そう思うと、私は胸が締め付けられるような思いがする。

 私は私なりの覚悟を決めて、ベッドに横になった。

 何やら感づいた様子の鬼丸が、神妙な面持ちでこちらを見つめていたが、私は知らないフリをして、鬼丸に背中を向けた。


「わたなべなつのおにたいじ」⑦
了。


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