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小説「わたなべなつのおにたいじ」⑪

翌朝、私たち3人は一緒に登校した。清明と博正が家まで迎えに来てくれた。鬼丸は玄関で『狭間』に行ったが、姿は見えなくても気配はなんとなく感じることができた。
 少し早めに学校に着いたが、校門付近にいつもより多めの教職員がいること以外、特に変わったところはなさそうだった。私はちょっと立ち止まり、一昨日父と共に戦った辺りを見てみたが、朝練の陸上部が、いつものようにストレッチしている姿を見て、内心ちょっと複雑な思いがした。
 昇降口で職員室に向かう博正と別れ、清明と私は自分の教室へと向かう。平安高校では、1年生が3階で、年を追うごとに下の階に移動することになる。2年C組は、2階の中央寄りに位置していて、中央階段からすぐのところにある。
 
 「博正、何組になったかな?」

 教室についてすぐ、私は自分のリュックを椅子の背に背負わせ、清明の元へと向かってそう言った。
 
 「どうだろうな。人数的にはウチかD組だろうな。」
 その後、後から教室に入って来るクラスメイトに挨拶をしながら、小声で学校の様子について話をしたが、二人とも特に気付くようなことはなかった。それぞれの友人や教職員から、それとなく噂やおかしな点を聞いて回るしかなさそうだ、ということになり、お互いの話を聞けそうな友人やグループを共有して聞いて回り、放課後に博正の家で情報交換しようか、という話になったとき、その日の日直だった女子生徒が、勢い込んで教室に入って来た。

 「ちょっと、ちょっと!転入生、転入生!しかも、超絶イケメン!」

 途端に沸き起こる、黄色い歓声。自然とその女子生徒のところに、お話し好きの女子生徒や、女子が集まったところでおこぼれに与ろう、という男子生徒が集まった。皆、好き勝手に質問し、女子生徒は集めた情報について、推測も含めて披露する。ところどころに、「音楽家」や「帰国子女」「海外で大卒資格」などという単語が聞こえて来て、私は清明と顔を見合わせた。声には出さなかったが、

 「博正のことじゃん」

と、お互いの表情が物語っていた。騒がしくなった教室を出てみると、廊下や他のクラスでも、それぞれの日直がもたらした情報で、あれやこれやと盛り上がっているのがわかった。

 「極力目立たないように、じゃなかったっけ?」

 清明に小声で話し掛けると、清明は苦笑いするだけで無言だった。
 そのうち、「直接職員室に偵察に行ってきた」という、女子と話がしたいためだけに芸能記者ばりの行動力を示す、男子生徒数名が廊下に現れた。その行動力を他に活かせば、もしかしたらガールフレンドの一人くらいはできるかも知れないのに。

 「どうやらC組みたいだぞ!」

 途端に新たな歓声と落胆の声。でも、その情報は役に立つかも知れない。私は清明から離れ、男子生徒の思惑通りに会話に加わって質問してみた。

 「なんでC組ってわかったの?」
 「ああ!教頭と校長室から出てきたら、教頭がそのままミマサのところに連れて行ってさ、その後は転入生とミマサで何か話をしてたから、固いと思うぜ?」

 ミマサ。三浦雅子先生。つまり、C組の担任だ。教科担当は現国と古文で、純日本人だと言うが、見た目はハーフっぽい濃い目の顔で、特に鼻が高い。魔女と呼ばれることもあり、本人もたまに大きめの帽子をかぶって登校してきたり、掃除の際には箒でふざけたりもするので、案外気に入っているのかも知れない。
 この話が本当だとすれば、博正がC組に来る可能性は高いと思う。
 その時、予鈴がなり、廊下にいた全員が、期待と興奮を抱いたまま、それぞれの教室へと入っていった。
 教室はそれぞれ席に着きながら、なおも噂話に熱がこもり、騒然とした雰囲気だった。
 そして、男子生徒の話の通り、博正はC組に転入することになった。女子生徒は軒並みこぼれんばかりの笑顔になり、男子生徒の中にはなぜかわからないが不貞腐れたような態度を取るものもいた。それは、教室内のヒエラルキーがガラッと変わった瞬間でもあった。

 「はいはい、しーずーかーにー。今日からC組の仲間になる、大胡博正君です。知ってる人もいるかも知れないけど、すでに音楽家としての活動もしています。ですが、ここでは皆さんと同じ高校生なので、サインをねだったり、一緒に個人的な写真を撮ったりなんていう行為はしないようにね!じゃ、大胡君、自己紹介して。」

そう告げると、三浦先生が一歩脇にどき、教壇の中央に博正が立つ。それだけのことで、教室がまたざわめく。芸能人か。

 「大胡博正です。よろしくお願いします。英語は得意ですが、漢字や国語は苦手なので、三浦先生の元でしっかり勉強したいと思います。日本での生活が久しぶりなので、おかしなことをするかも知れませんが、そういうことは皆さんに教えていただきたいと思っていますので、早く友達になっていただけるよう、がんばります。」

博正がそう言って、最後にニコッ、と笑う。そしてまた歓声。心なしか、三浦先生までが今まで見たことないような顔つきになってる気がする。

 「聞いたー?挨拶からして、素晴らしくない?もう、国語のことならつきっきりで指導してあげるから、いつでも言っておいで!」
途端に上がる不満の声。博正の前に、教師も生徒も関係ないようだ。
 博正の席は、中央列の一番後ろと決まった。近隣の女子生徒は、それだけでもう卒倒しそうだった。
 これは、とんでもないことになったかも知れない。幼馴染だっただけに、そういう目で見たことはなかったが、確かに博正は女子ウケする要素をふんだんに兼ね備えている。イケメン高身長、浮世離れした肩書、約束された将来。これで、あの天然ぶりで話をされたら、メロメロになる子は少なくないだろう。いわゆる、ギャップ萌えというやつだ。
 これは、対策を講じなくてはならない問題が、また一つ増えたかも知れない。ふと清明の方を見ると、清明も同じことを考えているようだった。
その日は一日騒然としていた。授業中はまず、それぞれの教科担当が興味津々で様々な質問をして教室を騒がせ、休み時間になれば他クラスどころか、上級生や下級生までが廊下からクラスを覗いている。C組の女子生徒は団結力を発揮し、博正を囲うように人の壁を作って、自らの優先交渉権を確保するのに必死のようだった。
 そんな中で、事件は起こった。できる限り博正と距離を置いて過ごしていたのだが、恒例の授業前の小テストを行っていた英語の授業の時、博正は消しゴムを落としてしまったらしく、それが私の足元に転がって来た。

 「那津!ごめん、消しゴム取ってくれる?」

 博正なりに、小声で話したのは評価できる。だが、テスト中の静まり返った教室内で、博正の声は想像以上に大きく響いた。途端に、教室の全員が一斉に私の方を振り返った。テスト中だと言うのに。ただ一人、額を手で押さえて首を振っている清明を除いて。
 それはそうだろう、それまで、私は博正と話をしていない。それなのに、いきなり下の名前で私を呼んだのだ。いかにも気安げに。
 私は視線の集中に戸惑った。困惑の表情を浮かべている者、驚いた表情の者、意味ありげにニヤニヤする者。でも、大半は殺気を孕んだ憎しみの目だった。
 かなりぎこちない動きで消しゴムを取り、席をひとつ挟んだ博正に渡す。

 「ありがと!」

 椅子から腰を上げて消しゴムを受け取った博正は、満面の笑顔でお礼を言ってきた。私は返答に困り、動作以上にぎこちなく、

 「ど、どういたしまして!」

と、上ずった声で言うのが精一杯だった。
 さらに悪いことに、英語の後は昼休みに入る。私は速攻で教室を後にしようと試みたが、廊下に出る前に女子生徒の一団に捕まってしまった。彼女らの尋問は執拗を極めた。ただの幼馴染と説明したが、一向に理解してくれようとしない。同じ内容のことを、言い方を変えてクドクドと質問され、さすがに腹が立ってきたところで、突然相手方の主力が頭を抱えてうずくまった。どうやら、急激な偏頭痛に襲われたらしい。保健室へと連れて行かれる隙に、私は廊下に逃れることができ、そのままトイレに駆け込んだ。

 「どうじゃ、うまく逃げられたじゃろ?」

 閉めたトイレの扉から、鬼丸が顔を出した。

 「鬼丸の仕業だったの⁉」
 「うむ。困っているようだったからの。」
 「ありがと!助かったよ!」
 「しかし、あやつら博正への執着はかなりのものだぞ。執着は鬼の性とも言えるものじゃ。鬼に魅入られんと良いがの・・・。」

 鬼丸は不吉にそう言い残すと、また狭間に戻って行った。


 「転入生?2年C組に?」

 その頃、大江田統司は屋上の一角で数人の女子生徒とともに昼食を摂っていた。成績優秀でスポーツも万能、生徒会長を務め、静かな物腰と彫りの深い端正な顔立ちで、男女問わず人気があり、教職員からの信頼も厚い。そのことを自分でも認めており、「平安女子の九割は虜」と自負している。いわば、学内ヒエラルキーの頂点に君臨している存在だ。
 特に、「大江田ランチ」と呼ばれる昼休みのこの時間は、「生徒間の距離を縮めるための時間」として、昼食を摂りながら生徒の悩み相談や要望を聞き取り、今後の生徒会活動に活かすという大江田自身の発案で行われているが、実際は大江田と距離を縮めたい女子生徒が、手作り弁当とプレゼント持参で何とか気を引こうとする時間となっており、陰で「ホストクラブ」と囁かれている。

 「そうなんです!それが、ものすごいイケメンで、海外の音楽大学を卒業してるのにわざわざ日本の高校で勉強し直すらしいですよ!」
 「そうそう、すでに音楽家として海外でもコンサートしたりしてるって!」
 「英語とドイツ語がペラペラなんだって!」

 女子三人で盛り上がる会話に、大江田はイラだっていた。

 『俺を目の前にして、他の男の話かよ』
 内心ではそう思っていたが、それを表に出さないだけの自制と余裕は持っている。

 「そうか・・・じゃあ、一つこれから挨拶してこようかな。生徒会長として、ね。」

 『生徒会長』のところを、わざと強調する。そう言って、昼食の場から立ち上がったものの、3人の女子生徒は止めるわけでもなく、夢中で大胡博正の話を続けている。

 『僕も舐められたもんだ・・・。近付けすぎるのも、考え物だな。』

 今後はこの会の在り方について、見直しを検討することにして、大江田は2年C組へと向かった。
 教室の前は、黒山の人だかりといった様相を呈していた。ムッするような女子の体臭が鼻孔をくすぐる。

 「ちょっと、そこを空けてくれないか。転入生に挨拶に来たんだ。」

 大江田の存在に気付いた女子生徒が、急いで場所を空ける。後に、女子生徒の間で「神々の邂逅」と伝説になった、イケメン同士のファーストコンタクトだった。
 教室内も大江田の登場にざわめきが広がるが、女子生徒が集まった一角だけは動きがない。どうやらあそこが、話題の転入生の席らしい。

 「すまない、挨拶に来たんだ。」

 その声に振り向いた女子生徒たちの顔には、『何しに来たのよ』と書かれているようだった。困惑したような表情を浮かべる者に紛れて、露骨に迷惑そうな顔をする者までいた。どうも面白くない。とは言え、ここでそれを表に出すことはできない。

 「やあ、はじめまして。生徒会長の大江田・・・。」

 そこまで声に出して、初めて椅子に腰掛けた大胡博正を目にした大江田は、言葉を失った。不覚にも、一瞬だが見惚れてしまった自分に気が付いて、激しく自分を罵った。

 「あ!わざわざすみません!今日から2年C組に転入することになりました、大胡博正です!」

 スッと立ち上がり、無駄の無い所作で右手を差し出してくる。非常に洗練された美しい動きであり、はにかんだような笑顔はさらに均整が取れていて美しい。

 「あ・・・ああ、何か・・・困ったようなことがあったら、相談してくれ。」

 「はい!ありがとうございます!」

 大江田は、差し出された右手を軽く握り、自制心を総動員して何とか笑顔を作ったが、自分でも引きつった笑顔になっているのがわかる。どうにか取り繕ってその場を離れ、逃げ込むように生徒会室に入った。この時間の生徒会室には誰も入ってこない。大江田本人が鍵を管理しているのだから、当たり前のことだったが。

 「今日の大江田先輩、なんかおかしくなかった?」
 「えー、そう? いつも通りの美しさだったじゃない!」
 「あ、でも、なんか逃げるように出て行ったよね?」
 「あれじゃない?ウワサ聞いて、余裕ぶってぶちかまそうとしたら、逆にぶちかまされちゃった、ってやつ!」
 「やだー、ウケるー!」

 一連の流れの目撃者となった女子生徒の多くが、口には出さなくても、敏感に世代交代の予感を察知していた。奇しくも大江田は、自分でその舞台に上がり、交代を迫られる主役を演じてしまったのだ。
 
 生徒会室で一人になった大江田は、怒りと情けなさで吐きそうになった。あれほど多くの観衆の前で、ひどい醜態をさらしてしまった自分が憎い。自分の席に座り、何度も机に頭を叩きつける。

 「くそっ、くそっ、くそっ!」

 積み上げてきたイメージが、プライドが、一瞬にして崩壊してしまった。しかも、それを自分の手で、自らが進んでそうしたのだ。怒りが収まって来ると、今度は羞恥と悔恨の波が大江田を襲い、収まりかけた怒りが矛先を変え、またゆっくりと鎌首を持ち上げてくる。

 「アイツさえ・・・アイツさえ現れなければっ!」

 そう言って、握手を求めてきた博正の笑顔を思い出し、怒りの感情がまた膨らんでくる。憎い、恨めしい、消えて欲しい!・・・コロシテヤリタイ! シネ! シネッ!
 ふと、周囲の雰囲気が変わったのを感じた。騒がしく聞こえていた昼休みの喚声が止んでいる。机から顔を上げて、大江田は驚いた。そこは確かに、生徒会室のようだが、まるで昭和初期のテレビ映像を見ているような色の荒さがある。よく見ると、机やロッカーが歪んで見える。

 「な・・・なんだ?」

 自分の頭がおかしくなったのかと思った。机に頭を打ち付けたせいで、脳に悪い影響を与えてしまったのかも知れない。

 「何が、そんなに憎いの?」

 唐突に後ろから声を掛けられ、大江田は驚いて振り向いた。慌てて振り向いた拍子に机にぶつかり、机の上の品物が床に落ちる。倒れた石柱に、男の子が腰掛けて、不思議そうにこちらを見ていた。一体、どこから現れた? この石の柱は・・・? 

 「ねぇ、何が、そんなに憎いの?」

 驚愕して辺りを見回す大江田を全く意に介すことなく、男の子が同じ質問をしてきた。小学校高学年くらいだろうか。着物を着ていて、長い髪を、突起の付いたカチューシャのようなものでまとめていた。額の中央に、インドの人が付けるような赤い点が付いている。

 「だ、誰だ! ここは、どこだ!?」
 「ここは、僕の世界だよ。誰だ、って、聞きたいのはこっち。そっちが勝手に来たんだから。」

 男の子はひょいと地面に飛び降り、こちらに近付いてくる。大江田は後ろに下がろうとして、また机にぶつかった。

 「こ、こっちに来るな!」

 虚勢を張っては見たが、脚がガクガクと震えて、力が入らない。机に寄りかかるようにして、何とか立っているような状態だ。

 「そうは行かないよ。ここは、勝手に来ていいところじゃ、ないんだ。」

 男の子はそう言って、どんどん近付いてくる。顔に残忍な笑みすら浮かべて。男の子は、目の前まで来ると、右手を伸ばし、大江田の頭を鷲掴みにする。避けようとしたが、体はまったく言うことを聞かなかったし、悲鳴を上げることすらできなかった。5本の爪が、頭に食い込んでいく感触があったが、不思議と痛みはない。それどころか、奇妙な安息感が大江田を包み込んだ。

 「・・・ふうん、なるほど、そういうことか・・・。」

 そう言うと、男の子は右手を離した。大江田は腰から崩れ落ち、机にもたれかかるように座り込んだ形となった。そこに、男の子が腰を下げ、大江田の顔と顔を突き合わせるようにする。

 「いいよ、手伝ってあげるよ。その代わり、体を頂戴。」

 男の子は、満面の笑みでそう言った。なんて嬉しそうな顔をするんだろう、と大江田が思った時、目の前が真っ暗になった。
 
 ハッとして目が覚めると、生徒会室の机の脇で仰向けに倒れていた。慌てて起き上がり、周囲を確認すると、いつもの見慣れた生徒会室の風景だった。時計を見上げると、5分ほど気を失っていたらしいことがわかった。机に打ち付けた頭が、鈍い痛みを発していた。

 「力任せにぶつけ過ぎたか・・・。」

 大江田は何度か首を回してみてから、立ち上がった。眩暈などはしないから、もう大丈夫だろう。さっきまで、なんで頭に来ていたのか、わからなくなっていた。洗面所で顔を洗い、髪を整えてから教室に戻ろう。気を失っている間に、何か夢を見ていたような気もするが、何も思い出せなかった。


「わたなべなつのおにたいじ」⑪
了。


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