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小説「わたなべなつのおにたいじ」⑤

                                           ※         ※

 「じゃあ、定時の見回りに行ってくる。」
 佐藤良夫はそう同僚に告げ、2時間に一回の構内巡回に出発した。平安高校では、夜間の警備を民間に託している。佐藤は今日の当直で、同僚の安田隆とともに明日の朝7時までの警備を任されていた。警備室は本棟一階に位置し、火災報知器と侵入感知の集合制御盤や、構内各所に取り付けられた監視カメラの映像を確認するモニター、そしてその録画装置が置かれた部屋と、更衣室兼休憩所として利用されている畳敷きの小上がりからなっていた。
 安田は携帯から目を上げて、佐藤に手を挙げて見送ると、すぐに視聴していたゲーム実況の動画に視線を戻した。
 平安高校の構内巡回は、特に異常がなければ2~30分ほどで終わる。見回るのは建物の中のみで、外周は動体センサーが作動しているため、見回りの必要性がない。
 佐藤が見回りに出て10分ほどした頃、安田は警告音で携帯から再び目を上げた。教室棟2階の男子トイレで侵入感知を知らせるランプが赤く点滅している。安田はやれやれと思いながら、無線機に手を伸ばす。システム自体が老朽化しているからか、たびたび誤作動で警告が発せられるのだ。今回もそんなことだろうと思いながら、無線で呼び掛けた。
 「警備室から巡回、教室棟2階の男子トイレで異常発報。確認願う。」
 ちょっとした空電音の後で、佐藤の応答があった。
 「了解。くそっ、今、1階に降りてきたとこなのに、また戻るのかよ!」
 「ボヤくなボヤくな。それがオシゴトでしょ!」
 「そりゃ、そうだな。じゃあ、ちゃちゃっと見てくるから、コーヒー沸かしててくれよ。なんだか今日はやけに冷えやがる。」
 「はいよー。」
 安田は気のない返事をして、コーヒーの準備を始める。ペーパーフィルターを折りながら温度計を振り返ると、室内の温度は23℃と表示されていた。真夜中とは言え、5月も末のこの時期なら、まあそれくらいだろう。
 「・・・冷えるって気温でもないよな・・・アイツ、風邪でも引いたのか・・・。」
 安田は呟くようにそう言って、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。
 
 佐藤は2階に上がり、教室棟のちょうど中央に位置している男子トイレへと向かった。窓から差し込む月明りで、廊下では懐中電灯を点けなくても歩けるほどだ。小声で笑点のテーマソングをハミングしながら、男子トイレの前まで来る。中から物音が聞こえる訳でもなく、異常を示す兆候は感じられない。遠くから救急車のサイレンの音が聞こえ、やがて遠ざかっていった。佐藤は懐中電灯を灯すと、トイレの入り口ドアを押して中に入る。手前左右に手洗い場があり、右側に小便器、左側に個室が並んでいる。正面は窓になっていて、窓の向こうには街明かりも見えていた。懐中電灯で窓を照らしながら、近付いていく。窓は施錠されており、ガラスが割れたような形跡もなかった。
 「ちっ!やっぱり誤報かよ・・・。」
 佐藤はそう呟くと、引き返そうと踵を返して我が目を疑った。さっき入ってきたトイレの入り口が、やたらと遠くなっている。しかも、目の前の空間がユラユラと揺れているような感じだ。
 「な、なんだ・・・!?」
 懐中電灯で周囲を照らすが、点いているはずなのに、ボヤっとしか明るくならない。空間の揺らぎはますます強くなっていき、その都度、色味が薄くなっていくようだ。
 どどどどどど・・・。
 どこか遠くから、太鼓を素早く叩くような音が聞こえて来て、音のした方向を探そうと周囲を見渡した時、それに気付いた。
 揺らぐ個室の壁や開いた上部から、いくつもの光る眼がこちらを見ていた。時折点滅するように見えるのは、瞬きをしているからだ。多くの光る眼は、佐藤をジッと凝視して、何かを探っているようにも見える。尋常でないことが起こっていると認識した佐藤は、慌てて肩に付けた無線のマイクを取ろうとするが、強く握ることができずに取り落としてしまい、カールコードで繋がれたマイクがヨーヨーのように上下した。再びそれを取ろうとするが、上下に激しく揺れるマイクを上手く掴むことができない。その時になってようやく、自分が激しく震えていることに気が付いた。
 「げ、げ、げ、げ、げ」
 光る眼が細められ、小刻みに揺れている。必死にマイクを掴もうとする佐藤の仕草が、無様な踊りにでも見えたのだろうか、やたらと甲高い笑い声が、合唱のように響き渡る。ふいに、ピタッとその笑いが収まると、一匹、また一匹と個室を出て佐藤の前に立ち塞がった。
 思ったよりも、小さい。身長は佐藤の膝あたりまでしかない。極端に顔が大きくて、その顔の半分ほどの大きな口には、これも大きな汚れた乱杭歯が生えている。手が床に着くほど長く、何匹かは、手に棒切れのような物を持っていた。
 その生き物が、合計10匹、佐藤の前に並んで、体を揺すっている。
 声を出そうとするが、喉がヒリヒリに乾いていてうまく唾をのみ込むことすらできなかった。震える左手を動かし、伸縮警棒の抜き出そうと試みるが、一向に抜けない。
 『そうだ・・・ストッパー・・・』
 慌てるあまり、脱落防止のために付けられているストッパーを外すのを忘れていた。ストッパーを外そうと右手を伸ばしかけた時、最初の衝撃が佐藤の右半面を襲った。
 飛び掛かってきた一匹が、佐藤の額から頬に掛けての皮膚を噛み破ったのだ。
 ミリミリと音を立てて、顔の皮膚が食いちぎられた。
 「ぎ、ぎゃーーー!」
 痛みよりも、衝撃の方が大きかった。悲鳴を引き金に、次々に飛び掛かって来る生き物の重さに耐えかね、佐藤は仰向けに倒される。と、目の前に生き物の大きな顔が現れる。その口が大きく開かれ、生臭い息が顔面に吹きかけられたと感じた刹那、佐藤は意識を失った。

 佐藤に無線で連絡を入れてから、もう20分が過ぎた。いくらなんでも時間が掛かり過ぎだ。現場から一番遠い巡回箇所からでも、とっくに第一報は入っていなければならないはずだ。5分ほど前に無線で呼び掛けてみたが、応答はない。安田は規定に従い、会社に連絡を入れた。
 「お疲れ様です。平安高校当直の安田です。0時50分に教室棟から異常発報がありまして、一人が確認に行ったのですが、15分経過しても応答がありません。・・・はい、佐藤良夫です・・・。ええ、何度か呼び出してます・・・。はい・・・これから確認のため、私も向かいます。警備室が無人になりますので、本部の方でモニターをお願いします・・・。」
 安田は懐中電灯と携帯電話を持ち、確認のために教室棟へと向かった。
 そしてそのまま、安田も行方不明となった。

                                        ※         ※

 翌日の朝、私はスマホの呼び出し音で目を覚ました。眠い目を無理矢理に開いて画面を見ると、清明からのようだった。
 「・・・もしもし・・・どうしたの?」
 昨夜は清明が帰った後、母と鬼丸と三人で明け方近くまで話をして過ごした。鬼丸の教えに従って父への思念も送ってみたが、特に応答はなく、上手く行ったのかどうかもわからない。いろいろあったせいか、なかなか目が覚めなかった。
 「ライン、見たか?」
 「え・・・見てないけど・・・」
 「今日は臨時休校らしい。噂では、警備の人が行方不明になって、警察が来てるってことだ。」
 「そ・・・そうなんだ?・・・」
 「ああ。学校からのラインでは、電気関係の異常があって工事するってことみたいだけど。鬼丸はどうしてる?」
 そう言われて、私は半身を起こして部屋を見る。床で鬼丸が高いびきをかいていた。
 「・・・まだ、寝てる。」
 「マジか・・・寝ないで大丈夫なんじゃないのかよ。」
 「いびきかいて寝てるよ。昨日はお酒もかなり飲んでたから・・・まるっきり普通のオヤジみたい。」
 「・・・起こして何か聞いてみろよ。っていうか、お前も何も感じないのか?おそらくアイツらが・・・鬼が絡んでるのかと思ったけど・・・。」
 「んー、別に、何も感じないけど・・・。何か感じるものなの?」
 「俺に聞くのかよ!普通、そういう能力者って、なんか感じる力とか、あるじゃん?」
 「あー・・・私には、ないみたい・・・寝てるところ見ると、鬼丸もかな?」
 「・・・もう、いいよ。とにかく起こして事情を話してみろよ。なんかわかったら連絡くれ。じゃあな。」
 清明はこちらの返事を待たずに通話を切った。なんか、不機嫌。
 私は伸びをしながら起き上がって、カーテンを開ける。今日もいい天気だ。すごい寝相で寝ている鬼丸を起こすと、鬼丸もかなり眠たそうだった。
 「・・・なんじゃ・・・もう少し寝かせてくれてもよかろうに・・・。」
 ぐずぐず言ってる鬼丸に、清明から聞いたことを話す。ラインも確認してみたが、清明の言っていたとおり、電気関係のトラブルで全館停電になっているらしい。
 「・・・ふむ・・・何やらきな臭いのう・・・。」
 鬼丸はまだ寝ぼけているようだったが、なにやら考え込むようにそう言った。
 「あ、やっぱり何か感じるの?」
 「いやいや、そういう意味じゃない。『怪しい事が起きたな』という意味じゃ。昨日も話したが、鬼はこの世の中にもたくさんおる。いちいち何やら感じていたら、到底身が持たんよ。もっとも、朱点のような大きい力が動き出せば、話は別じゃがの。」
 「なるほど・・・そういうもんなのね。」
 「そういうもんじゃよ。」
 二人で階下へ降りると、母も今起きたばかりのようだった。お酒のせいなのか、疲労のせいなのか、いつにも増して具合が悪そうに見える。
 「おはよう、今日、臨時休校だって・・・。」
 そう言って、母に学校からのラインを見せ、清明から聞いた話をした。
 「・・・アイツらのせいと決めつけることもできないけど、大の大人が二人も仕事中に行方不明、っていうのは、普通に考えてもおかしいことよね・・・。それで・・・お父さんからは、やっぱり応答がないの?」
 「・・・うん・・・。今のところ、ないみたい。今日もまた試してみる気ではいるけど・・・。ところで、今日、仕事は?」
 「ああ、体調不良で休んだわ。さすがに仕事する気にはなれないもの・・・。」
 「そうだよね・・・私も、休みで良かったかも。」 
 それからコーヒーとシリアルで体を本格的に目覚めさせた。私が朝から空腹感を覚えるなんて珍しいことだと思うけど、それ以上に鬼丸の食欲には驚かされた。
 「鬼丸って、食べたり寝たりしなくていいんだよね?」
 私はつい、そんなことを聞いてしまった。
 「うん? まあ、一緒に生活するなら合わせた方が良いじゃろ。もちろん必要はないんだが・・・。」
 鬼丸は悪びれもせずそういうと、三杯目のシリアルにミルクを掛けた。
 私は母と顔を見合わせる。口には出さないけど、家計のためにもずっと刀のままにしておいた方がいいのかも知れない、と、二人とも思っていたに違いない。


「わたなべなつのおにたいじ」⑤
了。


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