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白鵬の引退会見

白鵬の引退が発表された。秋場所千秋楽の翌日に報道がなされたが、協会からでも、宮城野親方からでも、白鵬本人からでもない、実質は匿名である「関係者」からの情報だった。取材源を明らかにしない報道が続いたことは奇妙であり、不自然にして不愉快だった。そしてようやく10月1日に注目の記者発表。代表質問はNHKの藤井康生アナウンサー。白鵬が土俵下で軍配に不満を訴えた時に「これはいけません」と叫んだこともあったが、この日は横綱を労るような進行ぶり。質問に対しては、白鵬本人からは言い辛いことがずいぶんあったようで、奥歯に物が挟まったような会見だった。それでも質問に対して、自分の土俵人生を噛み締めるように言葉を選んで、時間を置きながら喋る篤実さ。聴いていてずっと嗚咽と号泣が抑えきれなかった。
 何故この時期に引退発表?という疑問に対する白鵬の答えは「引退すると決めていた名古屋場所で二桁勝つことを目標としていた」だった。ちなみに初日から10連勝したので(この日の対戦は隠岐の海)、その日に親方や部屋関係者そして家族に意志を告げた」とのこと。だからこそ名古屋場所の千秋楽に家族全員を会場に呼び寄せていた。千秋楽結びの一番の取組前には土俵に額をつけ「これが最後の一番だと思い、土俵にこの20年間、本当に支えてもらった感謝の気持ちを伝えて土俵に上がりました」にただただ涙。親方からは白鵬の右膝が数年前から故障し、名古屋場所ではずっとアイシングしていたことが語られた、医師からは「次のトラブルでは人工関節になる」と告げられていたそうだ。結局、照ノ富士の横綱昇進、オリンピックとパラリンピック、宮城野部屋のコロナ禍によって、引退発表のタイミングを逃してしまったとのこと。名古屋場所の千秋楽に解説の北の富士が「優勝してこのまま引退する気では?」と訝しんでいたが、その通りだったようである。実は私もそんな雰囲気を感じて、優勝インタビューで引退宣言するのではないかと緊張していた。しかし日本相撲協会が「全勝優勝して引退もないだろう」と慰留したという情報も流れている。
 横審が取り口や言動に度重なる警告を発したことについても、藤井康生アナウンサーは避けるわけにはいかず白鵬に質問した。白鵬は「理想の相撲がケガで取れなくなったことの繰り返し」と苦しそうに答えていた。尊敬する大鵬が「負けたら引退が横綱の宿命」と白鵬に諭したことも、勝負にこだわった遠因となったようだ。「土俵の上で手を抜くことなく、鬼になって勝ちに行くことこそ横綱相撲と考えていました。一方で、周りの方や横審の先生方の言う横綱相撲を目指したこともありましたが、最終的にその期待に応えることができなかったものかもしれません」。横審の諮問をいかに白鵬が真摯に受け止め、苦しんでいたかがよくわかる発言だった。祖国の英雄である父から受け継いだ格闘技としての勝負へのこだわりと、日本で説かれる相撲道の品格という曖昧模糊な概念の間で、黙ってバッシングに耐えていた白鵬だった。その沈黙が、協会や横審の無視と解釈されたように思える。
 日本相撲協会では「年寄資格審査会」で、白鵬が親方になる資質資格があるのかどうかを審議した。そもそも一代年寄の話はテーブルにも上がらず『いったいなんで?』と思った。それどころか、議事の中には「10年間は部屋付き親方として親方業を習熟すべきだ」といった暴論も出たそうだ。類い稀なる力士としての戦績を残したことに加えて、既に内弟子の石浦や炎鵬をスカウトして、立派に育てている。これで何を以って、資格にケチなどつけられよう。結局、引退と親方資格の取得に当たって、白鵬は「新人の親方として、理事長をはじめ先輩親方の指揮命令・指導をよく聞き、与えられた業務を誠実に行うこと」と一筆取られたそうだが、そんな心配は杞憂だと思う。
 ともあれ白鵬の親方就任却下などという事態に至らなくてよかった。協会の立場に立って考えてみても「外国人差別だ」などとの声がモンゴルや世間から上がりかねないので、ホッと安堵。来年には定年を迎える宮城野親方から継承予定の部屋の日本橋での建設を模索しているそうだ。ガラス張りにする、土俵を二つにする、など早くも意欲的な構想を見せている。稀勢の里こと荒磯親方の着想に範を得た柔軟性。世界に目を向けた白鵬杯の実績と共に、角界の発展に独自の切り口で貢献できそうなことが楽しみだ。

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