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アウトサイダーアートの論考 1

私はアウトサイダーアート(アール•ブリュット)が好きだ。
特に福祉を必要とする障がい者が表現したアートが好きだ。

村上隆(東京藝大で日本画科初の博士号を取っている)によるアートが、ある種『前提を塗り替える』べく作られた教育エリートのアートだとしたら、
福祉施設から生まれるアウトサイダーアートは『そもそも前提が存在しない』アートだ。
わたしは障がい者のアートにこそ、人間が持つ表現への欲望を感じる。

私がなにかを表現する時、つい「人からどう見られるのか」を意識した成果物を作ってしまう。
多くの大人は、同様に、生身の欲望を表現することを憚る。

そのような遠慮が見られない『前提がないアート』は、
私に強烈な衝動をもたらす。

私はアートの本質は「未知」だと考えている。
そのため自分が一生かかっても思いつかない、アウトサイダーアートの未知の表現たちにただただ畏れと尊敬をもつのだ。

障がい者アートという言い方だと嫌な気持ちになる人がいることについて。


それは、24時間テレビにみられる「障がい者ががんばってる=キラキラ感」に近い軽薄さと、
障がい者【なのに】頑張ってる的な見下し、性格の悪さを、障がい者アートという言葉に感じるからだと思う。

実際アートのジャンルに障がいの有無は関係ない。
しかし、障がい者にはアートの機会が十分に与えられていない。(機会の不平等)せっかくの才能が埋もれているという現状がある。

この記事は、私が、知的障がいがある人の狂気的な反復行動によって生み出される作品に畏れを感じるので、
そういうアーティストが好き。っていう、好みの話です、念のため。

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