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Z世代の現代評論 :現代人には「磯野、野球しようぜ」が足りない

本当に素晴らしい行いというのは、幸福にダイレクトに寄与する行為である。


ひろゆきやホリエモンなど、「◯◯はバカ」と言いがちな、選民思想的な知識人は「頭が良いこと」が優れていると強調するが、果たして本当だろうか。
確かに彼ら70年代生まれで、IT バブル期に事業を成功させた世代からすれば、知性が重要だった。

しかし、頭が良い=優れている=幸福につながる、とはかぎらない。
なぜなら、人類史はWindows95からXP発売の頃(2000年近辺)が転換期で、インターネットにより知識が民主化され、「頭の良さ」の価値基準が大きく変わったからだ。
ノストラダムスの予言通りには地球は滅びなかったが、90年代と2000年代で世界は別物になった。価値観が大きく変化したのである。

私は頭の良さについては、ある一定の基準を超えると価値が逓減すると考える。
具体的には、ネットで調べて問題を解決できる程度の知性があれば十分だ。それが基準線だ。

デジタルネイティブである私からすると、
物事を3秒で決断して行動に移せる人や、歌って踊れる人こそ、現代では価値が高い。
頭が良い人は多いが、そういった実践力のある人は少ないからだ。

ビジネス書なんて書いてあることそんなに変わらん


私は最近本100冊、動画3000本を消化し、あることに気づいた。オンラインの既存情報のほとんどが、上流情報をわかりやすく焼き直した下流版に過ぎず、出版物も同様に上流の知識を再構築しただけなのだ。

出版社やネットコンテンツも、「売れる」受け入れられる見込みのある既存情報を、少し見方を変えて再生産しているに過ぎない。
つまり、真に新しいコンテンツは皆無で、そうした再生産行為や、頭の良さそのものが、過度に重要視されている現状がある。
しかし、本当に素晴らしいのは、幸福に直接つながる行動なのだ。

例えば「今から集まろう」と呼びかけ、約10分でバーベキューの開催が決定すること。
河川敷で肉を焼き、皆で食べる。それこそが洗練された様式美の行為であり、「磯野、野球しようぜ」の実践的な世界観である。
現代の日本人に足りないのは、高度な知的能力ではない。
単純な幸福を実現するための「実践」だ。

現代の日本人へ。
皆さん、頭の良さを過大評価しすぎです。
オンラインや出版物に、それほど大きな価値や答えはない。
本当の価値は、オフラインの実世界にこそある。

書を捨てよ、街へ出よう。 







2024/4/10

おまけ
この記事を読んだ上で: 田中 亮平教授のエッセイを読んでもらえると、多面的な見方が得られて面白いので、貼っておく
https://lib.soka.ac.jp/Library/SEASON/no9/sno9_1.htm

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