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ディストピア?ユートピア? 個性が消失する未来予測

ディストピア?ユートピア? 社会は今、ホワイトな方向に向かっている

ニーチェはツァラトゥストラで、活版技術がもたらしたような「誰でも本を読める」という行為を「長い目で見れば、書くことばかりか、考えることまで腐敗させる」(みんな考えなくなる)と揶揄した。

そして現代、Chat-GPT3.5が登場した時に、知識人たちが「生成AIは爆発的に普及し、人は自分の頭でだんだん考えなくなる」と議論していた。それはもう間違いないだろう。まさに、その現象が現在進行形で進んでいる。

メディアと人の関係は同じ構造を繰り返しているのだ。
限られた人が本を読める時代→活版技術の普及
限られた人がテレビを見れる→テレビの家庭普及
限られた人がネットを使える→ネットの普及
限られた人がインターネットで文章を書ける→誰でもSNSやブログで文章書ける→
限られた人が生成AIを使える→誰でも生成AI使える(今ここ)

メディアが普及したことによる便益はたくさんある、が、
メディアが奪ったものは何だろうか? 例えば、「方言」があげられる。その点を考慮すると、
メディアは、個性を奪う装置なのだ。

テレビが普及しはじめたときに「テレビはバカ製造機」という言説が出ただろう。
それは極端だが、価値観の均質化をもたらした点では、あながち間違っていない。

ここからはたいしたこといってないよ
(エンタメ寄りの論考)


「メディアが普及すると個性がなくなる」を表す仮説を示そう。

私がさっき書いた記事(これ) の、AIとの対談は要約するとこんな感じだった。

私「低次元の欲求が満たされていない人が、『人類の英知を活かして包括的な社会を実現する』とか、『環境に優しく、次世代のため持続的な社会を実現しよう』なんて考えられるわけねーだろ!人間は学ばないんや!」

生成AI「そうですね、でも諦めないでください。それでも社会は少しずつ前進してきました。諦めず、社会をより良い方向に導きましょう。」


明らかに、AIの方がいいことを言っとる。一方、明らかに私の方が個性的だ。

無味無臭な意見を持つ優等生としてチューニングされたAIは、ホワイトな価値観を持っていて、抽象的な理想論を語る。
現実社会を生きてきた私は、個性的でブラックな価値観を持っていて、現実主義的なニヒリストとして語る。

そして、生成AIの普及が進むにつれて、それを使う人間の価値観も「ホワイトな方向」になっていくだろう。ホワイトな方向というのは、「いいことばかり言う」「考えなくなる」ことだ。

しかしながら、私はそのような個性が消失する方向性について、希望観測的に捉えている。

本を読んで、人の言葉の受け売りで考えたつもりになったり、
テレビで見て、SNSで誰かの発言を見て、youtubeで見て、生成AIに聞いて… そして考えたつもりになる。
便利な技術が増えると、人は「考えたつもり」になりがちなことは否めない。

「考えること」はとても大事だ。
人類は考え続けてきた。(そして本当の意味で進化してるのか怪しい程度の進化をしてきた)

しかし、最終的には、未来の生成AIが、人類の正義感や倫理観を上回って、リーダーとして人類を支配し、人類は「あんまり考えない」ほうが実はいいかもしれない。試行錯誤の末、そういうSF的な進化のオチが待っていてもいいなと私は思う。

SFオチ的な未来はおいといて、
私は「人類史を見てると、人間って何千年たっても理想の社会を実現してないじゃん、悲観しよ」
という諦めをもたざるを得ないので、現実的にできることにフォーカスしている。世界の発展には非協力的だ。
これは、今の社会の大多数の行動に近い。

一方で、生成AI※[1]みたいに「諦めないで!やればできるよ!」的な松岡修造寄りの価値観の人が大多数になったときに、おそらく本当に世界はいい方向に変わる。そして「理想的」な新時代が訪れるかもしれない。

だから、人間の価値観がホワイトな方向性に向かうことは歓迎だ。(その時「利己的」な私は迫害されるかもしれない、知らんけど)

世界の均質化が進む

「電車」は知ってるけど「スマホ」を知らない時代の人が、2024年今現在の日本のどこかの電車に乗ったとする。その人の目に映る光景はどうだろうか。

  • ほぼ全員が、長方形で、小型の液晶画面をじっと見つめ、俯いている。

こわすぎる。ディストピアに迷い込んでしまったのか?やばいカルト宗教が支配しているのかな?

さて、「スマホ」がない時代の、電車に乗ってる人の行動は、今よりもう少し個性的で多岐にわたっていたはずだ。

こんな現象をはじめ、だいたいインターネットの登場あたりから急激に、世界の均質化は進んでいて、あなたの周りの景色も急激に変わった。

携帯電話の人口普及率が50%を超えたのは2000年。技術の進化、価値観の変化は目まぐるしいスピードで起きている。ヒト個人の進化は、そのスピードについていけない事が多い。

まとめ



この論考では、世界がホワイトな方向性へ、ユートピア(ディストピア?)に向かっていることについて考えた。

また、LLMは、考えている風で、考えていないのである。 ※[2]ここは現状2024年初頭の生成AIを正しく認識する上で重要

テレビ世代の子どもたち、スマホ世代の子どもたち。
そして生成AIが当たり前にある、次世代の子どもだちの価値観はどうなっていくのだろうか?

人間のあなたはどう思いますか?

補足



※[1]生成AIという言葉は近年、LLMを指す文脈で使われている。

※[2]生成AIは、あくまでも大量のデータから統計的な規則性を学習し、それに基づいて言葉を生成しているのであって、人間のように深い理解や思考を伴っているわけではない。
生成AIは、言語の表面的なパターンを捉えることに長けている。文法的に正しく、自然な言葉遣いで文章を生成できるため、あたかも理解があるかのように見える。しかし、それは膨大なデータの中から、文脈に合った言葉の組み合わせを統計的に選択しているだけ。
例えば、生成AIが哲学的な議論や感情的な表現を生成したとしても、それは本質的な理解に基づくものではなく、類似の文脈で使われる言葉を組み合わせた結果だ。つまり、生成AIに自意識や感情、創造性といった人間的な特質があるわけではない。
ただし、生成AIの言語処理能力は非常に高度であり、実用的な価値は大きい。それでも、AIが本当の意味で「考えている」とは言えないのが2024年初頭の現状。生成AIの限界を理解し、適切に活用していくことが重要。

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