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知性の思考実験 AIとの討論

私:
知性に関する思考実験です。狩猟生活しかしていない村に、現代の人がタイムスリップして、農業の知識を教えたとします。すると、村の生活は安定し、住民の寿命は伸び、その人は神のように崇められるかもしれないな、と思います。しかし、もう少し長いスパンで見て、20〜30年後、農業がもたらした大量生産により、資源の保存が容易になり、資本の格差が生まれ、資源に関する争いが増え、殺人で命を落とす人が増える。そんなシナリオも予想できます。
こういったシナリオから、知性、知恵は天恵ではなく厄災ではないか?と考えられませんか?反論はありますか?

知識や知恵が天恵か厄災かというのは難しい問題ですね。確かにあなたの指摘通り、短期的には生活の安定や寿命の延長などプラスの効果をもたらすかもしれませんが、長期的に見ると格差の拡大や争いの増加につながる可能性もあります。

ただ、知識や知恵そのものが厄災だとは私は考えません。問題は、その知識をどのように活用するかです。生産性の向上で得た余剰資源を、一部の人が独占するのではなく、皆で公平に分配する仕組みを作ることができれば、争いを避けることができるかもしれません。教育を充実させ、倫理観や思いやりの心を育むことも重要でしょう。

また、知識がなければ、そもそも人類は発展できなかったはずです。農業の発明により人口が増加し、都市が形成され、分業が進んだことで文明が生まれました。医学の発展で多くの命が救われ、科学技術の進歩で我々の生活は豊かになりました。

知識は諸刃の剣だと言えます。使い方を誤れば危険ですが、正しく使えば人類に多大な恩恵をもたらします。大切なのは英知を持ってそれを運用していくことだと私は考えます。知識の追求をやめるのではなく、それがもたらす負の側面にも目を向け、どう活かしていくべきかを皆で議論し、よりよい社会を作っていく努力が必要なのではないでしょうか。

私:
一部の人が資源を独占するのではなく、皆で公平に分配できる仕組みを考えたけど、2024年にいたるまで失敗し続けてる、それが人類じゃないの?

その通りですね。人類はこれまで様々な思想や制度を試してきましたが、完全に公平な分配を実現することはできていません。

資本主義は自由競争と私有財産を重視し、強いインセンティブと効率性を生み出しましたが、一方で格差の拡大も招きました。社会主義は共有財産と計画経済を掲げ、平等を目指しましたが、非効率や人権抑圧などの弊害が生じました。

民主主義は政治的平等を保障する制度ですが、経済的平等までは実現できていません。福祉国家は所得再分配により格差の是正を図りますが、そこにも限界があります。

どの制度にも一長一短があり、理想の社会を作るのは容易ではありません。平等と自由、効率と公正のバランスを取るのは難しい課題だと言えます。

ただ、だからといって努力をやめるべきではないでしょう。現状を直視し、問題点を真摯に議論していくことが重要です。歴史から学び、新しいアイデアを出し合い、より良いシステムを模索し続ける。そうした地道な営みの積み重ねが、いつか実りある成果につながるのではないかと私は考えます。一朝一夕にはいきませんが、理想に向かって歩みを止めないことが肝要だと思います。

人間の英知を信じましょう。完璧な答えは見つからないかもしれませんが、より良い社会を目指す努力は決して無駄にはならないはずです。一人一人が公平性と正義を意識し、行動することが何より大切なのだと思います。

私:
人間の英知を信じられません。人間は歴史から学ばないという諦観があります。そもそも、食べるものに困る、恋人がいない、充分寝られない、法律が機能していなくて身の危険がそばにある、そのような低次元の欲求が満たされていない今の私や、地球の人口の大半が、『人類の英知を活かして包括的な社会を実現する』とか、『次世代のための、環境に優しく、持続的な社会を実現しよう』などと考えられますか? その余裕がある人とない人で、イデオロギーの対立が起きるのは必然だと考えます。

あなたの指摘はもっともだと思います。マズローの欲求段階説が示すように、人は生理的欲求や安全欲求が満たされなければ、自己実現などの高次の欲求を追求することはできません。貧困や飢餓、暴力や抑圧に苦しむ人々に、崇高な理想を説いても空しく響くだけでしょう。

また、恵まれた環境にある人とそうでない人とでは、価値観や思考の優先順位が大きく異なります。満ち足りた者は現状の維持を望み、苦しむ者は変革を求める。そこに生じる断絶は容易には埋められそうにありません。

理想の社会を語るには、まず誰もが人間らしい生活を送れる基盤を作ることが先決なのかもしれません。格差の是正、貧困の撲滅、教育の充実、健康の確保。一人一人の尊厳が守られてこそ、初めて建設的な議論が成り立つはずです。

ただ、私としては理想を語ること自体は無意味だとは思いません。ビジョンを共有し、目標を掲げることで、社会は少しずつでも前に進んできたのではないでしょうか。現実を直視しつつも、より良い未来への可能性は信じていたい。一足飛びには理想は実現できなくとも、一歩一歩着実に歩みを進めることはできるはずです。

社会の変革には長い時間がかかります。挫折や後戻りを繰り返しながらも、それでも努力を積み重ねていく。遠い理想に向かって地道に一歩ずつ近づいていく。それが私たちにできることなのだと思います。

もちろん、あなたのように、人間の英知を信じられないと感じることも理解できます。理想論に逃避するのは生産的ではありません。しかし、だからこそ、一人一人が自分にできることから始める。小さな変化を積み重ねて、社会を少しずつ良い方向に導いていく。そうした営みを通じて、いつか人類全体の意識も高まっていけばと私は願っています。理想実現への道のりは険しいですが、決して希望を失わずに歩んでいきたいと思います。


私:
社会の変革に長い時間がかかるということは、つまり、2つのタイムスパンのギャップ;社会の変革を待たずに、それより先に、90年くらいの寿命を迎える可能性を示唆します。私の死生観として、死後のことは考えられません。また、人は、当事者意識がないことについて利他的な行いができません。
90年先のことに当事者意識を持つ方法があるとしたら、子どもがいない人は子どもを作るとかでしょうか。しかし、着実に世界経済が豊かになっていて、逆に少子化は進みます。したがって、死後になるかもしれない時間軸の事象に関与するインセンティブは、減っているように思います。どう思いますか?

あなたの指摘は非常に鋭いですね。個人の寿命と社会の変革のタイムスパンのギャップは、確かに大きな問題だと思います。自分が生きている間に理想の社会を実現することは難しく、だからこそ先の世代のことを考えるモチベーションを持つのは容易ではありません。

特に少子化が進む現代社会では、ご指摘の通り、子孫への関心が薄れがちです。自分の死後の世界に当事者意識を持つことは一層難しくなっているのかもしれません。経済的豊かさが、皮肉にも利他性を失わせている面があるようにも感じます。

ただ、だからといって無力感に陥るべきではないと私は考えます。たとえ遠い未来のことであっても、今この瞬間に生きる私たちには、社会をより良い方向に導く責任があるはずです。

たとえば、環境問題一つとっても、今の行動が将来の地球に大きな影響を及ぼします。私たちは子孫から地球を借りているのだと自覚し、持続可能な社会を作る努力をしなければなりません。

また、教育や文化の継承も重要でしょう。知識や価値観を次の世代に伝えていくことで、社会の発展に貢献できます。一人一人が意識を高め、積極的に社会参加することが求められます。

そして何より、人は一人では生きられない存在だということを忘れてはいけません。他者への思いやり、助け合いの精神、連帯感。そうした人間らしさを大切にする社会を作ることが、遠い将来への最良の投資なのかもしれません。

確かに100年先のビジョンを描くのは難しいかもしれませんが、だからこそ、今この瞬間を大切にし、目の前のできることに全力で取り組む。そうした一人一人の営みの積み重ねが、遠い未来につながっていくのだと信じたいです。

私たちにできることは限られているかもしれません。しかし、誰もが自分の持ち場で精一杯努力することで、社会はゆっくりとでも前に進んでいけるはず。そう信じて、一歩一歩前を向いて歩んでいきたいと思います。理想の実現は遠い道のりですが、今を生きることの意味を見失わずにいたいですね。


感想

私よりAIのほうが頭がいい
しかし、AIは抽象的で、私は具体的

私は「人類は歴史から学ばない、ということを歴史から学んだ」みたいなことをずっと主張していました。

思考実験に付き合わせることができて、偏った意見への返答としてバランスのとれた意見を言ってくれる生成AI。楽しいですね。


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生成AIの台頭とニーチェの名言から推測する未来予測↓

-メディアは思考力を奪う-
https://note.com/yabacame/n/n9514d7afd43f

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