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クワロマンティックを自認した話(好きな人とは一生友達でいたいよ)

自分のことを客観的に見られないことが長年の悩みだった。自分の状態を頭の中でさえも言語化する気がなかったのだから当然だ。


それがどんなに稚拙な言葉であったとしても言語化は大事。先日、昔自分が陥っていたセルフネグレクト状態についてほんの少しだけだけど言語化出来たことでより強く思った。言語化はどんな薬より精神に効くしかけがえのない自分を形作るのに最低限必要な条件だと思う。


今日は最近自認したクワロマンティックというセクシュアリティについて書きたい。これを書くのは自分のためでもあるし、出会ったことのない誰かのためでもある。私自身ネット上にこのセクシャリティに関する情報が少なすぎて寂しい思いをしているので、同じ思いをしている誰かが見つけて読んでくれたならすごく嬉しい。駄文も駄文だけど。






クワロマンティック自認のきっかけ


数ヶ月前にアロマンティック・アセクシュアルの当事者会に参加したことがきっかけです。当時の自認はロマンティックアセクシャルでした。

もう6~7年前のことですが、特定の人に強い恋愛感情を抱いたことがあるし、それが友情とは全く別物であると感じていたため、クワロマンティックという言葉に初めて出会ったとき、自分はこれには当てはまらないとすぐに判断しました。

しかし、その当事者会で自分の考えていること・感じていることを他の人に言語化して伝えているときに、「ひょっとすると自分の恋愛観ってめちゃくちゃクワロマンティック的なのではないか?」と初めて気がつきました。


その日帰宅してすぐ、現代思想2021年9月号「〈恋愛〉の現在――変わりゆく親密さのかたち」の中の「クワロマンティック宣言――「恋愛的魅力」は意味をなさない! 」をKindleで読みました。そして「クワロマ」や「クォイロマ」など、何かしら引っかかりそうな言葉をXやnoteで検索しました。

自分が書いたのかと錯覚するような文章がたくさん出てきて驚きました。自分がなんとなく抱えていた違和感が、誰かと共有するに値する大事な感情だったんだと気づいて嬉しかったと同時に、同じ景色が見えていると思っていた周囲のひとたちと自分とでは全く違う景色が見えているんだということも悟りました。かなり衝撃でした。



私の恋愛観


まず、私にとって友情抜きの恋愛は考えられません。なので、マッチングアプリ、合コンや知人の紹介等で恋愛相手と出会いたい人たちのことが理解できません。なんというか、初対面の挨拶を交わす前から相手を「恋愛対象」として見ることがとんでもなく失礼でおぞましいことのような気がしてしまいます。

私は、時に誰かに恋愛感情を抱くこともありますが、「それでも」性別関係なく全ての人とただただ「人間対人間」の関係でいたいです。「人間対人間」の関係を進展させて親密度が増していけば、愛情が深まっていくと思います。そういった関係を私は世間でいう「恋愛」と呼びたいし、そういう世界だったらいいなといつも思っています。


今まで恋愛感情を抱いた人は3人いました。しかしそのうち2人は友人と自信を持って呼べるほどの関係ではなかった気がします。

あまり親密でない人に恋愛感情を持つことは、前述した「恋愛」の概念とはズレているのではないか?と思われると思います。しかし私はその人たちとどうなりたかったかというと、付き合いたいとか、相手に恋愛感情を持ってほしいとかではなく、友人のままどんどん仲良くなっていきたいという気持ちを持っていたという点で自分の思う「恋愛」を目指していたと思います。恋愛感情は抱いているけれど相手を恋愛対象としては見たくなかったような気がします。仮に相手に告白をされていたら絶対に断っていた自信があります。好きな人とは一生友達でいたい。自分は「恋愛と友情の区別が付かない」のではなく、「恋愛と友情を区別しない/したくない」という意味でのクワロマンティックなのだと思います。


自分でも書いていて分からなくなってきてしまいましたが、まとめると「恋愛感情を抱く=付き合いたい、相手に恋愛対象として見てほしい、感情が恋愛直結!」ではなく、「恋愛感情を抱く=恋愛関係にならずに友人のままどんどん仲良くなって相手にとっての特別な存在のうちの一人(恋愛関係や性的関係ではなく)になりたい」みたいなことなのかな?と思います。だから友人になれないような関係なら最初から出会いたくない。それが婚活などの恋愛前提の出会いに違和感を抱く理由です。


世間一般の恋愛について思うこと


例えば「長年付き合っていたカップルが、小さなことが積み重なって別れてしまいました。これからはもう二度と会うことはないでしょう。」みたいな物語があったとして、私はそういう物語をラブストーリーとしてではなくてヒューマンドラマとして捉えて観るのですが、切ないな悲しいなって気持ちの後に「恋愛ってめちゃくちゃ不自由で有限な関係すぎるじゃん最悪」みたいな感情がぐるぐるしてしまってモヤモヤします。

これが友人関係だったら、喧嘩別れや自然消滅こそあれど、「あなたとは価値観が合わなくなってきたから今日でお別れね」なんてことそうそうないだろうし、もし友人からそんなことを突然言われたら「なんでそんなにスパッと関係絶たれなきゃならないんだ」と戸惑う人が大半だと思います。

それが、恋愛となると潔く関係を終わらせることが美徳とされ、「元恋人を忘れて次の恋に進みたいのについつい連絡を取って会ってしまう・・・」みたいなお悩みは活を入れられがちです。

もちろん、恋愛は基本的に一対一の営みが標準とされていて、友人関係とは性質の異なるものだという考え方が多数派であることは分かっています。それでも私は、恋愛が始まろうが終わろうが、どんな状況になっても変わらずに死ぬまでその人と何らかの形で関係しつづけていけるような、そんな人間関係だけを構築していくことが理想です。

恋愛関係に限らず、職場の同僚や近所づきあい、通りすがりで言葉を交わすだけの人でさえも、あらゆる全ての人間関係が友情をベースにしているものであるべきだというのが私の考え方です。


まとめ


文章を書いてみて、まだまだ自分の中で混乱している部分があることが可視化されたので、自分と同じような感覚や考えを持っている人と話してどんどんクリアにしていけたらよいなと思いました。もっと自分の人生をたくさんの愛で満たしていきたいです。                 
                               おわり










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