やきにく

00line

やきにく

00line

最近の記事

俯瞰してみる=見終わった映画をもう一度見るような感覚

うまくいかない、くるしい、しんどい、もうヤバいかもしれない、詰んだ、本気でダメだ..... そう思ったことが人生で何度あるか。 ずっとこの苦しみが終わらないように思えたことは何度あるか。 でも人間ってかならずハッピーエンドになるように出来てる。 なにをハッピーとするかはもちろんその人によるが、その人がハッピーと感じる要素はもう既に魂にプログラミングされていて(人間に生まれたとたんに一度記憶から消えるが)、それを思い出していく・取り戻していくのが人生という旅だからだ。

    • 本当に大事なものは何か

      今手の中にあるものに気づくこと。 綺麗事とかではなくてちゃんと今私の周りにあるものを見れるようになるまで時間がかかった。 今周りにいる人、それから私の家、服....。全部私が選んだものだし私の周りにいてくれるものたち。 それらを失ってからその大切さに気づくなんてそんな悲しいことにはなりたくない。 今同じ時間を過ごせてることをちゃんと味わう。 これを今意識しながら少しずつ実践してる。 昔からこうやって、今の時間に浸りきることをしたことがなかった。 私の親がそもそも

      • 自分へ

        自分が大切にしている倫理観を守ること 世の中のルールではなくて 自分のルールを守ること 人それぞれルールはあるから、自分が許せないと思うことでも他人は同じじゃないこともある。 自分の正義を押し付けるんじゃなく 自分は自分のルールでただ生きる。 これをしたら自分を嫌いになってしまいそうだと思ったらしないこと。 たとえ頑なに守ってきたものでも、自分の心からの意思で採用したルールじゃないならとっとと捨ててしまえ、 童心に帰って本当に好きだったものを知って少しづつでも

        • 今抱えてる悲しみも悔しさももう終わったこと

          昔からの癖なのか、悲しかったことや悔しかったことを思い出してひたすらそこだけに浸ってしまう。 例えば食事中でも旅行中でも、構わず。 私は長いこと、今に心を置くということができていなくて、何をしてても常に悲しみや悔しさ、怒り、憤り、不安に心を奪われていた。 過去のできごとや感情が蘇ってきてしまう。 本当にもったいない生き方をしてきたなぁ、と。 少し前に読んだ本に書いていた''過去はもう過去''という当たり前すぎる言葉があまりにも胸に響きすぎて(笑) いや当たり前だけ

        俯瞰してみる=見終わった映画をもう一度見るような感覚

          なにが真実なのか

          少し前まで、幻覚が見えるような方々と仕事で関わっていたことがあったのだが... (幻覚の原因は人によりけりだった) 幻覚というのは本当に幻覚(幻の視覚?笑)なのか?とずっと考えていたのを覚えている。 看護学生だったころ、幻覚や幻聴を訴える患者に対し否定してはいけないと指導された。 その理由は、その人の中では真実だから、だそう。 しかし、そのような人の目に写っているものは、本当に「その人にとっては現実」で終わらせられるのだろうか。 そっちが真実で、私たちが見ているものの

          なにが真実なのか

          未来はどうせ分からないから

          未来ってわからないから不安になる。 でもそれは人間としては正しい、ととりあえず自分を褒めた上で... 分からないからこそ楽しみだなとか どう良い方向に転がるか見物だなとか 思えたらもっと楽になるのではないかと最近思う。 分かっている未来なんて、それこそ頑張る意味も今日を生き抜く意味もないだろうから。 分かっていないからこそ努力のしがいがある。 今を生きる、を最大限に楽しんでみることで 未来を楽しいものだと期待できるんじゃないだろうかと最近思う。

          未来はどうせ分からないから

          絵音さんの言葉

          indigo la Endのライブに行って、良い意味で凶器みたいな言葉をたくさん浴びた。 川谷絵音はどんな人生を送ってきたんだろう?と何回も思った。 今までの嬉しかったことも辛かったことも思い出して何回も何回もえぐられたけど、それはその歌詞の言葉の感覚が、自分の中にあるからなんだな、と。 絵音さんが今の私と同い年の時に書いたという「幸せの街路樹」っていう曲。 この歌は友人にも家族にも言えなくて、だからといってSNSに書くのも違うしなぁと思ったときに書いたと言っていた。 そ

          絵音さんの言葉

          feel specia

          twiceで1番好きな曲。 餅ゴリがこれを歌ってる動画を見たとき、心臓もげそうなくらい痛くなって、泣いた。 歌詞が刺さりすぎて痛い。 【和訳】 そんな日がある、急にふと1人ぼっちに感じる日。どこへ行っても居場所がないみたいで落ち込む日。 その度に私に、どれほど私が大切なのか伝えてくれる、あなたのその一言ですべて大丈夫になる 特別な私に変わるの。 あなたは私が特別だと感じさせてくれる。 世の中がどんなに私を落ち込ませても、痛くて苦しい言葉たちが私を突き刺しても、あなたがいるか

          与えることで「与える」を受け取っている

          20数年生きてて気づいたこと。 人に対して与える機会が多い人と、受け取る機会が多い人がいるということ。 私は長女だからというのもあって、誰かに何かをしてもらうのが昔からすごく苦手で。 でもやっぱり、大人になればなるほど女の子だからっていう理由で、何かをしてもらうことも多い。 人によっては気にしないのかもしれないけど。 例えば彼氏に車を出してもらうとか、ご飯食べに行ったときにいつもお金を出してもらうとか。 相手は自分が望んでやってるんだよ!と言ってくれても、心の中では

          与えることで「与える」を受け取っている

          花は目的なしに咲く

          じゃあ人間は? 目的なく生きていたらダメなのかな? そんなことない、その思考が間違い そもそも生きるのが目的だ。 花だって咲くこと自体が目的で、咲いている時こそ最も美しい 星だって輝くこと自体が目的で、輝いている時こそ最も美しい 花だってただ咲いてるだけ、星だってただ輝いてるだけ。でも美しいでしょ? なら人間がただ生きてることだって、美しい。 じゃあ生きるってなにかと考える。 人は過去や未来で生きることはできない。 今、いまが過去になる。今、未来がいまになっていく。

          花は目的なしに咲く

          私はすでに目的地

          なんでこんな大切なこと忘れていたんだろう。 私たちは「生きること」自体がそもそも1番の目的だったはず。 この世に人間として命を授かっている時点で、大いなる存在から人生をプレゼントしてもらってるんだった。 だから全て完璧というのはそういうことか。 生きることが目的。 だから例え受験に何回も失敗しても、仕事1日でクビになっても彼氏が10股してても、命さえあればなんの問題もないということ。 生きることが目的なんだから、生きてるだけで完璧。 生命を維持するための、酸素、水、太

          私はすでに目的地

          自分の価値は相対評価で図らない

          最近虹プロジェクト2を見ていたら、 東京合宿の冒頭で餅ゴリが「このオーディションは相対評価ではなく絶対評価です。なので周りと比べずに頑張って」と言っていた。 それを聞いていて、なんかハッとした。 自分の価値は自分でしか決められないというのは大前提として、 自分の価値を決めるとき、誰かと比べてしまってはいないだろうか。 無意識に「このクラスでトップ3には入るな〜」とか「私がこの中で1番だな」「あの人よりは良いかもな」とか。 昔は相対的にしか自分を図れなかったけれど、

          自分の価値は相対評価で図らない

          幸せになる、はおかしい。

          幸せになりたい、って当たり前のようによく言うけど疑ったことはありますか? 当たり前を疑うことって、なかなかないと思う。 だってもう当たり前になってしまっているから。 私もずっとそうだった。 これまで生きてきた20数年の中で親や学校からの教育が自分のベース・価値観になっていて、それを疑ってみるなんてことしたことがなかった。 「本当にそうなのかな?」「本当は違うんじゃないか?」なんて思う隙もないほどに、培われた価値観や思考のくせに基づいて、それらを信頼させるような出来事が

          幸せになる、はおかしい。

          自分を愛する

          自分を好きになるために 太ってるからダイエットする。 バカだから勉強する。 これらは昔から自分を少しでも愛するため、だと思ってしてきたことだけど。 実は愛ではなかったんじゃないかと最近ふと思った。 ダイエットしてたのは太っている自分を「太っているからダメ」と思っていたからだったし。「バカだから勉強する」も同じだった。 本当に自分を愛するということは、「太っててもいいしバカでもいい。ブスでもいいしだらけててもいい。」って心から思うところからがスタートなんじゃないかな?っ

          自分を愛する

          子供のとき思ってたこと

          この電球は私にはこの形に見えてるけど 他の人には違うように見えてるのではないか どんな形?と聞いたら言葉では まる!というけれど 私とその人の中にある 「まる」がそもそも違うのではないか? っていう感覚があった。 当時は小6で、担任の先生にそれを話したら ぼくも子供のとき同じこと思ってたよ!って 言ってくれたの覚えてる この感覚わかってくれる人いるかな。

          子供のとき思ってたこと

          可哀想って言葉

          私ってたぶん人よりも言葉の意味をすごく気にする。 言葉って内面の1番外側だと思ってて。 だから言葉に違和感を覚えたら、その人とはすごく仲良くなることはない。できない。 可哀想っていう言葉って大っぴらに使うべきじゃないと私は思う。 なぜ?って言われたらニュアンスでしか答えられないんだけど、感覚的に嫌だから。なんか上からに感じてしまうというか。 試験落ちて可哀想だよね、とか 就活上手くいかなくて可哀想だよね、とか 恋人に振られて可哀想だよね、とか 病気になって可哀想だよ

          可哀想って言葉